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言語学コミュの格助詞「が」の短絡的使用について

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テレビのニュースで、

スーパーやコンビニが営業を停止していましたが、「営業が再開しました」とアナウンサーが言いました。

これに対し、文法的に正しいのかという疑問が出されました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13195798163

この疑問は時折り出されますが、これまで正しい理解がされていないと思います。これに対する回答をしましたので、もう少し内容を具体的に記し、ご意見を伺えればと考えます。

まず、この表現の何が疑問に思えるのかを明確にしたいと思います。

「営業が再開しました」は正しく表現すれば、「営業が再開されました」となります。主語を明確にすれば、「スーパーが営業を再開しました。」「スーパーの営業が再開されました。」で、受身にするか、「営業」は目的格でなければなりません。これを、動詞の自他の問題にすり替える回答もありましたが、正しい理解とはいえません。「営業が」とすると営業が主格になりながら、「再開された」ではなく、「再開した」と動作主の表現で能動態になっている点が疑問になるということです。
これを動詞の自他の問題とする回答もありますが、問題を正しく理解した回答ではありません。

これは、日常使用する、

水が飲みたい。(水を飲みたい。)
課長がなぐりたい。(課長をなぐりたい。)
頭がかゆい。(頭の表皮がかゆい。)

と同じ表現です。広く使用されている以上、簡単に誤用と決めつけるわけにはいかず、これがどのような表現過程となっているのかを明らかにしなければなりません。

この論理構造を明らかにしたのが、三浦つとむによる認識と言語の理論で、この解明に基づき以下に説明します。

()内に記した「水【を】飲みたい。」であれば、他動の目的であり、そこに目的を実現する過程があるという構造を「を」によって示しています。けれど、過程を短絡し、媒介関係にあるものを直接的なものとして扱うことは、日常の思考の習慣になっています。助詞「は」を使用し、

砂糖は甘い。
塩は辛い。
これはいい味だ。
テレビは主婦の娯楽だ。

などと表現するのも、やはり過程の短絡です。砂糖や塩がわれわれに甘いとか辛いとかいう感覚を与える媒介関係を、直接的に砂糖や塩が甘かったり辛かったりするもののように属性扱いしているし、食べ物やテレビがわれわれに味覚や楽しみを与える媒介関係を、直接的に食べ物が味であったりテレビが娯楽であったりするもののように属性扱いしています。「水が飲みたい。」や「足が痛い」も、やはり対象からの媒介関係を短絡して属性扱いしているものです。

「営業が再開しました」も本来、使役、受身という関係を直接性に短絡した表現です。そして、格助詞「が」により目的格を強調しています。

こうした短絡も、日常生活においては単純化された発想としてそれなりに有用性があるため、これらの表現が生まれたもので、論理的、文法的に考えれば不適切ですがそれなりに受け入れられているものです。

国語学者の時枝誠記はこれを対象格の「が」と名付けましたが、この名称は話し手・書き手の対象の扱いかたではなく、その表現の場合の対象の客観的な論理構造をとりあげるところに生まれたものです。客観的な論理構造からすれば「が」でなく、「を」を使用し、「水を飲みたい」と表現した場合でも、「水」は対象語と呼ばれなければなりません。問題は、「水」にではなく「が」にあるので、この場合は格助詞「が」の短絡的使用と呼ぶべきものです。

「営業が再開しました」の「が」も、目的格と主格を短絡した、格助詞「が」の短絡的使用ということになります。

さらに、テロップ等では「営業が再開」などと省略され、体言止めで表現される場合がありますが、これはやはり誤りで、正しくは「営業が再開された」とすべきものです。この点に関しては、下記の回答を参照下さい。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12192118727

このように、対象の構造と、話者の認識の過程を正しくとらえないと言語現象は正しく理解できないことが理解いただけるのではないかと考えますがいかがでしょうか。

参考
三浦つとむ『日本語の文法』(勁草書房:1957.7) 302p〜303p
時枝誠記『国語学原論 下』(岩波文庫:2007.4) 76p〜78p■

コメント(2)

(「が」か「を」か──「本が読める」か「本を読める」か)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2998.html

では、

>> ヲを使う例がふえてきたのには、それなりの理由があるはずです。

としながら、何ら理由に触れることができていません。話者の認識と対象との関係を正しく捉えない限り理由を明らかにすることはできず、単に現象を並べる他ないことになります。■

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