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生活保護者の集いコミュのDaiGo氏炎上が教える、 ネット的過激「毒舌・辛口」の底辺コンテンツ化

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https://news.yahoo.co.jp/articles/7f6efdb3f35e0fe46b05feaadd443e800285a7eb?page=1

YouTubeで、ホームレスらの命を軽視した「激辛」発言をアップしたタレントが炎上した。しかし一般の芸能人と違い、炎上し、注目を集めれば集めるほどそれがアクセス数となって収入が伸びるのがネットの世界である。こうした構造上、ネット上のコンテンツにジャーナリズムが根付き、健全化するのは難しいのではないか。ネットで活躍してきたコラムニストだからこそ思うこととは……。(コラムニスト 河崎 環)

● 受験勉強の延長線上で恋愛や人生を「攻略」する発想の限界

 メンタリストDaiGoが、自身のYouTubeチャンネルで生活保護受給者やホームレスの命を軽視した発言をしたとして炎上、波紋を呼んだ。「激辛」と付記した動画で「生活保護の人たちに食わせる金があるんだったら、猫を救ってほしいと僕は思う」「ホームレスの命はどうでもいい」「言っちゃ悪いけど、いないほうがよくない?」「じゃまだしさ、プラスになんないしさ、くさいしさ、治安悪くなるしさ」との発言に、優生思想的である、ヘイトクライムを誘発しかねない、などの指摘が殺到。生活保護に対する偏見や悪感情の深まりを懸念した厚生労働省が「生活保護は国民の権利です」と公式Twitterで発信する事態となった。

 「メンタリスト」との耳新しい呼び名で2010年代のテレビに現れ、数々の自己啓発書を出し、恋愛や職場などにおける人間関係で「相手の心を自由に操る」方法を伝授する、優れて器用なインテリタレントとして重宝され、活躍を続けてきたDaiGo。早期からニコニコ動画やYouTubeの発信プラットフォームとしての価値に気づき、テレビでの知名度を生かしてダントツの登録者数、動画再生数を打ち立て、巨額のサブスク・広告収入を手にするなど、いまどきの“withテレビ”配信シフト成功タレントの代表格である。

 だが、他人の心理にも世知にも長けてスマートな今年34歳の彼が、大学を出てから瞬く間に世間へ認知されたこの10年ほどの間に、世に向けて何を提供してきたのかをあらためて考えると、それは実に2010年代らしい、ネット発信にピタリと寄り添ったコンテンツだったことに気づく。線の細い受験エリートが、受験勉強の延長線上で恋愛や、面倒で複雑な人間関係や、いちいち自分たちを陥れようと意地悪くハードモードを仕掛けてきているとしか思えない人生を“攻略”してきたスキル系、自己啓発系発想の限界〜そしていくばくかの傲慢〜をそこには感じるのだ。

 「毒舌」と「差別やいじめ」の混同

 「自分は目の前の相手を操作できる」「世間を操作できる」という自信から、やがてたどり着く「こうすれば(どうせ)みんな喜ぶんでしょ」という視線。実際に賢いDaiGoの思惑通り、世間は彼が発するコンテンツを喜んで消費し、知ってか知らずか絶えずチャリンチャリンと小銭をお布施し続け、彼のための数字を順当に積み上げてきた。人格を疑われる発言で炎上し、こっぴどく叱られてさえ、問題となった彼の動画チャンネルにはアクセスが集まり、新聞もテレビもネットニュースもラジオも彼の話題で賑わう。

 謝らないなら謝らないで、謝ったら謝ったでみんなが見に行き、SNSで彼の話をする。一言で言えば炎上商法だが、結果的に「DaiGoが何をどうやっても結局DaiGo本人を潤わせる、よくできたエコシステム」に、「人は思ったように操作できる」との彼の説は証明され、強化されるだけだから悲しい。そしてこれはDaiGoが一番成功しているから矢面に立ってしまったわけで、こうしたエコシステムを構築して挑発的に炎上させては小金を稼ぐ、ネット上の偽DaiGoやミニDaiGoは男女問わずいろいろいるのだ。

 『ワイドナショー』で松本人志が「一回、こういうことがあった人のYouTubeは無視したほうがいいと思ってるけどね」とコメントした通り、どこかでその麻薬的なサイクルを断ち切らないと、アクセス数が収入に直結するネットのルールでは、より「強くて新しい刺激」「多くの収益機会」を求めて、ネットの中の言説やコンテンツはただ過激化する一方なのである。

 2010年代から顕著となった、毒舌や辛口、ぶっちゃけトークなどを喜ぶ風潮は、本来の「真実を言い当てる」や「歯に衣着せぬ、率直な物言い」のあり方とは正反対の方向性にある。

 権力を持つ強者に向けて、相対的に低い立場からその行いを辛辣(しんらつ)に皮肉るのが、メディアにおける「歯に衣着せぬ、率直な物言い」のあるべき姿であり、隠され見えなくされているものを暴くのが「真実を言い当てる」ということだ。

 その力学が逆転し、相対的優位にある強者が「世間的に言ってはいけない事をあえて俺は言うよ」と公然とイキってみせる、現代のネット的「激辛」は、まともな批評でもなければ意見ですらなく、浅慮ないじめと同じ構造であることに気づけない。弱者を「お前って弱者だよな」「俺は弱者には弱者って言うよ」と馬鹿にし、挑発して笑うことに、なんらの文化的意義もジャーナリズムもないだろう。

 プロのお笑い芸人のツッコミは、事物に対する観察眼と絶妙な愛のバランスがあるからこそ面白いのだ。そういう技芸や哲学のない人間が見よう見まねで、「人として言うべきでないこと」や「誰もが(無神経でさえあったなら)口にできてしまうようなこと」を雑に言い放ってせせら笑い、「新しいことを言っている俺」「鋭くツッコんでいる俺」と悦に入る姿のことを、本当のお笑いのプロは心の中では軽蔑している……というのを、風の噂で聞いたような気がする。

 日本の社会には大人が不在だ

 山本一郎氏は、文春オンラインのコラム「メンタリストDaiGo炎上に見る迷惑系ユーチューバーの『ビジネスモデル』という煉獄」で、いみじくも「底辺」という言葉を用いてDaiGoの現状を言い当てた。

 “文春が5年前に報じたメンタリストDaiGoと女子中学生(もちろん未成年)との性交疑惑の他にも、薬効を謳ってはいけない健康食品とタイアップして現行の薬機法違反を指摘されたり、微妙な出会い系マッチングアプリの監修を行ったり、全体的に見てメンタリストと銘打っている割には底辺の仕事をしているように見えます。そういうビジネスを手がけた結果が、自分のYouTubeで過激なことを言い、社会の荒波で自分を見失った若い人たちの気持ちをスカッとさせるような断定的な物言いで支持を集めて、不安につけこむという行為ともリンクしているのでしょうか。”

 過激化――それまでの量ではどんどん効かなくなって多量摂取のスパイラルへ、ズブズブとはまっていく事を、世間の言葉ではそう、「依存症」という。薬物と同じで、依存症の結末はオーバードーズ(過剰摂取)だ。そんな過激に過激を重ねるウェブコンテンツのベクトルは、より下へ下へと向かっていき、コンテンツを作る者、見る者の品性もろとも底辺へと堕ちていくだけなのだが、数字しか見えない当の本人たちは「これが現代を生き残るスキルだ」と、焦点の合わなくなった目で言う。

 それが、インテリタレントのDaiGoに限らず、どちらかといえば世代的には大人になって小金を持つようになった「昔お勉強のできた受験エリート」たちの層から、どうだ、俺たちって勇気があるだろう、世間の風が読めてるだろうと言わんばかりに発せられているのがネット界隈である。受験エリートの人間的脆弱(ぜいじゃく)とか、いまだに親や先生や先輩や上司に頭を押さえつけられた時代の哀しきルサンチマンなんかを思いっきり露呈していて、同じ大人世代として猛烈に悲しい限りなのである。

 数値的な評価にどっぷり浸かって育ってきて、人間としての幹が細い。大人たちに、大人らしい寛容や気高さや余裕がなく、幼稚。それは「大人のかわいげ」とかユーモアとは全く別物だ。日本の社会には大人が不在だ、と思うゆえんである。

YouTubeの非収益化はネット上のコンテンツを軌道修正できるか

 浅薄で無神経で傲慢な操作性。そんな構造的な誤謬(ごびゅう)に陥るウェブに、ジャーナリズムなんて定着するのだろうか? ウェブでデビューし、ウェブを愛し、ウェブを主戦場に20年書いてきた私だが、実は、最近とみに自信がなくなってきた。

 本当の表情を見せぬまま大量の人々の行動をネット上に誘導し、そこから心理的に抵抗の少ない絶妙な額の金を引き出し、「ちりも積もれば」で一攫千金を手にする。あるいは、とにかく1回でも多くクリックさせて、そのアクセス数や再生数に応じて広告費を稼ぐ。「小銭×(愛なんか1ミリも持ち合わせなくていいから)とにかくクリック数」、それがネット業界やメディアが大好きな常識、YouTuberの「マネタイズ=収益化」である。

 YouTubeでは、規約違反の動画を上げた者に対し、運営側によるBAN(禁止策)として「非収益化(ディマネタイズ)」が科される。だが、それは明白に犯罪レベルのエロ、グロ、差別用語に対して発動するものであって、政治的な姿勢か差別か、というゾーンの動画に対しては「表現の自由」としてGoogleらしく大目に見ることが多い。ディマネタイズがネット上のコンテンツを軌道修正することに、大きく期待はできないのだ。なぜなら世界は、それがどれほどエロかろうがグロかろうが差別的であろうが、「いまみんなが隠れて見たいものは何か」、ネット上のデータで本音を知りたいのだから。

 「ホームレスの命は、どうでもいい」「言っちゃ悪いけど、いないほうがよくない?」。DaiGo発言は、2010年代日本のネットの申し子たる彼らしい、ネット依存的行動の行き着いた先で出た本音だったのだろう。だが、数字を追うだけでそこに愛も信義もないネットコンテンツはどんどん下賤になり、アクセス数で広告費を稼ぐコンテンツメーカーもまた(どれだけ小金を稼ごうが、精神が)卑しいのだ、という物差しを、ネットで活動する者こそ堅持していかねばならないと思っている。

河崎 環

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