1935年10月のこと。 いつものように、路上で歌うエディットの前に1人の紳士が立ち止まり、その歌を聴いていました。歌は当時流行していた女性歌手フレエル(1891〜1951)の「COMME A MOINEAU(すずめのように)」だったと言われています。 そして彼は、エディットに「私はナイトクラブを経営しています。よかったら私の店で歌いませんか?」と話しました。その男こそ、はじめてエディットを発掘したルイ・ルプレでした。
果たして、彼女はこのナイトクラブで大成功を収めました。当時の一流エンターテイナーのモーリス・シュヴァリエも彼女の才能を評価しました。ナイトクラブは毎日盛況となり、ついにエディットは初めてレコードへの吹き込みを行いました。曲は「L'ETRANGER(異国の人)」と「LES MOMES DE LA CLOCHE(情婦たちの唄)」といわれます。また「ラ・ギャルソンヌ」という映画にも出演しました。 時はまだ、日本で言えば昭和10年。まだテレビもLPも存在しない時代にエディットの人気はうなぎのぼりとなり、エディット自身もルプレを「パパ」と呼び、自分のパトロンをたいそう慕っていました。