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隠れ一般人コミュの隠れ一般人は唖だった

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 隠れ一般人は唖(おし)だった。
 なぜ、コミュニティが必要かということ。(コミュニティは隠れ一般人の概念)
 「この人は隠れ一般人である」が、その人への理解の第一歩となる。


 隠れ一般人は唖だったから、誰にも教わることが出来なかった。自分が理解している範囲も伝えられなかった。
 隠れ一般人へ教えようとした大人も、みな理解度自体低く、隠れ一般人よりも分かっていなかった。
 隠れ一般人がしゃべれるようになるまでに時間がかかったから、人は隠れ一般人に教え続けたが、正しい教え方だとは思わなかった。そもそも隠れ一般人には最初から理解できていたので、理解できない人の気持ちも分からない。隠れ一般人が、ものを教えることは不可能となった。

 そういうわけで隠れ一般人の説明は無理だし、無駄だと思う。出来ている人がいるとも思えない。『ネコでも分かる隠れ一般人』と題しても、ネコとは、隠れ一般人のこととなる。
 結局は、それを何度も学んでいる人にとっては分かりやすくなるというだけで、教えるとは、問題を体験させる、再認識させることでしかない。その体験のたびに、彼らはただ分かりやすくなっているのであって、本質ははじめから分かっている。
 単純に自分への理解が深まっていることに、分かりやすさなどはない。それこそがよっぽどの深部であることには気づかないだろう。すべて分かっていたが、しゃべることが出来なかった。
 分かりやすさとは、そう感じたものが今後教える上で、同じことを復唱できるだけ。復唱しやすいというだけの話ではないか。

 隠れ一般人は怖くなかったのに、恐怖も植えつけられた。同時に何も感じなかった心が動いたのである。隠れ一般人の体に血が巡り、今度は隠れ一般人の考えを日本語に変えることが出来た。それは分かりやすいものでもなければ、常識の再認識でもない。人は再認識でしか理解を深められないので、非常識への対応力は少なく、慣れていなければなおさら少ない。

 例えばこれが、意見が食い違ったときに何度も再認識させられる隠れ一般人の理解だが、食い違うたびに教えたい。ただ、食い違うたびこの話になると、議論は進まないのだが。このタイトルがすでに暗示していること。

 隠れ一般人の会話には、前置きが欠かせない。再認識してもらうためである。だから一度目は分からなくても良い。前置きについても、理解がなければ、再認識にはならないが。それはつまり、見ていない。
 隠れ一般人をはじめて見たのであれば、今後、彼らの再認識がやがて深まることと信じて。

 コミュニティが必要と思う。

コメント(1)

『エチカ』スピノザ  第一部[……] 四 属性とは、知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの、と解する。

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