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北京波の新世紀映画水路コミュの『単騎、千里を走る』評

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実に不思議な時間が流れている。

このチャン・イーモウ監督の新には、高倉健のいまだかつて出逢ったことのない魅力が溢れていた。

その意味で、もっとも詰まらないのは降旗康男監督が木村大作キャメラマンと組み担当した、日本国内エピソードであったと言わねばならない。

というのは、ここには大スター・高倉健に対して日本映画人が持つ、健さんの歴史への強大なイメージの前に、ひれ伏すかのような敬意。

つまり従来の姿勢で撮られているからであった。

そもそも、ストーリー自体が少し現実離れしているのだ。

いくら辺境の地の人々が、遠来の客に対して、鄙の人々なればこそもてなしの姿勢を示すとは言っても、この映画の展開は現実離れしている。

長年の確執を抱えたまま病に倒れてしまった息子が交わした約束を代わりに果たすため、高田は中国大陸奥地への旅を決意する。民俗学を研究する息子の健一は、舞踏家・李加民の仮面劇「単騎、千里を走る。」を撮影するために中国・雲南省を再訪する約束をしていたのだった。単身訪れた言葉の通じない異郷の地で途方に暮れる高田だったが、息子のためにという一途な思いが、通訳の青年チュー・リンをはじめ現地の人々を次第に動かして行く。(ホーム・ページ)

ではあるが、そんなことは百も承知で映画になっているのだろう。

それほど中国に単身渡っていった親父を演じる高倉健は(大スターとしてではなく人間として敬意を注がれてはいる)、この役柄に殉じる役者としての「素」に立ち返っている。

その表情や演技が目的の作品なのである。

日本国内でのシーンでも、胸に迫る思いはある。

それは寺島しのぶとの1対1の演技であった。

いやでも藤純子を思い出し、健さんが「死んで貰います」の頃の純子よりも歳が上となっている娘・寺島しのぶと情感をこめて対峙するとき、この35年間に蘇るものは小さくなかったのだ。

 健さんのシーンでいちばん驚いたのは、息子が必ず撮影に来るからと約束した仮面劇「単騎、千里を走る」の俳優が刑務所に服役しているために、その彼に面会できる道を開こうと、係の地方官吏に頼むためにビデオを使って訴えるシークエンスである。

この老人はいったい誰なんだ?

この切々として、真情を込めてビデオ・カメラに立ち向かっている老人は誰なんだ!

その実感を伝えるのは至難の業である!

勿論、健さんの50年に亘る娯楽映画への歴史があってこそ燦然と輝く負の演技なのであるが、最後の最後に、こういった映画が用意されたこと、健さんが燃えたことは当然だと思う。

 中国には井戸を掘ってくれた恩人を忘れるなという教えがあるそうだ。

だからこそ、日中国交正常化をした田中角栄への敬意が、彼なきあとも田中真紀子へ伝えられる。

恐らく、健さんのこの25年にわたるアジア映画界への功績を最も感じている映画人がイーモウたちなのであろう。

ここでは、その恩に報いるために、健さんの実年齢では隠しようのない皺や皮膚のむくみ・たるみまでが、物語のテーマを貫くために大写しされるのだが、それでも美しいのである。

このことをやり通した日本映画はまだない。

その意味でも、ボクはイーモウが撮った日本の描写を見たかった。

あたかも作為的なシーンがまったく無いように思わせる演出・・・、それだけでもイーモウは素晴らしかった。

健さんに主演男優賞を上げて欲しいものである。
(★★★☆)

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