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SF小説『SAMPLE』を読んでみるコミュのSAMPLE -59-

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 国防軍幹部による視察が終了したのは午後遅くで、傾いた陽の光がAWP棟の中へ斜めに射し込む頃だった。視察対象は最新型サイボーグである未来個人の他に各種医療設備、パワードスーツと武器のメンテナンス設備と訓練場や、共同研究室もその一部に入っていた。
 共同研究室に大月が横山ら軍関係者を案内したときは生沢がおり、胡散臭そうな視線を向けられはしたものの、視察自体はほぼ無事に終わったと言っていいだろう。
 ただ一点、未来が最悪のコンディションだという印象を与えてしまったことを除いては。
 来訪者を見送ってから報告書作成に手をつけることなく、直ちにセキュリティエリアに一人向かっている大月は、もう激しい憤慨の表情を隠そうとはしなかった。もし誰かが彼女の顔を見たら、いつもの冷静で完璧なそれがここまで歪むものか、と驚くほどだろう。
 彼女は未来が指示したことを守らなかったことにも腹を立てていたが、それよりも気に入らなかったのは横山幕僚長の言い種だった。
 傷を負っても不屈の精神で立ち上がってくる兵士は現実に存在するし、敵に回せば手を焼くことは確かではある。が、100人の強い心を持った兵士より、肉体能力で人間を遙かに凌駕し、命令に絶対服従し、死を恐れないロボットに近い一人の方が有用に決まっている。
 あの老いぼれが何を現役時代に何を経験したかは知らないが、数字に残る実績や効率を重視するならば、精神論などまるで説得力を欠いていることは明らかだ。
 やはりここは実際に軍事演習を行い、それを直に視察させるのが最も有効だろう。とは言え今のろくにベッドから起きられない状態の未来では、すぐ訓練に復帰させるのは難しい。
 しかし皮肉なことに、大月は未来からまともな判断力を奪うことを当面の目的にしていた。徹底的な孤独の淵に突き落とすために愛する男から引き離し、通信手段を全て取り上げて情報を与えず、仲間との接触も厳しく制限して、独りぼっちにする時間を長くした。
 そして狙い通り、未来は怪我と戦闘の精神的ダメージ、寂しさからくるストレスに耐え切れず、急速に感情の動きを鈍らせていった。
 強靱でいながらも脆い側面を精神に抱えた未来は、本心を杉田以外の誰にも見せず、一人で悩んで自分を追い込む傾向があることは早いうちからわかっていた。彼女はサイボーグである自分がどうあるべきなのか、いつも答えを探し求めていたのだ。
 だからわざわざ杉田がこそこそと手配した精神科医に薬を処方してもらったり、カウンセリングを受ける必要があったのだろう。
 そしてP2との戦闘ではあろうことか敵に手を差し伸べ、救おうとしたその時に相手を失った。彼女がそのことで大きなショックを受けたことは、渡りに船だった。
 大月は未来のの弱さを利用することを、以前から考えていたのだ。
 苦しいのは心があるからだ。
 それなら、もう何も考えないほうがいい。
 どうせ、悩むような心など邪魔になるだけなのだから。
 心なんて、捨てた方がずっと楽になる。
 貴方を楽にしてあげたいからこう言っている。
 言うことさえ聞いていれば、もう迷うことも、悩むことも、苦しむこともないのだから。
 泣くことに疲れ果て、弱らせた未来の心に対して、大月は何度もこう囁くつもりでいた。そうすれば思考能力の衰えた未来はじわじわとその言葉に犯され、こちらの言うことに服従するようになる。魂のない、命令のままに動くサイボーグ戦士が生まれたら、そこで彼女を軍に引き渡すつもりでいた。
 が、今はどうにも中途半端だった。昨日未来の様子を見たときに、今日の来客から質問を受けたら何でもはい、と答えるように指示しておいたのに、未だ彼女はそれに背くだけの本能的な反抗心を残している。
 やはり未来を従わせるには、決定的な力が必要なのだ。
 そのための準備は既に済ませてある。
 それでも効果が見込めない場合は、薬物投与も考慮したほうがいいだろう。
「未来、入るわよ」
 セキュリティエリアにある未来の病室へ来た大月は、形だけインターフォンに声をかけてから入口の自動ドアをくぐった。
 茜色の夕陽が穏やかに照らす室内で、未来は数時間前と同じ姿勢のままでいた。まだギブスが外れない右手では、リハビリ用の青い小さなゴムボールを指先に弄んでいる。ろくに眠らず食事も全く摂ろうとしないため栄養補給は点滴に頼っており、もともと細かった顔が余計に小さく見えた。
 苦手な人物である筈の大月が鋭い足音を立ててベッドの脇に歩み寄っても、未来はぼんやりと虚空を見つめたままで、ボールを握っては緩めることを繰り返している。
「未来。どうして言うことを聞いてくれなかったの?」
 大月は怒りの感情を出さないつもりでいたが、口調がとげとげしくなるのは隠せない。
 彼女から放たれた刃の視線を受けても、未来は全く反応を示さなかった。
「黙ってないで、何とか言ってみたらどう?」
 腕組みした女取締役は更にきつく、強い調子で言葉を浴びせる。数秒を数えて、やっと未来は僅かに顎を上げた。
「……あ、何ですか」
 その一言を発するのに、普段の3倍は要しただろうか。
 ほんの一週間前に死闘を演じて勝利したサイボーグ戦士の面影は、生ける屍となりかけた今の未来にはかけらほどもなかった。
 それでもなお疑問系で返事をしてくるのは、まだ自分の身を守ろうとする意志を残しているからだろう。自己防衛本能が働いて崩壊寸前となった精神を封じ込め、刺激を拒み、受け入れまいとしているのだ。この最後に立ちはだかる心の壁を、何とか突き崩す必要がある。
 それに欲しいのは何でも言うことをきく生きたロボットであり、魂の抜け殻ではない。命令に従い、戦えるだけの理性は必要なのだ。
 匙加減が難しいが、やれないことはない筈だ。
 幼い子どもを思わせるぎこちなさでボールを掌に転がしている未来を見下ろす大月は、スーツの胸ポケットに入れた携帯電話が震えているのに気がついた。最新の多機能で軽いそれをストラップで引っ張り出し、ディスプレイの番号を確認する。
 薄く笑った美女の顔が光沢ある画面に反射され、本体を軽く握ると本人と認識された。タッチパネルに現れた着信キーに白い指が触れる。
「はい。ああ!急に申し訳ありません……ええ。それはメールでお伝えした通りになります。本人と直接やりとりできれば良かったのですが、施設内では電子機器の持ち込みにも制限がかかるものでして……」
 薄い携帯電話を耳に当てる大月の声は一転して、明朗でこころよい印象をもたらすキャリアウーマンのものにすり替わった。
「では、今替わりますから」
 不意に、大月の携帯が未来の横に差し出される。
「貴女によ」
 それでもなお動こうとしない未来の左手を取って、大月が携帯電話を耳に当てさせた。
『もしもし?未来ちゃんなの?この頃ちっとも連絡がないから、心配してたのよ』
 未来の聴覚に潜り込んできたのは、はきはき喋る女性の声だった。
 頭をハンマーで強く殴られたのかと思うほどの衝撃が走り、闇の奥底に沈んでいた感情を未来の中へと叩き込んだ。
 小さくうずくまった身体を、後ろから首を掴まれて無理矢理引っ張り上げられるような感覚。深い眠りから強引に揺さぶられて起こされた時と同じく、身体の軸が定まらない。
 ぼんやりと霞がかかっていたように見えていた周囲の景色がはっきりと像を結んだかと思うと、途端にそれがぐらぐらと揺れてくる。
 突然現実の世界へ戻されて動き出すことを要求された感情は、未来の中を戦慄となって渦巻き、血の色を失った唇が僅かに開いた。
「……お、母さん?」
 空気が漏れたのかと思うほど微かで小さな言葉が、からからに乾いた舌に絡んだ。
 数日間表情を失っていた未来の顔に恐怖が満ちていき、黒い瞳は絶望に彩られた驚愕に見開かれ、細い顎ががくがくとわなないた。
『久しぶりに話すのに、どうしてそんなに嫌そうな話し方をするの!』
 いつもと同じで二言目には文句を欠かさない声の主は、未来が最も触れてきて欲しくなかった人物である母に間違いなかった。
 噴き出した感情に震える右手から、青いゴムボールが外れて毛布の上に転がる。
『大月さんから聞いたわよ。何か、大事な研究に協力してるんですってね?ちゃんとした会社からお仕事が来て、良かったじゃないの。大月さんのことをよく聞いて、きちんとやるのよ。お母さんもそのうち、ご挨拶に伺おうと思ってるから。ああ、でも暫くは駄目かしらね。この前また仕事で、結構大きな会社の社長さんと……』
 電話口の声は未来の記憶の中にいる母とまるで変わらず、一方的に自分の話の濁流を流してくる。大月の携帯電話を耳から離したかったが、金縛りにあったように身体がこわばって動かなかっい。何とか声を絞り出そうとしても声帯すら未来の命令を拒否し、喘ぐような途切れ途切れの息が漏れるだけだ。
 傍らの大月が手を伸ばし、素早く未来からメタリックブルーの携帯電話を掠め取る。
「申し訳ありません。お嬢様は薬の副作用が出ているようですので、意識が朦朧としているようですの。ええ、大丈夫です。私どもが大事なお嬢様をお預かりしているんですから、責任持ってお世話させて頂きます……いえ、とんでもございません。感謝しております。またこちらからご連絡させて頂きますので。ご都合が合えば、今度ご一緒にお食事でも……はい。では」
 満面の笑みと共に話を終えて、大月は終話キーに触れた。携帯電話をたたんでピンストライプのスーツの胸ポケットに差し入れ、未来へと視線を流す。
「……うそ……何で、お母さん……ここへ……?」
 低く、単語を繋げて漏らす未来は小さく肩を揺らし、がたがた震える左手で毛布を握りしめている。
 未来がAWPに関わっていることを知るはずのない母が大月を通して連絡してきた現実を、受け入れることができないのだろう。顔色は蒼白なままでいるものの、瞳にははっきりとした表情が見えるようになった。
 ずっと刺激に反応しなかった未来に対して、これは効果覿面だったようだ。
「お母様にも協力をお願いしたわ。精神的なダメージが酷かったみたいだから」
 皮肉を込めた大月の言葉に、未来が素早く顔を上げる。
「そんな……どうして?何で、お母さんにここのことを?」
「今言ったでしょう。貴女の精神状態が思わしくないから、お母様とお話ししたの」
 AWPの規定では、関係者の一親等内の者に限られた情報を与えてもいいことになっている。その際の情報提供者は本人に限らず、上司にも権限ありとされているのだ。
「とは言っても、まだ突っ込んだ話はしていないけど。そのうち貴女がサイボーグであることも、戦闘でテロリストや旧型サイボーグたちを倒したこともお伝えしようと思ってるわ」
 びくっと身体を震わせた未来の顔が、再び恐怖で凍りついた。
 めまいに襲われているのか左手をベッドについて上半身を支え、必死に声を絞り出そうとしているようだった。
「……やめて……」
 やっとの思いで出した一言を手がかりに、未来は言葉を繋げた。
「それだけは……それだけは、許して下さい……私がサイボーグだってこと、お母さんに知られたら……もう、生きていけない……!」
 未来は熱に浮かされたように火照った眼と子ども同然の必死さで、大月の腕にすがりついて訴えた。
 不本意だったとは言え、親からもらった身体にメスを入れて人ならぬ身となり、あまつさえ戦うことが目的とされ、もう現実に何人も人を殺した。
 そんな自分のことを母が娘として、人間として認めるわけがない。
 お前は人殺しの機械だ。
 お前は化け物だ。
 あんな柄の悪い仕事に就いているから、こんなことになったのだ。
 表面上は取り繕うことが上手い母だが、事あるごとにそんな言葉を浴びせてくることは目に見えている。
『貴女はお母さんの子どもなのに、どうしてこんな風に育ったのかしらねえ』
『手伝ってあげるから自分でやるのは諦めて、お母さんの言うことをちゃんと聞きなさい』
『今回はいい結果が出たみたいだけど、次はそれ以上に頑張るのよ』
 昔から母から否定され、傷つき続けた苦しみは、骨の髄まで染みている。子どもの頃はそれが悲しくて、必死に母の要求に応えようと、心の痛みを堪えて努力した。
 大人になって独立しやっとその呪縛から逃れられたというのに、また母に弱みを握られ、いつまでも自分の価値を認めてもらえない世界に引きずり込まれるというのか。
 母に自分がサイボーグであることを知られ、一生心までをも支配される。
 それは、未来にとってこの世の終わりに等しいことだった。
「だったら、まずその身体を治して戦えるようになることね。そうすれば、少なくともお母様に余計なことは漏らさないわ。貴女の身体は普通の人間と違って、回復力も飛躍的に高いんだから」
 大月がすがりついている腕をわずらわしげに振り払うと、未来が思わずよろけてベッドに左手をついた。
 しかし、今度は姿勢を崩した未来に大月がぐっと顔を寄せてくる。
「いい?貴女は私の言うことだけ聞いていればいいのよ。こんなに楽なことはないでしょう?貴女にそれ以外のことは必要ないわ。私は、本当に貴女のためを思って言っているのよ。戦うことでしか生きていけない、貴女のために」
 正面から未来の顔を見つめ、穏やかに大月は言葉を紡いだ。
 聞く者を酔わせる響きがある、低く、耳に心地よい声。
 しかし未来は、背中を毛虫が何匹も這い回っているような嫌悪と悪寒を感じた。
 大月の口調は、未来を母が諭してくる調子にそっくりだったのだ。
「それじゃ、早い回復を期待してるわよ。化物さん」
 無機質な笑顔を残して大月が立ち上がり、自動ドアをくぐっていく。
 女専務が退出した病室には、入れ替わりで数分前と同じ静寂が訪れた。
 暖色の光が満ちる部屋の壁に落ちる自身の黒い影を見つめつつ、未来は未だ収まらない冷や汗と悪寒を鎮めようと必死だった。
『どうして、自分から人間をやめてしまうのか。お母さんにはとても理解できないけど、そういう神経だから化物になろうと考えるのかしらね』
『あまり調子が悪いとこちらにとっても都合が悪いけど、一番困るのは貴女でしょう。しっかりなさい。戦闘用サイボーグに関しては、グループのトップが最も注目してることでもあるし』
『違うな。私もお前も人間ではない』
 ごく最近記憶に刻まれた言葉が、耳に響いてくる。
 もちろん近くには誰もいないが、聞こえる筈がない音が現実の感覚と同じように聴覚を刺激するのだ。
『大月さんの言うことをよく聞いて……ご挨拶に』
『貴女は私の言うことだけ聞いて……貴女のために……』
 途切れ途切れの声が頭の中をぐるぐる回る。
 未来が激しく頭を振って、両手で固く耳を塞いでも声は無限に繰り返された。
 やめろ。
 もう沢山だ。
 あんたたちは、本当は私のためなんて思ってないくせに。
 自分のことしか考えてないくせに!
 病室の中もまでが激しく揺れ、激しい頭痛が頭の中をかき回す。
 眠らせていた心を記憶の渦にめちゃくちゃにされて、未来はこみ上げてくる吐き気と悲鳴とを強く飲み込まねばならなかった。呼吸が落ち着くどころか更に酸素が薄くなった気がして、思わずベッドに倒れ込む。
 胸の奥からどくどくと溢れ出る激情は、心臓を貫かれて大出血を起こしたときを思わせた。激しい流れに理性が飲み込まれそうになり、何とかその場に踏みとどまろうと未来は苦悶の表情を浮かべて頭を掻き毟った。清潔なシーツが暴れる手足に引っかかってぐしゃぐしゃになり、丸まった毛布が床に落ちる。
 が、結局そんな抵抗も無駄な足掻きでしかない。
 どす黒い不安と恐怖に耐えられず、今の今まで何も感じないようにし、無意識の世界へ逃げていたと言うのに。
 大月が、実験体として用済みになった自分を殺そうとしたことも。
 P2が死んだことも。
 杉田が何も言うことなく去ったことも。
 認めたくなかったこと、自分の周りにあるものを全て拒んでいれば、時間とともに嵐は過ぎ去ってくれると思っていたのに。
 力づくで引き戻された現実は、息をすることさえ辛い。
 未来の荒い息に唸るような呻き声が混ざり、全身の震えも止まらなくなった。
「やだよ、もうやだ……みんな大嫌い。お願いだから、もう私に誰も構わないでよ!」
 泣き声に悲鳴が絡んだ、人の心に深く突き刺さる苦痛に彩られた絶叫が喉から迸った。
 どうして、自由に生きることが許されないのか。
 どうして、心を殺さなくてはならないのか。
 どうして、自分がそこに存在している価値を認めてくれないのか。
 未来が子どもの頃から漠然と抱き続けてきた疑問は、家から離れて仲間と一緒にいるときは忘れることができた。彼らは未来を無条件に思いやり、大切にし、受け入れてくれた。
 AWPでは、心を許せるただ一人の男が救いとなってくれていた。それに何よりも、このAWPは関係者以外の手が決して届かない安全なシェルターだった。
 なのに今は彼が外へ去り、シェルターの扉は開け放たれ、汚染物質が流れ込んでこようとしている。シェルターは閉鎖環境に当たる。一度汚染されれば、除去は困難を極めるのだ。
 母と大月。
 過去の自分の支配者と、現在の支配者たる二人。
 彼女らに逆らえば未来の今はなく、これから先もない。
 母は自分が未来を思いやっていることに酔い、大月は未来を道具としか見ない。
 二人は瓜二つの双生児だ。未来を自分の所有物として考え、好き勝手に弄んでいるのは同じなのだ。
 でも、そんなのは違う。
 私はあんたたちのおもちゃじゃない。
 あんたたちが言う、化物でもない。
 私は私のものだ。あんたたちのものじゃない!
 未来は脂汗を額に浮かべ、頬を涙で濡らしながら声にならない悲鳴を上げた。
『親を殺して何が悪い』
 そのとき、どこからともなくP2の声が聞こえてきた。
 ぐっしょりと汗に濡れた入院着を肌にまつわりつかせた未来が、顔を上げる。
 幻聴だった。
 しかしそうわかってはいても、その低く落ち着いた声は未来のひび割れた心を埋め、奥にある本能へと手を差し伸べてきた。
 反射的に息を飲むと、もがいていた手足の動きが静まった。
『この身体も精神も結局は私という個人のものだ。支配までされる筋合いなどない』
 再び、彼の力強い声がした。
 次第に呼吸が収まっていき、酷いめまいで回り続けていた世界も安定してきた。
 未来は仰向けになって深呼吸を繰り返し、こわばっていた四肢の力を抜いた。
 白い天井の一点をしっかり見つめることができるのを確かめてから、ゆっくりとベッドの上に身を起こす。
「……消えちゃえばいいのに」
 呟いた未来は自らの力で背筋を支え、ギブスで固められた右手を軽く握りしめた。視線を左腕に移して、あれほど暴れても外れなかった点滴のチューブに辿り着かせる。
「あんな奴ら、いなくなればいい」
 もう一度言葉を宙にたゆたわせ、今度は右手を開く。
 静かに落ちる輸液の滴を見つめる大きな瞳に、暗い色の炎が灯っていた。

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