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内山老師が残した言葉コミュの冬のレポート

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冬のレポート作成をまたまた始めます。皆様どうぞよろしくお願いします。

今回の冬は、唯識を勉強してレポートにまとめようと思っていました。

が!

内容をどうまとめていいのか、どこから書き始めればいいのか、さっぱりで・・・・手がつけられず・・。

で、思いついたのが、自分の29年間を振り返り、思い出し、自分がしてきた行いや、両親の言動、

兄弟との交流、友人たちとの交際、交際していた彼女、会社勤めでの経験、仏教との出会いから、

出家にいたり、今にどう繋がってきているのか。また、どうしてこのような進路に進むに至ったのか、

またこうなった因果関係や家族が持つ業、カルマの様子を研究しつつ、また

家族から自分にどのように業が植えつけられていくのか・・・・そして、どうやってその業の輪廻から

抜け出せるのか・・・・また、修行する意味とは何か?坐禅をする意味とは何か?

などなどに、唯識思想や12因縁などを参考にしながら、この業を研究して行きたいと思っています。

自分でもどういう展開を迎えるのか今のところ予想できない部分が多いので、我が事ながら

楽しみです。

そして、自分の実体験ですが、他人事のように書いていけるように気をつけたいと思います。

それでは、はじまりはじまりー (@@)




1980年(昭和55年)東京都西日暮里のとある町にある松井家に、赤ちゃんが生まれた。

松井和夫が命名した。妻は美智子。

子供たちは男3兄弟で、長男は仁。
次男は元。
3男は大。

顔がまんまるで、ほっぺたが赤くかわいらしい子。近所の人たちにかわいがられた。
また母が言うには、積み木遊びをしながら、いつの間にかコクリコクリと寝てしまうような子で、
あんまり手がかからなかった、とのこと。感情を表に出すこともなく、いつも思っていることを内に秘めているタイプで、両親でさえ、この子がどういう子なのか掴みどころがないようだ。

ここで、おばあちゃんについて。
母方のおばあちゃんは今も西日暮里に住んでいる。
旦那は、若くして交通事故で亡くなり、子供3人を女手ひとつでそだてあげた商売人であり、苦労人。
うちの母は長女で、次女は浅草に住んで子供が二人いる。最近の子はみんなそうなのか、結婚して子供ができて、離婚し、そして、また最近結婚したらしい。次男は、どうも鬱のようだという話だ。

母の姉妹の3女は、ばあちゃんと一緒に住んでいるが、部屋に閉じこもっているのか、姿をほとんど
見る機会がなく、家族の間でも話題にのぼる事すらない。何かの宗教をやっているという話を聞いたことがあるが、何の教えなのかよくわからないままだ。学生の頃まで、毎年お年玉をもらっていた覚えはある。

そして、父方の母(ばあちゃん)、歌子は、ぼくが生まれる前に他界したらしい。うちの父もぼくと同じ末っ子。

歌子は天理教の熱心な信者であったらしく、人がよかったらしい。
父が言うには、「おれは毎朝神棚を拝んでいるが、実際は歌子の教えを拝んでいるんだ」とのこと。

父方の父、(おじいちゃん)は、それもよくわからない。浅草の映画館などに飾られる宣伝用の絵を描く人だったと聞いている。父を見て想像するに、じいちゃんは呑む、打つ、買うが得意な人だったのではないか、と予想している。
またそのじいちゃんの兄弟には、浅草6区を占めていたヤクザがいたそうだ。牢屋にぶちこまれ、牢屋から出てくる日に、歌子が迎えに行ってやったことがあったらしい。

以上を見て思うのは、ぼくにはおじいちゃんがいない。
うちの両親ふたりとも片親に育てられてきたということ。
父は甘えん坊で、母も子供には甘いが、父はほとんど仕事と遊びで忙しく、家にいることが少なかったので、ぼくら兄弟はほとんど母だけに育てられたと言ってもいいかもしれない。
それで鍛えられたのか、母は負けん気が強い。

自分の話に戻ります。

そして、大は谷中幼稚園に入園。
リレー大会に出場したものの、ビリになり、くやしくて担任の先生の腕にバトンを投げつけた、記憶がある。これは珍しい。

そして小学校へ・・。しかし、バブルで儲けたからか、千葉県松戸市内に新たな家を購入。

ぼくは引っ越すことになった。
小金小学校。
その頃長男は、割と優秀な方で江戸川取手高校に入り、ともだちも多く、たまに大勢のともだちを
家に招き、飲んでいた。
そして、次男はというと、中学校に入りヤンキーになった。
そして、シンナーや女遊び、高校生の時、その頃の彼女との間に子供ができちゃった。
高校は中退し、さまざまな職をしていた。
子供は2人になったものの、その彼女と離婚。子供は奥さんが預かることに。

そして、うちの父が経営している小さいビルの管理会社に勤めはじめるようになる。

そして、ぼくと兄弟の関係はどうだったかというと、
ぼくは彼らと話が全然合わなかった。

長男はスポーツ好きで、人との交際もうまく、常識的で順調に出世コースを歩むタイプ。

次男もわりとスポーツ好きだが、長男よりは内向的で、やや心配性なところがあり、人や女性に対して優しい面を持っていて、仕事でも割と要領よくやる。しかし、姿勢が悪い。食生活もコンビニ、外食ばかり。離婚経験などがあり、心のどこかで劣等感を抱いているのかもしれない。

ぼくはといえば、小学校5年生から中学受験をするため塾に通うことに。その頃、好きな子がいて、
その子は地元の中学へ行くので、ぼくも地元の中学にいきたかったのだが、
なぜかぼくは塾に通う。強制的に何かをやらされるのが大嫌いであったので、泣き喚きながら、塾の宿題をやっていた記憶がある。
そして、補欠で秀明八千代中学に入る。
マイケルジョーダンに憧れ、バスケットボール部に入る。
1対1でやる1on1には少し自信があったが、体力、根気に欠け、補欠部員。
結局、中2で部活は辞める。 
その頃、ミスターチルドレンがブレイクし、ギターに興味を持ち、父が若い頃バンドをやっていて、
ギターをかじっていて、ヤマハの安いギターが家にあり、ベンチャーズのフレーズをおしえてもらうようになる。
やりだすとすぐに本格的にやりたくなるのが、ぼくの特徴だと思うのだが、
親に「ギターを習いたい」と言い、松戸にある教室に通いはじめる。一年間通い続けた。

コメント(2)

奇遇ですねーわーい(嬉しい顔)けっこうみちこって名前多いような気がします目

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