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エディット・ピアフの人生コミュの56、愛は何の役に立つ??

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 エディットにとって、テオファニスを歌手として歩みださせるための訓練の日々がはじまりました。
 歌手活動に向けてこの新人を売り出すためには、まずなんといっても芸名が決まらなければなりません。そこでエディットはまず彼の芸名を考えることに着手しました。

 「テオファニス」は愛称の「テオ」として、小さく縮めました。
 問題はそのあと。
 テオ・ランブカスではあまりにありきたりで聞き取りにくいと思ったエディットは、ギリシャ語で「愛している」という意味の「サラポ」を思いつきました。 
 
 それは、過去をさかのぼること10年以上も前の1947年の頃、エディットは当時活動していたコンパニオン・ド・ラ・シャンソンの仲間とともに、ギリシャを訪れたことがありました。
 その時、エディットはある一人の現地の男性と出会いました。彼の名前はタキ・メラネスと言い、エディットは彼の美貌や優しさにすっかり心を奪われてしまったのです。二人は相思相愛となりましたが、互いの立場や仕事上の都合などで、その遠距離恋愛を長く続けていくことは不可能だったのでした。彼らは泣く泣く別れを惜しみましたが、それからずっと後の1959年、エディットが病気により重態というニュースが流れると、彼女のもとへギリシャのタキ・メラネスよりメダルが送られてきました。
 その手紙には
 「君へ。これは僕よりも君に必要だと思うから」
 エディットは病に弱っていましたが、タキ・メラネスの優しさが強く心にしみたと自伝で語っています。
 サラポという名前には、そんな思い出がこめられていたのでした。


 こうして無事に芸名も決まり、歌手としての稽古が始まりましたが、なんと言ってもほとんど未経験者の彼です。すべて基礎からやり直さなくてはなりません。
 エディットには、9月に再びオランピア劇場で歌う契約がありました。彼女はテオをそこでデビューさせる目論見でいました。それまでに何とか歌手としての体裁が必要です。こうして二人の特訓が始まりました。一日に10時間近い時間を割いて、ひたすら稽古の繰り返し、何度もやり直しやり直し、発声や発音や音程や仕草などなど。
 エディットは心血を注ぎ、稽古に当たりました。


 その頃の様子をテオは、ジャーナリストのジャン・ノリに語っています。
 「僕は今、アルジェリアの軍隊よりも厳しい人を知っています。それはエディットです。彼女は僕を震え上がらせています。あまりに稽古が続けられて疲れた僕はつい眠ってしまいましたが、そうすると彼女は僕をつねるのです。しまいに僕は泣き出してしまいました。」
 この証言以外にもジャン・ノリが見たところでは、失敗を繰り返すテオに対し、激しく怒鳴りながら厳しく指導するエディットの姿が描かれています。
 もしも、エディットがまだ若く健康であったのなら、余裕を持って稽古に当たれたのかもしれません。しかし、彼女にはもう時間は残っていませんでした。何とかして、9月のデビューを果たす、エディットはそのために自分の身を削る思いで、テオを一人前の歌手に育て上げようとしていたのでした。

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