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北京波の新世紀映画水路コミュの小津安二郎作品『 一人息子 』The Only Son 

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★芥川龍之介の『侏儒の言葉』は昭和2年文藝春秋社から刊行された。

実はこの間から引きずり込まれるように読み耽っていて、白状すると読むのは初めてである。

しかし、この直言集とも言うべき書物は凄い。文学者というのは、これほどに事象を凝視して本質を見抜くものなのだ。

吃驚したのは“親子”という章に出てくる言葉である。「人生の悲劇の第一幕は親子となったことにはじまつている」とある。

この文章を目にして、これは小津安二郎の『一人息子』の冒頭にでてくる言葉と同じではないかと思い出し、忙しいのに急遽DVDをチェックしたら果たしてそうであった。

★『一人息子』は1936年作品。

小津のトーキー第1作である。

親が子に期待し、子はその期待に応えられなかったことを描いたものである。そういう辛さと、それでも親は諦めたとしても子を赦してしまう生き物だという感動がテーマである。

実のところ、あらゆる小津作品のなかでいちばんペシミスティックなものであると思う。

★大不況のなか、信州の生糸紡績工場の女工だった飯田蝶子は一人息子を後家の踏ん張りで育てていた。尋常小学校を卒業する時期となり、これで奉公に出して親の役目も少しは果たせてほっとできると思っていたら、勉強のできる息子は経済状態もわかっているはずなのに担任の笠 智衆に中学にやって貰えると独断で言ってしまう。

笠先生の家庭訪問を突然受けた飯田は最初は戸惑い怒りもするが、先生もあんなに言ってくれるのだからと、なけなしの夫の遺産も売り尽くし中学を出す。

東京に出た息子は市役所に勤めていて出世街道を歩んでいると思っていた飯田が息子を訪ねるのだが、いざ来てみると息子は薄給の夜学の教師をしており、知らないうちに結婚もしていて、暮らしぶりは一目で理解できた。

★『東京物語』と同じく、田舎に住んでいて都会に出た子供を誇らしく思っている親の期待は現実の厳しさにうち砕かれる。

夜学の同僚から金を借りるシーンで、10円の金がひとりでは借りられず5円ずつ二人から借りねばならないほど、薄給なのである。とくに二人目の初老の同僚は借金の申し出を無視し「一割の利子をつける」というまで目を合わせもしない。

それで息子が母親に買ってきたのは枕と今川焼である。「ここの(今川焼)はアンコが違うんですよ」と言う息子の表情は襖の陰に置き、小津は画面からはずしている。

この手法は山田洋次も好んでやっている方法で、画面からオフさせて音声のみにすることで彼が気さくかもしれないが純然たる小市民であることを際立たせていく効果がある。

★息子は飯田を東京見物に連れ出し、トーキーの映画を見せたり、バスに乗せたりとなけなしの金で歓待する。しかし失望の念が飯田の胸のなかで湧き起こってくるのを抑えられない。

中学に行かせるきっかけをつくった笠 先生が東京にいると聞き息子と訪ねてみると、場末の流行らないとんかつ屋の主人になっていて、あの若く溌剌とした先生の面影は消え去っている。

話が違うじゃないか、という感情は観客の誰もが思うだろう。

(この展開は遺作である『秋刀魚の味』での恩師・東野英治郎にも後年受け継がれている。)

金もなくなり、行くところもなくなって訪ねた東京湾の埋立地で飯田の感情は爆発し、息子も親の期待に応えられなかったことがつらく打ちひしがれる。

小津はラストに、たまたま馬に蹴られて入院することになった貧しい母子を登場させる。

息子は蹴られた子を病院まで運び、余裕もクソもないはずなのに、金まで渡してやる。このお人好しぶりに、飯田は日守が“人間的には優しい”という諦観に無理やりたどり着かせて傷心のまま田舎に帰っていく。

★『東京物語』での山村 聰・杉村春子の子供たちが実に冷淡に親を捨てていることに較べると、『一人息子』の日守新一は生活力がないが暖かい。

親は実は捨てられたのだとしても子が成功していれば納得させて自分を抑制させる生き物であるのかもしれず、優しくても子が社会的に恵まれぬ現実に喘いでいることは、親にとっては残酷極まりないことではないか。もっともペシミスティックな映画だと呼ぶ所以はここにある。(★★★★☆)

★古い映画を見て気付くことはいろいろだが、この映画では馬に蹴られた子の母親に扮するのが吉川満子である。

生活に苦しい境遇であることは一目瞭然。来ている着物の崩し方が凄い。恐らく、今ならここまで崩せはしないだろう。

着物はいまや滅び行く民族衣装の面持ちであり、着たきりすずめの家庭ではお洒落などとは無関係なただの衣服となる。なりふり構わぬときにはこれほどに崩れるとは、現在の人間には予想もつかないことだからである。

あの言葉が芥川の著作から引用されていたことはずっと忘れていた。芥川はこうも書いている。

「子供に対する母親の愛は最も利己心のない愛である。が、利己心のない愛は必ずしも子供の養育に最も適したものではない。この愛の子供に与える影響は少なくとも影響の大半は暴君にするか、弱者にするかである」と。

これには、耳が痛い。

「女は常に好人物を夫に持ちたがるものではない。しかし男は常に友だちに持ちたがるものである。」

「好人物は何よりも先に天上の神に似たものである。第一に歓喜を語るのに好い。第二に不平を訴えるのに好い。第三に・ゐてもゐないでも好い」

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