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内山老師が残した言葉コミュのつづき

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ギターを習いはじめ、家でも暇があれば、ギターの練習をしていた。歌も歌う。
高校に入り、デニーズでバイトを始める。
地元の友達や、学校の友達とたまに遊ぶくらいで、一人で部屋にこもってギターの練習ばかりしていた。

母は口やかましく、おせっかいで、ぼくの声が小さくて聞こえないと大きな声で「あっ??聞こえない」と
キンキンとした大きな声を出す。
その大きな声がぼくは苦手で、その反発からか、もともと小さな声は、さらに小さくなり、さらに喋らない方が楽だ、という結論になり、両親や兄弟とあまり話さなくなってくる。

大が人と話す声はますます小さくなっていくのだが、その反作用というか、自己表現ができず、他者とのコミュニケーションがうまくとれない自分に内心ストレスが溜まっていたのだと思う。
だから、部屋に閉じこもりギターをかき鳴らし、大声で歌を歌うことで精神的なバランスをとっていたはず。
そのように大の、無口で感情を表にださない普段の態度と、部屋にこもって大声で歌っている大の態度のギャップに、両親、兄弟は少し困惑していたのではないだろうか。そして、彼らは大のことを理解ができず、変わった奴だ、と思っていたのではなかろうか。


父のお説教

父はよく僕や兄たちに一対一で夕食の時間、酒を飲みながらよくお説教をしてくれた。
ただいつも父が一方的に、そして何が言いたいのだかわからない話を長々と話す。時には2,3時間に及ぶこともあった。
おとなしく、コミュニケーションが苦手なぼくは一方的に聞き役になっていた。
なかなか父の話に、口を出したり、意見を言うことができず、いつも「またはじまった・・・」と嫌々その
お説教を聴いていた。
ぼくが今だに聞き上手とからかわれるのは、この経験が元になっているかもしれない。
いまだに聞き役に徹してしまう癖が抜けきらないでいる。

父は25歳頃から、一人で掃除の仕事を始め、株式会社を立ち上げた仕事人で、仕事は一生懸命やる人だったが、夜遊びにも精を出していて、夜帰ってくるのはいつも遅く、家族が全員揃って食事をする時は少なかった。

ある夜の日、とつぜん若い女と中年の男がうちに来た。どうやらパブに勤める女とそのマネージャーのような人で、うちの父はそのパブに通っていて、若い女といい仲になっていたらしい。
そして、そのパブの女がうちの母に何か言いたくて来たらしかった。しかし、うちの母は、内心どうだったかは知らないが、彼女は堂々とした風格を見せ、「あなたはまだ若くてきれいなんだから、あんな男(父)はやめておきなさい」と言っていた。これには、驚いた。うちのみっちゃんは強いなぁ、と感心した。
次男もそこにいたのだが、彼は興奮していて、母をかぼうために、そのパブの女性に何を言ったか忘れたが、いい加減にしてくれよ、みたいなことを言っていた。
ぼくは、終始だまっていた。
しかし、この光景は、ちょっとした修羅場のようではあった。
この事件の後くらいから、年齢も手伝って父の夜遊びは徐々に減っていった。

ぼくの高校生活について

ぼくが入学した私立秀明八千代は、中学、高校とが繋がってあり、中学から高校に入るのにテストは一応あったが、不合格でも高校に入れるというものだった。

おそらく中学校からだと思うが、ぼくの居眠り癖はすでにこのときから始まっていた。
授業中に、しょっちゅう寝てしまう。気づいたら休み時間になっていたり、たまにぼくが起きていると、友達はからかって「あっ、大君起きてるよ!」といわれていた。
寝てしまう原因というのは色々あると思うが、その理由の一つと思われるのが、大は
自分の興味のある科目は、がんばるが、興味のない科目は全然がんばらない性質。
といっても、興味があったのは国語ぐらいで、科学も物理も世界史も英語もほとんど人並み以下の
成績だった。特に数学はひどくて、テストで2点をとった時もある。
大がいつも思っていたのが、
「なぜ勉強するのか?」「なぜみんな大学に行くのか?」だった。
これらがぼくにとって大きな疑問で、答は見つからなかった=意味なし と考えて、全然勉強をしてこなかったし、授業もまともに話を聞いてこなかった。
友達になんで大学に行くの?と聞くと、「みんな行くし、就職に有利だから」とか、「大学生活ほど楽しい時はないらしいよ」とか多くの人が言っていた。
しかし、大にとって、それらの言葉は曖昧で、納得のいく答ではなかった。
目的が楽しいからとか、就職のためとか、それだけのために、あんなにたくさんの勉強をできる彼らが羨ましくもあり、すごいな、と思った。

そして、大はその頃、自分の進路を考えていたのかどうか忘れたが、

地元の友達と遊びで髪の毛を切りあっていた。それで、これが意外と下手なりに切れるもので、
お互い「おれら才能あるんじゃね」などと言い合い、その友達は美容師になることを決めた。
そして、その頃、母が大に「あなた美容師やってみたら?」と言ってきた。
その頃、大はファッションなどにも興味があり、軽い気持で「じゃあ、やってみようかな」ということになった。
母がそう言い出したのは、自分が美容師をやりたい時期があったから・・・ということを後で聞いた。

そして、大は高校卒業後、





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