けて、
a
のコースを選択肢
a
と呼ぶとすると、選択肢
a
を選択すればどのような
結果が生ずるか、
選択肢
b
を選択すればどのような結果が生ずるか、
c
ならどうか、
さらに、
d
、
e
ならどうなるか、見極めることが、政策決定者から要求される。
歴史学者は、その時の政策決定者がある選択肢を選択した結果をよく知ってい
るから、その結果にもとづいてその時の政策決定者の決定を自由自在に批判する。
よくいわれる歴史学者の『あと知恵』
(ハインドサイト)といわれるものがそれで
ある。
しかし、すぐれた政策決定者は、本当は、歴史学者が『あと知恵』によって知
っている、その選択の結果を選択の時点において予想できなければならない筈で
ある。しかも、すぐれた政策決定者は、実際に選択する選択肢
a
だけでなく、選択
することを避ける
b
、
c
、
d
、
e
などの選択肢についても、それらを選択した場合に
どのような結果が生まれるのかを、見極めることができなければならない。五里
霧中といって済ますことなど許されない。
ある選択のコースと、それが生み出す結果とを含めて、シナリオと呼ぶとすれ
ば、歴史学者は、ふつう現実化したシナリオ、この例では選択肢
a
とその結果とを
合わせたシナリオ
a
だけについて研究することを要求される。
シナリオ
a
が現実化
したのは、どのような政治的、社会的、経済的条件によるのかが、詳しく研究さ
れる。
ところが、政策決定者は、シナリオ
a
について、正確に予測を立てなければなら
ないばかりでなく、シナリオ
b
、
c
、
d
、
e
についても、正確に予測を立てなければ
ならない。この作業をしなければ、なぜ今、
a
を選択しなければならないかが、は
っきりしてこないからである。このような選択肢とシナリオの問題は、歴史を考
える上で重要な問題だと思われる」
4
。