ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

脳死について考えるコミュの人工呼吸器による生存?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
はじめまして。
最近このコミュに参加したものです。

脳死判定について考える機会があったので思ったのですが、
自発呼吸の消失を確かめる検査がありますよね。
人工呼吸器を外したらその人は自ら呼吸ができなくなり、酸素が足りず窒息死してしまうんですよね?深昏睡状態でありながら更に自分で呼吸ができない。機械によって生かされているということになりませんか??機械の力を借りて心臓が動き続けていることがその人が生きているということになるのですかね。ほとんど無知状態ですみません。私は、この状態になったら生きていると認めることが難しいと思うのですが、みなさんはどう思いますか??

コメント(26)

私は人工呼吸器のお世話になったことがありますよ。
で、このように生きてます。
医療の進歩で、かつて助からなかった患者も、助けられるようになりました。
死の判定は、極めて慎重に行うべきだと考えます。
 脳死判定における人工呼吸器をはずす場合……っていうか、そもそも「法的脳死判定」って先に「臨床的脳死判定」をやって「臨床的脳死」しているようなら、家族に持ちかけ、法的にってことです。

 臨床的に「脳死」していても本当に脳死しているかどうかはやはり切ってみないとわからないし(でも簡単に切れない)、だからその他さまざまな検査をするわけです。

 で、法的脳死判定をしてもだめな場合初めて、法的に「脳死」が認められるわけです。

 日本は基本的に脳幹・大脳両方の全脳死を脳死としているので、生命維持のために機能しているはずの脳幹が「脳死」していたら、深昏睡状態でも自発呼吸はできません。
 でも法的脳死判定における「人工呼吸器の解除」が最後の項目になっているのは、負担がかかるからです。


>医療の進歩で、かつて助からなかった患者も、助けられるよ
>うになりました。

 しかし長期通院する患者も増えたし、後遺症に悩まされる患者も増えました。
ユキノさんが書かれているとおり、

>機械によって生かされているということ

になりますね。

従って、その状態は生きているんですよ。死んでなどいませんexclamation

脳以外の臓器は正常に機能しています。
血液の造血機能はあるし、肝臓の解毒作用はあるし、心臓も正常に拍動しているし、
肺は酸素と二酸化炭素を交換しているし、汗もかけば、排泄もします。
生きている人間にしか出来ない事をしていますよ。

私なら、そのような状態になったら(脳死に)、安らかに逝かせてほしいです。
チューブにつながれて、身動きもとれないまま生きるのはいやです。
多分大勢の人が、私と同じように考えるのではないでしょうか?

生きると身体が機能しているのは別で、自分の命だからこそ、何をもって”生きる”とするかを脳死に陥る前に考えておくべきだと思います。なぜなら自分の死の定義を確立しておかないと、そのつらい選択を家族に強いることになるからです。




はじめまして。

>機械の力を借りて心臓が動き続けていることがその人が生きているということになるのですかね。

ここの部分だけを抜粋しますが、私の子供は脳死になりましたが意識がある間でも呼吸器をつけた状態で生活していました。
筋肉の病気で呼吸をする筋肉が弱かった為に24時間呼吸器のお世話になっていました。
病気で必要な人もいます。

それを考えると脳死の状態でも心臓が動いている以上は生きていると思います。
私も、心臓が動いている限りは、機械を使って呼吸をしてるかもしれないけど、生きていると思います。
私の子供も、脳死状態になりました。6歳未満は脳死判定がないので、脳死状態って事でしたが…。
自発呼吸なし、ABRなし、脳波フラット、脳の血流なしでした。 いつ心臓が止まってもおかしくない状態、大人なら1週間くらいって言われましたが、丸2年頑張りました。

脳死状態でも、汗をかき、涙を流し、排泄をします。生きていると言う事だと思います。
死後、病院で医者が言いました。
【私は、脳死は死だと思っていました。でも、2年診ていて、脳死は死ではないと思いました。医学的にと考えると、説明出来ない事が沢山ありました。医者として、すごく勉強になりました】っと。
脳死状態の人を見た事もない人は、分からないんだ!って思いました。
brendaさん

>私なら、そのような状態になったら(脳死に)、安らかに逝かせてほしいです。
>チューブにつながれて、身動きもとれないまま生きるのはいやです。

自ら書かれているとおり、脳死と判定されても人工呼吸器につながれている間は
生きているという認識をされているわけですよね?

生きる事と身体が機能しているという事は、ほぼイコールと考えていいと思います。
今まで用いられてきた三兆候死(もはや改善されることのない心拍動、
呼吸の停止、光に対するどう孔の反射消失という3つの条件)
は直接的には心臓、肺臓、脳幹を見て判断していますが、
心肺が停止し、酸素や栄養が全身に供給されなくなれば
全ての臓器、組織の機能が停止し、
組織、細胞レベルでも分解、腐敗していきます。

対照的に脳死と判定されても人工呼吸器をつけている間は
かずママさんがおっしゃっているとおり、
脳死状態でも、汗をかき、涙を流し、排泄をします。
栄養を吸収し、代謝が出来るから上記の事が出来るわけです。死体ならできません。

brendaさんの意見は「どの時点で積極的な医療を中止すべきか」という視点から
考えた方がいいと思います。
現在の臨床現場でも、脳死状態に陥ったら徐々に薬剤を減らしていくなど、
積極的な医療から消極的な医療へ移行するケースはよくあると思います。
(人工呼吸器の数が足りないでしょうからやむを得ないのかもしれません)

チューブにつながれて、身動きもとれないまま生きるのはいやという価値観の方もいれば、
チューブにつながれて、身動きもとれないまま生きていかざるを得ない患者さんと
共に生きていたいという価値観の方もいます。

前者であれば、その状態になったら消極的な医療へ移行すればいいんだと思います。
後者であっても無論、尊い命です。不自由かもしれませんが、確かに生きています。
生死についての価値観と、死の定義とは切り離して考えるべきだと思います。
チューブにつながれて、身動きもとれないまま生きていかざるを得ない患者さんと 共に生きていたいという価値観の方もいます。

これは脳死に陥った人ではなく周りの人の価値観ですよね。と、言葉のあやをとって戦う気は私にはないのですが、これこそがポイントですね、この問題の。

私は脳死を人の死と認めろというほどの確固たる意見を述べることが今の時点ではできません。親として自分の子をどんな姿でもいいから生かし続けたいと思う気持ちは十分に理解できます。
ただ親としての自分の気持ちより、本人(もし自分の子供が脳死になったのであれば)の気持ちを尊重したい、それができるようになりたいと思っています。

延命は本人よりも周りの人のためのものであることが多いように思うからです。
brendaさん

>本人(もし自分の子供が脳死になったのであれば)の気持ち

脳死の状態を理解できるほどの能力が子供にあるのでしょうか?
大人でも理解できていない人が多いと思うのですが・・・
中学生くらいになれば理解できる子供もいるかもしれませんが、
それでも成人よりは理解力は劣ると考えて良いのでは。

あと、価値観は多様でありますが、事実は一つですよね。
脳以外の身体は通常通りの機能を保っているという事実です。

延命という処置も生きて命があるからこそ、できる処置です。
本当に死んでしまったら延命処置はできません。

子供の脳は可塑性が高いので、ベテランの小児科医が診ても
「こんな子が助かっちゃうんだ」という例がいっぱいあるそうです。
都立墨東病院の救急救命センター部長の発言です。
子供の脳死の病態がまだわかっていない現状では、
延命治療を打ち切るのはかなり慎重にした方が良いと思います。
私は、当時4歳9ヶ月の息子を脳死状態になり、6歳9ヶ月で亡くしました。
脳死状態で病院から、延命処置をっと言う説明もありませんでした。
4歳の息子、どう思っていたのか、正直分かりません。でも、幼い息子は親と離れたくない…こんな状態でも一緒に生きたいって思っていたのではないか…って思っています。
脳死状態になった時、医者は言いました。
「月単位で心臓が止まる日が来る。今すぐにでもおかしくない。大人は1週間で…」っと。大人と子供が違うのでしょうか?
現に、丸2年心臓は動いていました。水分バランスが悪くなり、利尿剤、尿を出す為のホルモン剤、IVHの感染や、他の感染の為の抗生物質の投与はありましたが…。
脳死とは…感情がない!って医学的には言われているのに、注射をすれば心拍が上がったり、調子が悪ければ、汗をかいたり、涙を流していました。
汗や涙で、医者はおかしいのか?っと採血をして、CRPが上がっている事を見つけていました。
娘の場合はもともと筋肉の病気で意識がある元気なうちから気管切開をし呼吸器とはお友達だったので、脳死状態(全脳死)と判断された後でもなんの違和感なく人工呼吸器に繋がれていました。
自分から『どんな姿でも構わないから命だけは助けて!!』ってお願いしたからかもしれませんが。。。

それから約300日感染症に罹ってしまい亡くなったのですが、その間も何度か感染症に罹って治ってるし、感染症にかからなければ心臓はかなり強かったのでまだ生き続けてくれていたと思います。

そして脳死状態の娘に感情はあると思いました。
調子が悪い時や機嫌が悪い時は鳥肌立てたりして教えてくれたし、オーラが違ってみえました。(DVDがついてなかったら機嫌が悪いんです。。。)
脳死状態でも耳は聞こえてる、感情はある、意識がある時の記憶は残ってると教えてくれたのは娘が好きな芸能人のコンサートに行った時です。(詳しくは日記に書いてます)

かずママサンのお子さんにもちゃんと感情はあったと思いますよ。
一生懸命に心臓を動かして、お母さんと一緒にいたいよって。
私は娘が自分で心臓をとめるまで生きたいと意思表示をしてくれていると思っていました。

たくさんの症例を診てる主治医が娘の状態をいつも医学書レベルではありえないからわからないって言ってて、娘みたいに重度の脳死状態でこんなにがんばった子は初めてみたって言っていたくらい、脳は未解明な部分が多いんだと思います。

だから…『生かされてる』とは思ってほしくないなって思います。
はじめまして

>機械によって生かされているということになりませんか??
生かされていると思います。
生かされているからこそ見舞いにも行けるし治療もできるんです。
死んでしまったらソレまでです。

しかし回復する可能性が無い(脳死の)場合は話が変わってくると思います。
もし自分自身が脳死になった場合
回復の可能性が無く死を待つだけになった場合
脳以外は生きているのであるならば
臓器が健康で新鮮な内に必要な方へ提供した方が良いとも思います。

でも
もし自分の子供ができて
その子供が脳死になって
延命処置の停止や臓器提供等の決断は
できるかどうか自信がありません。
私の息子は今のところ健康で、そんな環境にいる私が何をいえるでしょうか?
あるきっかけで臓器移植のことを知り、今も学び続けている毎日です。
移植を待っている子を助けてあげたい。でも脳死の子供の延命を否定することはできない、というのが正直なところです。
もっともっと学んで自分なりの解答をだしていきたいです。
失礼します。

人工呼吸器は、外すと決断し実行した人間にとって一生のトラウマになりかねません。ご本人やご家族のためにも、やれることを精一杯してあげたほうがいいと思います。

ただ願う事は、病院側が植物人間状態の患者をお荷物扱いする事がなくなってほしいって事ですね。。
子供の脳死の病態がまだわかっていない現状では、延命治療を打ち切るのはかなり慎重にした方が良いと思います。>

確かにそのとおりだと思います。
子供の脳は測定などは、大人の脳波測定と同じレベルでは正確には診断できないでしょう。
ですが、これは大人のエゴです。
     ↓
脳死の状態を理解できるほどの能力が子供にあるのでしょうか?>
大人でも理解できていない人が多いと思うのですが・・・ >
中学生くらいになれば理解できる子供もいるかもしれませんが、 それでも成人よりは理解力は劣ると考えて良いのでは。>

おそらく、下手な大人より子供の方が、正しく脳死を説明されれば理屈を超えてその意味を素直に理解すると思います。
世俗の知恵に塗れる程に、自分の生と死に素直に向き合えなくなるのだと思いますよ。
子供の場合は、自分以外の生と死を直感しなければ理解できませんが、自身の生と死に対する直感は大人より秀でているものです。


せせ子さんのところの事例も、みうママさんのところの事例も、乳幼児や児童の脳死判定の制度のなさが原因で、診断と実情に齟齬が生じているのだと思われます。
状態からすれば、脳死じゃないのだと思いますよ。

ゆきだるまぽちさんが書いてるように、「子供の脳死の病態がまだわかっていない現状」で、子供の臨床的脳死判定を正確にするのが難しいから判定後の子供の状態が大人と異なる場合が多く、脳死と判定しながらそうではなかった例も少なくないのですよ。

乳児の脳死判定なんて、一体どれほどの制度や確度があることでしょう。
大体、「生まれながら脳死」ではなく「生まれながら脳死状態」なわけで、”脳の機能を診断するに必要な情報として抽出することが不可能ということなんだ”と医師は思わなかったのでしょうか。

これなんかは、脳死判定されながら実態は脳死でなかった実例でしょう。 
  ↓ 
[21より引用]
現に、アメリカでは交通事故で頭を強打し、脳死と判断され臓器移植の一歩手前で手足に感覚がある事がわかり、助かった青年の映像を観ました。
彼は、脳死状態の時に医師の彼は死んだと言う言葉を聞いて、腹がたったと語っていました。


でも、この記事を見聞きして「脳死なのに生きていた」と思ってしまう人は少なくないようです。
医師がどう判定しようと、事実として脳死ではなかったのです。
脳死判定の制度に問題があったのですよ。

脳死であれば、その固有の人格がその時点で終焉し、あとは昔から良く言う「生きる屍」が残るわけです。
どの段階で、周囲の者達がその人の状態を死として受け入れるかという話なんですよ。

脳氏の場合、当人はそうなった時点死を受け入れるも何もなく意思と意識は途絶えます。
心停止で脳が顕在なら、傍がどう思うが昏睡にでもなってない限り意思も意識もあるのです。


脳以外が機能していれば生きているとするのであれば、脳の代わりをする代替機能を備えた装置で身体が機能代謝していれば、その人が生きていることになるわけです。

脳がなくてもその人は生きている?
私にはそちらの方が受け入れ難いですね。
心臓には自臓脳があるので酸素さえ送れば、心臓はいくらか動くようで、でも、脳からの指令か一切なければ、いずれか、止まってしまうようてす。

呼吸が急に止まるようなとき、日本の医療では、勝手に救って、自分で息が出きるか、亡くならない限り、機械は外せないので、その後の、家族の思いを考えれば、微妙ですよね。

私は、機械を着けていても、生きてるだけでよかったです。
まず、ご質問のなかに誤解があるので、説明させていただきます。

最初に、呼吸というのは酸素の供給だけで成り立つものではありません。二酸化炭素の排出というのも同様に大事で、この両方ができなければ生命は維持できません。脳死判定における無呼吸テストはテストの前に大量の酸素を流します。しかし、呼吸をしていないので、二酸化炭素の排出がない。排出がないと一定のレベルのPhでなければならない血液が酸性に傾きます。傾いたところで、呼吸中枢が正常であれば、そのような危機的な状況を感知して呼吸をしようとします。そこで自発呼吸が始まれば、脳の呼吸する機能はありとされ、脳死ではないということになります。このテストの問題点は2つあります。

?まず、このテストは血液が酸性に傾くようにする点です。臓器移植を推進する医師の中には我々素人がこのようなことを知らないと思って、「酸素を事前に大量に供給するのだから安全なんです」という輩もいますが、これは騙しです。そもそも脳死に近い状態にあって、まだ脳死になっていない患者には蘇生のための最善が尽くされなければならいはずですが、このテストで血液が酸性に傾くと、酸素を運ぶヘモグロビンから酸素が切り離されにくくなり、状態の悪い脳神経細胞への酸素供給が弱くなり、状況を悪化させることになります。簡単に言うと、そのテスト自体が危険であり、その実行によって脳死でないものが脳死になる方向へ向かう危険性があります。

?2点目。このテストは二酸化炭素の排出がなく、血中の炭酸ガスの濃度が60ミリというレベルまで無呼吸テストをつづけ、その時点で自発呼吸が再開しなければいけないという基準を設けていますが、過去の例では、60ミリでは再開しなかったけれど、80とか100まで待ったら自発呼吸が戻ったという例がかなりあります。つまり、もう少しみたら、脳の機能が生きていたことが明らかであったかもしれないのに、途中で「まぁ、このくらいで戻らなければ、ダメということでいいだろう」として、脳死=死亡としているのです。おそろしいことです。ここで、観察力のある方であれば、それなら基準を100ミリとか決して間違えのない高いレベルに設定すればいいだろうと思われるかもしれませんが、それはまたできないのです。血中の炭酸ガスの濃度がそんなに高くなるまで検査を続けると?でのべたように、それ自体がとても危険な状態に患者をさらすことになるのです。基準が低いので死んでいないものを死んだことにしている、しかし基準を上げるとそれ自体が患者を死に向かわせるということなのです。

そういう恐ろしいテストをして、死んでいないものを死んだことにしているのが脳死判定です。

また、脳波がフラットかどうかの検査もしますが、これも問題ありです。脳死判定では頭の皮膚の上から脳波を測って、それでフラットであることが脳死判定の基準の一つになりますが、皮膚の上から測ってフラットでも、鼻腔の奥からの測定、あるいは(通常はできませんが)脳への直接の電極を置いての測定では脳波がでることも多数実例があります。つまり脳波がある(ということは意識もありえる)かもしれないのに、「まぁ、こんな感じで測定して、フラットだから脳波なしということにしておこう」ということでしかないのです。

心臓死がはっきりと心臓が止まったことが確認され、その後も24時間待たないと火葬できないという、生命の終わりを決める丁寧なプロセスに対して、脳死は「まぁ、だいたいこんなものでしょう」といういい加減な判定で人を死に追いやり、その十数分後には臓器が取り出されるという恐ろしいものです。

ところで、脳死=意識がないはず=死とした患者さんから臓器を取り出す時には麻酔を打ちます。意識がないと判断したなら、麻酔は必要ないはずです。なぜ麻酔を打つのか、それは「意識があるかもしれない」からです。脳死=死とするのは全くでたらめで、「個人の考え方」で決めていいような代物ではありません。

以下の意見は一見論理的なように見えますが、そうではありません。

【意識がないと判断したなら、麻酔は必要ないはずです。なぜ麻酔を打つのか、それは「意識があるかもしれない」からです。】

これは、
【脳死=死とするのは全くでたらめで、「個人の考え方」で決めていいような代物ではありません。】
と言う主張を正当化する為に恣意的な推論を読む者に印象付ける為の文言でしかありません。

脳死自体が「個人の考え方」で決められているわけではなく、社会的コンセンサスの程普度に即して限定的に「脳死」判定されているに過ぎません。
一方、「脳死=死とするのは全くのでたらめ」というのが極めて「個人の考え」であって、社会的コンセンサスを得るだけのメジャーな考え方でもなく、歴史や伝統に照らし合わせてもマイノリティーな考え方です。

古来より、人間の個が生きているかどうかは、その肉体と精神が繋がって存在しているかどうかということを基準に考えてきているわけです。
肉体が動いていても意識や記憶や個性という精神を表す総ての要素が失われてしまった個体を生きた人間とは扱ってきていません。

古来からある逸話などでも、心臓が抜き取られても意識も記憶も精神も有して動く肉体は生きている人間扱いです。
逆に五体満足でも意識や記憶や精神を失って動くだけの肉体は「生きる屍」として人間扱いされていません。


【心臓死がはっきりと心臓が止まったことが確認され、その後も24時間待たないと火葬できないという、生命の終わりを決める丁寧なプロセス】
というのは、心臓死に伴う都合の良い部分を抜き出したに過ぎません。
心臓死は「心臓がはっきり止まったことが確認される」ことでもありません。
心停止、 対光反射消失、瞳孔散大の3つが揃うと心臓死と認定され、医療施設では、平坦脳波脳波(α ... は 110 cm2 未満になること)を加えた4つが揃うと心臓死と認定されます。

墓地、埋葬等に関する法律
第3条 埋葬又は火葬は、他の法令に別段の定があるものを除く外、死亡又は死産後24時間を経過した後でなければ、これを行つてはならない。但し、妊娠七箇月に満たない死産のときは、この限りでない。

これは、死体の死因を調査若しくは特定する必要が生じる可能性を配慮して、法が死体の最低保存期間を定めたもので、その時点まで死亡扱いできないからではありませんし、生き返る可能性を考慮してのものであはりません。

私は、現況の脳死判定が十分な精度や確度にあるとは、必ずしも思いません。
脳死の判定の初期の30年前から、専門家の議論を直接取材したり情報を得たりする機会も多く、意識していましたので「本当にそれで大丈夫ですか」という想いは常に持ち続けています。





「意識がないと判断すること」が「麻酔は必要ない」ということの根拠にはなりません。
同様に「麻酔が必要」ということが「意識があると判断すること」という根拠にもなりません。
従って「なぜ麻酔を打つのか、それは意識があるかもしれないから。」という仮定は論理として成立していません。

1.脳死患者とは脳幹を含めた脳不全の生体を持つ患者なのであって、死体ではありません。
2.心停止の場合も他の生体機能が停止していない間は身体は生体であるので、心停止後の移植が可能なのです。
3.「人の死」と「身体機能の死」は同じではないのです。
4.通常想定されている脳死では頭蓋内つまり延髄より頭側の大脳:脳幹や小脳の器質的不可逆的機能停止を意味します。
5.中枢神経とは、上記の脳と脊髄を合わせたものを指します。
6.頭蓋内出血や頭部外傷などが脳死の主な原因です。
7.脳死であっても頭蓋外の神経及び脊髄は生きている方が普通です。
8.脳死とは「人間の自己同一性、意識、記憶、感情などの高次機能が頭蓋内の脳だけに局在する」という科学的知見に基づいています。
9.ラザロ兆候や心拍と血圧の変化は、末梢神経からの刺激が脳幹を介しないで伝達されて起こる、「脳幹を介しない反射弓」による「反射」として認識されています。
10.脳が無くても自律神経や脊髄で処理できる意識と繋がっていない生体機能です。
11.反射には、反射の性質や特徴を表すを以下の5つの分類があります。
・反射中枢が脊髄にある「脊髄反射」。
・効果器が骨格筋である「体性反射」。
・受容器が主に自律神経にあり、効果器が臓器である「内臓反射」。
・反射弓が複数のシナプスで構成される「多シナプス反射」。
・反射弓が一つのシナプスで構成される「単シナプス反射」。
12.臓器移植では、それが脳死移植であっても心停止後移植であってもドナーの臓器が生体状態に保たれることが前提ですから、生体としての反射があって当たり前です。
13.身体が刺激の種類や受け方によっては、ショック停止と呼ばれる自己保全反射や過度な反射による機能不全等も起こり得ます。
13.麻酔や筋肉弛緩剤や体温管理などで反射を緩やかに抑えることで、臓器の生体状態を維持管理する処置が施されています。
14.心停止による死亡診断が脳死判定以上に厳密に行われている現実にはなく、心停止による死亡診断時に脳が死んでいなくて意識が脳に残存している可能性を無視していることには無頓着と言えます。


本来“死”の概念は臓器移植とは無関係なはずなのに、昨今の脳死議論は必ずといっていいほど臓器移植と関連してなされています。
脳死の問題は、もっと個人の尊厳に基づいた立場での議論がなされるべきす。
医療現場でも説明と同意という概念が導入され、治療法の決定に際しても患者個人の意見が尊重される時代ですから、死の概念も多様化して不思議ではありません。
臓器提供はしたくないが脳死は自分の死だと認めてほしい人も少なくないかもしれません。
種々の問題があるにせよそうゆう人の意見も尊重される時代になってほしいものです。

ログインすると、残り7件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

脳死について考える 更新情報

脳死について考えるのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング