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エディット・ピアフの人生コミュの11,初期のレパートリーから ?

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ここまで、だいたいエディット・ピアフの誕生からスターへの階段を登り詰める時期、これをだいたい第一期と考えてもよいかと思いますが、1936年のデビューから1945年の戦争終結あたりまでの歌唱のうち、いままでご紹介した中でもれていた数々の作品についても、ご紹介しておきたいと思います。

●1936 CHAND D'HABITS   
「古着屋」(Rアルフレ 作詞作曲)

初期の作品でまだピアフも相当若くデビューしたてでしたが、すでにそのシャンソンは「3分間のドラマ」でした。しっとりと、悲しい女性の感情を歌い上げています。

 「ねえ古着屋さん、あなたは見つけなかった?けさ私があなたに売った私の古着の中に、悲しくぼろぼろに引き裂かれ捨てられた心を?返して、お願い。それは私の心なの。必要なの。重たい悲しみをひきずりながら荷物を持ったあなたが出ていき、私は泣いた。返して、お願い。。。」


●1937 BROWNING
「ブラウニング拳銃」(レーモン・アッソ作詞 ジャン・ヴィヤール作曲)

 のちに「谷間に三つの鐘が鳴る」を作ったジルこと、ジャン・ヴィヤールがこの曲を手がけています。彼はもともとと1932年から1938年まで「ジルとジュリアン」というユニットを組んで活躍しており、この歌はそこでの彼らの持ち歌でした。

 「ムッシュ・ブラウニング。みんなは彼をそう呼んでいたわ。ピストルの王様、アメリカ仕込みの素晴らしい腕前、『フランス人はまだ経験が足りねえな』あたしたち女は彼に夢中だった。けれどいつも同じ自慢話。アメリカの話ばかり。だんだん飽きが来て、すると彼はレストランの一室で見栄を張ろうと、パン!頭に小さな穴を開け、彼は死んでしまった。バイバイ、ブラウニング。」


●「1937 PARIS-MEDITERRANEE
「パリ=地中海線」(レーモン・アッソ作詞 ルネ・クロエレック作曲)

ピアフは、巡業に行こうと地中海行きの夜行列車に乗っていたとき、乗り合わせたある男が朝になるとホームで警官に逮捕され連行されるという場面を目撃し、それをアッソに話してできあがったのがこのシャンソンという話です。

「あれは奇妙な冒険だった。列車がホームを離れると男は通路へ飛び出し、ドアに頬を付けながら遠ざかる灯りを見ていた。あの人が私のそばに座り、私には笑い顔しか映らなかった。彼に寄りかかるといい気持ちだった。けれど私が目覚めると、駅のホームへ飛び降りた彼を、男の人達が取り囲み、頭を押さえて連れていったわ。きっと暗殺者だった。列車の中には奇妙な人達がいるものだ。」


●1937 ENTRE SAINT-OUEN ET CLIGNANCOURT
「サントゥアンとクリニャンクールの間に」(モープレ作詞 アンドレ・サブロン作曲)

この表題の街は、パリ名物「ノミの市」が開かれる場所です。
このあたりで楽しい青春を過ごしたことを振り返る思い出を軽快なアコーディオンのリズムに乗せて、歌っています。

「あたしは昔あのへんで歌っていたわ。だけど、気が滅入りそうなとき、あたしはサントゥアンとクリニャンクールの間に行くの。目を閉じ過ぎ去った頃を思うの。空や石畳や黄色い草、牧場のにおいやリラの香り。あたしたちはよくレオンの所へ飲みに行った。気休めにアコーディオンで歌ってくれた。その昔の場所であたしは初めての愛に出会ったの。だけど、今はもう笑いもなければ愛もない。全部変わってしまった。あたしはいまもあの思い出を探し、夜の街をさまよう。。。」


●1938 LE FANION DE LA LEGION
   「外人部隊の旗」(レーモン・アッソ作詞 マルグリット・モノー作曲)

 1938年の「私の兵隊さん」などをひっさげ、アッソ肝いりでの再デビューを果たし大きな成功を収めた際、この曲もまたたいへんな人気を呼んだと言われています。いってみれば軍歌ですが、この勇ましい歌は重要なレパートリーとなり、この歌を歌い始めた16年後の54年にも歌う姿が映像で確認されます。人々の心に残る歌でした。

「広い荒れ地の平野にラッパの音が響き、城塞の中には30人の兵士が戦いを夢見ている。ああ!ラ!ラ!ラ!美しい話。城塞の壁の上には連隊の旗がなびく。しかし敵は平野を占領、砦のなかでは毎日死者が出て、乾きと熱で唇はカラカラ。とうとう城塞の中は3人だけになってしまった。血だらけで弾薬もない。もう勝利は叫べない、旗が盗まれてしまった。すると突然大砲が鳴り、援軍が到着。彼らは空に向かって勝利を叫ぶ、『外人部隊ここにあり!』」


●1938 LE GRAND VOYAGE DU PAUVRE NEGRE
   「哀れな黒人の大旅行」(レーモン・アッソ作詞 ルネ・クロエレック作曲)

 この曲も38年の作品です。当時の流行のスイング調で、トランペットの軽快なリズムと裏腹に、望郷を強く思う哀れな黒人の嘆きが聞こえてくるようです。ピアフはこの歌をリズムを生かしながらドラマティックに歌い、最後には海に沈んでいく様子をリアルに再現しています。

 「暑い太陽が照りつける海に浮かぶボルネオ行きの古い貨物船、その船底にはひとりのやせた黒ん坊が泣いている。オーヨー、ああ、ああ、神様はちっともおやさしくねぇ。おいらは国を離れようなんて思っちゃいなかった。ただでかい船が見たかったんだ。デッキで眠ってるうち船が出てしまい、船長が『黒ん坊、石炭場で働け』と言ったんだ。おいらは船底でいつも働いて、青い空も見られねえ。神様よ、俺は哀れで不幸なヤツだ。ところが、ある明るい晩、ヤシの木が見えた。『おいらの国だ!』そして海へ飛び込んだ。ああ神様よ、おいらを国へ戻してくれ。ああだけど、俺はもうそんなに泳げねえ、国は遠すぎる、疲れたよ。もうおしまいだ神様。さいなら、俺の国。。。」 




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