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SF小説『SAMPLE』を読んでみるコミュのSAMPLE -48-

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 やはりある程度は予想していた結果になった。
 だから大きな失望も、悔しさもない。とにかく、理解できない。それだけだった。
 P2が枝道の罠に勘付いて、邪魔をすることは読めていた。だから直前までその存在を明かさなかったし、監視ロボットにつけた装置を火炎放射器だとも偽ったのだ。
 しかし、P2が確実に自分たちを勝利に導いてくれるモノをあろうことか敵に教え、あまつさえ自身が汚染された状態でアジトに向かってきている。その行動が、若松には理解不能だった。
 天才工学博士たる自分にわからないことがあるなど認めたくはないが、どんなに考えても導き出せる答えがない。
 何故、P2は勝つことを拒むのだ?
 いや、勝つことそのものを拒んでいるわけではない。
 それなのに、どうして確実に勝つための方法を授けている自分に背くのか。
 無意識のうちに若松が頭に手を当てて横に振ると、耳に下がっているピアスが幾つも触れ合ってじゃらり、と音を立てた。
 今はP2と視界を共有するためのカメラ映像投射ゴーグルを外していたが、P2が間もなくこの研究スペースへ戻ってくるのは、微かに近づいてくる足音で人間の彼にも感じられた。
 アジトに設置された様々な機器の稼動音に紛れていた、金属の足がコンクリートを踏み鳴らす音が止まり、数秒間置いて金属扉の入口が開く。
 刹那、入口部分に仕掛けておいた除染テント内のシャワーから洗浄剤である水酸化ナトリウムの溶液が噴き出した。P2が外での作戦を展開している間にロボットたちを使い、設置しておいたものだ。小型のものではあるが、上下左右にシャワーが取り付けられており、分解物を外部に漏らさないパネル水槽も備えた安全性の高いものだ。
 VXガスは空気よりも重いため、P2が汚染されたのは足元だけだろう。だが、P2は汚染物質はある程度の時間洗浄しなければならないことを知っているのか、テントの中から動こうとしない。黒い鎧姿が除染液に打たれるままとなっている。
 P3が汚染地域を避けてP2の後を追ってくるとしても、経路調査を含めて最低であと15分はかかるだろう。その間にP2を再度戦闘に復帰させなければならない。自分が生み出した最高の生物兵器は、戦いを放棄したのではない。戦線に戻すことは十分に可能な筈だ。
 除染テントで水音が止み、洗浄過程が終了したP2が研究スペースの中へ足を踏み入れてきた。普段と変わらない無表情さを水滴が滴る人工皮膚と機械の顔にこびりつかせているが、瞳は真っ直ぐに若松の顔へと向けられていた。
「……何故、ここへ戻ってきた」
 人工の眼に射抜かれた若松が呻くように言い、クッションが効いた安楽椅子から立ち上がる。
「あのガスは何だ?神経剤のようだが」
 視線を逸らさずに、1メートル強まで間を詰めたP2が平坦な調子で言葉を投げてくる。先の質問に答えるつもりがない様子を見て取り、若松は強い命令口調を意識しながらP2を睨みつけた。
「お前が戻ってきた理由を聞いている。何故、P3に罠の存在を教えた」
「あのガスは何だ?」
 P2がもう一度放った言葉は、あくまで同じ調子だった。
 何故か詰問されているような圧力を感じ、若松の眉がしかめられる。自分の親も同然である設計者に、サイボーグが口ごたえすることなど許されない。
 だがその不快さに反して、若松は答えを口の端に上らせていた。
「VXガスだ。海外から闇ルートで個人輸入した」
「……だから、P3の装甲を破損させてから噴霧したのだな。お前が確実に勝てる算段がある、と言っていたのはVXガスのことか」
 P2が感情を出すことなく呟いたのを見て、若松は頷いた。
「神経ガスはお前に効かん。ガスを撒いておけば侵入路を塞ぐことにもなるし、俺たちがここを脱出する態勢が整うまでの時間稼ぎもできる。奴を殺すのに、これ以上適した方法はない」
「私の戦闘能力では、P3を抑えるのに心許なかったということか」
「言ったはずだ、VXガスは確実に勝つための算段だと。状況の変化を先読みして、保険をかけておくのは常套手段だ」
 P2の表情は普段と同じで、未だに変化が表れる兆しもない。彼の予想していなかった行動にややたじろいでいた若松だったが、落ち着きを取り戻し始めていた。
「お前も元軍人なら、当然理解しているだろう?戦争で、手段など構っていられない。汚く戦って、最小限の手間で最大の成果を出した方が勝つ」
「お前はこれが戦争だと言うのか?」
「ああ、戦争だ。俺にとってはな」
 軽く息を吐き出して、若松は頷いた。
 そう、これは戦争だった。
 AWPが心血を注いで生み出した新型サイボーグ、最新技術の集大成であるP3を叩きのめし、嘗て自分をプロジェクトから追放した大月を屈服させ、名誉と誇りを奪い返す復讐戦なのだ。
 若松がAWPの中心メンバーだった頃のままP2の開発と整備を続け、実戦でも通用するレベルであることを証明し、将来的には国防軍次世代歩兵として組み込んでいく。それが日本でなく外国の軍隊であっても、同じように無敵に近い兵力を作り上げることが可能だったろう。
 その偉業を成し遂げれば、若松は間違いなく後世に名を残す工学博士となっていた筈だった。
 それが、自分の技術の結晶たるP2が不良品と見なされて廃棄命令が下り、5年もの間に渡って地下で逃亡生活をせねばならなかった。今や自分とP2は、開発当時の見る影もない日陰者だ。
 周囲から反対の声があったにも拘わらず、P2の廃棄を決定したのは大月だ。
 あの女を権力の座から引きずり下ろし、自分と同じ目に遭わせてやらねば気が済まない。
 自分がどれだけ優れた技術者なのかを、P3の破壊を以て認めさせる。
 若き天才工学博士たる若松は、自分という存在を否定した女を許すことはできなかった。
「それは残念だ」
「それより、お前はまだ俺の質問に答えていない。何故ここへ戻って……」
 若松の顔を見ながら呟いたP2が腕を組もうとしたのか、ゆっくりと右手を引き上げていった。
 不自然に、腕パーツが輝いた気がした。
 研究スペースを星のように彩るLEDは美しく、P2の腕にも反射している。
 その光を纏った高周波振動ナイフの妖しく煌めく切っ先が、一直線に若松の胸にめり込んだ。
 刺された若松は、痛みというものを感じなかった。
 熱い。
 ただ、熱い。
 左胸を背中まで巨大なナイフに貫かれてもまだ、実感がない。
 P2の手元を見る。
 そこから伸ばされた高周波振動ナイフは、確かに自分の薄い胸板に突き立てられていた。 
 しかし全てがコマ送りの映像のように、酷くゆっくりと進んで見えていた。
 そのことが彼に、白昼夢の如き非現実感を与えていた。
 こんな鈍い動きで、人間の自分でもはっきりと見えるような動きで、P2が刺すわけがないと。
 だが、次の瞬間に傷口から流れ落ちてきた赤黒い血液の生暖かい感触が、これが間違えようのない現実であることを若松に叩きつけた。
「き……さま……」
 身体を硬直させ、自らの胸に突き刺された刀身とP2とを交互に見ていた若松の口から、言葉が漏れ出た。
「お前にとっては戦争でも、私にとっては『闘い』だ。自分の考えでやらせてもらう」
 最後まで語調を変えることなく続け、P2は無造作に右腕を引いた。内蔵された巨大なナイフが若松の胸から抜ける。信じられないと言いたげに目を見開き、表情を凍てつかせた若松の細い身体が膝を折って前のめりに崩れた。
「暫くは死なずにいられよう。その間に、せいぜい生きていることの有難さを味わうのだな」
 P2が右腕を振ってナイフを濡らす血を払うと、倒れた若松の白いシャツの背中に赤い滴が降り注いだ。ナイフはわざと急所を外したが、深い傷からの出血を止める術はここにない。助かる道があるとすれば投降し敵の救護を受けることくらいだ。しかし、プライドの高い若松が大月の下に下るという屈辱を甘んじて受けるはずもない。
 P2が機械の身体となって以来初めて本気で挑み、意志を持った自分が生きていることを感じられた戦い。それが、P3との戦闘だった。
 体内の動力全てを使い果たし、全弾丸を撃ち尽くし、精神力が失せるまで。
 文字通り、死力が尽きるまで。
 強靱の一言では言い表せないこの身体が砕け散ろうとも、構わなかった。
 自分に比肩しうる存在たるP3に何もかもぶつけて戦えれば、それで良かった。
 が、それを「親」と称する男が妨害した。勝手な理由で戦争だと思い込み、無差別な死を撒き散らす化学兵器をも使用したのだ。
 これは国が他者を巻き込み、何もかも犠牲にして戦いを仕掛ける戦争ではない。
 弱者に対して一方的な殺戮が行われるものでは、断じてない。
 これまでは最強の戦士として身体を作り上げた義理もあり若松を辛うじて立てていたが、このことが決定的だった。
 この天才ではあるが精神が未熟な人物とは、互いに力を貸し合って戦えないと直感した。
自分と共に在るのはもう限界であり、同時に彼は不必要となった。
 それならば、彼を消してしまえばいい。
 そう判断を下したとき、自然にP2の腕はナイフを振り翳していたのだ。
 若松に対して、別段怒りや悲しみは感じていない。
 ただ、奇妙な開放感が心の中に冷たい風を送り込んでいる。強いて言うなら、そんな印象だった。
 若松を刺したP2が普段通りの態度でいるのと同じく、研究スペースでは何事もなかったかのように、機械の小さな光たちが無数に輝いている。そのケーブルが無数に這う床で倒れ伏す若松はぴくりとも動かないが、聴覚の感度を上げると、ぜいぜいと荒い呼吸と乱れた心臓の鼓動が上がっているのがわかる。傷口から滴る血は小さな血溜りを作って、徐々に範囲を広げているようだった。

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