ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

カズエの夢日記コミュの*** チベットの旅

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「チベットの旅・・・」

そもそも、大阪港から中国に入って、ラサからカトマンドゥまで、その頃職場が一緒だったじゅんちゃんと一緒に行って、その後、私だけ残ってバラナシへ行ってタブラを練習しようという計画だったんだけど、こともあろうに、旅の1週間目、ラサのカフェでチベット一周するチームを募集している人たちに会ってしまった。ラサ以外のチベット内を移動するには、ガイド付きでランドクルーザーと燃料を運ぶトラックを借りなければならない。そうするとお金がかかるので、8人くらいで移動すると、なんとか手の届く金額になると言う。

じゅんちゃんは会社の有給中で、カトマンドゥから日本に帰らなきゃいけないから、次の日くらいにラサを出発しなきゃいけない。でも、私は、もしかしたら、行きたいかも・・・と、じゅんちゃんをほって、ルートを急遽変更してしまった。

みんなで廻るルートは、カイラス山巡礼も入っている。
調度、旅の出発間近に借りて見た写真集でカイラス山の写真を見たのを思い出して、
「これは、呼ばれているのかもしれない・・・。行きたいけど、どうやっていくのかも、どこに行くのかも分からない場所。それが、この人たちに着いていけば行けちゃうなんて、これは行くしかないでしょう・・・。」
って思ってしまった。

でも、このグループに同行するにはお金をほとんど使い果たしてしまうことになるわけで、それだと持ち金だけでは足りないから、日本に帰ったら吉祥寺に一緒に住もうと思ってミスズちゃんに、預けていた敷金と礼金分を私の口座に振り込んでもらうメールを送った。

初めてのEメールを、チベットのラサで開いた。
中国人が経営するインターネットカフェで、名前を探したら、私の苗字も名前も使用されていたので、窓の外を見ながら考えてたら、さすがチベット、標高が滝だけの事はある、空が近い。太陽も近いところにあり、それを見て、プライベーツが歌っていた「サンシャ―イン・・・・、もう一度・・・」という曲を思い出して、メールアドレスはKazuesunshineにした。

この時、私が東京に帰る道はここで途切れたことになり、このままどこまでも行くしかないという先が見えなくなった不安も多少あったけど、反面、その日は、ずっとプライベーツの曲が頭の中で流れていて、私を送り出してくれるような気分もした。
「旅に行くとね、必ず自分を待っててくれる人がいるんだよ」
という延さんの言葉と共に、その『私テーマ曲』は私の勇気になった。


カイラス山はヒンデュー教とチベット仏教の聖地とされる、5000メートル級の山。
そこを1週すると、再び命ある者に生まれ変われると言われている。

そもそも、ラサのホテルで歴史建造物を中国政府の開拓の手から守るボランティアで働いている、ベルリン出身のアレックスに、
「ベルリンのラブパレードに行くのをやめて、カイラス巡礼に行くことにしたよ。」
と言ったら、
「断然賢い選択だよ!」
と言われたっけ・・・。

カイラス山まではジープを借りて道なき道を行く過酷な旅だというから、それに耐えられるような丈夫なバックパックとダウンジャケットが必要になって、ラサのジョカン寺の周りのマーケットで、持っていた腕時計と中古のバックパックを無理矢理交換してもらったことを思い出した。

あの時は、かなり無理矢理で、店のおじさんを始め、店員全員が集まって、断られたけど、「カイラス山に行きたいんだ!」という私の熱意で、おじさんは折れてくれた。あの節は、おじさん、ありがとうございました。ここにもう一度、お礼をいいます。チベットの人たちは、日本人と同じ輪廻転生意識を持っているから、来世にまた会えるかもしれないし・・・?

そして、その因果か、チベット一周に旅立つ朝、みんなの集合場所に行く途中に乗り込んだ人力車から、カメラを落として壊してしまった。でも、チベット一周の写真は撮れなくなった事に、これは自分の目で確かめて来いということなんだということにした。

ラサを経ってすぐだったかな?何時間か行ったところで見た、今でも色が目に焼きついてはなれない程きれいな湖。となりでは自転車で来ていた旅行者が3人休憩していて、びっくりしたけど、その中には白人の女の子もいて、すごいな、と思ったっけ。

そして、シガツェ、ギャンツェなど、近くの町に着くまでの一日5〜10時間のドライブの毎日。
道なき道を行く道中、岩ぼこぼこの場所をランドクルーザーはバウンドしながら走っていく。たまには車内で空中に浮いちゃったり、かなりハードな旅なので、同行した仲間は無口になってて・・・、途中、ところどころ休憩しながら、車の影でトイレを済ませて、時には、持っていた数少ないカセットテープをかけて、トーキングヘッズの曲でみんなで踊ったりして気分を和ませながら、宿の着く。村の小さな掘っ立て小屋のような宿があって、3,4つのベットが転がる部屋に泊まって疲れを癒した。

それも、ラサを離れるにつれて町は小さくなっていって、店も食べ物も乏しくなっていって、食料はと言えば、ラサで用意していった缶詰や中国産のインスタントヌードルとお菓子とお茶と、日本から持参していたカロリーメイト。村によっては、食べ物がないので、カロリーメイトか、ストーブでお湯を沸かしてもらってカップヌードルを作って食べて、中国人のいる町は、中国料理のレストランがあって、そこでごはんとおかずの定食を食べたから、その時ばかりは華僑の伝統のある中国人にかなり感謝した。

そして、カイラスに入る手前の村で、同じ旅行者団体に会って、先の道が雪解け水で埋まって、川になっているという噂を聞いて、そのルートを渡るのは、川が大きくならないうちがいいだろうと、2,3日休憩するのを返上して旅を続けた。

山々岩岩ぼこぼこの道。
相変わらず、バウンドして、車の中で何度もジャンプしながら走っていくと、丘を越えるルートの頂上が砂になっていて、車が一台立ち往生していたので、私達の車で引いて砂から引き出して、さらに丘を越えていくと、今度はまた車が止まってて、先は川になっていた。一台は先に渡っていたが、2代目の車が動き出して、見事に渡ってみんなで歓声を上げた。私達の車も無事に渡ったけど、川の真ん中でエンジンが止まってしまってどうしようとできない車がいたので、先に渡った車が3台縄をつけて引っ張り上げた。

その一部始終が解決するまでの2時間くらい、車の外に出て、チベットの地面に腰を下ろしていた時に、不思議な花を見つけた。葉っぱがなく地面から直接花が咲いている。その花をつまんでとると、花の部分だけが抜けて、抜いた部分には根っこもなにもなくて、すっごく不思議だった。こんな標高の高い、緑のないこけた大地でも、花はちゃんと咲いている。
「すごいな、地球。やるじゃん。」
と思って1人でちょっとアがってた。

そして、移動中、おしりゴツゴツ度が高くなってきた過酷な旅が続いたので、もう驚かない感じになっていたけど、途中で野生の狼が2匹いた。腹をすかせているらしく、車に吠え掛かってきた。さすが、車の方が早いから、狼をよけて走りぬいたのだが、その2,3時間後に、自転車に乗ったトラベラーに会った。白人でひげが伸びてて、30代後半のような感じで、世界中を自転車で旅行する本格的な装備をしていた。自転車を止めて、私達に聞いてきた事は・・・、
「すいません。火燃料持ってませんか〜?」

「えええ?そんなの持ってないよ。でも、この人、これからどうするんだよ。さっき野生の狼がいたよ。」
ちょっと心配になったけど、ラサのホテルが一緒だった日本人の男の子、20代前半の彼だけど、中国に留学して、中国語を勉強して、インドに飛んで、ラサまで自転車で来てたという人の事を思い出して、あの人も無事にラサにつけたみたいだから、この人もきっと大丈夫だろう、と心配をのけようとした。

途中に検問があり、中国人の軍隊に、通告税を払ってやっと着いたカイラス山に着いたのは、ラサを経ってから7日目だったよな。入り口には宿泊施設があって、そこでもみんなでドミトリーを借りてその日は一日休んだ。

山を3日間かけて山を一周する予定で、荷物を運ぶのに、ロバを借りようか話していたけど、「どうして?みんなそんなに弱いの?私は自分の荷物くらい持っていけるよ」、と断固として話から抜けてた。「知ってるの?これは過酷なトレッキングなのよ。そんなんで大丈夫?」とカナダ人のお姉さんから説得されたにもかかわらず、その頃は英語もあんまり理解できてないお陰で、全然ピンとは来てなかったし。

次の日は良い天気。私達はご飯を食べて昼ごろ出発した。
最初の30分。丘を登る道。久々に自分の足で歩く、ハイキング気分にわくわくして、ふざけて走ったり歩いたりしていたら、同行してる人に怒られた。
「分かってるの?ここは5000mの山なんだよ。そんなに走ったら、後で続かなくなるぞ!」

「え?まじ?」

そこで、初めて気がついた。
「これはハイキングじゃないの?本腰必要?」
と思ったのは、『時既に遅し』。
これは過酷な巡礼なんだと・・・その時やっと理解した。
それから、これまで先ばかりしか見ていなくて、自分の体力について考えてみたこともなかったし、どのくらい過酷な旅になるのかも検討がつかなかくて、ちょっと心配になった。






「まじで、これってどんな過酷なんだろう。」
不安な気持ちを抱いていても、先は全然読めなくて、今のことしか考えられなかった。どれだけ行くと宿に着くとか、もう検討がつかなかった。

数時間歩いて、川が流れて芝生の群がる平地に降りたところの先に外人の旅行者がそこで何日かキャンプをしているらしいテントが10件くらい見えた。しばらく休んだりしながら、岩だらけの丘の岩を登りながら乗り越えて一日目の宿に向かう途中で、現地の巡礼者に会った。

彼は、ぶ厚い動物の皮でできたエプロンと手袋をしている。私達が通り過ぎるのを脇で待っていて、それから、真直ぐに立って、頭の上で手を合わせて、その手をおでこの前、目の前、のどの前、胸の前に降ろすと、そのまま地面に寝転んで、今度は手の伸びたところに立ち上がって、再びその動作を繰り返す。見ていると、自分の身長だけ前に進みながら、巡礼をしていた。

これは、ラサのダライラマの宮殿の前でも、同じように祈りを捧げている現地の人に会ったから、チベットの巡礼の仕方らしいけど、それにしても、5000m級の山。今まで私達が5,6時間も歩いてきた道、そして、これから3日かけて一周する巡礼路。彼はいったい何日かかるんだろうと考えると、規模の違う話に気が遠くなりそうだったけど、山の雰囲気やこれまでの旅を思うと、チベットの時の流れに合っていて、全然不思議だと思わなかった。それよりも、ここはマジな聖地なんだという気持ちと、できるだけそれをポップに受け止めようとする私がいた。

「まだ半分もたってないらしいし、もうすぐ日が暮れるから、一日目の宿まで急いでいかなきゃいけないよ。」
と先頭の人が言った時、自分の体が疲れてきたのを感じた。ちょっと休んで、歩き出してみたけど、思うように歩けない。

そんな私を、先頭のカナダ人とスイス人のカップルが、さすがに見かねて「貸しなさい!」と私の荷物を持ってくれたけど、二人も結構辛そうだった。それで小一時間くらい歩いていたら、そこへ調度よく荷物を乗せたロバがやってきて、私の荷物を持って一日目の宿まで持っていてくれることになって、昨日までの『ナメていた』自分に反省した。私、本当に、馬鹿だった。でも、でも、本当にありがとう。

そして、ごつごつの岩から小さいこぶしくらいの岩の道に変わり、ゆっくりゆっくり歩いていくと、建物が見えた。それが、一日目に宿にするモナストリーで僧侶が1人住んでいた。でも、手前の道は雪解け水でふさがれていて、そこを渡るには川の細くなっているところまでて歩いて大回りをしなきゃいけない羽目になり、結局2キロくらい大回りして、やっと宿に着いたら、先に着いていた人達がお湯を沸かしておいてくれたので、カップラーメンを作って食べた。

目の前には、カイラスの頂上が見えて。まだ雪の残った茶色のとんがりの部分が、太陽の光にきれいに輝いていた。あの光景を今でも忘れられないシーンになってる。

その夜、4人部屋で寝ていたら、チベットの民族衣装を着た青年が、部屋の入り口に立ってこっちを見ていた。私達がカップヌードルを食べていた時に現れていた遊牧民族らしき青年で、茶色く土こけた顔、その民族衣装も同じく土こけて、年季が入って、本物だという感じだった。とても美しい顔をしていたので、素直な私は「You have good face(かっこいい顔してるね。)」と言ってしまった。英語が分からない様子だったので、顔を丸く描きグッドサインを送ってみたら、それで話は通じたが、そのせいで入り口に立ってこっちをじっと見られている事になるなんて、思いもよらなかった。

彼は、手をかるく握り股のところにあて、まるで自分の急所を表すようなポーズをして、横にゆれていた。どうやら、私に「エッチをしよう」というサインを送っているらしく、怖くなった。ことばも通じない青年がセックスアピールをしている。私にとっては、セックスは恋人同士がする行為、愛がなくちゃいけないと思っている。しかも、子供を作ろうとするその行為は、結婚して、一緒に子育ての生活を築き上げる基盤ができないと困る訳で、彼のそのアピールは、結構衝撃的だった。

言葉も分からないのに、この人は、そんな要求をしているの?もし子供ができたことになったら、どうやって育てていくの?それに、日本の生活とここは違いすぎるし。そんな考えが一切ないように見える青年に、一瞬怖くなった。幸い、同室に泊まっていた同行グループのメンバーが、「あっちへ行け!」と断ってくれたが、その晩は怖くて、あんまり眠れず、たまに目覚めては青年がいないか、窓の外を見てた。

「これが『自然』の絵というやつ?」
今まで立ち寄ってきたチベットの街では、テレビも電気もろくになくて、それこそ、家や小さい店はあるけど、その店はだいたい中国人が開いた店で、現地のチベット人は、家族で家畜と住み、家にはストーブだけあるという原始的な生活をしていた。ジプシーの家族にも途中であったこともある。
そんな生活の中で、「性をいうのはきっと動物的な人間の本能なんだろう」と改めて考えた。


二日目は朝から支度をして出発した。
「今日はあの山を登るんだよ」と言われた道は、かなり高かったが、空気が薄いせいもあって、私はやっぱりあんまり感覚がつかめなかった。「やめるなら、ここで引き返せばやめられる」と言われたけど、「行くに決まってるよ。」と返事をした。

雪がまだ残っている、肌寒いのぼり道。やっぱり辛かった。同行していた新婚旅行中のオランダ人のカップルは山登りになれているらしく、「ゆっくりゆっくり一歩ずつペースを変えないように歩くといいよ。」と教えてくれたが、歩幅の小さい私はやっぱり一番最後になってしまった。途中から、うんとこしょと気合を入れて登らないといけないくらいの高さの岩を跨いで登っていくと、頂上らしいところにチベットのカラフルな三角の旗が見えた。手前には僧侶が何人かが、お経を上げていた。そのお経の途中で、「ホホウ〜」「ホホウ〜」と輪唱の部分があり、そのエコーはカイラスの頂上が見える正面の山に響き渡った。そのエコーも今でも忘れられない。

少し休憩していたら、私達の車を運転してくれているガイドの人達が早歩きで山を登ってきた。聞いてみると、一日で一周をすると言うので驚いた。そして、みんなで一緒に写真撮影をして、みんなは先を急ぐことにした。

そして、下り道。かなり大変。
時には5m、10mもあるような大きな岩を跳びながら降りていく。

私の実家の家は海だったので、子供の頃、岩を渡ったりして遊んでいた記憶を思い出した。
同行していたグループに心配されたけど、
「小さい頃、こんな岩で遊んでいたから大丈夫」と答えていたけれど、
そんな岩またぎも、さすがに3時間も続くと、足が痛くなってくるのを感じた。岩を下りる度にドスンドスンと足に負担がかかるので右ひざが痛くなってきた。昔、大学の頃に行ったスキーでひざの靱帯を切ったことがある。それも影響しているんだろうか。

岩の道もふもとに近くなってきて、土が見えてきたとき、私の足はとうとう曲がらなくなってしまった。同行者はみんな先に行ってしまって、私はすっかり1人ぼっちになったけど、しばらく立ち止まったりしながら、それでも歩ける限りゆっくり、みんなの待ってる麓に下りていこうとしていると、やっぱり土こけた民族衣装を着た女の子がやってきて、手を貸してくれるという。私は、他に選択がないので、彼女の手をとった。

彼女はゆっくり、私の足を気遣いながら、手を引いてくれ、私も彼女の降りていく道に続いて、無我夢中で降りて行ったら、みんなが川のふもとで待っていてくれた。ほっとして、彼女にクッキーをあげようとしたら、彼女は、「いらない!」と言って、先に行ってしまった。

私は感謝の気持ちで一杯だった。困っている時に、すごく優しくされた思いは、本当に本当にありがたかった。しかも、彼女は何もお礼を受け取らず、彼女にとって無償の報酬だった。それにもまた感動して、手に残されたクッキーを見ながら、「このご恩は他の人に返さなきゃ、罰が当たるだろう」と思った。

早速、平地を歩いていくと、山の斜面はきれいな色だった。斜面から低くなっていくにつれて芝生が生えていて、牛やヤギやヤクなどの動物が草を食べている。石を拾ってみたら、よく神社に敷いてある小さな石に似ているけど、それが、淡い水色、緑、黄色、ピンクで、淡いカラフルだった。中でもピンクの石。山の斜面がところどころピンクに見えるのは、この石のお陰なんだと、思わず、何個か拾ってポケットに入れていた。

その後、雨が降ってきた。雨宿りをしようと、場所を探しても、岩しかない。そのうち、雨は大降りになり、風も冷たく吹いてきた。私達は、岩の陰に隠れて、少しの間雨が止むのを待つことにした。それでも、一向に止まないので思い切って雨の中を歩くことにしたが、歩いているとすぐに服の中まで濡れてしまった。雨をよけながら、うつむいて歩いていると、そのうちに雨がやんでいたが、今度は寒くなり、風邪を引かないように、気合を入れて歩いて、夕方にはやっと2日目の宿、モナストリーに着いた。

宿に着いて、あったかいカップラーメンを食べたけど、正直、もうカップラーメンは食べたくなかった。
中国製のインスタントラーメン。匂いがきつくて、質も悪い。食べれることは食べれるけど、その特有のにおいは、最後の方には、『生きていくための餌』としか思えなくなった。この旅以来、今でも、私はカップラーメンをもう食べられない。

3日目の道は、登りもくだりもない、一番楽な道。平坦な道を歩くのに膝は痛くなかったので、ゆっくりゆっくり歩いたら、巡礼終わりを告げるテントがあった。

「ここで記念スタンプもらえるんでしょ?日本にはね、鉄道ラリーみたいなのがあって、スタンプ集めるんだよ。私、
カイラス巡礼の記念スタンプが欲しい・・・記念コインでもいいし・・・」
と冗談を言ってみたけど、もちろん疲れ切っているみんなの反応はなかった・・・。
でも、その記念スタンプは、私の記憶の中に押された。私はきれいな山の景色とこの巡礼路の事は、ばあさんになってぼけるまで、二度と忘れないと思う。


山の回りを歩いた3日間、見る景色は毎日違っていた。春、夏、秋、冬、全部の季節と、動物と、全ての色を見て、いろんな思いを抱き。膝を痛めながらも、一歩一歩、歩んできた道、空気が薄くて朦朧とした時の辛さ、一番大変な時に人に助けられて感謝した思い、その思い出は全部がむしゃらだった。そして、出発した場所に戻ってきた時に、まさしく『棚から牡丹餅』が落ちてきた気分で、思ってもみない答えが一つ出たんだった。

「物事は、つながってる・・・。』

「こうきて、こうきて、こうなって、そうなって、ああなって、それで、また同じところに戻るんだよ。
途中で一番困っている時に助けてもらったけど、恩返しができなかったこと、これは彼女じゃなくて、他の人に返すんだよ。そしたら、この人がこの人と繋がってて、その人と繋がって、あの人と繋がって、うーんと回ったところで、元に戻るんだよ。人間の関係も回ってるんだよ。きっと・・・。」
って。

そして、その夜、入り口にある中国飯屋に行くと、トレッキングの用意ばっちりの白人達が、ルートの情報を交換していた。かといえば、私は、ベルボトムとドクターマーチン。
本当は、「ここは、こんな準備が必要だったのか・・・」とまた私のアホさを感じたが、その反面、何も考えずに「自分突っ走り」の状態ながらも一週やり遂げた事がかなりの自信になった。

「やれば何でもできるじゃん!」
おなか一杯ご飯を食べながら思った。ひもじい思いをした後のご飯は、本当に本当においしかった。

「やれば何でもできるもんだ。カイラスは、私にとって最初は未知だったけど、辛い道も克服したじゃん。ベルリンだって今は未知だけど、やってみればなんかできるかもしれない。それから、途中あの女の子に助けてもらった分のお礼を返す事!」

今から行く、ベルリンには、私の気持ち的にも物理的にも持ち物はない。どんなところかも検討がつかない場所。それなのに、お礼を返すなんて大層なことを思い、ちぐはぐな気もしたけど、
「今、そう思っちゃったんだから、しょうがないよな・・・」
と、不安な気持ちはなく、マジに考えると怖くなりそうで、あくまでもポップに考えようとしてた。


その夜、山間に見えた月はとてもとてもきれいだった。
流れ星を見て、
「今からが始まりだ。」
と思った。
あの新鮮な気持ちは今でも鮮明に覚えている。
今となっては、脳裏の記憶も多少違っているのかもしれないけど。



しかし、とにかく、チベットの旅は、どの瞬間もインパクトがあった。
特に、チベット仏教文化は一瞬一瞬意味があったような気がする。

チベットは標高が高いだけあって、空が近い。
ダライラマの夏の宮殿の中のタンカ(仏画)屋さんで、チベット人の店主と仏教について話していた時に、言われた事を思い出した。
「今日、こうしてここであなたと会えるのは、運命で決められていたことでした。私たちは前世でも知り合っていましたよ。」
って言葉、あれは、本当だったんだろうか・・・。輪廻転生・・・。

でも、本当でも嘘でもそんなことはどっちでもいいけど、少なくてもそう考えることで、一期一会の役割を果たしているわけだ・・・、とまた自分解釈をしたんだ。それにしても、その後、本当に前世から決められていたのか、と思うような出会いをしたから、その教えが言わんとしている事は分からなくもなかったけど・・・。

でも、チベットの後、最後何日か、途中道が悪くて車がバウンドのしすぎて、とうとう痔になり、さらに、カトマンドゥに着いてから、ツアーのメンバーみんなで胃の病気になってたよな。
飲んだ水のせいでバクテリアが胃の中でガスを発生して、とにかくおならが止まらない病気で、アメーバ赤痢じゃないか?という話だったけど。
カナダ人とスイス人のカップルが、町で買ってきた薬で治ったというので、早速飲んだら、次の日に速攻直ったんだっけ。

おならが止まらないのはね・・・笑えるよ〜。
ちょっと力んでおならをすると、止まらない止まらない。
ブ、ブゥッ、ブッ、ブ〜・・・・
最高時間3分くらいいったんじゃないかな。
あれは、マジで異常だと思ったもん。
ホントに直って良かった・・・。
あれから、野菜も一杯食べて、胃の中もちゃんと浄化したし。

で?話がそれちゃったけど・・・

あっそうだ、そうだ。
不思議な出会いの話だった。

カトマンドゥから、バスで行ったインドのバラナシで、畑さんとの出会ったんだ。

(つづく・・・)

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

カズエの夢日記 更新情報

カズエの夢日記のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング