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北京波の新世紀映画水路コミュの「紙屋悦子の青春」評

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劇作家・松田正隆が自らの母親の実話を基に書き上げた戯曲を名匠・黒木和雄監督が映画化した戦争ドラマ。
太平洋戦争末期を舞台に、海軍航空隊に所属する2人の若者と、一人の純朴な女性との瑞々しくも切ない恋と友情を静かに見つめる。
出演は、原田知世、永瀬正敏、松岡俊介。なお、黒木監督は本作の公開を控えた2006年4月12日に急逝され、これが遺作となった。
 昭和20年の春、鹿児島の片田舎。両親を失ったばかりの紙屋悦子は、優しい兄夫婦と3人で慎ましい毎日を送っていた。
そんな彼女が秘かに想いを寄せていたのは、兄の後輩で海軍航空隊に所属する明石少尉だった。
ところが悦子に別の男性との縁談が持ち上がる。
相手は明石の親友、永与少尉だった。
それは明石自身も望んでいることだと聞かされ、深く傷つく悦子だったが…。(HPより)



 わずかにセットひとつ、屋外ロケひとつ。それで113分の映画を実質5人の俳優たちで完成させた。黒木和雄監督の遺作となった映画だ。

『TOMORROW/明日』から始まったと思われる黒木監督の戦争への思いを綴った映画も2003年の『美しい夏キリシマ』2004年の『父と暮らせば』に続く本作で文字通りの終焉である。

そして、ボクにとっては、黒木監督の最高作品であるように思われた。

鹿児島県米の津町にある主人公紙屋悦子が兄夫婦と暮らす紙屋家が舞台であるが、1軒の家の中で昭和20年3月30日から、3月31日、4月8日、4月12日とわずかに4日間の出来事を描く作品である。

映画の大いなる機能のひとつである移動撮影やパンなど、映画を円滑にする機能を排して、この4日間の出来事に一生を決定させた人間のお話を描くのである。

それをいいとも、悪いとも、映画は語るわけではない。そうした生き方を選択する心情を否定も肯定もせず、映画はそれを損得勘定を露ほども交えず決断する、そんな生き方があったのだと語るばかりである。

映画とは一言で言うならば、必ず“選択”を描くものである。

そして“選択”につきものの“逡巡”と“苦悩”と、それに表裏一体となっている“歓喜“や”諦観“や”虚無“や”寂莫“を描いていく。それは人生がそのようなものであるからである。

食道がんの手術から20年余、迫り来る死の影を背中に感じながら、おそらく余計な荷物をそぎ落としそぎ落とし、ギリギリのところで黒木監督は完成にこぎつけたに違いない。

このところの黒木作品がそうであるように、この遺作もするどく演劇的な構成になっている。


【 プロローグ 】
現代のとある病院の屋上に、時間を気にせず、ずっと座っている老夫婦。

頑固な主人と従順にしている夫人の会話はいつ終わることなく、あたりが夕暮れの薄暮による薄暮に包まれても続けられる。

この世捨て人のごとき時間の使い方は、人生の流れのなかで、家族や他人のために働きかけてやる「生きる意欲」に翳りを生じた人間のそれである。

70歳代のうちはそれほどでもないが、80歳代になると多くの高齢者が自分のために生きていくだけで精一杯の老人に少しずつ変化していく。

もう少したつと、介護などの第三者のサポートがなければ維持していけなくなる。

あの繰り言のリフレインとも、頑固さの再確認とも思える夫婦の会話・・・、まだこういった会話が交わせるうちはいい。誰もが通っていく道の延長上に、この夫婦はいるのである。

この意味もないと思われる開巻部分は見終わったあとにボディ・ブロゥのように迫ってくることになる。


【 昭和20年3月30日 】
兄と嫂が帰りの遅い悦子を心配している。

これ以上生活に密接した映画があるだろうかと思うほどに、この日の夕餉の食卓を覗き込み、名もない庶民の生活空間である家を描写する。

この帰りが少し遅いというだけで安否を気遣うやりとりは奇異にも思われるが、あとで両親を3月10日の東京大空襲で亡くしたばかりだとわかると理解もできる。

携帯もなく、テレビもない日常では家族の会話そのものが娯楽である。

嫂のふさと悦子は子供の頃からの仲良しで、もう一生傍にいたかったから悦子の兄と添い遂げたという言葉に兄が吃驚仰天するおかしさ。

悦子が帰宅して、夕餉を囲みながら、悦子が思いを寄せていた出水の航空隊の海軍士官で兄の後輩にあたる明石少尉から持ち込まれた縁談があり、突然明日見合いをすることになるのが第1場である。


【 昭和20年3月31日 】
紙屋家にお見合いの相手である永与少尉を親友であり戦友の明石少尉が連れてくる。

約束の13時、しかし誰も居ない。兄が熊本に徴用になったため、ふさも同行したのである。案内を乞うも無人のため、二人は座敷に入り座る。

座卓の上には立派な蠅帳が置かれていて、そこにはせっかくの見合いに何も出すものがないと思案したふさと悦子が備蓄していた小豆を使ったおはぎがふきんをかけられて置かれている。

この蠅帳・・・、据わりのよいようにけやきの土台がついている。

このおはぎは、亡き父親が出張のたびに亡き母に買ってきた土産のひとつである静岡のお茶とともに、非常時ではあるけれども人間の日常生活の中で、他人をもてなすために用意される非日常の思い出に絶妙な役割を果たしている。

おそらく13時を午後3時と誤って伝達されたため、悦子は野良仕事に出ており、随分して帰ってくる。人生の一大事であるはずのお見合いも、非常時には抑制の中にコントロールされるわけである。

お見合いの席ではお互いに心憎からず感じている明石と悦子ではあるが、明石の紹介での永与との見合いだというだけで、悦子は明石の顔を立てて臨んだように思われる。

見合いをすることは高い確率で承諾しなくてはならない時代に、それはやはり厳しい試練であるに違いない。

明石は型どおりの紹介を済ませると、さっさと場を離れようとする。驚いたのは永与もまた一緒に帰ろうとすることで、永与の実直だが朴念仁の部分が出ている。

悦子は離れようとする明石にとまどいを隠せないが、おはぎがあることが彼らの腰を再び座布団に戻らせるのである。

このあと明石がいつの間にか帰ってしまったあとの二人の会話は、人間の穏やかな微笑ましい記憶として観客の胸を占めるものだ。

精一杯会話をしている永与の姿に、悦子は人間の良さを感じ、まことに説明はしにくいことなれども、明石の選んだ人であるというだけで正面から対応したのだろう。

お見合いらしく、趣味の話題などもしなくてはならんと明石に言われていたものの、どうにも居心地が悪い。ところが戦況の話となると顔つきが変わってくる。

自分の学歴軍歴を述べるとき「祖国のため、郷土のため」というフレーズがよどみなく口に出され、それは明石の学歴軍歴を言うときにこそ誇らしげでもある・・・、永与はそんな男であった。これが第2場。


【 昭和20年4月8日 】
先の場から8日後。庭の桜が咲いた。

たった一日だけの帰宅に兄が熊本から帰ってくる。そこに予期せぬ明石の訪問を受ける。明石は特攻に出るために別れに訪れたのである。

個人的なことは何も言わず、彼は去っていく。嫂は後を追いかけろと口に出すが、悦子は動かない。ただ激しく嗚咽するばかりだ。

このとき、パイ缶があっただろうと明石に持たせるが、これは懐かしい。

パイナップルのシロップ漬けの缶詰、いわゆる「パイ缶」は繊維も硬く、現在のチルド製品には及びもつかないが、昭和45年くらいまでは甘みの摂れるお菓子代わりに重宝されたものだ。

よく果物屋で生のフルーツの代わりにパイ缶などの缶詰をお見舞いに誂えたものだった。

第2場において貴重なおはぎに対しても、このパイ缶にしても礼は述べるものの屈託なく食べたりもらっていくように見えるのも、気のおけない間柄であるからこその甘えの描写に思われる。

そして嫂がいくら促そうとも悦子が追いかけていかないのは、明石が何にも換えがたい生命を賭して選択したことへの恭順であるからだろう。

たったひとつしかないものを捧げる人間へ、平常時の理屈は通用させないのでる。

ましてや、その明石が白羽の矢を立てた永与であり、彼がまた明石の親友であることは、なによりも後押しになっている。

追いかけることは明石の選択に対しての反逆になることを悦子は心の奥で理解しているのである。

現在の論理や価値観では推し量るにも限界がある青春が、この映画には描かれるが、われわれは長く映画や文学で戦前・戦中の生活を繰り返し見てきたではないか。

そのことは、われわれが意識すれば、その時代の人々の生活を垣間見ることができることを表している。

だからこそ、繰り返し、こういう映画を含めて製作される必要があるとボクは思う。

こういった映画に共感や反感や、喜怒哀楽の情動をいささかでも揺り動かされたなら、何かを考えるということは現代を考えることであるからだ。


【 昭和20年4月12日 】
 前場よりわずかに5日目。

突然永与が来宅する。大村航空隊に転属になったことを伝えに来たのである。近く永与の両親が出てくるので会ってくれるかという件もあった。

しかし、最大の一件は明石大尉が出撃し戦死したということであり、永与が明石から悦子への信書を預かってきたのである。

明石大尉が訪れた5日前に花が咲いたねと言ったばかりの桜はすでに散り始めている。明石の肉体がもはやこの世には存在しない。なにひとつ周囲の状況は変わってはいないのに、人は消滅してしまう。

こういう生と死が密接な状況を経験すると人間はいかなる心情を是とし、いかなる感情を非とするのであろうか?

この映画は何度も言うように、人生の大切な選択を4日間で決めてしまった人々の話である。

自分の心情を声高に表明したり、感情を爆発させることを抑制のうちに無力化せざるを得なかった人々の話で、その時代には何十万人としう悦子や明石や永与がいたはずである。

それがいいとも悪いとも言ってはいないのである。

しかし、戦争を知らない人間であるボクは思う。すべての心情も感情も、それは正しかったのだと。

そして、今の時代に、平和が当たり前になった日本に住んでいながら、心底平和で人を容れる余裕をわれわれは得たのだろうか?

そして、得たというなら、それが当たり前に獲得して血肉となるような努力を怠ってはいないのだろうか、と。

エピローグにも登場する、聞こえるはずもない波の音への台詞は、寄せては返す波のように無意識無自覚な営みのなかに平和は存在するものだという作者たちの祈りではないのだろうか?

まるでガンジーのようにひたすら無抵抗に見える祈りである。

そして余りにメッセージ性が強いと思われたのか、プロローグにおかれた、屋上のシーンにおいて交わされる年老いた悦子と永与のやり取りが利いてくる。

「お父さん、雲の行きよるですばい・・・・紅う染められて」
「うん」
「あん山の向こうには、何があっとやろうか」
「何やろか」
「あん雲は知っとったやろか」

これは祈りではない。静かな静かな怒りの言葉である。

 およそ映画作家が何をどう伝えるかにはさまざまな手法があるだろう。比較的体力がある間は、その叫びは体力や気力に由来して、遠くにいる人たちにも伝わるように発せられる。

しかし、自分の死をひしひしと感じるようになれば、その言葉は叫びというよりも、目の前の愛する人間にだけはわかるように呟かれるのではないか。

黒木和雄は最後の映画で、自分の言葉を聞き漏らさないように見つめてくれる観客に口を開いたのである。
(★★★★☆)

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