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『変珍斎日乗』-第1期-コミュの291.『ばらんすかんかく』(2007年03月07日)。

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相変わらず「優柔不断」な印象しか与えられなかった民主党だが。

その民主党批判(特に体制側からの)に判で押したように使われる
のが「寄り合い所帯」だとか「選挙目当ての烏合の衆」の類の言葉。
だが。御用メディアやネットの意見に洗脳されている連中がいうなら
まだしも、俗に言うところの『識者』を自称する皆様までがこの手の
発言をしてしまうのは、正直「戦後政治史を勉強していない」のか、
『勉強してても曲解している』か、はたまた【ボ*て来た】(爆)かの
いずれかではないのかと。ついつい余計な詮索をしてしまう自分がいる。


「第2回自民党総裁選挙・決選投票」の候補者を思い出してみる。
所謂「2位3位連合」で大逆転した選挙だが、【石橋湛山vs岸信介】w!
この顔ぶれが同じ政党に所属していたことを考えれば、現在の民主党
なぞは『まだまだレベルが小粒』(所属議員の【バラエティで】では)。

そこまで古い例を持ち出さなくても。
たとえば「ロッキード政変」後の【田中角栄⇒三木武夫】って総裁
交代例を見れば当時の自民党が如何に『多種多様な議員の集合体』
だったかということは御理解頂けると思う。これは与党限定ではない…。


「55年体制」下、政治に於ける離合集散の最大キーワードは
『反共か否か』であった。世界的な【冷戦状況下】を視野に入れれば
むしろ当たり前の話なんだが、要は『それさえ』一致していれば、
あとはどんなに他の問題認識が違っていても徒党を組むにやぶさかでない
おおらかな時代でもあった(当時の最大野党・二本…いゃ『日本社会党』
なんかも内幕は似たり寄ったりだった)。だから部内で不祥事などが
起きた際『違ったカラーの政治家を後釜にする』戦略が可能だったのだ
(前項の「田中⇒三木の総裁交代劇」なんてのは、最も象徴的な例)。


このような「内輪の奇妙なバランス感覚」が発揮されやすかった、
もうひとつの原因がある…当時の『中選挙区制制度』。同一選挙区で
複数の当選者が出る仕組みは「大政党内で『派閥を生みやすい』弊害」
も生じたが、「親の総取り」的小選挙区制より【幅広い意見を集約】
出来るという側面も持っていた。その分個性的な活動の議員も多かった。


しかし。「リクルート事件」に端を発する『政治改革』の流れが
いつの間にか【選挙制度改革】にスリカエられ、現行制度に至った。
【親の総取り】ばかりが目立ち、多様な意見は陽の目を見なくなるばかり。
なにより「最大の目的」だったはずの『政治とカネ』の問題は!現在
に至るまで【手を変え品を変え】次々とボロボロと出て来る出て来るっ!
「政治改革」ってのは…結局は『強者のための改革』だったようである。


そして現在。

相変わらず『強者の声』のみが大絶叫に近い型で流され、
数多くの【少数意見】が届くことはほとんどなくなっている…。

『弱者救済』を叫ぶのであれば。まずは【政治のバランス感覚】を
正常な型で取り戻すことである…てな【少数意見】も黙殺されるだろうが。

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