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生活保護者の集いコミュの友も仕事も…全て失った海外移住 「帰りたい」応えてくれた電話

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https://mainichi.jp/articles/20220102/k00/00m/040/099000c

 コロナ下、ある日本人男性が海外の移住先で職を失った。高齢でお金もない。そして、お金以上に大切な存在もなくしていた。そんな男性を救ったのは、縁もゆかりもない地の不動産仲介業者にかけた一本の国際電話。身一つでたどり着いた安住の地で、男性は自身の半生を振り返る。十数年前に海外移住に踏み切ったきっかけも、かけがえのないものを失ったことだった。【遠藤大志/社会部】

 窓から穏やかな西日が差し込む。きれいに片付けられた7畳一間の部屋で、清水輝雄さん(67)が静かに話し始めた。「こんなお金もない高齢者を受け入れてくれて。これまでの暮らしと比べたら天国ですよ」


 神奈川県座間市にある2階建てシェアハウスの一室。同じ市内にある不動産仲介業「プライム」が、いろいろな事情で部屋探しの困難な人たち向けに所有・管理している。

 「日本大使館からかけています。帰りたい」

 新型コロナウイルスの第3波が日本国内に広がりつつあった2020年11月。清水さんは電話でそう訴えた。「コロナで仕事がなくなり、お金がないんです」。当時住んでいたのは、フィリピン・ミンダナオ島にある街スリガオだった。


部屋探しの電話相談に応じるプライム社長の石塚恵さん。コロナ禍で相談件数が増えたという=神奈川県座間市で2021年11月15日午後5時5分、遠藤大志撮影拡大
部屋探しの電話相談に応じるプライム社長の石塚恵さん。コロナ禍で相談件数が増えたという=神奈川県座間市で2021年11月15日午後5時5分、遠藤大志撮影
 電話を受けたプライムの社長、石塚恵さん(55)は最初、何かの冗談だと思ったが、冷静に耳を傾けた。「お話をうかがいます」。孤独死や家賃滞納のリスクがあると敬遠されがちな高齢者らの相談に乗ってきたプライムには、珍しくない内容の電話だった。だが、海外からとは――。

 間もなく身一つで帰国した清水さんはプライムを訪れた後、生活保護を申請してシェアハウスへ入居することになった。


   ◇

 清水さんはかつて、浜松でリサイクル会社を経営していた。フィリピンに移住したのは長男一輝さん(当時23歳)の死がきっかけだった。東京都内でソフトウエア開発の仕事に携わっていた一輝さんは08年10月、自ら命を絶った。

生活用品が整頓された自室でコーヒーを飲む清水輝雄さん。その生活はつづまやかだ=神奈川県座間市で2021年11月11日、小出洋平撮影拡大
生活用品が整頓された自室でコーヒーを飲む清水輝雄さん。その生活はつづまやかだ=神奈川県座間市で2021年11月11日、小出洋平撮影
 息子には何か悩みがあったようだが、詳しい理由は分からなかった。「ショックで、当時の記憶は今もない」。もう答えの出るはずのない問いに悩み、自暴自棄になった自分に寄り添い続けてくれたのが、会社の部下の佐藤悦夫さんだった。「何もかも捨てて、フィリピンへ行こうよ」。同い年で、10年来の付き合い。普段は無口で静かな友人からの思い切った提案に、うなずいた。


 息子の死の翌月には、頼れる人もいないミンダナオ島で2人の生活が始まった。日本にはもう帰らないと決めていた。スリガオで最初はタクシー会社を経営した。だが、2年半でつぶれた。その後は不安定なココナツ加工の仕事などで糊口(ここう)をしのいだ。木材を切って自ら建てた小屋に住み、木の根をかじって食べた。

 18年、日本に住んだことがあるという女性と知り合い、女性の経営するバーベキューハウスで働くことになった。そのうち会社経営の経験を買われ、従業員の管理まで任された。順風満帆とまではいかなかったが、安定した生活への道がやっと見えてきた。

 ただ、2人の間には少し違いがあった。離婚した妻がフィリピン出身だった清水さんは見よう見まねで現地の言葉も覚えていた。一方、佐藤さんは話せないままだった。親友は少しずつストレスをためていたのかもしれない。

   ◇

 そして、コロナ禍が全てを奪った。20年になると感染が世界中で拡大。フィリピンでも各地で外出禁止措置が取られ、外食産業は壊滅的な打撃を受けた。その年の4月、働いていたバーベキューハウスが閉店。清水さんたちは収入を絶たれ、再び生活に窮するようになった。食料もなくなり、近くの山に入り草を食べるまでに追い込まれた。

シェアハウスの自室で亡くなった友人のことを話す清水輝雄さん。帰国できたのは、友人のおかげだという=神奈川県座間市で2021年11月11日、小出洋平撮影拡大
シェアハウスの自室で亡くなった友人のことを話す清水輝雄さん。帰国できたのは、友人のおかげだという=神奈川県座間市で2021年11月11日、小出洋平撮影
 「もう日本に帰ろう」。ある日、佐藤さんからそう切り出された。見守り支援のNPOと連携するプライムを、お金のない高齢者でも「断らない不動産屋」と紹介する動画をインターネットで見つけたという。佐藤さんの顔に浮かぶ疲労の色がどんどん濃くなっていくのは、分かっていた。自分も限界だった。

 だが、日本行きの航空機も減便され、チケットはなかなか取れない。帰りたくても帰れない状況が続くなか、貧しい生活もあってか佐藤さんが倒れた。現地の病院に入院したが、腎臓を患っており、日に日にやつれ弱っていく。

 「苦しい。もうだめかもしれない」。病院での最後の面会となった時、佐藤さんが絞り出した言葉だ。それから少しした20年10月、佐藤さんは66歳で亡くなった。その後、プライムへ電話をかけた清水さんは日本大使館の助けもあり、一人で帰国した。佐藤さんの遺体は現地で埋葬された。

   ◇

 あれだけ苦しい生活を送ったフィリピンを懐かしむ気持ちがないわけではない。貧しい人たちも助け合って暮らし、身寄りのない高齢者の独居など考えられなかった。「みんな、温かかった」

 だがコロナで何もかも失い、再び戻ったこの国で暮らしていこうと思う。佐藤さんの見つけてくれたプライムという一本の糸が、自分を日本へとたぐり寄せてくれた。

シェアハウスの階段を上がる清水輝雄さん=神奈川県座間市で2021年11月11日、小出洋平撮影拡大
シェアハウスの階段を上がる清水輝雄さん=神奈川県座間市で2021年11月11日、小出洋平撮影
 今、このシェアハウスには他に2世帯が入居している。それぞれ事情を抱え、深い交流はない。でも顔を合わせれば、世間話ぐらいはできる。「これまで一人で暮らしたことがなかった。だから、シェアハウスは僕にぴったりなんです」

 酒もたばこもやらない。一番の楽しみはお気に入りの映画をDVDで鑑賞すること。帰国してから病を抱え、金銭面でもできることは多くない。眠れない夜は、部屋の中を歩いて気を紛らわす。用もなく夜中に出歩かないのは、フィリピンで治安を考えてそうしていたから。佐藤さんとフィリピンで暮らしていた頃の名残だ。

 亡き親友の姿は、スマートフォンに保存してある。「彼が最期まで帰りたがっていた場所で、彼の分まで」。生きていけるだけでいい。一人、その言葉をかみしめる。

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