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渡辺家コミュの渡辺綱

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「渡辺綱」ってみんな知らないと思ってたら結構有名。
ということでこんなコミュニティーを作ってみました。
mixiにどのくらい子孫の人がいるのかなぁ。

コメント(76)

>ひらりさん

はじめまして。
●の部分が葉っぱですか・・・。
ちょっと調べてみます。
>ひらりさん

ごめんなさい。
なんか勘違いしていたみたいですね。

再度しらべます...。
 はじめまして。渡邉と申しますw

 やはり自分も家紋に反応してしまいました。宜しくお願い致します。

 自分は宇都宮に住む本家ですが(と言うほど立派な一族ではない)曾おじいちゃんの代は福島の一鉄道員だったそうです。それ以前は知りません。

 役所の登録の際、ナベの字が二転三転して困り果てております・・・。挙句の果て、墓はじいちゃんが適当に作ったらしく、「渡邊」になっております・・・。

 自分は重要な書類でない限り、面倒クサイので「渡辺」と書いてしまいます・・・。

 ワタナベのルーツは対岸へ渡る渡船口から来ていて、その渡しの舟守りが「わたりべ(渡部)」と言うそうですね。「ワタナベ・ワタベ・ワタリベ」の読み方もここから来ているようです。

 というと元祖は渡部の方なんですかね。
 
初めまして。
苗字は「黒田」ですが、面白そうなコミなので
参加させてもらいます。

ちなみに、学生時代「渡辺党」について
卒業論文を書いたことがあります。
渡辺党の発祥は摂津・河内方面で主に平安時代の
文献によく登場してました。

ちなみに、大阪にも所縁の地がいくつかあります。
梅田の近くに「渡辺橋」  (渡辺党発祥の地?) 
難波方面に 「坐摩神社」 (神主が渡辺所縁の人)
東三国に  「渡辺家」の家(多分、市の文化財になっていたと思              います。)

久々に、卒論読み返してみようと思います。
はじめまして「渡部(わたなべ)」と申します。
自分もじいさんから「渡部綱」の子孫だ!!
と聞かされて育ちましたが・・・具体的にどんな人なのかわかりませんでした。
でも最近しらべてすごくデンジャーな人だとわかりました(汗)

おそらく「渡部(ジェシコ)」さんとご親戚かもしれませんね。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=30336

結構私は渡辺マニアなので、いろんなご参考になるお話し出来ると思います。
が、「渡辺会」というコミュがありまして、(上記URL)そっちでもこんな感じの話題になってますんで、覗いてみてはいかがでしょうか。
愛媛・松山の渡部です。松山は渡部が多いですね。一クラスに2人から4人は居ました。わたなべは、渡り部・渡り辺ですから、今でいうフェリー部門、海を渡る航海部門を職業とする一族でしよう。
義経の、屋島奇襲もワタナベ水軍が決行していますね。
ワタナベ水軍の渡部党・渡辺党の別れが、九州の松浦水軍・松浦党ですね。元冦の戦いで奮戦します。後、倭冦の中心ともなっているようですが。とにかく、海洋民族の代名詞的な名前ですね。
海洋日本をささえた、わたりべさんです。
よく「ワタベ」と読まれるのでイライラしているクチです。
しかも「渡辺」とかかれてしまったり・・・
その都度説明するのしんどいです。

どこか「渡部(わたなべ)」と素直に読んでくれるとこないでしょうか・・・
銀狼さん、渡部をわたべと呼ぶのは東が多いようです。
西、伊予水軍の本拠地、愛媛ではほとんど渡部でわたなべです。
渡部をわたべと呼ぶ人は、ほとんどいません。
逆に、「渡辺」の方が少ないですよ。
わたなべは、わたりべで、日本中に散らばっていますね。
海洋一族、移動の一族のようです。
上の自カキコではあんまり味気ないので、つらつら書きたいと思います。

まずは、水軍関係の渡辺ですが、これは「渡り部」の本来の名前の意味とは異なります。
綱の5代後の久というのが九州松浦に下向し、そこで一族が成長する過程で水上武士団化=水軍化したというのが松浦水軍,渡辺水軍のプロフィールです。つまり、海上の民=渡り部⇒渡辺ではないわけです。
もちろん渡辺の傍流としての渡部は確かに存在しますが、本来的な「渡部」の意味は「海を渡ってきた者」です。
つまりは、渡来系の家に付けた姓なのです。
古来、日本では海上の民は「海部」(あまべ)と称されます。

上できみさんがちょっと触れてらっしゃいますが、渡辺の発祥は地名によるものです。
源綱は生まれる前後に両親を相次いで亡くしました。そこで摂津の清和源氏が引き取り、清和源氏嫡男の姉か妹を嫁がせ綱を血族としました。
このとき、綱が所領として得たのが大阪の坐摩神社付近でした。ここは淀川の渡しがあった為、「渡しの辺り」即ち、「渡辺」と呼ばれていました。
武士は源氏、平氏といった「氏」のほかに、在地を苗字として名乗ります。これに従い、綱は渡辺を姓とし、渡辺綱となりました。
これが、我々の家の成立物語です。
追記
何度もすんません(^^;

上の、ひらりさんの家紋ですが、ちょっと文章から想像するのが難しいのですが、それが「梶の葉」なら、松浦水軍系の渡辺さんと思われます。
渡辺久という人が松浦に領地を持ったとき、「梶山」というところに城を築いたので、地名にちなみ「梶の葉」を家紋にしました。
その子孫はやたらめったら多く居て、家紋のバリエーションも多くありますから、梶の葉+渡辺星というパターンは大いに有り得るんじゃないでしょうか。
鎌倉幕府の記録・吾妻鏡では、わたなべとうの事を、渡部黨(渡部党)と記録。摂津渡部の渡部党が義経と行動を共にし、壇の浦まで参戦。ために、当時を語る学術書も摂津渡部の渡部党と記す場合が多い。
頼朝や義経、東国武士たちは、渡部をわたなべと自然に呼んでいたようだ。

片や、文学の平家物語では同じ人物を、渡辺党と描く。
幕府の記録は渡部党と書き、文学の方は渡辺党と書く。

一般の人は、混乱しますわね、頼朝さん。
どちらも、団子三つに、タクワン一個だから、無理もないか。
>ひらりさん
うっ
初めて見ましたっ
正直言って梶の葉かどうかわからないですが、ネットでざっと家紋を見渡すと、一番近いのは梶の葉って気はしますね。。。
でも、カッコよくてウラヤマシイw

>一さん
「党」は同一根拠地を持つ武士集団のユニット名なので、苗字=「○○党」ではないですよね。
とは言え、地名由来だとしても「渡部」という地名があるわけではなく、また渡辺家のもともとの職業が水軍関係ではなく、滝口武士=皇帝警護武士であることから考えると、「渡辺」と「渡部」はイコールに出来ないので、ただ単に記述が不正確なだけがしますね。
吾妻鏡なんて、公式記録と言われながら、頼朝の死亡記事もないような書物ですし、記述者の強い主観が響いてるんでしょう。
そもそも「党」というのは中央政府に従わない武士集団を蔑んで呼ぶ名ですから、話の筋から言っても表現がおかしいですよね。

しかし、頼朝の先祖と綱は義理の兄弟で、その上、頼朝の持つ源氏嫡男の宝刀=「鬚切」の最初の持ち主も綱なんですけどね。ひっどい扱いw
はじめまして。
私が十歳の頃に自分の一族のルーツを曾祖母から聞きました。
ちなみに、私の家の家紋は、家紋の本に書いてある渡辺星が○で囲まれているやつなんですが、これって分家かなんかなんですか?
知っている人は教えて下さい。
はじめまして。大阪在住、宮崎出身の「渡邊」です。代々薩摩藩の支藩、都城で郷士だったみたいです。うちの先祖の一番古いお墓は享保8年とあるので、300年くらいは都城に住み着いていたことになります。その前はどこにいたんでしょうかねぇ。その昔、山口辺りから九州に渡ってきた、という話もあるんですが詳しいことはわかりません。
家紋は「丸に三星一文字(渡辺星)」。何処かの庶流かな。本流はやっぱり渡辺星なんでしょうね。自分の家のルーツを探るのは結構興味深いです。よろしくお願いします。
初めまして。
 福岡在住の者です。父方のご先祖は、嵯峨源氏の渡辺綱だと聞いております。(ちなみに旧姓は小田部といいます。)
 渡辺綱と言えば四天王で有名ですよね。御伽草子にある茨木童子の伝説等。とにかく剛勇であった様です。 
 ちなみに母方のご先祖は清和源氏の源新羅三郎義光という事で、とにかく源氏に関しては並々ならぬ思い入れがあります。

 まさかこの様なコミュに出会えるとは夢にも思っておりませんでした。やはりネット時代ってスゴいですね。^^
 どうぞ宜しくお願い致します。
初めまして
私は金平ですが
太平洋戦争中に大阪から石川の金沢に引っ越してきたそうです
そして金沢にあります菩提寺の和尚さんによると私の先祖は渡辺綱だそうです。
ふと渡辺綱コミュニティがあるかなと検索しましたらあってびっくりです。
大分の渡辺です☆

ウチの家紋がコレと全く同じです♪
渡辺綱の子孫です。どうも。
源氏ですよね。
私は旧姓「渡邊」でした。
父方の親戚は明治初期には秋田に在住していたようですが、
それ以前は不明です。
父曰く、古くは豪族だったとのことですが…。
家紋は三星一文字。渡辺星(丸なし)です。
一度、秋田に行って辿ってみたいです。
ルーツがわかったからどうというものでもないですけどね(笑)

初めまして。
祖父が先祖は渡辺綱だと言ってました。 適当に言ってるのかと思いきや家紋がピッタリ一緒でビックリです!
ただ… みなさんと違い名字が渡辺ではなく、「綱」ですが… 家紋同じだから、きっと繋がってますよね…?
わーい(嬉しい顔)はじめまして(^。^)
大阪で生まれ育った、渡辺です。

父親は広島の内海町で生まれました。
この地の事を知ってる人がいればいろいろ教えて下さい。。 手(チョキ)
 全国に(とくに西日本に)渡辺姓が多いのは、渡辺氏が滝口武者の一族で、天皇即位の重要な儀式であった大阪湾住之江浜で行われた浄めの儀式の八十嶋祭に奉仕し、その関係から瀬戸内の海人や水軍の棟梁となり、畿内(近畿、関西)から九州にかけての地域に配下の郎党を持ち、その郎党たちが渡辺党の水軍を形成し、彼らが渡辺党ということから渡辺と名のったことによるといわれています。その意味では、嵯峨源氏の源融の玄孫の源綱(渡辺綱)を祖とする渡辺氏の子孫は少なく、大半は、渡辺氏の配下だったというのが実情でしょう。とはいえ、先祖は渡辺綱を祖とする渡辺氏を棟梁とする渡辺党の一員だったという先祖伝承は大切にしましょう。
 渡辺氏の最大の支流は、渡辺綱の孫の渡辺久(松浦久)を祖とする九州の松浦氏であり、やはり水軍で知られる松浦党です。源平合戦の際、渡辺党は源家側の水軍となり、松浦党は平家側の水軍であり、渡辺氏の本流と支流は源平に分かれていたことになります。ところが壇ノ浦の合戦の最終局面おいて松浦党は源家側に寝返り、平家は水軍を失い滅びてしまいます。
 渡辺氏は、源頼光の四天王筆頭だった渡辺綱以来、清和源氏の中の摂津源氏(現在の兵庫県川西市多田を本拠地とした源氏)の配下にあり、源三位こと源頼政の主要兵力でもありました。鎌倉幕府を開いた源頼朝は清和源氏の中の河内源氏(現在の大阪府羽曳野市壺井を本拠地とした源氏)の流れを汲み、父の源義朝以来の鎌倉を本拠地としますが、渡辺氏は摂津(大阪)を本拠地とし、滝口と大江御厨の荘官を継承していました。鎌倉時代の武家の本拠地となった鎌倉ではなく先祖伝来の摂津で滝口を継承したことが、渡辺氏を中央の主要な武家とはせず、地方の武士へと変貌させたといえるかもしれません。渡辺氏が有名な割に、鎌倉時代以降、歴史の上において聞かれなくなったのはそのためといえます。
 渡辺氏の支流の松浦氏は、支流でありながら実は、渡辺氏の主流だったともいえます。というのも綱の父の源宛が関東に下り、箕田宛と名のって以来、嫡子には「源次」という通称が付けられています。箕田宛は箕田源次宛であり、その嫡子の渡辺綱は渡辺源次綱です。綱の子の授(奈古屋授)の子が松浦氏の祖とされる松浦久ですが、彼は渡辺源次久と名のっています。つまり渡辺氏の嫡流が松浦氏の祖となり、そして久の子の安が渡辺安を名のり、その後の渡辺氏の祖となり、安の弟の直が松浦直を名のり、その後の松浦氏の祖になります。その意味では、松浦久以降では、松浦氏が本流で、渡辺氏は松浦氏の別流といえるかもしれません。そしてこの松浦氏は元寇の際、元軍の侵攻路だった玄界灘の正面におり、松浦一族の佐志氏(松浦直の弟の佐志調が祖)や山代氏(松浦直の六男の山代囲が祖)が奮闘しています。
 松浦氏は、松浦直の嫡男の松浦清の子孫が本流となり、松浦直の五男の峯披(峰披)の子孫が別流となり、戦国時代に別流の峯披の子孫の松浦氏が、松浦隆信の代に本流の松浦氏を凌駕し、松浦氏の惣領氏となります(平戸松浦氏)。
 徳川家康に仕え、近世大名家となった渡辺氏は、渡辺安の子の渡辺伝の8代後の渡辺俊忠を祖としています。
 渡辺氏の子孫は、この他にも、毛利氏や豊臣氏の配下におり、また渡辺氏発祥地の大阪市にある渡辺氏所縁の座摩神社の宮司は現在も渡辺綱の子孫が継いでおり、大阪の北の繁華街の梅田にある源融所縁の太融寺の近くにある露天満宮(近松の曽根崎心中の舞台として知られ、通称の「お初天神」が有名)の宮司もまた渡辺氏の子孫が勤めています。
初めまして。

僕の母親の先祖が渡辺綱です。
その名残で小さい頃から蛇は守り神だと聞かされてました。
それとよく分かりませんが、蛇が来るから煙突を家に付けてはいけないともよく言ってました。

守り神なのになんでですかね?あせあせ
はじめまして。横浜在住の渡邉です。
「邉」は、白+ワ+ハ+口+之(点一つ)です。

父方の実家は東京にあるのですが、
親戚などの話によると、先祖は水戸藩に仕える武士だったとか。
一口に武士っていってもピンキリなんでしょうけどね^^;

また、現在仕事場が静岡県の東部なのですが、
こちらも渡辺さんが多いような気がします。
会社で一番多い苗字も渡辺さんなんじゃないかな・・。
はじめまして。

岡山からおじゃまします。

もう亡くなってしまった祖父から、
小さい時から聞かされていた話では...

ウチの家系は、大阪から分家として分かれて来たと聞いてます。
そしてその時に、家紋の○を
隅切り角に替えて、現在に至るとか...。

珍しい家紋だったから、
ドコからか調べにも来てたらしいです。

祖父の本家の、そのまた本家に行けば、
家系図も残ってるハズだと聞きました。

祖父の家にあった家系図は、
高梁川の大水の時に流れてしまったそうです。

祖父に、大阪から分かれてきてからの活躍ぶりを聞いたのですが、
水攻めの時にも活躍したとか何とか...
当時の私は小さかったため、よく覚えてません。

今から思えば、もう少し良く聞いて、
一緒にルーツを調べてみても良かったなぁ〜と思います。

いまじゃ、祖父も亡くなってるし、
縁の深い人たちも亡くなってるし、
調べようも無いのが、残念ですね。


皆さん!!はじめまして(~o~)

大阪の渡辺です。。

生まれも育ちもここです。。わーい(嬉しい顔)

よろしくね〜〜〜指でOK
はじめまして!!
祖父に、
先祖が渡辺綱で、彼が鬼退治をしたからうちは豆まきしなくていいんだ
と言われて育ちました埼玉在住です。
祖父母の実家は新潟なので、親戚(豆まきをしなくていい人達)はみんなそっちです。
初めましてm(__)m

家紋がおんなじの見付けたので入りました電球
先祖も渡辺綱だと聞いていて、出身が…ちと忘れましたが、祖先が渡辺綱だと渡辺村の出身らしいとも聞きました。
現在は渡辺村はありませんたらーっ(汗)
近い先祖は伊達藩に居て、屯田兵として新天地を求めた藩士達と北海道に来たと言われてます電球
でも実際はどうなのかはわかりませんがね。

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