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隠れ一般人コミュの建設的な相談はありえない

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 人と人との会話とはいったい何か? 何が建設的であるのかを「難しすぎる会話の展開」と称して、科学したいと思います。長いですが、良く読んでいただければ、隠れ一般人とは何かが分かると思います。あれこれ複雑に考えているようで、結局その思考は一般人であったというところに回帰します。
 この補足は馬鹿のために入れておきます。


「難しすぎる会話の展開」 

 話をあわせたらあわせたで良く分からない展開になったりする。自分は話をこじらせやすいタイプだと自覚はしているが、本当に思いもよらないところでそうなることがある。

 また、このようなことを相談として持ちかけても、結構な人が、こじ付けといっても良いような方法で、僕が悪かったのではないかという推測にもっていこうとする。ここで同意がえられないので、これは単に僕が良い悪いというわけではなく、みんなが僕を嫌っているだけではないのか? という結論しか出せなくなってしまう。


 その例をひとつ紹介いたしますと、次のような会話を稀によく体験することがございます。お互いにウフフ、アハハと微笑みあっているような会話の関係の、思いもよらぬことがきっかけとなって、これはまさに順風満帆にのって弾んでいた会話が、嵐を呼び、逆風に波をあおっては、船を転覆させようとするような惨事へと発展してしまうのです。
 その女性との会話の中の一例でございます。 (※彼女とは、お付き合いをしていた関係ではありません)


 箸が転んでもおかしいといった少女とはこんな子のことでありましょうか。彼女は私との会話の最中ではいつも良く笑っていましたし、私が気持ちよく話をすることが出来たのは、彼女のおかげでもありました。彼女との時間は、建設的であるかないかは別にしてもとても心地のよいもので、こんな関係が築けるなんて、私はなんと人運に恵まれていたのかと思うほどでした。それぐらい彼女は魅力的でいて、恋愛対象になるかとか、好きか嫌いかという枠を超えた存在になりつつありました。
 それは、彼女が私を含めおそらくは万人に対して、聖母のような気づかいを、いつもいつも心がけていることが背景にあるに違いありません。彼女と話すときの安心感や、彼女が過剰に見せている笑顔によって作り出される雰囲気といえば、それはもういつまで見ていても飽きのこないもので、ずっと一緒にいても良いと思わせるものでした。
 そして、私と彼女が会話を交わす仲では、彼女はもうずーっと笑いっぱなしの時だってあるのです。
 そんな彼女のことをこれから良く知っていこうという中で、特に彼女の笑い上戸が顕著に表れた時のことでした。
 普段何を言ってもニコニコと笑顔を見せてくれる彼女でしたので、いくらか慣れっ子になってしまっていた私ですが、彼女はまた濁流が滝つぼに絶えず吸い込まれ続けるように渦を巻いて笑うのでした。
 しかし、慣れっことはいえども、一概にいつも、どのような理由で彼女が笑っているのかは理解しきれないところもあるものです。そのことを聞き出そうというわけではもちろんありませんが、単に純粋な会話の流れとして、彼女から真意を聞きだそうという目的でもなく、何ととなしに私は心境をあらわにしました。

「何でこんなに笑ってるんだろう〜、何かあったのかな。」

 私は彼女があまりにも笑うので、自然とつられて笑顔になった表情のまま、彼女に聞いていたと思います。そのような経験も誰しもあるものでしょう。そう言葉に出しますと彼女もまた少し微笑みながら、うつむき気味にしますので、その顔が少し照れているかのようにも見えました。
 「ヤマナカさんが面白いので。」
 と仰います。
 僕はそーなのかなーとも思いながらも。まんざらさらに良い関係を構築できた手ごたえを感じつつも、笑顔のまま
 「〇〇さんの方が面白いですよ。」
 とお返しいたしました。そこに一切の悪意もなく、それがその場のムードに適当なのではないかと思って言うのですが。直後に彼女が豹変したりするのです。
 今までうつむいて、笑っていた彼女の顔つきが、キリっと引き締まって、目も今までの笑顔からはガラリと変わったようにつりあがり
 「それ、どういう意味なんですか?」
 と強い口調で言うのです。私はいったいその間に何があったのかが分からず(あったといえば、紛れもなく私の返答でしかないのですけど)、どうしても戸惑いを隠せなくなってしまいます。
 いったいどこから解決すればいいのか。また、彼女に何か誤解されてしまったところがあるのなら、それが何か。とにかく温かい言葉を探して、落ち着けさせてあげたほうがいいのかなどと、頭はますます混乱してゆくばかりです。
 結局、私の気持ちにゆとりがなくなってしまうことを、唯一の反省点にする以外には一人で振り返ることも出来ず、どうしようもなく、この話を誰に相談してもダメになってしまいます。

 ここからは第二の本題となって話は変わるのかも知れません。私が、上記のような出来事を他人に相談する場合に、いつも相談相手は私が断固として悪かった可能性を模索しようとするのです。例えば、この話に一切でてこなかった可能性を提示され、あなたが悪かったのだと言って、話を終わらせるような。
 もっと極端に、具体的にどのようなことかといいますと、あなたがコップを倒して、彼女の服を水浸しにしたのに、謝らなかったからではないか? というような推察を立てられ、それだったら、あなたがズバリ悪いですよ。というように、一切私が話をしたことがない推察と、早め早めに検討を打ち切って結論を出してしまおうというような杜撰<<ズサン>>なやり方で対応されてしまうのです。

 つまり、これをどう捕らえても、その相談相手にとって、私は嫌な存在であったのだ。私は彼に嫌われていたのだ、という結論にしかならないのです。そんな二次的三次的な被害を生み続け、今は第何次災害なのだというような渦中に身を落ち着けているところです。
 この堂々巡りの中には、いつも議論は存在し、絶えず新しい渦を作り、私を中へ中へと連れ去ろうとするのです。

 私が、一番最初の前置きをする時には、二次災害の二次災害話を付け加えなければならず、そうしなければ二次災害を引き起こし、二次災害の話には、さらに同じような補足をしなければ三次災害が生まれてしまうようになったのです。

 相談ということが、もしも建設的な方法であるとするのなら、どうやって相談を持ちかければいいのか。あるいは、相談相手がそんなに相談を持ちかけられたくはなかったのかなど考えられる要素が多すぎることも問題です。

 しかし、どう考えても相談とは成立しないもの。建設的な相談はありえないのです。それは、自分が話した中に、自分が体験をした事象をすべて含んで話し、その中に原因らしき原因がないともすれば、何か自分自身が気づいていない、また、当時はあったのに忘れている何かについて、相談相手が可能性を見いだすということは必然的にあろうことですが。
 「どうして、そんなに私にとって不利になるような可能性ばかりを無理やり出してくるのか!?」
 という疑問しか出なくなってしまいます。それがよほど検討外れでもあれば、その分だけ怒りは募り、最後には、もういい加減にしろといって席を立つことにもなるでしょう。


 最後にようやくまとめに入るとするならば、自分にはあるひとつの相談事があり、また相談相手との方法論的な相談事も秘めていて、それを掘り下げていけば(?)新たな堂々巡りがそこで始まってしまうことについて、となるでしょうか。
 それに対して、一度にすべての解を出さなければなかなか解決せず、また無限とも思える計算式に、一度に回答を出せる人間などは限られているのか、一般人からかけ離れてしまった俗の人たちにはどうしようもないらしいのです。

 だから、この難しすぎる会話の展開を一通りきいて、それにすべて、一気に解決を導くような相談相手の一言が欲しいのです。
 つまり、私が求めているものは真の解決策などではなく、単なる同意であり、共感なのでありましょう。
 「あー、それ分かるかも。」
 と、温度差がいくらあってもいい。熱くなっている私を見守るように、ただ微笑みを浮かべながら、うなずいていて欲しいだけなのです。

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