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北京波の新世紀映画水路コミュの第3回「ロケ地探訪ツアー」江東・深川スペシャル(2)

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で、『風の中の牝鶏』でのロケ地なのであるが、佐野周二が彷徨いあるくシーンの背景にあるのが【 勝鬨橋 】である。

中央区にある当時は東洋一の跳開橋といわれた有名な橋だが交通事情が悠長なことを赦してくれないようになり、1970年を最後に開閉は中止、固定されたという。

佐野周二が乗る市電が走っているのが【 相生橋 】である。

また【 江東区の砂町あたり 】というと小津作品にあっては・・・
《★3・4・5》『出来ごころ』『東京の宿』『一人息子』の戦前の3作品、そして戦後の『風の中の牝鶏』と4回も画面に登場する風景がある。

それが砂町のガス・タンクである。流石にいまはないが、地元で生まれ育った小津にとって愛着も、また単なる風景でなく暗喩にできる風景であったのだろう。

また深川と上野浅草は門外漢には遠く離れている土地だと考えられがちだが、よく考えると隅田川の流れを通して案外に近く結ばれている。

小津が戦後初めて撮影した『風の中の牝鶏』が小津最後の今日性を持った作品で、以後の小津が日本人の精神美に着目抽出した前衛素描作品に突き進んだことは興味深い。

《★6》『忍ぶ川』冒頭シーンはいまや消失した都電が揺れて、吊革が左右にカチャッカチャッと音を立てながら走っている。

そこに「深川にあんな新しい建物が!」という志乃(栗原小巻)のセリフが被さる。

太田六敏の抜群の録音が冴え渡るカットである。

志乃はつい口に出した無作法を恥じて「あら、なんだか私、田舎者みたいですわね」と照れ隠しに言う。

二人は都電に乗って【 東陽公園前 】で下車し、【 永代橋 】を渡る。

大正15年に完成したというこの橋は、いまもなお深川への玄関口である。

この映画には哲郎(加藤剛)の出奔する兄(井川比佐志)が木場の貯木場で勤めていた関係で、学生時代の哲郎が貯木池を何度も訪れる。

もはや貯木池はひとつも残っていない。(尤も完成した映画の貯木場は木場ではなく、猿江町にあった国営貯木場にて撮影されたということである)

また、この二人の逢引における名シーンのひとつに、木場を歩いていた哲郎の目に何かが入って立ち止まるものがある。

そのときの志乃のセリフ「木場の風の中には目に見えない木の粉がたくさん溶け込んでいて、慣れない人の目にしみるんですって」・・・こういうのが文学なんだよねぇ。

このセリフが語られるのは昭和52年に消失した鶴島橋。

『忍ぶ川』という映画は熊井啓監督の命懸けの献身があってこそ出来上がった傑作であるが、こういう失われた風景を見ていると、映画には文化を刻み付ける役割があるのだと痛感する実例であろう。

また貯木場が出て有名な映画に・・・
《★7》『青春残酷物語』がある。

大島渚の松竹ヌーベル・バーグのデビュー2作目の映画。メーデーのデモ行進の喧噪を尻目に川津祐介と桑野みゆきはモーター・ボートで水に浮かぶ貯木の上に上陸する。

なんとこの場所は、現在のお台場である。木材及びその関連企業は江東の代表的地場産業で江戸時代から300年の歴史がある。

現在殆どの貯木・製材は新・木場で行われている。

《★8・9》『稲妻』『流れる』では【 深川不動 】が登場する。映像の深川不動は都会化の波に飲み込まれるまえの風情ある風景が見られる。

というのも現在の深川不動の真上に近い背景には無粋な高速道路が走っているからだ。

下町を描いた成瀬巳喜男作品ばかりではなく、この深川を舞台にしたやくざ映画も少なくない。

新東宝の石井輝男監督《★10》『女王蜂と大学の竜』・・・親分の嵐寛寿郎が拉致されてきて橋のたもとの電信柱に鉄条網でぐるぐる巻きにされたのは、この映画ではなかったか?

古い深川の水路と倉庫街の風景を見ることができる。

木場そのものの衰退が近くの色街である【 州崎遊郭 】の衰退に繋がった。

それが、吉原がソープ街として平成の世にも生き延びたことにくらべると、ロケーションとして完全に州崎は色街の幕を閉じた。

《★11》『州崎パラダイス・赤信号』はその名もずばり州崎遊郭の橋のたもとにある飲み屋を舞台にした世話物の傑作だ。この州崎川は現在埋め立てられたため(昭和55年)に映画の中でしか偲ぶ術がない。

《★12》『忍ぶ川』でも木場を訪れた哲郎と志乃が、志乃が育ったという州崎遊郭を訪れる。

志乃が案内する州崎橋の入り口にあるネオンを見て「パラダイス・・・私、何だか厭ですわ」と口に出す。

そして二人の日傘に向けて噛みかけのガムが投げつけられる。

ふたりを妬っかんだ行為である。ふたりでかき氷屋に入り、志乃は「昔のお女郎さんはあんなじゃなかった。いまの若いひとは見ていて冷や冷やします。こういってはなんですけど、中途半端な玄人って、たまらなくいやらしいものなんです。」と呟く。

志乃は州崎遊郭の射的屋の娘なのである。

「たんとご覧になってください。私は廓の射的屋の娘なんです」・・・自分の出自を包み隠さず告白することで哲郎との付き合うことの覚悟を示す印象的な場面であった。

《★13》今井正の『純愛物語』は1958年の江東は【 高橋商店街周辺 】が登場する。

原爆症の少女と少年の不器用な純愛を描いた作品で、今井正が『米』と『純愛物語』でキネ旬の1位・2位を独占した油の乗り切っていた頃の映画。

この高橋地区に昔たくさんあったという簡易旅館(ドヤのようなもの)が画面に確認できる。

また川口松太郎原作の新派の名狂言・・・
《★14》『風流深川唄』もこの深川、【 富岡八幡宮 】〜【 門前仲町 】、木場の情緒たっぷりの夏祭り風景を描いて印象的だ。

美空ひばり、鶴田浩二のスター映画だが、演出にあたったのが俳優の山村聰。

東大出身のインテリ俳優だが、監督としてもなかなかの手腕を見せた。有名なのは下山国鉄総裁の失踪事件を追った『黒い潮』や小林多喜二原作のプロレタリア映画『蟹工船』だが、この『風流深川唄』や由紀しげ子原作の『沙羅の花の峠』などを見ていると硬質なれども娯楽作品も巧い職人芸を見せている。

また同じ江東でも亀戸が出て来るのが内田吐夢監督畢生の傑作・・・
《★15》『飢餓海峡』である。

青森の娼家で犬飼多吉(三国連太郎)から恵んでもらった金で上京した杉戸八重(左幸子)は東京立川でオンリーをしている友人を訪ねるが、そこの張り込み中の弓坂刑事(伴淳三郎)を見かけ、犬飼への義理立てからそのまま江東あたりの遊郭へ身を潜める。

映画で見られるのは【 亀戸天神の太鼓橋 】を八重が渡るシーンで、お正月らしく日本髪を結っている。

亀戸天神は毎年1月下旬に鷽(うそ)替えで賑わうところである。(ボクが東京にいたころ、国立の谷保天満宮にて毎年鷽替えを果していたのだが、これは国立在住の敬愛する山口瞳へのファンとしての行動だった)

八重は毎年鷽をもらうだけで替えず、そのまま犬飼多吉に対する思慕・感謝だけを捧げており、遊郭の自分の部屋に溜めた鷽が6羽にもなることに時間の推移と、八重の純朴さを表わした工夫であった。

このあと、ボクたちは築地から佃へと向かうのであった。

(次回は愈々最終回)

思いのほか長い文章にお付き合い戴きましたが、本当に最終回でぇす。

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