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SF小説『SAMPLE』を読んでみるコミュのSAMPLE -エピローグ1-

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 両肩のすぐ横を、乾いた風が吹き抜けていった。
 気持ちのいい感触が頬を撫でて、ショートレイヤーの髪と両耳から下がる小ぶりのピアスを揺らしていくのが伝わってくる。
 見上げてみれば、雲一つない空が澄みきったブルー一色に染め上げられていた。
「……あ」
 その中を、ついさっき離陸したらしい大型旅客機が轟音を上げながら突っ切っていった。運転中からかけっ放しにしてたサングラスのおかげで、機体に書いてある航空会社の名前までがはっきりと見えた。
 周りに比べるものがないから小さな飛行機に見えるけど、実際は何百人と乗れる大型機なんだろうな。
 もう少し後には、私もあの綺麗な空に吸い込まれるんだ。
 初夏の陽の光を受けて銀色に輝く機体が通り過ぎて、上空に向かって小さくなっていく姿を見送った後に、私はサングラスを外した。
 今の時期のワシントンDCは、多分ここ日本と同じくらい日差しが強い。運転するときにいつも使ってるこのサングラス、持ってきといて正解だったみたい。
 でも、アメリカに着いたら運転するのは愛車のニュービートルじゃない。何せ5年も滞在するんだから、値段が手ごろな中古車を買って乗ることになるんだろう。アメ車ってでかいしかわいくないけど、背に腹は替えられないからしょうがないか。
 何年もずっと手放したことがなかったビートルのキーを今日で人に預けるのは、ちょっと寂しい気がする。私は、思わず飾り気がない茶色のショルダーバッグに放り込もうとしたキーと、今しがた駐車してロックしたシルバーの車体とを見比べた。
 成田空港の駐車場に鎮座している丸っこい車体は、日本でも人気がある。だからきっと、この駐車場にも同じ型の車が何台もあると思う。
 それでも自分の車が一番だと思っちゃうのは車馬鹿っていうか、親馬鹿か。
 苦笑いして、キーとケースに入れたサングラスをバッグに突っ込んでから、私はさっと車の側を離れた。
 ゴールデンウィーク直前の国際空港は、午前中とは言っても人がまばらな感じ。早くから休みを取る人とかもっと多そうだと思ってたけど、別に週末でもないんだし、まあ当たり前なのかな。
 青空の下を駐車場からターミナルのビルに向かって歩いていくと、時々大きな荷物をカートに乗せた人とすれ違う。そういう人は帰国直後だってすぐにわかるけど、そうじゃない人は見送りなのか、出迎えなのか、はたまた出国する本人なのかほとんど見分けがつかない。
 とは言え、私も同じように見えるんだろう。
 大きな荷物は全部事前に現地へ送っちゃったし、荷物は旅券と財布、パスポートを入れたショルダーバッグ一つだけ。服も裾にリボンがついたベージュのクロップドパンツに、控えめなフリルがあしらわれたミントグリーンのチュニックっていう格好。
 足元も少しヒールが高めのサンダルだし、機内で楽に過ごせる格好なのかって聞かれたら、どうなんだろ?って気がする。でも運がいいことに、今回のフライトはビジネスクラスなんだよね。大抵のものは持って行かずとも、機内サービスでこと足りちゃうし。
 それに私のこの身体は、そこまで環境に対して気を使わなきゃならないほど、デリケートじゃない。
 そう。私はどんな過酷な環境にも耐えられるように改造された、サイボーグなんだから。
 うっかり力を入れすぎて床を蹴り抜いたりしないように注意しながら、私は空港の屋外駐車場を抜けてターミナルビルへに歩いていく。待ち合わせの時間まではまだ余裕があるけど、早く着いておきたかった。
 駐車場から上りエスカレーターの終点まで上がっていくと、そこは巨大な空間へと繋がっていた。だだっ広い出発ロビーの真ん中に各国の航空会社のチェックインカウンターが数え切れないほど並んで、個性豊かな制服に身を包んだグランドアテンダントの人たちが、せわしなく搭乗客の対応を続けているのがわかる。
 こういうところこそロボットで受付とか自動化すればいいって思うのに、何年経ってもそうはならない。今はかなり人型に近いヒューマノイドも市販されてきてるし、ぱっと見たところだと本物と見分けがつかないのだってある。でもきっと、航空会社って頭が堅い人が多いからなんだよね。年配の人になると、ロボットは絶対嫌だって人もいるし。
 私は彼らが笑顔を忘れずに仕事をこなすのを横目で見て、隅のほうにあるベンチへ向かった。各国の現在時刻が表示された空間の後ろに、すとんと腰を下ろす。
 たくさん置いてある木のベンチで私と同じように座った人たちは、どこかへ電話をかけたり、雑誌を読んだり、ロビーの天井近くまでぽっかりと空いた空洞に沢山投射されている大きなスクリーンを眺めたり、思い思いに時間を過ごしてた。
 流石に国際空港なだけあって、私の強化された耳に入ってくる言葉は英語からさっぱりわからないのまで色々。目の前を通り過ぎていく人たちの髪や肌の色もそうだ。
 その中に、たまにトランクを運ぶ車を運転してるロボットとか、案内専用のロボットも混ざる。彼らには人間の顔はついてないけど、丸っこくて愛嬌がある顔は忙しそう。
 私は視線を上に動かして、空中に出ているフライト案内の黒っぽい巨大な一覧表を眺めた。私が乗る予定の飛行機は11時発ワシントン直行便なんだけど、まだ出発予定の表示に出ていないみたい。
 成田空港に来たのは大学1年の夏休みにドイツへ行って以来で、5年ぶりくらいかな。
 それでも正直、今自分がここにいることがちょっと信じられない。
 話は去年の冬の頭くらいまで遡る。
 私−−間未来は、脳に移植された部品の不具合による脳内物質異常と重いストレスが原因で精神を病んで、抑うつ、パニック症状、離人症や幾つかの心身症を一度に発症した。
 最終的に衝動的な感情を抑えることができなくなって、遂にその矛先を人に向けた。
 当時、ケルビムの重役だった大月さんに。
 お母さんに。
 そして、私にとって一番大切だった男性の杉田先生に。
 その後私はセラフィムグループの提携病院に収容されて、休養と投薬、カウンセリングを主とする療養に入った。
 病院は環境が良くて、私のカウンセラーだった田代先生が主治医になってくれたこともあったから、半年足らずで回復した。もともと脳の装置不具合が原因で起きてた精神異常なんだから、正しい治療さえすれば早く治るって言ってた、田代先生の言葉は本当だった。
 だから今、こうやって一人で国際空港にも来ることができてる。
 もちろん当時のことは、なるべくなら思い出したくはない。
 ただ、普通なら裁きを受けて当然だった私に寛大な処分を下した会社に対して、感謝を忘れることはできない。それに正常な精神状態じゃなかったとは言え、過ちを犯した自分を戒めるためにも、絶対に消し去っちゃいけない記憶だと思う。
 そうじゃなければ、私が今までに殺めてきた命たちに申し訳がたたない。
 私は罪を赦されることと、償うことは別だという考え。
 彼らの命を背負って一生忘れないことが、償いの第一歩だって考えてるから。
「……未来?」
 そこで真ん前に立った誰かから不意に声をかけられて、私は反射的に顔を上げた。
「おはよ、杉田先生」
 軽く笑って挨拶を返すと、見慣れた優しい眼鏡の顔がびっくりしてるのがわかった。
 今日の先生は見慣れたスーツ姿じゃなかった。黒のポロシャツとデニムにスニーカー、薄手のブルゾンを合わせたラフないでたちで、意外とそれが似合ってることにこっちもちょっとびっくり。考えてみたら、先生の普段着姿なんて数えるほどしか見たことなかったっけ。
 私と同じように少し大きめに見開かれた黒い瞳が、私の顔を覗き込んでから全身を改めて眺めていく。
「びっくりしたよ。最初に見たとき、本当に君なのかどうか自信がなかったんだけど……髪、切ったんだな」
「うん。折角だし、気分変えようかなと思ってね。昨日切ってみたの。どうかな?」
 立ち上がって、私より10センチくらい高い先生の目線をちらっと見上げた。
 私は背中の半分くらいまであった髪を思いっきりばっさりと切って、レイヤーをきかせたショートカットにしていた。襟足は首の付け根に届く程度の長さだけど、昨日より両肩がすっきりと軽くて、風を感じることができた。
 こんな感覚、髪を伸ばし始めてから本当に久しぶり。高校の頃まではずっとショートだったから、7、8年ぶりになるのかな?
「似合ってるよ。前よりも若く見えるかな」
「……それ、子どもっぽくなったってこと?」
 私がちょっと口を尖らせてみると、先生が慌てて手を振った。
「そうじゃないって!元気な感じでいいなと思ったんだよ。服ともよく合ってるし」
「そお?なら、いいかな。この服、翔子ちゃんが餞別にってくれたんだ」
 いいでしょ?って、目で語りながらもう一度、私はベンチに腰を下ろした。
「へえ。あんまり見たことがない服だと思ったら、そういうことか」
「トップスからサンダルまで、全部翔子ちゃんが選んでくれたんだよ。私は絶対こういうひらひらしたのは買わないけど、着たところがどうしても一度見たいから、今日着て来て欲しいって言われてさ」
 彼も私の隣に座って、まじまじと服を見てくる。
「彼女、相変わらずセンスが抜群なんだな。見違えたよ」
 そう言う杉田先生も、相変わらず反応が素直だ。
 何だか単純に喜べないのは、私が服に無頓着だってことを同時に言ってるせいかも知れない。でも、仲がいい後輩を褒められるのは嬉しかったから、私は敢えて笑っといた。
 シフォン素材で綺麗なグリーンのトップスを指先で摘んでみると、さらっとした手触りが気持ちいい。
「私が完全に体調が戻ったから、そのお祝いも一緒なんだって言ってたよ」
「あんなに未来のことを心配してたからな。一時期は酷い落ち込みようだったけど、あの子も一緒に元気になってくれて良かった」
「私だって、杉田先生が良くなってくれて本当に安心したよ。命に別状はなかったって言っても、あのまま放っておいたら出血多量で危なかったんでしょ?」
 私がそこで横を向くと、丁度先生と目が合った。
「あれからもう5ヶ月か。早いな」
「……うん」
 微笑んだ先生の言葉に、私も頷いた。
 この穏やかで温かい笑顔が、どれだけ私を救ってくれたかわからない。
 先生が胸の傷の手術後に目を覚ましてから最初にお見舞いに行ったときは、どんな顔で会えばいいのかわからなかったけど、先生はベッドの上から私を見て優しく言ってくれた。
「来てくれて嬉しいよ。治ったら、僕も必ず未来のお見舞いに行くからね」
 そして、今と同じ笑顔をくれた。
 私はその時まだ療養中に許可をもらって病院から外出してたから、先生はそのことまで気遣ってそう言ってくれてたんだよね。
 びくびくしてた私は、点滴が繋がれた先生の手を握って泣くことしかできなくて。
 ……私があの時、撃ってしまった先生。
 弾丸は奇跡的に心臓とか肺みたいに大事な器官を傷つけてなかったけど、肋骨が折れて体内に弾が食い込んだことに変わりはなかった。先生が気絶した後すぐにリューたちが車で駆けつけて、応急処置をしながらセラフィムグループの提携病院に運んでくれた。で、そこの手術室で待ち構えていた生沢先生が即時で手術して、鮮やかに弾丸を摘出。
 あの日のことを、実は私自身よく覚えてない。
 それでも、チームが一丸となって対応していた連携の見事さには、後で話を聞いて感心した。リューといい生沢先生といい、私は本当にいい仲間に恵まれたと思う。
 だからこのことが世間に知られて騒がれることもなかったし、私も安全な場所で自分の心を治すことに集中できたんだもん。
 それに杉田先生が怪我を治した後はほとんど毎日お見舞いに来てくれて、私の支えになってくれた。そんな思いやりが私の心に一番効いた薬であり、栄養でもあった。
「入院してた時間って、お互いに結構あっという間だったよね。その後が大変だったけど」
「そうだな、大月専務のこともあったし。今回の渡米についても、かなり前に話が来てたんだっけ」 
 その頃のことを思い出すと、つい二人して遠い目になっちゃう。
 大月専務が死んだことは業務中の事故として処理されて、遺族にもそれなりの額の賠償金が支払われたって、年初めくらいに説明を受けた。
 彼女が今まで実験体、つまり私に対してやっていたことが全て明らかにされると、ケルビムの上層部で大騒ぎになったみたい。
 プロジェクト最上部にいるお偉いさんたちは、正確な情報を何一つ掴んでなかったんだって。
 専務が私を処分しようとしたことや、それに失敗した穴埋めで私を軍に売ろうとしたこと、そのために精神にダメージを与え続けてたことも。
 そのこともあって私に対して寛大な処分を決めたってことらしかった。
 まあ、だから私もちゃんと治療が必要な状態だって認められたし、AWPから離れるってこともなくなったわけなんだけど。
「でもさ、私はこのままAWPにいてもやることがなかったんだし……それに、期間限定とは言っても、FBIの捜査官になれるなんて夢みたい。実は私、ずっと憧れてたんだ」 
「けど、あんまり無茶するなよ。アメリカと日本の犯罪事情は全然違うし、犯罪捜査なんて未知の分野の仕事なんだから。そのせいでまた疲れ過ぎたりすることだって……」
「大丈夫だよ。杉田先生がいてくれるもん」
 私は笑って、心配性の先生の顔を下から覗き込んでみた。
「まあ、未来がそう言ってくれるのは嬉しいけど」
 頭を掻いた杉田先生の頬が、照れた感じでちょっと赤くなってる。もう29歳のはずなのに、こういうところは初めて女の子を意識し始めた10代の男の子みたいに初々しい。
 カワイイなぁって言ったら多分失礼になっちゃうから、言わないけど。一人で声に出さずに呟くと、にやけそうになっちゃうから困る。
「先生だって、確か検査官になるんだよね?私のメンテだけが仕事じゃないでしょ。研究とか法医学もやるんだから、頑張り過ぎないようにね」
「凝り性なのはお互い様だからな。もう先に、チェックインだけでも済ませておこうか」
 杉田先生が立ち上がると、私も頷いて後に続いた。
 今日、私と杉田先生はアメリカへ旅立つ。
 軍と警察、国からの推薦でFBIの特別捜査官になり、5年間の実習を受けるために。
 昨年の事件以降は私の処遇未定の期間が続いてたんだけど、そこへ舞い込んできたのが今回の実習の話。
 何でも、日本国内の犯罪発生件数と犯人検挙率の低さが、もう無視できない数値になってるんだって。それに対応するための特殊捜査機関を作るプロジェクトが、警察と軍主導で密かに進められているんだそう。
 そこへ私を加えたいという要請があって、その前段階で捜査官としてのノウハウをFBIで学ぶ、ってのが目的だった。
 私は軍事用に開発されたサイボーグ。でも確かに飛び抜けて高い視力や聴力、肉体的能力は犯罪捜査でも充分通じるんだよね。
 私をそのプロジェクトに強く推薦してくれたのが、一度会ったことがある国防軍陸上部隊の横山幕僚長だったっけ。サイボーグを軍で受け入れるにはまだまだ下地が整ってなくて倫理的な問題も多いし、それよりは治安のために協力してもらったほうがいい、って言ってたかな。
 映画とかでもよく見る、憧れのFBI捜査官になれる。
 すごく魅力的な話だったけど、私、本当はかなり迷った。アメリカは日本と違って猟奇的な犯罪も多いし、捜査官も精神的に辛くて辞めることも珍しくないって話だし。
 それでも何とかやっていけるかなって考えられたのは、やっぱり杉田先生が一緒に来てくれるっていう安心感と心強さがあるから。
 もっとも、杉田先生は検査官としての実習目的で、私のメンテはあくまで仕事の一部なんだけどさ。先生は犯罪科学研究所での仕事がメインになるんだって。
 それに今まであんまり意識したことがなかったけど、先生は人工臓器やクローン技術の世界的権威で、再生医療分野の第一人者なんだよね。そんなドクターが来てくれるんだから、あっちとしても大喜びなんだろうな。
 どんな場所に行っても、先生がいてくれれば大丈夫。
 自分の居場所をやっと見つけられたのかも知れない。
 チェックインカウンターで一緒に搭乗手続きをしてると、本当にそうなんじゃないかって思えた。誰と一緒にいるより、安らいだ気持ちになれるんだもん。
「さあて、これでもう後は飛行機に乗るだけだ。そろそろ見送りのみんなも来る頃かな?」 
「うん……あ、ほら!噂してれば、あそこ」
 手続きを終えた搭乗カードを受け取ってパスポートに挟み、お互いのバッグにしまったところで、私は見慣れた姿をロビーの中に見つけた。
 チェックインカウンターのゲートを出たところで私が手を振ると、あっちも手を振り返してきてくれる。

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