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真日本建国コミュの「 す べ て 」

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色々と参考になるので、転載して紹介しときまっせ〜♪
(紹介したブログからは既に削除されていますが)
http://tlcoct21.blog81.fc2.com/blog-entry-23.html

「 す べ て 」

肉体を構成する細胞、細胞を構成する分子、分子を構成する原子、原子を構成する陽子と中性子。。。。。続ければキリがないが、大きな塊にみえる岩でさえ、実際は、超超超超・・・微細な粒子の集まりである。そして、その、すべての粒子の間には、常に電気的な相互作用が働いている。

あなたが見ている世界は、超超超超・・・微粒子のドットの作り出す3D映画であり、本来は、あなたの意思次第で、どうにでも変えることができる世界である。しかし、今のあなたには、自由自在に世界を変える力はもはや、ほんのわずかしか残っていない。誰かが奪ったわけではなく、自らが自らの力を使えなくしてしまったのである。その結果が、文明の利器、言い換えれば、機械がなければ岩すらも持ち上げられない生命体と成ってしまった、現代社会の人間たちの姿である。その姿を、進歩、発展した文明を使いこなす、進化した人類というらしいのだが。。。。。。

「人間」という言葉で呼ばれている存在の本質は「霊」であり、見えるか見えないかは、肉体を構成する粒子と霊体を構成する粒子の大きさの違いに起因する現象にすぎない。幽霊と定義される存在は、いわゆる「肉体」の「肉眼」で、粒子の大きさを判別する境界線を越えたために「見えない」(存在を認識できない)だけに過ぎず、それを何と呼ぶかは別にして、その状態が存在しないと思う(存在するかしないかを議論している)ほうが、本当はおかしいのである。確かに、見えないものではあるかもしれないが、感じる、ことができるのはいったいなぜなのか。

幽霊なんて存在しない。。。え?何が???

イメージしているものは実在する。より粒子が微細な状態であるものが、より粒子が粗い状態のものを存在たらしめる実体であるからこそ、イメージが形になるのである。空想が現実を作り出すのであって、空想は空想ではありえない。。。

思いの、想念の世界でいい加減なことをするのは自由であるが、結果として、それを現実として体験することになることだけは覚えておいた方がよい。心の「殺人」は、れっきとした殺人であり、心で神を否定することは「殺神」となる。どちらがどちらを創りだしているのかを知ったならば、「殺神」は「天地破壊」と同義、すなわち、自殺を意味することにお気づきだろうか。「神が存在するかしないか」の議論は、「自分が存在するかしないか」の議論となり、その議論ができるのは、自分が存在しているからに他ならず、答えはすでに出ている。いったい、何の目的で存在の有無を議論するゲームを続けているのだろうか。。。。人類何千年にも渡るテーマには、すでに答えは出ている。本当の真実を知らないからこそ続けられるゲームだったということである。

と長谷が言っても、たぶん、まだ続けるのだろう。その議論をしている自分がいなくなるその瞬間までは。。。。。

あの世は、どこか別のところにあるのではなく、実際には、あの世もこの世も(つまりは、「人間」も「幽霊」も)すべてが同時同空間に存在している。実際のところ時間も空間もない、言い換えれば、時空は同じものの別な表現にすぎない。

すべてのすべての源から見れば、すべてがお見通しである。どんなに隠そうとしてもそれは不可能である。わかりやすくいうならば、霊体だけの生命体からは、肉体をくくりつけた霊体(つまり、人間)も、その霊体が作り出す世界も丸見えなのである。そして、より粗い世界を破壊するには、粒子の振動を増幅することでこと足りる。現代文明と言われる世界にあるものは、どんなに頑丈に作ったつもりでも、それを一瞬にして粉砕することは、以外に簡単なことなのだ。たとえ、「あの世」に行ってもこの事実からは逃げられない。

防災っていったい何の話???。。。。。

霊体が霊体を操るのは、人間が人間を操るよりもはるかに簡単である。憑依というのは、霊体だけの生命体が、肉体をくくりつけた霊体の周波数に共鳴させて、肉体をくくりつけた霊体を操る現象である。霊体のみの生命体は、一つの肉体をくくりつけた霊体を共有することができ、その現象を、「人間の目」から見ると「多重人格」「人格の豹変」と映る。

霊についての話を空想話のごとくに思い、扱う者にとっては、このカラクリが理解できないために、精神科医や心理学者は、人間的な学問の解釈に基づいて処理しようとする。工事現場で作業員が「不思議な」死を遂げる、遺跡の発掘現場で発掘に関わった者が次々に死ぬ、というような事象を「偶然」などの言葉で処理したり、「科学的」に納得できる説明を当てはめて一件落着させる、のは自由であるが、それでは、まったく何もわからないまま、同じことの繰り返し、永遠の謎のままである。

動物も、植物も、鉱物も、すべての源は唯一つであり、その源のメカニズム通りにすべてのすべてのシステムが相互作用して「世界」を作っている。

あなたの「生きて」いる空間は、いわば、電磁波の海の中である。固体、液体、気体、プラズマ。。。というのは、「標準的?」な肉眼で見た分類に過ぎず、実際にはその境はない。

すべての現象、万物万象には毛ほどの狂いもなく相互作用が働いている。ナノレベルの粒子の動きが、「肉眼」に見えるようになるには相当な時間差が必要になってしまったが、実際には、同時である。思いも波動であるのは、現在では常識の域に入っているが、自らの思い、想念というものが万象万物にどれほどの影響をもたらすかは、ほとんどの人間は自覚していない。

「針一本落ちても万象万物に関わる」と聞けば、「そんな大げさな。。。」と思うだろう。しかし、粒子一つが規則に反した動きをしただけでも、天地が滅ぶほどの現象なのである。一つの動きがすべてに影響を及ぼすのが、宇宙のシステムである。

あなたが、誰かを恨んだ瞬間、それは、時を経て、必ず、自らの元に返ってくる。

宇宙の源を直径一ミリの粒の振動だと仮定すれば、今のあなたは、直径1000キロの粒の集まりのレベル(の動きとして)でしか認識できなくなっているのである。だから、自らの思ったこと、したことが、全体にどれほどの影響を及ぼすかは全く想像もできないのは当然のことかもしれない。しかし、岩戸内宇宙である、箱の中の世界では、今まであなたがしてきた行動のすべてが、すべて、あなたに返ってくる瞬間が必ずやってくることになる。

「すべて」にはあなたも含まれる。「あなた」と一言で言ってしまったが、正確に言うならば、それは、あなたが、自分だと思っている生命体を構成するすべてのレベルの粒子の集まりのことであり、それはまた、究極には、あの世もこの世も合わせた「すべて」に他ならない。

あなたはすべてのすべてをバラバラに分け続け、今や、自分が肉体そのものであるかのように思い込み、肉体の維持、物質的な財産の有無を追いかける、おかしなゲームを平然としている。あなたは、自分がどんな存在であり、本当は、誰なのか全くわからなくなっている。

潜在意識の法則を使うという行為は、あなたの思考の元の元の世界を動かすことによって、肉体で体験する世界に思い通りの形を作り出そうとする行為である。

肉体にくくりつけられた霊体が、霊体のみの生命体を何重にも介して、結果、人間同士の出会いという形を作り出し、お金を手にすることができる。お金を手にすれば、マネーゲームの中では、思い通りの大道具小道具を買い揃えて、「天国」を謳歌することも不可能ではない。

思いはすべて現実化する。それは事実である。だとすると、、

あなたが一つでも闇の思考を持っているならば、それは、ある瞬間、あなたのすべてとなることを意味する。

先在意識の法則というのは、潜在意識の法則自体を司る法則であり、その先在意識を闇に葬っている状態であるならば、潜在意識を使って作り出した天国は、一瞬にして地獄と化す。そして、「限りある」世界で、そのまま続けるならば、最後の最期は、自分だと認識している存在が自分を自分として認識できなくなる事態(本当の「死」、破滅の時)を迎えることとなる。

あなたが何かをイメージするとき、映画を見ているように、自分の外にそれをイメージするならば、あなたは、すべてを知らないことになる。あなたが何かを価値判断し、裁定を下すならば、あなたは「神」であることになる。しかし、あなたが「神」を演じていることに気づかない限り、裁定を下しているそのものに、自分が含まれていることには永遠に気づくことはできない。あなたが最後に裁定を下す対象は、自分自身であることを知っておいたほうがよいかもしれない。

すべて=自分、つまりは、自分もすべてもない状態にならない限り、あなたが求めている本当の天国、極楽を体験することはできない。あなたが本当の事実(真コト)を受け入れない限り、あなたは本当の安らぎも安心も癒しも、永遠に体験することのないまま、本当の死を迎えることになる。

あなたが何かと戦ったり、何かに依存しているならば、それは、自分と戦い、自分に依存する一人芝居に過ぎないのだということを自覚しておいたほうがよい。一人芝居をしている「人間」の集まりを外から見れば、社会現象としての戦争、犯罪、慈善。。。。となるに過ぎない。このことに目覚めなければ、世界平和も幸福も自由も永遠に体験することはできない夢物語となる。

長谷情報を文字で表現することは、相当な困難を要する作業であることを、是非ともわかっておいて欲しい。わかりたくなければ、それでも構わないが、実際、文字と言われるものは、一つのシンボルの中に無限の世界を内包するものであり、その文字を通してイメージされる世界観として、その文字を読む人間が足場にしている世界が如実に表れる。もし、あなたが、長谷章宏が存在する世界に同居しているならば、長谷がどんな表現をしようとも、たとえ、長谷が何も言わなくとも、瞬時に、長谷の語る世界を理解することができるはずである。

今のあなたは、とてつもなく大雑把な世界で、自らの生命を生かすために、誰かを責め、怒り、悲しみ、失った、被害を受けた。。。といいながら、肉体の命を全うするまで「生き残ろう」としている。たとえ、死後の世界なるものをイメージしているとしても、その世界すら、霊体にとってはこの世であるから、結局は、今のあなたがサバイバルゲームをしているのと何らかわりはない。

本当に「すべて」がわかったら、今のあなたはフリーズ、つまり、何もできなくなってしまう。それが、このブログを読んでアレコレと反応している今のあなたの正体である。

長谷章宏とはいったい何者なのか。。。。

本来ならば文字で表現すれば、天文学的な文字数になるであろう世界のことについて、思いつくままに表現してみたのが今回の記事である。あなたから見たら脈絡がなく見えるかもしれないが、長谷章宏の世界では、すべてがつながっている。。。。

「文字文明」の「物理世界」で、本当に真実を知りたいならば、長谷章宏と同じ部屋の中で、長谷章宏から直接話しを聞くことが最良の手段である。長谷章宏と空間を共有することで、超超超・・・微細レベルの情報伝達によって、あなたにお伝えすることができるからである。言葉はただのシンボルにすぎない。言霊が宿っているのではなくて、言霊を言葉や文字というシンボルに置き換えて「聞いたつもり」「読んだつもり」の状態を作り出して「わかったつもり」になれるようにしているだけのことである。実際には、言葉や文字は必要ない道具である。

阿吽の呼吸。。。

あなたが「すべて」と一体化していないならば、長谷が何億語費やそうとも、長谷の言葉からは、あなたは何も知ることはできない。長谷と同じ部屋の中で2時間でも3時間でも黙っている方がよほどあなたの目的達成ははかどるかもしれない。本当の真実を知りたいならば、長谷が使う言葉や文字は方便であることを知っておいて損はない。

「すべて」という言葉が自分の内に存在しなくなったとき、あなたは本当の至福の世界、天国、ミロクに戻ったことになる。

形の世界の栄枯盛衰、言葉や文字を追いかけて、真実を知ろうとしているレベルでは、長谷章宏の語る真実を理解することは永遠にできない。あなたがどんな反論を持ち出そうとも、それをすること自体が、「すべて」を知らないという明かしである。

あなたが語っているのは、あなただけの、あなたが作り出した世界であり、その世界をもとに、長谷の語る世界に反応しているならば、それは、言葉というボールを使ったキャッチボールの遊びをしているに過ぎない。何年続けようとも絶対に共鳴することはできない。

すべて。。。

自分は今、この瞬間、いったい「どこに」いるのか。。。

ご自分のために今一度、全身全霊をつぎ込んで、熟考してみてはいかがだろうか。。。

もし、長谷がお入用ならば、喜んで話し相手をさせていただくので、どうぞ遠慮なく、長谷章宏を訪ねてきて欲しい。

すべて。。。。。がすべての謎を解く(説く)カギである。

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