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カズエの夢日記コミュの月とわたし

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1998年11月 
ベルリンの町は容赦なく寒々としてきた。

通りのビルの脇に張り付いているつたの葉っぱは、信じられないくらいきれいな紅色に紅葉してて、場所かまわず、それが視界に入るたびに「あ〜〜〜〜」って、自然が作り出す、それはそれはきれいな色合いに、その横丁を通り過ぎる一瞬にも限らず、何もかも忘れて、ただただ無心にうっとりと見とれていられたのに・・・。

そんな「自然ってすごいなあ」って、壁一面に真っ赤になった光景をうっとりと見過ごす日々もつかの間の事だった。

一枚、また一枚と、日に日に葉っぱが落ちていく。

早い遅いがあるけれど、この1、2週間でどのつたのつるも、上の方から葉っぱがなくなってきて、だんだんと壁のコンクリート色が見えてきていた。最後まで残っている葉っぱに心の中で声援を送っていても、なすすべもなく、まもなく散ってしまうんだろうということは見当がついていた。

なんだか、自分もだんだん切なくなってきた。
それでも、通り中に敷き詰められたきれいな秋色の落ち葉には、まだ時には心が和む。

でもまた、それもつかの間。
日もだんだん短くなり、身震いするくらい寒くなってくると、葉っぱが落ちていくのと同じように、私の心の中に茂るエネルギーの木の葉っぱもどんどん落ちていくようだった。

心の中のハッピーな気持ちも薄くなっていって、下を向いて歩くようになると、自分の内を見ているようだった。

生まれて初めて経験するヨーロッパの秋の風景。
それでも、何事も受けとめようという態度は相変わらずだった。



日本に帰りたいなんて一瞬も思わなかった。
でも、毎日考えてしまう事は、この『宙ぶらりんの生活』。
なんといっても、『金欠』の二文字。
来月の家賃をどうしようということや、日本にいた時のように、おやつにチョコレートやアイスクリームを買ったりできる少し余裕のある生活に戻れるだろうかという不安。

それでも、ベルリンの家族のみんなは優しくて、毎日、おいしいご飯をみんなで食べ、楽しい談話に花が咲いていた。

いつも集う楽しい友達。



それにしても、心にぽっかりと空いた穴は何なんだろう。



悩みの種は他にももう一つあった。
こんなに好きなのに、私だけを向いてくれていない彼。


「好きだ」とか「愛してるだ」とか、口にする柄でもないし、一緒にこうして手をつないでいることが、愛情表現だと思っていた。手をつないでいることで、私の中の愛情が手の先から違う手を通じて彼の元へと通じているんだと信じ込んでいた。
だから、わざわざそんな分かりきってる事は口にしなくても・・・って。

そうは思っても、やっぱり不安なものは不安で、彼の気持ちを知りたいに決まってる。

「昨日はずっと手をつないでいてくれたよね・・・。この春が来たようなわくわくする気持ちは本物だよね・・・。二人の歴史はこれから、いや、もう始まっているんだよね・・・。だって、この前のパーティーにはわざわざ来てくれたし。おいしいご飯ができたときには、呼んでくれるじゃない・・・。、」

いろんな理由をつけて、この恋愛を信じようとした。

にもかかわらず、彼は、いつも自分が1人になりたい時や友達と遊んでいたい時には、「今日は帰ってくれ。」と言われるし、恋愛感情のれの字もない感じ。

彼の中に入りきれない自分の立場を思った。

・・・つかめそうでつかめない彼の心。

時には、楽しく、熱く、一緒に過ごす時間。
でも、その次の日には、「また来たの?」と呆れ顔をされる。そんな彼の態度を、悲しく、寂しく、そして切なく思う自分。

「私って彼にとっていったい何なんだろう・・・」


昔から、恋をする度に一生懸命になってしまい、彼の生活、何もかも、自分のものにしたい気持ちが生まれる。それは、彼を知りたい気持ちなんだろうか、とも思っていたけど、星占いには『独占欲が強い』と書かれている。

そうなのかな・・・???
彼の生活を知る必要は、持たない方が普通なのかな。

そういえば、個人的な話はあんまりしてないもんな。
話をすれば、聞いてくれるけど、なんといっても、言葉の大きな障害がある。

みんなが友達とドイツ語で話して笑っていることに、私だけ笑えない。
かといって、割って入れるわけないし。
ということで、いつも、私はBGMのように聞いて、一人でみんなの言うことを想像している感じ。


「でも、本当は、彼にとって私は、必ずしも必要がないのかも・・・フゥ〜」
とため息。



どんなに周りの友達が優しくても、このぽっかり空いた穴はふさがらない。




こんなこと、誰かに相談しても、「そんな人やめちゃえば。」と言われるに違いない。

第一、英語ではうまく伝わっているか疑問。
この切ない思いを聞いてくれる人はいないように思った。 

恋につける薬はない。


それに、こういう話したところで、会話がポジティブな方向に向かうとは思えない。
だったら、誰にも話さないで他で楽しくやってて忘れてる瞬間の方が気楽だし、結局、内に留めてる方がいい。


「旅行中はただ目的地に向かって進んでいたけど、久々に一箇所に落ち着いて生活してみると、また違った悩みが出てくるもんだ・・・。」


別の事を考えようとした。


「私、日本でいったいどんな風に過ごしてたんだっけ・・・???」
そんな風に思い返す余裕も出てきた。
「それにしては、今ではすごく遠いな。日本の生活。」


パーティーで出会って、休みの日でも毎週一緒に遊んで、会うのが本当に楽しかった友達。
つまらない事でも大笑いしてた。

みんなは東京、私は横浜に住んでいても、バイトの帰り道は携帯電話で話しながら、またまた大笑いしてた。

休みの日は、昼過ぎから誰かの家に向かい、家の近所を歩きながら、またいろんな話して大笑いして。途中でなんか食べたりして。

「楽しかったな。あの頃。もうあっけなく終わっちゃったのかな?」

そんな友達を思い出しては、よく夕方一人で散歩に行った。



日本語の話せない環境。


外国語では今のこのせっぱつまった気持ちをうまく表現できない。



日本語が話したい。




かといって、独り言をいうのも何を言っていいのかわからないし、日本語の歌を歌ってみた。


「悲しく〜て〜悲〜しくて〜とてもや〜り〜きれ〜ない・・・」


誰の歌なのかも分からない。人通りの少ない道を歩きながら、ただ、頭に浮かんできた曲を歌ってみた。歌詞がわからないところは、メロディーをハミングしてみたり。


『かもめが飛んだ日』ならベストテンを見ていたおかげで全部歌える。

改めて歌詞をじっくり理解してみた。「小学校の時にはこんなことしなかったよな・・・」って思いながらも、じっくり考えると、結構良い歌詞で、「だからベストテン1位の曲だったのか」と、半分軽く関心してみたり。


そんなことを考えながら、歩いて歩いて、公園に出て、丘の上で夕日が沈むのを見ていると、なんだか涙が出てきた。


また歩いてごまかそうとしても、歩いても歩いても涙が出てきた。


どうしようもなく悲しくて、誰もいない小高い丘の上で泣いていたら、夕日が落ちる瞬間のこれまたきれいな夕焼け空が見えた。


空がだんだんきれいに焼けてって、あたりがとってもきれいなグラデーションになった。

インドは紫からオレンジのグラデーションだったけど、ここの夕焼けは、薄紫から鮮やかな蛍光ピンクと蛍光オレンジになる。この天井の高い空に飛行機雲が行き交って、そこだけ違う色のグラデーションができる。その色合いは、何とも言えない、無限のカーテンが広がるのだった。



「こんなきれいな夕焼け、見たこと無い・・・。」



それを見ていたら、泣いてる暇なんてなくなった。


「なんてきれいな夕焼けだろう」と、頭の中が真っ白になるくらい、うっとりできた。


「ヨーロッパにはこんなにきれいな自然がある・・・こんなきれいな色が見られるんだったら、ここにいるしかないでしょう。」


と、私のまだ知らないヨーロッパがいっぱいある気がして、もっともっと知りたくなった。



そして、いつの間にかポジティブな気持ちになって、
「ここでもうちょっとがんばろ・・・」って思う。
夕焼け空の色が私をベルリンに引き止めていたといっても、本当に過言ではないくらい。




でも・・・それでも・・・何日か過ぎるうちにまた悲しくなるのだった。



そして、また、公園で泣いている・・・・と、必ず見える、きれいな夕焼け空。


しかし、次の日も見たいと思って散歩していると、見えるわけではない。


で、薄々気が付いてきた。

「ってことは・・・私が泣いている時に限って見えるの?この夕焼け空・・・」



3回目になってようやく、
「あれ?なんかおかしいぞ」
と思うようになった。


「なんで、悲しい時に限って、空がこんなにきれいな色なんだろう。」


夕焼けは毎日、きれいなわけではない。
たまには、一日中曇りで、夕焼けがないままに暗くなってしまう時もある。


スピリチャルに考えれば、たぶん悲しい時は、目の玉までグレイがかっていて、目に写る色は鮮やかに見えるんだろうという説。


でもその後、何回か観察するうちに、夕焼け空のあった日は、その後ポコッと大きな白い満月が飛び出してくることに気がついた。


「もしかして・・・私が悲しくなるのは、満月の日?」
だって、満月って、気分が高揚して、感情が高ぶる時もあるって、どこかで聞いたことがある。
狼がつきに向かってほえるのも、満月だったし。


「きっと私もそれなんだ・・・月ってすごいかも・・・」
私はバーチャルな体験をしていたんだ。


それ以来、前よりも月を意識するようになり、ムーンカレンダー自分で作った。


近所の店のムーンカレンダーをこっそり覗き見して、満月と新月の日をこっそりと書き写し、それを元に、手書きで書いた。カズエ・ムーンカレンダー第一号。


以来毎年作り、理解ある友達にあげている。
今年のはのびのびになってるにもかかわらず・・・。


でもね。
今では少し考えられることもあるんだよ。

あの時、「何かおかしいぞ。」が、満月作用の発見ではなく、その恋の相手との結末であれば、それから5年後、別れる時にどんなに楽だったんだろうって・・・。

病気じゃないけど、何でも早期発見の方が、軽くて済むからね。


5年後にきっぱりと切れた時は、
「私の5年間分を返せ!」という気持ちでいっぱいだったけど、今思えば、南ドイツ出身の彼が作る、本物の家庭料理、シュペッツェレを5年分お腹いっぱい食べさせてもらった事は幸せだったなと思う。

それに、月のことも発見できたし。


月のカレンダーで生活するのは、今でもやっぱり面白いから。



ここで一句


あの時の
悲しみも今は
身の肥やし

すべて必然
だったのかもね
(目指せ!タワラマチ)

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