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内山老師が残した言葉コミュのつづき8

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大は一人暮らしをするだいたいの地域は決まっていた。

我孫子。アビコと読むのですが、響きもいいし、「我が孫と子」もしくは、「我は孫子」みたいだ。

我孫子は、実家から電車で10分程度茨城方面に向かう。快速線もあり、都内へ通勤するにも、そう

不便はない。なにより、綺麗ではないけど、手賀沼という沼があり、そこにわりと大きくて綺麗な図書館も

あり、釣堀(釣りも趣味だった)もあり、わりあい静かな住宅地で、高い建物も少なく、大にとっては、

我孫子という地域を選択するのに、時間はかからなかった。

さっそく、我孫子駅前の不動産屋で、安い物件を探し、3万円からあるけど、さすがに、3万円の部屋は

駅から少し遠く、アパートのすぐ下が道路で、アパートもちょっと古い。

3件目に見た5万円のアパートがあった。「ちょっと高いなぁ」と思いつつ、見に行くと、

なんとまあ大にとって、理想的な物件だった。

新築に近い二階建てのアパートで、駅から徒歩15分だが、アパートの目の前に、雑木林があり、

その向こうに大きな桜の木が植わっている公園もあり、5分ほど歩けば、船戸の森という

森もあった。ここ以外に、考えられないと思って、その日に決めた。

引っ越す日には、車で最低限必要な物を実家から運び、必要なものがあれば、休日を利用して、

実家から一人暮らしの家へと運んだ。車に乗って、音楽をかけながら、実家とマイホーム(我孫子)

を行き来するのは、とても楽しかった。

料理も朝はご飯を炊いて、味噌汁と納豆、おしんこ。もしくは目玉焼きを食べたり、

夕食は野菜炒めを作ったり、たまに一人で鍋をやったりもした。

休日は、朝起きて森まで歩いて、散歩をして、帰ってきてから、朝食を食べて、それから

図書館に行き、適当に昼食をとって、また図書館に行き、釣りをしたりして、夕方、

近くのスーパーで買い物をして帰り、夕食を作って、食べる。すべて、自分ひとりでやった。

というのは、実家にいれば、当然母親が、服を洗濯してくれ、掃除も、食事もすべて

やってくれる。しかも、朝起きるべき時間を伝えれば、起こしてくれる・・・・。

それは、とてもありがたいことだ、と今は思う。

けれど、一人暮らしを始めて、自分で自分の部屋を掃除し、服を洗濯し、食事を作り、買い物をしたり

アパートの家賃を自分で払ったり・・・

そういう自分で自分のことをできることが、大にとって生きている実感を感じることができ、また

自分でやることの自由さを知ることができ、それは大にとって大きな喜びだった。


一方、仕事場ではどうだったか・・・。

会社には半年先に入社していた大学出のSくん(ぼくの歳の一つ下)がいて、

彼とだいたい行動を共にしていた。

彼は頭もよく、要領良く仕事をこなし、書類を作るのも上手で、上司(兄)にとても可愛がられていた。

ところが、大は要領が悪く、書類を作るのが下手で、車を運転させれば、必ず道に迷う。

大の仕事の内容は、ビル管理会社という名目だが、その大半は

代務(パートさんが休んだ時に、代わりに仕事をする)ばかりだった。

テナントの入っているビルの中の掃除。トイレ、廊下、部屋のカーペットの掃除機がけ、ゴミ取りなど。

その頃、大の頭の中で考えていたことは、

「なんで美容師だったおれが、こんな正反対とも言える汚い仕事をしなきゃいけないんだ。

朝は早いし、かっこ悪いし、ゴミは臭いし、トイレも臭い・・・・。

どうして・・・どうしてこうなったんだ・・・・。あぁ、もういやだ。こんなことしたくない・・・」

といつも、仕事中でさえも考えていた。

そんな状態だったから、大はよく兄である上司に怒られていた。

他人が上司なら、反発もしなかったのかもしれないが、その頃、大は兄が憎くてしょうがなかったので、

怒られたりすると、腹の中が煮えくり返るように苛立った。

しかも、会社では、そんな風に振舞っている兄であったが、家では、本当にだらしのない

兄であり、そのギャップにまた大はイライラしていた。

しかも、父は朝早く出るのに、兄はいつまで寝ているのか知らないが、遅くまで寝ていることが多く、

それを注意しない父もよくわからず、また自分も注意ができないことにまた苛立ちを感じていた。


それから、ビルの定期清掃(高所ガラス清掃など)を、清掃会社に委託しているから、

その現場に立会いに行ったりするのだが、

清掃にあんまりお金をかけたがるビルのオーナーは少なく、なるべく安く頼まれるので、

自然、大の会社も安く掃除してくれる業者を雇うことしかできない。

そこで、大が立会いに行くと、業者が何かことがあると、大に文句を言うのだ。

「まったく、こんな安い値段で、こんな大変な仕事させやがって・・・やってられるか!」

今思えば、ただ口からこぼれた文句でしかないが、その頃の大は、まともにその言葉を

受け取ってしまっていた。

そして、親会社に顔を出せば、「失敗をするなよ。頼むぞ」などと、おどされるようなことを言われ、

そのたびに大はその言葉をまともに受け取っていた。

そして、天王洲という高層ビルの現場があり、大はそこの担当となり、

20人近くのパートさんを相手にしなければならなくなった。

その天王洲というエリアに大は、毎日のように通うようになるのだが、

そこのパートさんたちは、仲の悪いこと甚だしく、修羅の世界を現実にあらわしたかのようだ。

あるパートAさんが、大に「Bさんは、あそこを掃除していないから、注意した方がいいわよ」

といい、今度、Bさんの話を聞くと

「Aさんは、見える場所しか掃除してないのよ。注意しなきゃだめよ」と言われる。

バイト代のことにしても、

「なあ、となりのビルは一時間、1100円なのに、なんでてめえのとこの会社はこんなに安いんだよ」

と機嫌が悪いと、言い寄ってくる者もいれば、

「こんなに安いんじゃ、やってられないよ」と嘆いてくる者もいる。

それから、天王洲というところは、会社から1時間かかり、我孫子までは1時間半かかる。

パートさんの休みが出れば、大が代わりに掃除をしなければならない。

そのビルの大きなこと某有名スポーツメーカーの本社などが入っているビルで、

毎日ゴミも大量に出るし、人数も多いから、ゴミを集めるだけでも大変なのだ。

また何より辛く感じたのは、大学出の若い人たちが、颯爽と働いている中に恐る恐る入っていき、

各デスクの下にあるゴミ箱のゴミを取り、集め、カーペットの掃除機かけをする。

若い大にとって、こんな苦痛はなかった。

ゴミをとっている自分を恥ずかしく、ダサイ、臭いと思っていた。いや、そう人は自分のことを思うだろう

と思っていた。

だから、なるべくなら、天王洲の代務には行きたくない、というのが当時の大の願いだった。

しかし、大の願いは叶わず、まさにその願いとは正反対のことばかりが起きるのだ。

そこにつとめるパートさんたちの数人は、詳しい事情は知らないが、

自分勝手な理由で気軽に大のケータイに電話をかけ、「今日休みたいんですけど・・・」

と電話をかけてくる。

それが、たまにならばかまわないのだが、週に数回、突然大のケータイが鳴り、

急きょ5時に退社できるところを、天王洲に行き、5時から8時まで働かなければならなくなる。

それが、大にとって毎日毎日、その「今日、休みたいんですけど」電話がかかってくるのが、

恐怖で仕方なかった。今鳴るんじゃないか、今鳴るんじゃないか、とケータイが鳴るたびに

誰からかかってきた電話かを知るのが怖かった。

電話がかかってくる場合、そのほとんどはクレームだったり、

「問題があった」や、パートさんの愚痴を言いに電話をかけてきたり、

その時のストレスは、大にとっては、何にも例えようがないほどだった。

休みの日でさえ、どこかの現場で誰かしらが働いているので、何かあれば、大のケータイに

電話がかかってくる。急きょ、現場に行かなくてならなくなることも、しばしばだった。

まさに、安心できる時間というものが、ほとんどなかった。いつも電話が鳴るたびに怯えていた。

完全な休日は、現実的にはない、といえた。

そんなことは、もしかしたら当たり前のことかもしれないが、大にとってはとてもハードだった。


仕事場ではそんなだったから、大は、家に帰っても、常に頭を抱えていた。明日に怯えていた。

電話に怯えていた。

「どうしたらいいんだろう。どうしたらいいんだろう。どうしたら、ここから抜け出せるのだろう」

漠然とただただ、悩んでいた。主語も述語もなく、ただどうしたいいんだろうか・・・と

考えていた。

「そのことについて考えていけば、必ず解決できるはずだ」と信じて疑わなかった。

だから、いつも考えていた。

兄のこと、父のこと、パートさんたちのこと・・・。どうしたらいいんだろう・・・・・。

常に、それは頭から離れなかった。

それは、苦しみだった。

兄を恨み、両親を責め、自分の境遇を恨んでいた。

それは孤独を意味していた。

どうしてこうなった・・・・どうしてだ・・・どうして。

大は、昔から悩みを誰かに相談することをしたことがなかった。

なんでも一人で解決できると思い込んでいたのだ。

しかし、思い悩み、頭が痛くなるほど毎日のように悩み続けていた。

それは、本当に苦しく、つらい日々で、

「こんなに辛いなら、死んだほうがマシだ」と本気で2度考えたほどだった。

大にとって、今までの時期で、もっとも辛い時期が、この時だった。

そういう風に過ごしていた時、大は休日に図書館に行き、本を救いを求めフラフラと

図書館内を歩き、今までその棚の前に行くことはなかったはずの、宗教本のあるコーナーに

立ち止まったのだった。

そこで、忘れもしない初めて借りた宗教本が「ほっとする禅語」という本。

それを読んで、ほんとうに救われた思いがその時はした。

今でも覚えているのは、

「不思善、不思悪」

善をも思わず、悪をも思わず・・・。

その時の大にとって、この言葉はなんというか宝物を見つけたような思いがした。

それまでは、「あいつが悪い。おれは正しい。この仕事は嫌だ。これは善い」と

いつも始終考えていたのだが、その

「善悪を思わない」という発想がなかった。

しかし、この言葉で大は一時に救われた思いがしたけれど、それは一時的なものに過ぎない。

しかし、禅の教えには、自分を救ってくれる教えがあるに違いない、と確信した。

その次の休日には、大は図書館に行き、「坐禅の仕方」が書かれてある本を借りてきた。

そして、家に帰り、枕を座蒲団にし、見よう見まねでやってみた。

「あっ!」

やってみて、すぐに気づいたことがあった。

今まで、さんざん周りの人を恨んで、憎んでいた。自分は正しい。あいつらは悪い、バカだ、と。

しかし、坐禅をしてみると、自分の思いがはっきりとわかってしまう。

それまでは、自分の思いが自分自身だと思っていたのだ。

しかし、坐禅をしてみたら、どうもこれは違うぞ・・・。

「あいつが悪い、あいつらはバカだ!と思っているのは、他でもない俺自身じゃないか・・・・」

と、ついに気が付いた。

それまでは、

「あいつらが、俺を怒らせている」=「あいつらが悪い」

と思っていたのだった。

しかし、坐禅してきづいたのは、

「あいつらが悪い。あいつらはバカだ!」という思いを自分が一方的に思っている。

自分がその思いの源(原因)だったのだ、と気づいたのだ。

憎しみの心を作りだしているのは、この自分の心。

人を恨み、自分の境遇を恨む心も、誰でもない俺自身が作っていたんじゃないか・・・。

自分一人しかいない部屋の中で、壁を目の前に坐っている。

この部屋に、他に誰もいない。

それでも、「あいつはバカだ。バカだ」と、頭の中が騒がしい。

これは、どうも間違いなく、原因は俺自身にあったのだ、と思わざるをえなかった・・・。

そのときから、大の慢心は少し収まり始めた。

その時から、

「おれは、バカな男だ」と思いはじめたからである。

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