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絶対的終身刑/マル特無期刑コミュの雑談

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コメント(166)

社会正義と自己の正義の違いって奴ですね。
何を一番大事に思うかの観測点が違えば正義も違ってきます。

ぴよぴよ天使:命が最上、殺人をする物は何人たりとも悪、殺人犯も国家も。
良識の廃止派:人心が最上、死刑を容認する事は殺人を断罪する資格無し。
法制度信奉派:憲法、法律が最上、破る人間が悪。
社会派の存置:社会安寧が最上、応報的刑罰による刑罰を付す事で社会安寧が訪れる
尊厳派の存置:人の尊厳が最上、尊厳を穢す者には相応する刑罰を付与すべき。
死ね死ね団 ;報復が最上、やられたらやり返すこれ真実。殺したら死ぬべき。

ってな感じですかね。
存置だけ2者例に取りましたが、私が存置派なのであえて分けましたw

存廃両派とも、極端な人ほど正義を振りかざす傾向があると思います。
正義を振りかざす事が個々の価値感により違う事に気づくには時間がかかると思います。
そして、正義が対立しているので、天使と悪魔は恐らく相容れませんw
はっ
自分の中で何かが足りないと思ったら
社会正義の概念がすっぽり抜け落ちてました。
それが無いと秩序も何も無いですよね・・・。
よしぞさん、ありがとうございます!
おいらは、社会派の存置(&法制度信奉)派ですねひよこ
帰ってまいりました。

死ね死ね団、もしくは死ね死ね団予備軍については、
126:まんまるさん
127:よしぞさん
がほとんど書いてくれた感が。

124:Alfonso Wolfgungsさん
>>また本が増えたとヨメにウンコちびるほど怒られましたけどね。

どっこも似たようなもんですね(笑)。


126:まんまるさん
>>逆に正義のためだと思えたらどんな酷い事でもできてしまうんですよね
>>だって「正しい」ことですから!
>>どんな美酒より気持ちよく酔いしれてしまう事でしょう。
>>死ね死ね団はこの絶対的な正義っていう錯覚に陥ってると思います。

仰る通りだと思います。
私の好きな映画で「オネアミスの翼」って映画ありますが、この映画の中で主人公は、「自分の関わっているこのプロジェクトは本当に正しいことなのか?」って疑問を持つシーンがあるんですね。
私なんかも常々思っていることなんですが、まぁ煮え切らない人間にも取られたり。

127:よしぞさん
>>社会正義と自己の正義の違いって奴ですね。

これ大事ですよね。
ただ、議論がハッスル(笑)してくるうちに、この辺があやふやになってくる方って、結構多いように感じます。
さてさて、雑談です。

mixiのトピ等、ネット上のコミュニケーションって荒れること、ままありますね。
「論点を絞ること」や、「言葉の定義をすること」等、色々議論にはルールがあって然るべきですが、これは「みんなが守らないと意味が無い」ことだと思います。
不特定多数の人間が参加する議論だと、なかなかこの統制は難しいかと。

以下のこと、私は個人的に注意しています。
1.「感情論を論拠にすること」と、「感情的に書き込むこと」を分けて考える。
 ⇒「感情論を論拠:OK」「感情的に書き込む:NG」
2.自分の書き込みが相手に「誤読」される原因は、相手の「読解力の低さ」という驕りを持たない。
 ⇒正確に伝わっていないと思われる場合、再度表現を変えて説明する。
3.自分が相手の書き込みを「誤読」する原因は、相手の「表現力の低さ」という驕りを持たない。
 ⇒自身の誤読の可能性を常に意識する。
4.意見の多様性も認める。
 ⇒「agree to disagree」ですね。

以上4点を注意しているだけで、あまりキテレツな人と出会わないです、私は。

特に4.をちょっと掘り下げます。
これは姿勢、性格でしょうが、私は「自分が納得できる意見を探している」ので、自説より他説が「優れている」と思えたら、割とすぐ乗り換えるんですよね。
柔軟性があるといえばあるのですが、節操が無いと言えば無い。

自説が「絶対正しい」と確信して疑わない方って、「相手を論破」しにかかることが多いんですよね。
で、相手もそういう手合いだと、論戦みたいなのになるのかと。
ただ、そもそも「全員が納得出来る解」があるのなら、自然「その解に皆が行き着いているはず」なんですよね。
これは「相対性理論」が、数多在った仮説の中から淘汰された結果残ったことに似ていると思います。
行き着いていないってことは、考え方の多様性を含め、折り合いがつかない論点があるってことなんですが、ここを分かってか分からずか、意見を異とする相手方を、考えた方の多様性とは捕らえず「アホ」と決め付ける方が居たりするように思える。
その自信は大した物なんですが、ま、「頭が堅い」っちゃ堅いと言えなくもないのかなぁと。
春は曙さんのご意見拝見しました。
書きこみに気をつけるのはもちろん同感です。
でも、中々人は自分の理想道理には動かないので自分で理想を
叶えるしかないかと思います。
少なくとも自分という場には理想の世界が築けるかと思うし
それに賛同してくださる人が居たらめっけもんだと思うのです。
自分は春は曙さんと違う感覚ですが気が弱いので荒れてるのは好きでは
無いです。
どうしても気にかかる時は何とか場を和らげれないか自分が特攻せねばと
思うのですが火に油を注ぐ場合が多々あります(照

それから、よしぞさんに指摘されたのもあるのですが、
最近ある死刑廃止論者の方と活発にメッセージ交わしてて実感したのですが
1.犯罪者に正義の制裁を!(と主張の死刑存置派)
2.犯罪者を寛大な心で許そう!(と主張する死刑廃止派)
は本質的には同じですよね。
独善的な正義感からくる言葉でどちらも自分の言葉に酔っていると思います。
1を主張するという事は2を否定する術を持たなくなるし
逆もしかりで2を主張するならば1を否定する術を持たなくなると思うので
どちらも死刑存廃論議においては一番最初に塞ぐべき論だと思います。


それから2つめの書きこみについては多いに同感です。
ですが私たちは常に両思いになるのをお互い心がけないといけないと
思います。
片思いは辛いのでその点は考慮して欲しいなーなんて思います。
あ、それで1つ思ったのですが

1.犯罪者に正義の制裁を!(と主張の死刑存置派)
が出た場合、死刑存置派が絶対これを正すべきと思います。
なぜなら野放しにしておくと自分達の論の説得力が無くなるからです。
でもこの燃えたぎる正義感の炎に浸っていると中々気付くのが難しくて
理解できずに暴れてたりしちゃうのだと思います。
実際、自分もなんで?凶悪犯罪に怒るのは正しい事では?
と思っておりました。

逆もしかりで2.犯罪者を寛大な心で許そう!(と主張する死刑廃止派)
が出た場合自分達の論に力を持たせるためにも死刑廃止派の方こそが
たしなめるべきだと思うんですが死刑廃止派の方が少ないので
しょうがなく死刑存置派が否定すると
やっぱり正義の炎に燃えている廃止派の方は中々理解できなくて
死刑存置派との対決姿勢になっちゃって炎上しちゃうのかなと思いました。


少数派が切ない立場に立つのはよく分ってるつもりです。
ですから自分達は臆病になっている廃止派の言葉を辛抱強く待つ
必要はありますし多数の意見で踏み潰すのはもっての他だと思います。
自分も中学時代にいじめにあって多数対1(たぶん300対1くらい)
を味わった事ありますしとてもよく実感できます。
だからこそ・・・上手くいえないけど少数派「だから」何でも許そうという
姿勢には違和感を感じるのです。
私は不当に貶められたけど、自分に悪い点も自覚してますし
良い点もきっとあります・・・あるよね・・・。
いじめられる前に悪い点は悪いと指摘して欲しかったし、
直すように努力したかったし
アホな子ですねーよしよしなんて何でもかんでも寛容して欲しい
わけじゃないです!
だっていじめられっこな私だって同じ人間ですから
腫れ物に触るみたいな扱いを受けたいわけじゃないですよー。
とある廃止派と自分がダブってしまう自分の妄想でした・・・。
>春は曙さん
>ただ、議論がハッスル(笑)してくるうちに、この辺があやふやになってくる方って、
>結構多いように感じます。

僕にとって正義とは、僕に優しい女性だけですw
あとはみな悪!wwww

>これは姿勢、性格でしょうが、私は「自分が納得できる意見を探している」ので、
>自説より他説が「優れている」と思えたら、割とすぐ乗り換えるんですよね。
>柔軟性があるといえばあるのですが、節操が無いと言えば無い。

あら、同じ立場ですな。。。
だから、納得できないと異様に質問するんですが、糾弾と取られる事が多いです。
2番と4番ができていない方が多いもので・・・・・



>まんまるさん
>どうしても気にかかる時は何とか場を和らげれないか自分が特攻せねばと
>思うのですが火に油を注ぐ場合が多々あります(照

それが、かわいいなと思える時が多いので、マルですwww

>1.犯罪者に正義の制裁を!(と主張の死刑存置派)
>2.犯罪者を寛大な心で許そう!(と主張する死刑廃止派)

1は、正義の立ち位置の問題だと思います。
稚拙の小生が運営しているコミュで、タイトルが「正義の制裁を考える」ですが、自己の正義か、社会正義かで大いに論が分かれます。
要は「正義とはなんぞ?」の視点が欠けている人が多いことに呆れます。

2については、死刑存廃論にかかわりすぎ、犯罪者擁護の姿勢に見える方と、人間の本質にかかわる問題だと明確にしている方とで客観的にみたイメージが変わります。

どちらのケースでも議論が成り立てば、agree to disagree は成立するのですが、とりわけ自己正義派と犯罪者擁護派の方は折り合いが決定的につきません。
どちらにも冷静を諭しているのですが無理っぽいですね。
>よしぞさん
どうも。
歌って踊れる悪が来ましたよ。

>みなさん
春は曙さんの1〜4の視点ですが、そのとおりのことが多いですね。

1.について
 私は客観的事実に基づいて論理的思考を優先してしまう傾向があるので、感情論や感情的なことを極力排除するように持って行くようにします。
 ですから、よく友人やヨメに、徹底的にやりこめて、相手が身動きできない状態にまで追い込んでしまうのはどうかといつもたしなめられます。
 曰く、相手にここでの「agree to disagree」の心境に持って行きにくい状況まで追い込むのはイカン!と。
 わかってるのですが、話がかみ合わない相手にはどうしてもそうなってしまうのですよ。大人気ないんですけどね。

 2.3.については、自分のポテンシャルを鑑みて、そこまで出来ないです。
 ただ、「お前はワシの言うことがわからなければ、100万回読み直せ!」というふうに言われたらちょっと暴れるかもしれませんが。

4.意見の多様性も認める。
 ⇒「agree to disagree」ですね。
 このagree to disagreeという言葉は、「意見の相違を認める」ということですよね。
 ただ、私の場合、その意見の相違点はさておき、ある任意の問題について、どの程度の立ち位置、すなわち、理解度というか、基本的知識と論理的構成力を持って相手に話ができるかということを重要視しますので、それが出来ない人とはその問題においてはあまり絡むことはないですね。もちろん、私もそれなりの準備をしますけれども。

 変な例えですが、綱引きバランスゲームというのがありますよね。
 お互いが台の上に立って、ひもを引っ張り合って台から落ちたら負けというものです。
 お互いが台の上に立つというのが基本ルールなのに、相手が台に立たないのにゲームを始めたり、台に立つことを理解できないのにゲームが成立してると錯覚したり、台から落ちたにもかかわらず綱とかひもを引っ張ろうとする人がいたとして、そういう人とはゲームが成り立ちませんよね。
 
 そういう人が往々にしているものなのです。
 

132:まんまるさん
>>でも、中々人は自分の理想道理には動かないので自分で理想を
>>叶えるしかないかと思います。

仰るとおりかと思います。
mixi上のコミュニケーション(以下対話とします)は「書き手」と「読み手」、双方から成り立ってます。

?「書き手」と「読み手」、「双方が高いレベル」にあれば対話は極めてスムーズです。
?「どちらか一方が高いレベル」にあれば、もう片一方の対話能力の低さを吸収することは可能です。
多少の確認作業、再表現等は発生するものの、その場合も対話は可能です。
?対話がスムーズに為されず、荒れる場合、荒れる場合ってのは大抵「議論の体を為していない」ことがほとんどなんですが、それが「1対1」の場合、まぁ「どっちもどっち」なんですよ。
なぜならば、自分の対話能力は相手の対話能力の未熟さを吸収できない、つまり自身の対話能力が不足していると言うことだからです。
ここで、「相手方の対話能力が低すぎる」と思うのは、それこそが荒れる原因なので、すべからく反省すべきと考えています。
自身が絡む対話で荒れることの多い方は、「自身の対話能力が低い」と認識するのが賢明と考えています。

じゃあ、「1対多」の場合どうなんだと。
まぁ世の中には「キチガイ」と呼ばれて然るべき人物が居るのもまた事実と考えているのですが、死刑存廃の議論については、この「1対多だから1はキチガイ」は当てはまらないかと。
なぜならば、「死刑存廃の分け方」だと、所謂多くの方は死刑存置の立場から「考えやすく」、またその多くは「無自覚な報復死刑論者」だったりするのは既に述べたところかと。

以前本トピ106で書いたのですが、「無自覚な報復死刑論者」は、更に「集団ヒステリー」に陥りやすい、と考えています。
http://taraxacum.hp.infoseek.co.jp/teardrops/pseudo/hysterics.html
ストレスを凶悪事件報道、スケープゴートを死刑廃止論者に置き換えてください。

「集団ヒステリー」に晒される死刑廃止論者は多大なストレスを受けます。
死刑廃止論者への追求になると、「理性的な死刑存置論者」も「死ね死ね団」も「一致協力体制」を執ることが多いように感じます。
「元々は」理性的だった死刑廃止論者も、「次第に感情的になり支離滅裂」、最後は言葉を荒げて去っていくこともあるのかなぁと。
これはそういったストレスを受けたことのあると仰るまんまるさんは、想像しやすいやもしれません。
少なくとも私は、死刑廃止で書き込んだ際のストレス(というかムカツキ)から、実感しております。

133でまんまるさんの書かれていたとおり、「死刑存廃」については、キテレツな死刑廃止論は死刑廃止論者が、死ね死ね的な死刑存置論者は死刑存置論者が、それぞれ諌める、又はそれぞれで議論をすべきであると私も考えています。
となると、死刑存廃について理解をより深めるなら、「死刑存廃」では無く、「死刑廃止」「死刑存置」双方のコミュに参加した方が、はるかに有益なんだろうなぁ、と考えるようになっています。

また、133で書かれていたとおり、「少数だから正しい」は、まぁ普通ありえません。
ただし、正当な多数決の形を採れていない以上、「少数だから間違っている」も間違っているのです。
そもそも多数決自体、「ある時点で結論を出さなければならない」ために採る手法であって、それから得られた決が「絶対的に正しい結論」とは言えないことも重々理解しておくべきことかと、私は考えています。

と、読み返してみて「なんて偉そうなんだ」と思いましたが、許してちょんまげです。
お返事ありがとうございます!
おっしゃられてる事はよく分かります。
ただ、件の人の件に関してだけはどうしてもその考え方じゃ
自分は消化できないようです。
多分に八つ当たりな所もありますが余分かもしれませんが
聞いてくださいませ。

私はあの方が孤立するのはあの方が理解力が無いからでもなく
読解力が無いからでなく飲み込みが悪いせいでもなく
キチガイな理屈を振りかざす事でもなく他人を思いやる心が欠けている
からだと思ってます。

まず、これは理屈ぬきの八つ当たりです。
自分の痛みだけに敏感で人の痛みに鈍感な事を自覚無く暴れ周り
あげくのはてに人に出ていけ!と2つのコミュ中ででおっしゃられてますよね
しかも自分に対しては寛容さを強要しています。
そのせいで孤立するような人が居るから虐められるのはいじめられる方が
悪いなんて言葉が出てきてしまうんではないかなと憤りを感じました。

>これはそういったストレスを受けたことのあると仰るまんまるさんは、想像しやすいやもしれません。

分るからこそ、許せないのかもしれません。
自分は自分が受けた痛みの分他人の痛みにも敏感であろう!
と方向を変えて原動力に変えようと頑張っているつもりです。
ですから、多数対少数のストレスにさらされているとおかしくなる
っていう事はあるのかもしれませんが自分がその考えを受け入れると
足元がガラガラ崩れてしまう感じがするのです。
だから、春は曙さんの言葉に過剰反応してしまうんです・・・
これは自分の問題であるのを自覚してます、大変ご迷惑でしょうが
許してちょんまげとまねっこしてみる・・・えへへ


あの方について総評
あんなに許しに拘るのは許して欲しいってあの方が思ってるのかなと
いう私の妄想は今も続いてます。
私もいじめを受けた後、しばらくしてから形は違いますが
あの人みたいになった事があります。
自己評価が低いので少しの言葉で動揺するんですよね。
相手は責めてないのに責められてるような気がしてくるんです。


母:早く起きなさいよ!
私:早起きできない自分はダメなヤツなんだ
こんな私なんて生きていく価値無い!!!

あの方も誰かの質問→不当な評価という、すごい誤変換して
苦しんでるのは根っこは同じなのかなと思ってます。
全然会話もコミニケーションも成り立たない上、私は本当に周りのみんなには
すごく迷惑かけたと思ってます。
私の場合、優しくされると余計辛かったです
優しさに応えられない自分が嫌でたまらなくなりました。
でも、その気持ちは自分で満たさないと絶対どうにもならない事なんです。
他人にすがっても八つ当たりしても救われません。
他人には背負いきれない荷物だからだし、背負わせてもいけない荷物だと
思います。
失礼ですが、春は曙さんの文章はそこも背負えとおっしゃっているように
聞こえてしまうのです。
(被害妄想もんもん状態なので読み間違えてる可能性大です)
そこは背負うんではなくいつか変われると信じて真剣に向き合うべきと
思うのですが・・・どうでしょうか?
少なくとも自分は真剣に向き合ってくれる妹が居たので変われました
優しい言葉もかけられましたが「あんただけが苦しんでるんじゃないよ
ヴォケがああああ!」みたいな厳しい言葉もいっぱい貰ったおかげだと
思ってます。
そして、変われないとずっと苦しむと思います。
はっ
何か色々問題と乖離しすぎてるなー・・・
みなさんの呆れた視線を勝手に妄想してがくぶるはぁはぁしてます。
申し訳ありません!!
深いですね・w・

私は質問が質問として受入れられない時点で議論を放棄しました。
相手方を理解する為に「何故」を聞いても、それが糾弾と取られ、交わらないのであればその方は話す価値が少なくとも当方においては無いわけです。

なので説伏するほどの気力を持ち合わせていない僕はおぢさんでしょうか・w・
あの人って、何人かに何回も同じことを聞かれているのに、1回も答えませんねぇ…

もちろん、あの人の言う終身刑とマル特無期の違いについてですが…
軽いところから。

139:よしぞさん
>>私は質問が質問として受入れられない時点で議論を放棄しました。
>>相手方を理解する為に「何故」を聞いても、それが糾弾と取られ、交わらないのであれば
>>その方は話す価値が少なくとも当方においては無いわけです。

この「放棄」は仰るとおりですよね。
単純に「手に負えない人」って、私にも多数居ます。
仕事なんかでは、それでも付き合わなくてはいけないときがあるんですが(笑)。

仕事でも無い限り、そんな手合いはどうしたら良いか?
簡単です、相手しなけりゃ良いんですよね。
向こうもこっちのことを同じように考えている可能性は高いので、まぁ単純に「合わない」ってだけかもしれません。

ってかよしぞさんっておいくつですか?
最初は学生さんかと思ってたのですが、たまに相応の年輪を感じたり。。。
(なんか永遠の17歳とかの回答が帰ってきそうな)
137:まんまるさん
>>他人を思いやる心が欠けているからだと思ってます。

これは非常に大事ですよね。
131で書いた2.3.について、それらを対話力とするのならば、この「思いやる心」は非常に重要な要素かと。
大抵、好きな方の話は耳を傾けて聞きますし、好意的な解釈もします。
逆に、嫌いな方の話は、悪意的な解釈をしがちです。
(私の場合、徹底的に論破してやろうと相手の書き込みを丹念に読み解くと、案外相手の言いたいこともわからんでもなくなってきたりします。)

あくまで例え話、雑談なんですが。
意見を異とするAとBが居たとして、それぞれの表現力と読解力を100点満点で点数をつけるとします。
で、ある対話において、一方の表現力ともう一方の読解力の合計が130点を超えれば、その対話が成り立つとします。(ざっくりした例え話です)
Aがいきなり感情的な書き込み、これがまぁ表現力50点だったとしても、Bの読解力が90点だったならば、合計140点で対話が成り立ちます。
次にAが読み手に、Bが書き手に変わり、Bが90点のレスをし、Aも40点以上で読んでくれれば、同様になんとかなります。
また、90点の書き込みって、読み手を60点だったり70点だったりに引き上げる力もあったりするんですよね。
ところが、Bが「Aが50点の書き込みなのに、なんで俺が馬鹿丁寧に90点の書き込みで応じなきゃいけないんだ?」と疑問を持ち、80点のレスをしたとします。
この場合、Aが50点で読んでくれれば、ギリなんとかなるのですが、Aが臍を曲げて40点で読んだらアウトです。
Aが更に40点のレスをした場合、90点取れるはずのBも60点くらいの読み方しかしません。

「Aはその姿勢での書き込みを続けると、意見を異とする相手とは対話にならない」。
これは「応報」かもですが、Bが90点で返さず70点なりで返すのは「報復」だと私は思います。
Bは90点で返すに足る相手では無い、Bに90点で返せないと思うのなら、相手にしなけりゃ良いだけの話なんですよ。
この例えだと点数がはっきり出ているのでわかりやすいのですが、実際はそんな点数つきません。
相手にして頭に来ているのなら、自分も大して変わんないレベルなんですよね。

話変わりますが、人間は「報復」が基本「感情」としてあると思います。
「殴られたら殴り返す」
これって、しごく当然の「感情」じゃないですかね。
(私は「殴られたくない」な方ですが)
だからこそ「暴力」に立ち向かう制度は「理性」で考えなければならないのですが、やっぱり人間の本性は「感情」であり「報復」なんだと思います。
まぁこんなことを感じたからこそ、72の「まぁ人間なんてこんなもんか」に繋がるのですが。

ちょっと余談ですが、わたしはまんまるさんの書き込みに以前から非常に好意を持っているのですが、その理由は131で書いた
1.「感情論を論拠にすること」と、「感情的に書き込むこと」を分けて考える。
が、すごく出来ている方だと思えるからです。

まんまるさんの書き込みについて「感情的に書き込むのは止めて下さい!」なんて言うことは、それこそが感情的な書き込みなんですよね。
137:まんまるさん
>>失礼ですが、春は曙さんの文章はそこも背負えとおっしゃっているように
>>聞こえてしまうのです。
>>(被害妄想もんもん状態なので読み間違えてる可能性大です)
>>そこは背負うんではなくいつか変われると信じて真剣に向き合うべきと
>>思うのですが・・・どうでしょうか?

ごめんなさい、これよく理解できてません。
もう一回説明して頂いてもよろしいでしょうか、すいません。
春は曙さん
大分誤変換して受け取ってたみたいです、てへ。
たぶん、春は曙さんは書き込む時の姿勢について基本的な
事を述べられてただけだったと思うのですがそれが分りつつ何かが
自分の古傷に触るので勝手に痛がってました
申し訳ありません。(恥

自分は少数派で傷ついたと思うなら周りに攻撃的になって誰かを
傷つけるのはダメだと思うんですよね。
倫理観からではありません。
自分は不当に傷つけられたんだ!という主張ができなくなるんじゃないかと
思うからです。
これは勝手な感傷なんですけども自分で昔の自分を踏みつけにしてるように
見えてしまうので嫌悪してしまうんです。
自分の傷ついた心をもっと大事にしてあげようよって思うんですね。
春は曙さんが傷つけられてキテレツになっちゃう人も居るかもしれないと
書かれたのを見てそれはダメじゃないかな!と何かが燃え上がって
しまいました。
そういう方は自分で自分を貶めて、周りに八つ当たりしても
結局苦しいまま救われないと思うので境遇に甘えさせちゃいけないと
思うんです。
春は曙さんの言葉が自分には甘えさせてるとここでも誤変換してしまいました。
こちらだけ我慢して気を使って使って更に使わないとって聞こえてしまって
その関係は歪んでるんでは無いかと思ったんです。
何かしら相手に気付いてもらわないとこっちも不幸で向こうも不幸で
不毛だと思ったんです。
付き合うなら怒るべきところはちゃんと怒らないと!と思ってしまって・・・・

でも今日の書きこみで
>仕事でも無い限り、そんな手合いはどうしたら良いか?
>簡単です、相手しなけりゃ良いんですよね。
>向こうもこっちのことを同じように考えている可能性は高いので、まぁ単純に>「合わない」ってだけかもしれません。
でなるほどと思いました。

誰も相手してくれなくなったらキテレツになった人も気付くきっかけに
なるかもしれませんよね。
大分誤解してて申し訳ありませんでした!

今も誤読してる部分はあると思いますがゆっくり繰り返し読ませて
頂いて消化しようと思ってます。
お付合い頂きどうもありがとうございました!!
あ、それと春は曙さんが最初におっしゃられたこんな○○居たら嫌だトピの
書きこみは良いとは思ってません。
自分もここに居ない人の事をあれこれいっぱい書いちゃって申し訳ないと
思ってます。

その気持ちを自分流に表すと
感情的になってお恥ずかしいところをお見せしてすみません。
ここに居ない人の事をあれこれ書くのはこのコミュを初めて見た
事情知らない人にどう見られるか分っているつもりです。
少なくとも好意的にみられる事は無いかと存じます。
感情的な書き込みは時にいらぬ誤解や悪意を招くのも分ります。
自分の感情を誰かに踏みつけにされぬよう大事にしまう事も
時に大事なのは分ってるつもり・・・ですがやっちゃいました
自分で自分を貶めるような事は無いようにこれからは気をつけます
申し訳ありませんでした。

ボソボソ 独り言 ボソボソ

ボソボソ まっきーさんが桃太郎を一喝するのと、ボソボソ
ボソボソ まっきーさんとT.Shiotaさんのガチンコ対決が見たいな ボソボソ
ボソボソ 桃太郎が死ね死ね団の巣窟に乗り込んだけど、よしぞさんでさえ投げたのに、なんとかなるんだろか ボソボソ
死ね死ね団の巣窟って少年なんたらかな?w
気がつくと少し人数が増えてらっしゃる!?

なんだか、自分がふぁびょってたログがいっぱいあるので
書きこみにくかったらどうしようと心配になってしまったりして・・・;
人、何故か増えてますね。

本当に雑談ですが、死刑存廃トピが荒れるのって、こういうことなのかなぁと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%89%E4%B8%80%E6%80%A7%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86
(Wiki:斉一性の原理)

>> 返杯道場 道場主さん
T.Shiotaさんって、「暴言」と「理知的、論理的発言」の差が極端な方に感じてますが、あの方ってどんな方です?
いや、興味を持ってお邪魔したら、副管理人さんがマイミクさんだったので、よくご存知の方なのかなぁと。

春は曙さん

お久しぶりです。

T.Shiotaさんにマイミクになってもらったのはごく最近です。

桃太郎さんが死刑制度コミュにまで現れて珍説を展開するのを腹立たしく思っていたら、T.Shiotaさんがよしぞさんのコミュに現れたのでマイミクになってもらいました。

よしぞさんのコミュでは残念な結果になりましたが…
道場主さん
ご無沙汰してます。

推測ですが、桃太郎さんが死刑制度コミュで自説を披露、T.Shiotaさんがそれをばっさり。
敵の敵は味方(笑)って感じですかね。

T.Shiotaさんって、個人的には興味があるなぁ。
何者なんでしょう、あの方って。
(ってこんなところで噂するのも失礼ですかね)
うーん・・・どうしても荒れちゃいますね・・・。
私も書き込んでは変な意見書いちゃったかな・・・と常にがくぶる
してます・・・小心者なので!


春は曙さん

T.Shiotaって、いい人ですヨ。メッセージを何回かやりとりしただけですが…

自分は、よしぞさんとAlfonso Wolfgungsさんと同じぐらい尊敬してます。

ただね、性格が似てるんです、自分と。

バカがバカみたいなことを言ってるからって、相手にしないんじゃなくて、バカは黙れって言うんです。

スルーってのがイヤなんです。

道場主さん

自分の尊敬している人同士が仲悪いなんて、まぁよくあることなんですかね。
残念に思われたお気持ち、共感いたします。

ただ、「バカって言う方がバカ (バカと言う行為自体がバカ)」ってのは、真理なのかなぁと。
あの方の視点って、切れ味鋭い時があるので、結構好きなんですが。
152:まんまるさん
どこか荒れてるんですか?
155:春は曙さん

たぶん・・・どこも多少は荒れてしまってます。
今、死刑コミュで一番意見が交わされているのは下記のトピです。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=20771295&comment_count=872&comm_id=33163

そして存置派の集いの雑談部屋で気がついたら春は曙さんの
おっしゃっていたような事を偉そうに言っている自分が居ました(恥

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=24573430&comm_id=1421965


自分も未熟者なので廃止派の方の意見にたまに反発を覚えたりは
しますが・・・両派ともその敵意を抑える努力をすべきと感じています。
荒れるのはいいんだけど、悪口の投げ合いは勘弁してほしいですね。
水掛論より不毛です。
議論が白熱するのと敵意をぶつけ合うのは違いますよね。

でも、今日、返杯道場主さんは私の差し出がましい意見を汲んで
下さいました・・・!
小心者なので人に意見する時は正直どきどきしてます、
嬉しかったです!

まんまるさん

そんな大層な…

まんまるさんがお優しいからですよウインク

まんまるさんの指摘

言って聞くのは返杯道場さんだからの指摘だと思いますよ。
言われないほうが何故言われないかを考えたらスッキリですw
きっと何を言っても無駄な人だからですwwww
もう、桃太郎さんには正論はいて無視してればいいんですよ
ただ・・・廃止派の方は決して凶悪犯罪者では無いし、
同じ事を違うベクトルに向かって心を痛めてるというか・・・
うまく云えないけど。

もう少しだけ余裕を持って聞いても良いのではないかと思う。

 このまま無期懲役が確定したとして、畠山鈴香被告は何年収監されるんでしょうか?
 マル特無期になるんでしょうか?

法務省の平成9年あたりの次長通達かなんかで、無期刑の受刑者が15年から20年で釈放されて再犯するケースを重く見て、保釈の要件を厳格にするように指示したのがありますね。
ですから、30年くらいがひとつの区切りになるのではなかろうかと思います。

 ひゃー、30年!

 死刑の方がマシだったと、獄中で思うでしょうな。

調べたところ、平成10年でした。
いろいろと記憶違いがありましたので。
以下にURLをあげますので、お時間があるときにでも読んでください。

あくまで、インターネット上に転記された二次情報ですので、この文書があったという蓋然性は高いものの、これが必ずしも正しい情報とも言えませんので、ご了承ください。

http://www.jca.apc.org/cpr/nl30/%96%B3%8A%FA%8CY%82%CC%89%BC%8E%DF%95%FA.htm
 

詳しく説明していたニュースによる弁護士のサイトによると裁判所は仮釈放にも言及していて、「実質の終身刑」扱いみたいです。

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