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憂国の士コミュの【南京の真実】マスコミがきっと報じない、温家宝首相への公開質問状

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マスコミがきっと報じない、温家宝首相への公開質問状



去る3月13日に結成された
「南京事件の真実を検証する会」は
偽南京事件のそうそうたる研究者が参加する組織ですが
この会から来日中の温家宝中国首相に
公開質問状が提出されました
原文は支那語で、大使館に送られたそうです

たぶん、マスコミは報道しないでしょうね

**************************
温家宝国務総理閣下への公開質問状

 このたび中華人民共和国国務総理温家宝閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。

 さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものですが、貴国のこの事件に対する見解につき、重大な疑義を抱いております。以下その中心的な疑義につきまして閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。

一、 故毛沢東党主席は生涯に一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして「持久戦論」としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?
 

二、 南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?
 

三、 南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が「Documents of the Nanking Safety Zone」として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、ありえないと思いますが、閣下はいかがお考えでしょうか?


 四、 さらに「Documents of the Nanking Safety Zone」には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。こういう記録と30万虐殺という貴国の主張しているところとは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?


 五、 南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の虐殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。


 六、 このように、南京大虐殺ということは『中略』

 以上の諸点につきまして、閣下のご回答を是非承りたく存じます。このことは多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。

平成19年4月10日

南京事件の真実を検証する会 委員一同

(会長)加瀬英明 (事務局長)藤岡信勝 (監事)富沢繁信 茂木弘道
(委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 高池勝彦 高山正之
東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘 】

コメント(15)


http://www.toidatoru.com/pdf/nankin.pdf
《『偕行南京戦史』とは何か》
南京戦史は一九八〇年代の朝日新聞などの「南京大虐殺」大キャ
ンペーンに対して、南京攻略戦に従軍した将兵が中心になって編集
したと一般的に認知されているが、その実体は違う。その編集委員
の中に戦場を知らない者が入っていた。
その実態は『ゼンボウ』平成三年九月号で同編集委員、鵜飼敏定
氏が「南京事件を旧陸軍の罪業の一つと位置づけて旧軍の罪業を暴き
虐殺の数字を検証して日本軍は南京で何万あるいは何千人を虐殺した
かを明らかにする事と南京戦史を書く目的とする委員と戦史を書く
事によって戦争の本質と戦場の実相を明らかにして南京事件とは何か
を問おうとする委員とに分かれたため、総括者が両者の極端を捨てて、
ほど良いところをとる所謂折中方針によって編集を指導した。参戦し
た委員と戦争を知らない委員との史観は相反した。」と述べている。
このような、戦後のイデオロギーが混入した状況で編集された『偕
行南京戦史』は、正式な戦史でない事が明らかで、参考資料の一つ
以上のものではない。
二〇〇七年三月の「南京問題小委員会」に講師として参加された
青山学院大学名誉教授で国際法が専門の佐藤和男博士は、『偕行南京
戦史』に記載されている捕虜の処断を検証した。
? 第九師団歩兵連隊による安全区掃討作戦において摘出した便
衣兵六六七〇名の処断。
? 第十六師団歩兵第三三連隊の太平門、下関、獅子山付近で捉
えた捕虜三〇九六人の処断。
? 第十六師団歩兵第三〇旅団が南京西部地区警備中に捕らえた
敗残兵数千人の処断。
? 第百十四師団歩兵第六六連隊第一大隊が雨花門外で捕らえた
捕虜一六五七人の処断。
? 山田支隊が幕府山付近で捕らえた捕虜数千人の処断。
以上、右列記した事例について佐藤博士は、いずれも戦時国際法違
反でないと断定し、現在、南京問題研究者が素人判断で捕虜の処断
を「虐殺」とする研究に対して苦言を呈していた.(資料17)
佐藤博士が問題ないと断定した右?〜?の事例は、中国側も当時、
戦時国際法違反があったと国際連盟に提訴していない

http://vaccine.sblo.jp/article/919147.html#trackback

2006年06月30日
大嘘の南京事件1
 中国の大嘘、“南京大虐殺”が未だに教科書にまで記述されている日本。
本来は政府が真実を徹底調査してしかるべきことでありますが、政治家にも官僚にも全くそのような姿勢が見えてきません。そのような中で、多くの真摯な研究がなされていますが、今回は最近になって出版された
「南京事件」(国民党極秘文書から読み解く)東中野修道著より一部引用してみます。
またこちらの「極東国際軍事裁判」のページもご覧下さい。


引用開始
  ・・・・略・・・東京裁判から四半世紀あまりのちの昭和四十七年(1972)、日中国交回復の年に、本多勝一『中国の旅』が出版されたことである。これは朝日新聞記者の本多氏が前年に中国に行って取材し、「中国の旅」と題して同紙に連載した記事をまとめたもので、ベストセラーとなって大きな反響を呼んだ。・・・略・・・
 それから一年後の昭和四十八年(1973)に、大虐殺はあったのだと主張する人々によって英語版の『戦争とは何か、中国における日本軍の暴虐』が発掘され、大虐殺の根拠として提示される。
 この本は上海にいた英国の『マンチェスター・ガーディアン』紙中国特派員ハロルド・ティンパーリ記者が南京在住の欧米人(匿名)の原稿を編集して、昭和十三年(1938)七月にニューヨークやロンドンで出版したものであった。戦争の悲惨さを訴えるとした趣旨のもと、日中戦争、とりわけ南京の日本軍の暴行を取り上げたという構成になっていた。まさに第三者的立場の欧米人が、独自に出版した本と読者の目には映った。
  ・・・略・・・この『戦争とは何か』の評価が一躍高まったのは、その後になって匿名の執筆者がマイナー・ベイツ教授と宣教師のジョージ・フィッチ師であると判明したことからであった。・・・略・・・
 戦後出版された『曽虚白自伝』には、中央宣伝部がティンパーリ記者に「お金を使って頼んで、本を書いてもらい、それを印刷して出版」したという曽虚白(南京大学教授、のちに中央宣伝部国際宣伝処処長)の証言が記されている。
 さらに次のことも判明した。『戦争とは何か』に執筆し、東京裁判でも証言していたベイツ教授は、実は中華民国政府の「顧問」であった。もう一人の執筆者ジョージ・フィッチ師も、『チャイナ・マンスリー』一九四〇年一月号の『編集者ノート』によれば、彼の妻が蒋介石夫人の宋美齢と「親友」の間柄であった。彼らはいずれも国民党政府と何らかの関係にあり、『戦争とは何か』は第三者的立場の人たちが独自に出版した本ではなかった。
 ここでいよいよ、『戦争とは何か』は中央宣伝部の「宣伝本」ではなかったのかという疑惑が浮上してきたのである。・・・略・・・
 探し求めていた中央宣伝部の史料は、台北の国民党党史館に眠っていた。
・・・略・・・
 それは極秘文書中の「対敵課工作概況」のなかの「(一)対敵宣伝本の編集製作」の「1,単行本」によってついに判明した。

1,単行本
 本処(国際宣伝処)が編集印刷した対敵宣伝書籍は次の二種類である。
 A『外人目睹中之日軍暴行』
 この本は英国の名記者田伯烈が著した。内容は、敵軍が一九三七年十二月十三日に南京に侵入したあとの姦淫、放火、掠奪、要するに極悪非道の行為に触れ、軍紀の退廃および人間性の堕落した状況についても等しく詳細に記載している。
「田伯烈」は「ティンパーリ」の漢字表記であり、『外人目撃中の日軍暴行』は英語版『戦争とは何か』の漢訳版であった。ティンパーリ編『戦争とは何か』は、「本処(中央宣伝部国際宣伝処)が編集印刷した対敵宣伝書籍」とあるように、中央宣伝部が編集製作した二冊の宣伝本のうちの一つであった。・・・
続き)

略・・・
 
 しかし「本処が編集印刷した」とは、ただ単に国際宣伝処が英語版を翻訳したということを意味するのではないか、そのような異論も考えられよう。そこで念のため付言しておくが、英語版の『戦争とは何か』も、漢訳版の『外人目撃中の日軍暴行』も、ともに一九三八年(昭和十三年)七月の出版であった。同時出版の事実と、先にも引用したように中央宣伝部がティンパーリ記者に「お金を使って頼んで、本を書いてもらい、それを印刷して出版した」という曽虚白処長の回想を考慮に入れると、その異論は成り立たないであろう。
 以上のことから、『戦争とは何か』は中央宣伝部の製作した「宣伝本」だったことが確認された。
 長いあいだ南京大虐殺の根拠となっていた『戦争とは何か』とその巻末に収録された資料は、戦争プロパガンダの視点から見直さねばならなくなったのである。・・・略・・・

 新聞記者を使っての宣伝活動
 新聞は書籍や雑誌と比べて発行部数が多く、最も多くの人の目に触れるものだ。それを宣伝戦に使わない手はない。極秘文書は「各国新聞記者と連携して、彼らを使ってわが抗戦宣伝とする」と報告して、次のように記している。
 「われわれが発表した宣伝文書を外人記者が発信すれば、最も直接的な効果があるが、しかしそのためには彼らの信頼を得て初めてわれわれの利用できるところとなる。この工作は実に面倒で難しいが、決して疎かにしてはならない」・・・略・・
 このように中央宣伝部国際宣伝処は「面倒で難しいが、決して疎かにしてはならない」重点対策として、外国特派員への対応に細心の注意を払っていた。言うまでもなく、宣伝部の思惑に沿って、彼らに記事を書いてもらうためであった。『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』は次のように記している。
 「外国人記者たちは、平素は当処(国際宣伝処)が誠心誠意宣伝指導にあたっていることから、そうとうに打ち解けた感情を持っている。そのほとんどはわが国に深い同情を寄せてくれているが、しかし新聞記者は何かを耳にすると必ずそれを記録するという気質を持っているので、噂まで取り上げて打電することにもなりかねない。含蓄をこめた表現で、検査者の注意を巧みに逃れることにも長けている。中国駐在記者が発信した電報を各国の新聞が載せれば、極東情勢に注目している国際人士はそれを重視するものであるから、厳格に綿密に検査する必要がある。妥当性に欠けるものは削除または差し止めにしたうえで、その理由を発信者に説明し、確実に了解を得られるようにして、その誤った観点を糺した」
 外国特派員は中央宣伝部の「厳格」かつ「綿密」な検査に協力させられていたということである。
引用終わり

 最近になって、加瀬英明氏が代表となって、南京事件が中国のプロパガンダであったことを世界に訴えるためのHP史実を世界に発信する会が完成しアップされました。今後もこうして一歩ずつ中狂、日本の反日や左翼、日教組の嘘を日本国民と世界の人々に知らしめましょう。 
http://www21.atwiki.jp/nankin1937/pages/25.html
8.便衣兵を処刑するためには裁判(軍律会議)が必要である。

戦闘中においては、軍律裁判は不要 。戦闘休止状態になって初めて軍律裁判が必要。

【小川法務官の日記】
「◎十二月一日
中支那方面軍軍律、中支那方面軍軍罰令及ビ中支那方面軍軍律審判規則発令セラル…
戦闘中ハ反逆者タル帝国臣民以外ノ人民ニ対シ直ニ之ニ適当ノ処分ヲ為スコトヲ得シモ
敵国トノ戦闘休止ノ状態ニ至リタルトキハ戦争中ノ如ク適宜処分スルハ穏カナラザレバ
一種ノ軍政タル本則ニ基キ軍律ニヨリ帝国軍ノ利益ヲ保護セントスル趣旨ニ出タルモノナリ」(p.90) 

便衣兵がゲリラであることについての拙稿
http://www21.atwiki.jp/nankin1937/pages/30.html


http://www21.atwiki.jp/nankin1937/pages/1.html

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110623/chn11062305000001-n1.htm

「南京大虐殺」宣伝の裏に共産勢力
2011.6.23 04:59 (1/2ページ)
 「『南京大虐殺』という戦時プロパガンダが行われた経緯を解明する新たな糸口になるかもしれない」。発売中の『別冊正論』15号(「中国共産党 野望と謀略の90年」)の編集を終え、そんな期待が膨らんできました。中国の国民党が主導したと考えられてきた「大虐殺」の宣伝に、中国共産党またはソ連が大きく関与していた可能性が、論文筆者たちの指摘で浮かび上がってきたのです。

 虚実不明の「南京大虐殺」を初めて世に紹介したのは、英マンチェスター・ガーディアン紙特派員、ティンパーリーが1938(昭和13)年に刊行した『戦争とは何か』です。ティンパーリーは当時、国民党中央宣伝部顧問で、資金提供も受けていたことが北村稔・立命館大教授らの研究で判明しています。同著の出版をはじめとする「大虐殺」宣伝は、世界中で反日世論を高める戦時プロパガンダだったのです。

 『別冊正論』15号では、3人の筆者が、このプロパガンダへの中国共産党またはソ連の関与を示す根拠を提示しています。

(1)『戦争とは何か』中国版の序文を書いた有名文化人の郭沫若(かくまつじゃく)は、日中戦争勃発にあわせ、亡命先の日本から中国共産党やコミンテルン(戦前〜戦中の国際共産主義運動指導組織。本部・モスクワ)の支援で極秘帰国し、戦時宣伝を担当した(中西輝政・京大教授)(2)同著の日本語版序文を書いた青山和夫こと黒田善治という人物は、コミンテルン秘密工作員とともに中国で活動していた(近現代史研究家、長塩守旦氏)(3)「大虐殺」の証拠の一つとされた『ラーベ日記』筆者、ジョン・ラーベは、ソ連の大物スパイ、ゾルゲの活動を上海で支援していた赤軍諜報部員の友人だった(江崎道朗・日本会議専任研究員)−。

 『戦争とは何か』英語版にコミンテルンの影が見え隠れすることは、北村教授も著書『「南京事件」の探究』で指摘しています。「大虐殺」宣伝に国際共産主義勢力が積極的にかかわっていたとすれば、相当の規模をもった対日宣伝戦だったことを意味します。

 アメリカでは近年、第二次世界大戦前後のルーズベルト政権内にソ連と通じた秘密共産党員が多数潜入して政策に影響を与えていたという実証研究が進み、共産主義の世界革命戦略が当時の情勢分析に欠かせないという見方が強まっています。「大虐殺」宣伝もその中に位置づけられるとしたら…。今後の検証が待たれます。(正論副編集長 小島新一)


【南京戦】GHQにより焚書された当時の記録
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1823868680&owner_id=8761029&comment_count=8【必読】
■河村市長「南京大虐殺なかった」…中国訪問団に
(読売新聞 - 02月20日 20:08)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1922173&media_id=20

GHQによって焚書された、南京入城を体験した日本兵の記録が紹介されています。

少々長い動画ですが是非ご覧下さい。



http://www.youtube.com/watch?v=pgAfZ2UU4bE&feature=player_embedded#!



ご覧になった上で、『南京虐殺』が史実と思われるか、捏造だと思われるか、ご覧になった方のこれまでの認識を裏付けるか、否定するか。

皆様の考えに何がしかの影響を与えるかもしれません。



ただ一点、皆様ご理解下さい。

「歴史的事実」という物は、一部の人間達にとってはどうでも良い事であり、‘事実がどうであったか?’よりも‘どうであったと多くに認識させるか?’の方が大事であるという事。

大勢さえ整えてしまえば、事実など覆い隠す事が可能になってしまうという事。

自分は南京虐殺問題も慰安婦問題も、それぞれ頭に‘捏造’を付け加え、「南京虐殺捏造問題」「捏造慰安婦問題」であると主張する立場ですが、

「歴史的事実など政治の場ではどうとでもなってしまう」

と認識しているのはどちらの立場の人間も同じだと思っています。


「言わせておけば良い」
などと言うのは間違いです。
‘反論しない’と言う事は、‘黙認した’と見なされます。


【南京大虐殺は真実ではないと思う理由】鈴木史郎
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1115.html

http://www.youtube.com/verify_age?next_url=/watch%3Fv%3DqQScHB9107c%26feature%3Dplayer_embedded【南京大虐殺捏造の証拠】


http://www.youtube.com/watch?v=Ehj1rHJuWwY&feature=player_embedded
【GHQ焚書図書開封 第1回 】

http://www.youtube.com/watch?v=dVNtqEQB6w8&feature=player_embedded
【GHQ焚書図書開封 第3回】

http://www.youtube.com/watch?v=zGlDhGrOF00&feature=player_embedded
【GHQ焚書図書開封 第4回 】

http://www.youtube.com/watch?v=VW0o7AeOg_4&feature=player_embedded
【GHQ焚書図書開封 第5回 】

以下のマイミクの夜太郎さんの日記は「南京虐殺あった」とされる証言がことごとく嘘であったことが詳細に出ていて面白いです。反日ゲストとのやりとりも勉強になりますのでご参考までに。

■【日本軍の中国での蛮行は創作】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1824878932&owner_id=10283843

■【南京虐殺肯定は思考停止の「中華右翼」】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1825443964&owner_id=10283843&comment_count=6


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120224/lcl12022403050000-n2.htm

河村氏の南京発言 これで問題視されるとは
2012.2.24 03:05 (1/2ページ)[主張]
 南京事件をめぐる河村たかし名古屋市長の発言をめぐり、姉妹都市関係にある中国南京市が名古屋市との交流を当面中止すると発表した。「河村市長は南京大虐殺の史実を否定、南京人民の感情を著しく傷つけた」との理由からだ。

 中国外務省のアジア局長も、杉山晋輔外務省アジア大洋州局長に「歴史の歪曲(わいきょく)」と強い不満を表明した。

 歴史問題をめぐる中国の理不尽な対応は今に始まったことではないが、日本の政府やメディアまでが中国側に立って河村氏を批判しているのは理解に苦しむ。

 問題にされたのは河村市長が20日、名古屋市で南京市訪問団との面談で発言した内容である。

 河村氏は南京で終戦を迎えた父親が南京の人々から温かいもてなしを受け、お礼に桜の木をプレゼントしたことなどを話し、その背景について「南京事件はなかったのではないか」と述べた。

 断定的な表現を避け、極めて穏当な発言である。

 しかし、藤村修官房長官は「非戦闘員の殺害、略奪行為は否定できない」と河村市長の発言を否定し、「村山談話以来、政府の姿勢は変わっていない」と述べた。

 村山談話とは村山富市元首相が平成7年、先の大戦の要因を「植民地支配と侵略」と断じ、閣議決定もされた。だが、あくまで当時の内閣の歴史認識を表明したものであって、今回の河村氏の発言とは無関係である。

メディアの中には、「南京事件については、日中共同の歴史研究がある。市長としての発言にはもっと慎重であるべきだ」「配慮が足りなすぎる」などと、まるで河村氏が重大な失言をしたかのような社説もあった。

 2年前に発表された共同研究では「南京虐殺」があったとの認識が示された。だが、それは研究に参加した日中の一部の学者の意見が一致したにすぎない。

 南京事件は昭和12年暮れから13年にかけ、旧日本軍が南京で多くの中国軍の捕虜や市民を殺害したとされる事件だ。中国は「30万人虐殺」を主張している。

 最近の研究で、「南京虐殺」や「南京大虐殺」は当時の中国国民党の一方的な宣伝だったことが分かってきた。政治的妥協の中で生み出された日中歴史共同研究などにとらわれない、実証的な学問研究の積み重ねが必要である。

http://www21.atwiki.jp/nankin1937/pages/25.html
【結論から言えば、便衣兵の摘出・処刑については、 合法 である。】



RV南京 占領5日目 #朝日新聞 武器も持たず #中国人 から買い物をする日本兵、南京に戻り畑を耕す中国人農民。街頭床屋。手製の日の丸の腕章で笑顔⇒ http://bit.ly/kVTShQ 中国を救おうとしたローマ法王も日本を支持。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1828368424&owner_id=10283843
中国人もジャーナリストも誰も知らなかった「南京大虐殺」


中国が30万人と言い、日本の一部の者が2万人以下と言っている「南京大虐殺」ですが、実際に現地にいた人で誰も虐殺現場を見た人がいません。
「証言」があったとしても、実際に裏付けのあるものは皆無と言っていいです。
丁度、UFOを見た!と言っている人が合成写真やつじつまの合わない嘘の証言をしているのと全く同じ事です。
あるなら、証拠を出せばいいだけですが、「山ほどの証拠がある」と言いながら中国は何一つ出してきません。

阿羅健一著『「南京事件」日本人48人の証言』(2002年)から、南京陥落の当時、実際に現地にいたジャーナリストの証言の一部です。

http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4573.html

*東京朝日新聞・橋本登美三郎上海支局長の証言

「南京での事件ねえ。
私は全然聞いてない。
もしあれば、記者の間で話に出てるはずだ。
記者は少しでも話題になりそうな事は話をするし、それが仕事だからね。
噂としても聞いた事もない。
朝日新聞は現地で座談会もやっているが、あったのなら、露骨ではないにしても抵抗があったとかそんな話が出るはずだが。
南京事件はなかったんだろう。」


*同盟通信・前田雄二記者の証言

「虐殺とは戦争に関係ない住民や婦女子をむげに殺害することだろう。
ところが殺されなければならない住民婦女子は(難民区)内にあって、日本の警備司令部によって保護されていた。
私の所属していた同盟通信の旧支局はその中にあった。
入城四日目には私たちは全員この支局に居を移し、ここに寝泊まりして取材活動をしていた。
つまり難民区内が私たちの生活圏内で、すでに商店が店を開き、露天商や大道芸人まで出て、日常生活が回復していた。
この地区の情報はちくいち私たちの耳目に入っていたのだ。
こういう中で、万はおろか、千、百、あるいは十をもって数えるほどの虐殺など行われようはずがない。
もしあれば、私たちが見逃すはずがない」


*東京日々新聞カメラマン 金沢善雄氏の証言

「戦後、この時、何万人かの虐殺があったといわれていますが、不思議でしようがないのです。私は南京をやたら歩いていますが、虐殺を見たこともなければ聞いたこともありません」
「ここ(南京)には1ヶ月ほどいましたが、戦後言われているような事は何も見ていなければ、聞いてもいません。ですから虐殺があったと言われていますが、あり得ないことです。松井大将が絞首刑になったのも不思議でしょうがないのです」


*報知新聞従軍記者 田口利介氏の証言*

―― 南京で虐殺があったといわれますが?

「当時聞いたこともなかったし、話題になったこともありません」


*読売新聞技師 樋口哲雄氏の証言*

「自転車を持っていたので、毎日あっちこっちに行きました」

―― その頃、日本軍による虐殺があったと言われていますが?

「どこで何があったのか知りません」

―― 見たり聞いたりしませんか?

「全然解りません。だいいちそういう形跡を見たことがありません。あったとよく言われますが、どこでどんなものがあったのか。中山陵など荒らされていないし、きれいでした。
やらなきゃこっちがやられるからやったのを虐殺といっているのだと思います」


*大阪毎日新聞 五島広作記者の証言*

―― 第六師団は北支で感謝状をもらってないから、中支で残虐行為をやったと言う人もいますが……。

「はじめて聞いた話です。第六師団でそんなことはありませんでした。
先ほどの話同様、谷中将が処刑されてからの作り話でしょう。
戦後、中国の言い分に合わせた話がよく作られています」

―― 南京陥落後の第六師団の行動はどうでした?

「十三日、十四日は城内掃蕩で、残虐行為などありません」

(中略)

―― 五島さんはいつまで南京にいましたか。

「翌年の一月十日頃までいました。
この間、南京のあちこちに行きましたが、虐殺といわれることは見ていません。
また、強姦もあったといわれますが、すでに慰安所ができてましたから、戦後いわれていることは嘘です。(後略)」


*東京日日新聞 佐藤振寿カメラマンの証言*

―― 虐殺があったといわれてますが……。

「見てません。虐殺があったといわれてますが、十六、七日頃になると、小さい通りだけでなく、大通りにも店が出てました。
また、多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵のところに集まってましたから、とても残虐行為があったとは信じられません。」

―― 南京事件を聞いたのはいつですか。

「戦後です。アメリカ軍が来てからですから、昭和二十一年か二十二年頃だったと思いますが、NHKに『真相箱』という番組があって、ここで南京虐殺があったと聞いたのがはじめてだったと思います。
たまたま聞いてましてね。
テーマ音楽にチャイコフスキーの交響曲が流れた後、機関銃の音キャーと叫ぶ市民の声があって、ナレーターが、南京で虐殺がありました、というのですよ。
これを聞いてびっくりしましてね。嘘つけ、とまわりの人にいった記憶があります。
 十年ほど前にも朝日新聞が『中国の旅』という連載で、南京では虐殺があったといって中国人の話を掲載しましたが、その頃、日本には南京を見た人が何人もいる訳です。
何故日本人に聞かないで、あの様な都合よく嘘を載せるのかと思いました。
当時南京にいた人は誰もあの話を信じてないでしょう。(略)」

(引用以上。

このように、現地にいた報道関係者も噂すら聞いた事が無いものです。
また、蒋介石始め中国側も、南京で一般市民や捕虜の虐殺があったとは一言も言っていませんでした。

これらから、何もなかったということが自然です。

しかし、河村市長に対しては今、ものすごい圧力が掛かっているそうです。

(上記ブログより引用。

吉田康一郎都議は、河村市長の側近と親しい。

その河村市長の側近は、「とにかく大村愛知県知事が河村市長に発言の撤回をさせようとして県議会議員や地元の有力者などを使って凄まじい圧力をかけて来ている。河村市長は大村知事らの撤回要求に苦しんでいる。」と吉田都議に言っているそうだ。

(引用以上。

河村市長の発言は唐突に出てきたものではなく、何年も前から何度も繰り返し中国側に言ってきた事です。
正しい事なのだから、理不尽な圧力に負けず淡々と意思を貫いて欲しいものです。
愛知の皆さん、大村は落選させましょう。


http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1826495832&owner_id=10283843&comment_count=9

【「南京大虐殺は嘘」と知っている中国 】


河村市長が衆院議員であった2006年4月に、南京市を訪れた際にも南京市幹部に次のように言ったそうです。

「本当に日本がそんな虐殺行為をしていたのなら、何でそのたった8年後に南京へと入った父たちが、そんなに温かいもてなしを受けたのか。そんなことがありえるのか」と問いかけると、相手は押し黙って答えなかったとのことです。(河村たかし氏と南京事件  http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/15529/)

中国の「歴史」は、日本の歴史研究と違い政治、権力闘争の道具です。
歴史的事実はどうでもよいことで、現政権の正統性のため、また他国よりも優位に立つためにいくらでも捏造、創作するものです。
河村氏の発言に押し黙ってしまった南京市幹部も「大虐殺」が嘘だという事は重々承知だったのでしょう。

「南京事件」がどのような必要から創作されたのか、良くまとまっている記事があったのでコピペです。

14の続き

(以下引用。

鍛冶俊樹の軍事ジャーナル 第54号(2月27日)

*南京大虐殺の大ウソ


名古屋の河村市長が20日、中国南京市から来日した代表団に対して「南京大虐殺はなかった」という趣旨の発言をした。翌日南京市は名古屋市との交流を一時停止すると発表した。
 実は河村市長は2009年にも市議会で同様の発言をしており、昨年南京の副市長が来た際も南京大虐殺を否定している。今回の代表団も当然、河村市長の持論を知った上で来ている訳で、現に20日に言われた際にも、反論していない。
 翌日交流一時停止を発表したのも、この件が大々的に報道されたので仕方なく取った措置だろう。
 中国の対応はまことに変なのだが、日本政府の対応もやっぱり変で官房長官は「村山談話を踏襲する」というようなお茶を濁した発言をしている。日中両政府が奇妙な対応を見せるのは、双方とも南京大虐殺が嘘である事を知りながら、政治的には「南京大虐殺はあった」事で合意しているためである。

そもそも「南京大虐殺」が登場したのは戦後の東京裁判においてだ。これは裁判と銘打った占領軍による戦勝記念SMショーだったが、そこで日本軍の戦闘行為を犯罪と決めつけようとする占領軍に対して、日本側が「無差別に一般市民を殺傷した広島、長崎への原爆投下こそ戦争犯罪ではないか」と反論したため、米国が免罪符として捏造した事件であった。
 広島、長崎ではそれぞれ10万人程度、計約20万人が死んだと推計されていたから、日本軍が南京で30万人殺した事にすれば、日本軍が米軍より相対的に悪者になるという計算である。
 これはどうみても裁判の論理ではない。だからSMショーなのだ。従って裁判であれば、当然南京に実地調査に行くはずだが、そんな事もしない。だから調査報告書すら提出されていない。証人は米国人の神父一人、しかも彼が目撃したという暴行件数はたったの1件、かくて30万人殺戮で有罪判決となった。
 米国人はろくに釣銭の勘定もできない連中だが、さすがにこの数字がおかしいということは分かったらしい。そこで判決文では「30万人とはいうが、20万人くらいかもしれない」20万人以下だと広島・長崎より少なくなってしまって困るという意味である。
 要するに事実などはどうでもよく、負け犬どもを虐待することが目的だったのである。

 だからといって「一人も虐殺していないとは言えないだろう」と南京大虐殺は言いすぎでも南京事件はあったと言いたがる日本人がいるが、この主張も成り立たない。
 南京に日本軍が入城したのは昭和12年12月13日だが、2週間ほどして米ニューヨークタイムズ等数紙に「日本軍が捕虜を3000人殺害」と言う記事が出た。事実なら国際法違反であり、大問題だ。ところがこの記事には後追い記事がない。
 翌1月には米英大使館が南京市に開設されているから、米英の外交官は当然この調査をしたはずだが、これに関する発表はない。そして当時の中国政府は南京から重慶に移動してこれ以後、米英等のマスコミを相手に何度となく記者会見をしているが、南京虐殺に一度も言及していない。
 12月13日の日本軍入城後3日後には日本のマスコミ等は南京市に自由に出入りしており、当時南京市には外国人を含む南京市民20万人いたことが確認されており半年後には25万人に増えている。
 虐殺事件があればいくらでも目撃証言を含めて調査可能な状況であったにもかかわらず、その報告がなかったのである。つまり事件はなかったのである。
(引用以上。

南京陥落後に撮影された風景
http://www.history.gr.jp/~nanking/fukei.html

子供たちの自然な笑顔が印象的。
周りで暴行、略奪、強姦、虐殺が行われてたら、怯えて強張った表情になるでしょう。

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