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ヘンリー・ジェイムズコミュの『ある婦人の肖像』について

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こんばんは。蓮と申します。

私はジェイムズの『ある婦人の肖像』が好きです。

最近また読み返して、いろんな側面から分析ができる作品だと思いました。
そして疑問に思ったことがあるのでみなさんの意見をお聞かせ願いたく、トピ立てさせていただきました。

私の疑問は2つ。
1→なぜイザベルはオズモンドと結婚したのか
2→なぜ最終的にイザベルはオズモンドのもとに帰ってしまうのでしょうか。

まだまだほかにもいろいろ疑問点はあるのですが、書き上げるときりがないので最も疑問に思ったことを質問させていただきました。

みなさんは『ある婦人の肖像』を読んで上の二つの疑問をどうお考えになられましたか?
もしくは、ほかに何か疑問を感じられたことはありましたか?

ほかにも『ある婦人の肖像』に対するご意見、ご感想などあればお聞かせください。

失礼しました。

コメント(5)

僕も大学生やってたころ読みました。14年くらい前です。再読してないので、上記の疑問点についてはなんとなく覚えてます。クライマックスですよね。長いわりに最後でしりきれとんぼのような感じでした。また読んでみようと思います。映画になりましたがあまりよくなかった印象です。これももう一度みてみたいです。
蓮さん、こんにちは。
放置管理人のconradです(^^ゞ
自分も映画公開時に原作を再読したきりなので、記憶がかなり妖しいのですが…。
イザベルには、ほかにも求婚をしてくれる素敵な男性が沢山いたわけですが、
イギリスの貴族社会は息が詰まるし、故郷のアメリカに戻るのも積極的でないし、
そんなところに現れたイタリア人のオズモンドには、イタリアという場所柄、
とても未知の魅力があって、それまでの男にはなかった情熱的なところもあって、
まんまと引っかかったというか、騙されたというか。自分はそんな印象を持ってました。
それと、最後にオズモンドのもとへ戻ってしまうことですが、
マダム・マールがオズモンドの愛人で、二人に騙されていたことを知り、
しかもラルフが死んだり、イザベルにはいろいろな現実が突きつけられますが、
結局彼女は、その現実を受け入れ、その苦悩多き現実の中で生きていくことを
選んだということなのではないかと思っています。
イザベルは現実を避けるようにして、自由を追い求めているところがありましたが、
現実を避けていては生きられないという現実を知り、さまざまな経験の中で、
その現実の中でも生きていける力を身につけたからなのではないでしょうか。

もしかしたら、時代背景的なところもあって、
昔のハリウッド映画がそうだったように、結局夫の元へ戻るというのが昔の倫理観だし、
あと、イタリアはカトリックの国で離婚できなかったということもあるかもしれませんね。
 遅まきながら読んでいるところ。
 きわめて堅実な文体でそれだけでも愉しく読めるものの、今までのところ伝統的な叙述、少々、失望。ボーイ・ミーツ・ガール的というか、女が男に出会うというパターン。しかもひとつの階級のみに限定。ただしこの著者お得意の米国と英国の比較というところに冴えあり。もちろんその階級的類似点についても触れられる。
 ここまでは結婚というものが意識され、J・オースティン的なものから逃れてはいないが、結婚を避けるという意味では、むしろ意識し過ぎの反オースティンというところか。

 つまり米国と英国の国民性を比較することで有名だが、じっさいはそこでの米国人はたとえ南部諸州が相手でも戦役により功労をたてたいと望むし、米国の進歩的な女性も英国の貴族社会に代表される身分制を敵視、結果として自分たちの独立独歩を確認するがそれも今となっては夢物語にすぎないわけで、昔話っぽいところもあり。

 ようやくギルバート・オズモンド登場。その描写に「描きすぎたのをあとから修正したような顔立ち」とある。描写の可変性を扱ったかのような、立ち止まらせる表現。ところで伯父から意外な財産を分与されたイサベルでは西洋の富の恣意性とひとの可能性、未来といったものを考えさせられる。すなわちブルジョア経済と倫理にからまってくることと思うけど。
 残りあと百頁。
 前半はヒロインたるイサベルのイメージ形成にわたしは戸惑った印象あり。
 じつに称揚されるすぐれた婦人というわけだが、どうもはっきりしない。
 むしろ周囲にて焦がれる男たち、ラルフやらウォーバトン卿やらキャスパーやらオズモンドといった連中を通して見えてくる社会に興味あり。
 しかしここまでくるとイサベルの挫折、苦悩が等身大のごとく見えてきて、にわかにリアルな話に思えてくる次第。
 苦悩によってのみ魂は純化されるというのは言い過ぎかもしれないが、ここにきてはじめてヒロインと読み手は、おなじ運命によって弄ばれていることを感じるはず。
 残りあと五十頁。
 十九世紀小説と二十世紀小説とはどうちがうのだろうか、ということを最近、よく考える。
 たとえばトーマス・マンの作品はあくまでも十九世紀的だといわれるがなぜだろうか。
 「ファウスト博士」なんて二十世紀的に見えるけど。
 そこへくると「ある婦人の肖像」はやはり十九世紀的のような気がする。
 一般的な話をしてしまえば、結婚がゴールとなるのが十九世紀的で結婚から話が始まっていくのが二十世紀的か。でもあまりにも蓋然的。
 さてこの「ある婦人の肖像」では、イサベルの視点に立つならば、前半と後半とで人間関係というか、対人的視線、洞察がほぼ逆転している。
 世界観が反転している、なんていうとまた大げさに響くかもしれないが。
 でもその反転の見事さだけでも、この作者の腕の確かさを感じさせられる。
 ところでそれはイサベルの視点にたっている、つまりイサベルの結婚を機に逆転へと至ったわけであるが。見方をちょっとずらしてみると、周囲の描かれているひとたちはイサベルをめぐる語りが示すがごとくのイメージではなく、最初から最後までたいして変わっていないのではないか、という解釈もなりたちそうな気もする。
 それはあれほど喧伝されたイサベルの智慧というものも、じっさいは浅はかなものだったのではないか、ということを思わせるし、イサベル自身がそれを痛感しているかもしれない。

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