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生活保護者の集いコミュの沖縄から「寮付き派遣」27歳男を待っていた地獄

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https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/20210312-00415891-toyo-column

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。
 慣れない仕事で腰が筋肉痛になったのかな――。最初はそう軽く考えていた。しかし痛みはひどくなる一方。あっという間に夜眠れなくなり、トイレに行くのにも苦労するようになった。

 2年ほど前、愛知県にある大手自動車メーカー系列の工場の派遣労働者だったシュウゴさん(仮名、27歳)は椎間板ヘルニアを発症したときの様子をこう振り返る。

 「バンパーの溶接部分をチェックする仕事でした。1日に500台、多いときで800台。(バンパーの)下部は腰を折り曲げて、左右の側面は腰をひねって確認します。働き始めて間もない職場で覚えることも多く、寮と工場の往復でしたから、仕事が原因としか思えなかったのに……」

■「前例がない」と労災を認められなかった

 痛みを訴えたシュウゴさんに対し、派遣先会社の上司らは備え付けの救急箱から湿布をくれた。ただ同時に「病院には、絶対に1人では行かないように」と強く念押しされたという。指示に従って上司と共に病院に行ったところ、医師からは椎間板ヘルニアと診断されたうえ、「仕事が原因と疑われます」と告げられた。

 ところが数日後、派遣先会社からは労災は認められないと伝えられた。理由は「前例がないから」。これまでこの職場で腰を痛めた人はいない、というのだ。上司は追い打ちをかけるようにこう言った。「仕事以外のところで、自分の不注意で痛めたのではないか」。

 一方の派遣元会社はどのような対応だったのか。担当者の口から出たのは信じがたい屁理屈だった。

 「正直こっちも困ってる。君のせいでうちも泥を塗られた形。(労災ではないという)派遣先の判断に従えないなら、次の仕事を紹介するのは厳しい。(その場合は)寮を出ていってもらう。でも、もしこちらに全部任せてくれるなら、ちゃんと面倒は見るから」

 要は、派遣元会社にとって大手自動車メーカー系列の派遣先会社は大切な取引先なので、労災なんて起こされたら困る、ということだ。派遣元会社が用意した寮で暮らしていたシュウゴさんにとって、退寮は即ホームレスになることを意味した。やむをえず、今後治療費は請求しないといった旨が書かれた示談書に署名。まさに泣き寝入りである。

 その後、派遣元会社はたしかに別の職場を用意してくれた。しかし、腰痛のせいで仕事は休みがちに。結局1年たたないうちに雇い止めにされた。

 「派遣先会社からは労働基準監督署に労災を申請したけど認められなかったと説明されましたが、今思うと、それも本当かどうかわかりません。労災は自分でも申請できるとか、個人でも入れるユニオンがあるとか、当時はそうした知識もありませんでした」

 シュウゴさんは沖縄出身。農業で生計を立てていた実家は貧しく、シュウゴさんは小学生のときから新聞配達をして家計を支え、中学卒業後は建設現場などで働いた。ところが、両親はシュウゴさんの知らないところで、彼の名義で消費者金融やクレジットカードで借金。気がついたときには金額は600万円を超えていた。

 20歳を過ぎた頃、それらの借金をめぐり父親と刃傷沙汰寸前の争いになったときのことだ。父親は「親が子どもを使って何が悪いか!」と開き直ったという。この出来事をきっかけにシュウゴさんは家族と縁を切り、故郷を出ようと決めた。

 身ひとつで、知らない土地で働くには寮付き派遣しかなかった。ただ当時のシュウゴさんは夢や期待のほうが大きかった。「学歴も、職歴もない自分に飛行機代も出してくれる、住まいも用意してくれる。入社祝い金やクオカードももらえる。寮付き派遣って、いいことずくめじゃないか」。

■「寮付き派遣あるある」の実態

 しかし、実際の派遣労働は期待外れの連続だった。沖縄を出る前は時給1600円と聞いていたのに、現地に着くと「今その仕事の空きはない。時給1250円の仕事ならある」と説明された。ただ、どちらの時給の仕事も業務内容は同じだという。

 納得できなかったが、いまさら沖縄に戻るわけにもいかず、やむなく時給1250円で働いた。その後、何度か派遣先は変わったが、事前の約束より時給が下がることはあっても、上がることはなかった。

 派遣元会社が用意する寮の家賃も割高だった。寮といっても、派遣元会社が借り上げた民間アパート。あるとき、築40年以上の木造アパートで毎月約8万円の寮費を引かれたことがある。高すぎると感じ、不動産会社に直接問い合わせたところ、実際には家賃5万円ほどの物件であることがわかったのだという。

 シュウゴさんに言わせると、派遣元会社が相場より高い寮費を取るのは「寮付き派遣あるある」。残業の有無にもよるが、収入は手取りで月18万円ほどで、昇給もボーナスもない。揚げ句の果ての仕打ちが労災隠しである。

 愛知の派遣会社を雇い止めにされたシュウゴさんは、その後どうなったのか。

 シュウゴさんは別の寮付き派遣などの仕事を探して神奈川や群馬、埼玉を転々とした。そして昨年4月、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で雇い止めに。住む場所もなく、所持金も尽きたので、関東近郊のある自治体で生活保護を申請したところ、悪質な無料低額宿泊所(無低)に強制的に入居させられた。

 無低では、劣悪な住環境にもかかわらず、入居費、食費として約8万円をピンハネされ、シュウゴさんの手元に残るのは毎月たったの1万円ほどだった。

 しかも無低から最寄り駅までは歩いて1時間。就職活動のため駅まで歩き、そこから電車でさらに1時間以上かかる都心の面接会場に行き、汗だくになって帰ってきても、施設内で決められた入浴時間に間に合わないことがたびたびあった。風呂の時間に少しでも遅れると、罰として食事を抜かれたという。

 この間、生活保護の担当ケースワーカーが無低まで面談に来ることは一度もなかった。代わりに電話でたびたび心ない言葉を浴びせられた。「若いのに生保に頼らなきゃいけないなんておかしいよ」「もっと働けるでしょう」「身内に頼れないのは、あなたにもやましいところがあるからじゃない?」。

 こうした暮らしは、シュウゴさんが貧困問題などに関わる市民団体に助けを求めるまで4カ月間にわたって続いた。シュウゴさんは昨年夏、市民団体の助けを借りてアパートに転居。自己破産の手続きをして、今年1月には腰の手術も受けた。

■いびつな関係がはびこる「労働者派遣」

 それにしても。若者を低賃金で使い倒し、使えなくなったらゴミのように捨てる会社を放置し、最後のセーフティーネットであるはずの生活保護では、悪質無低の食い物にさせる――。この国の雇用政策と福祉行政は、いつからここまで狂ってしまったのか。

 労働者派遣においては、派遣労働者と派遣元会社、派遣先会社は三角関係にある。1990年代以降、経済界の要望に押される形で労働者派遣の規制緩和が進んだが、それは3者の関係が対等であることが前提だったはずだ。

 しかし、貧困問題の取材現場では、3者は対等どころか、「派遣先会社>派遣元会社>派遣労働者」といういびつな関係がはびこっていると痛感する。まさに当初懸念されていたとおり、立場の弱い労働者が中間搾取の対象になっているのだ。禁止されている事前面接や日雇い派遣、偽装請負も横行している。3者の適切な関係を維持できないなら、労働者派遣など即刻やめて、従来の直接雇用に戻すべきだ。

 それに今回、シュウゴさんの腰の手術費用は生活保護の医療扶助で賄われたが、これは本来、派遣元会社が加入する労災保険から支払われるべきものである。生活保護のケースワーカーはシュウゴさんに福祉に頼るなというたわごとを言っていたようだが、むしろ不当に福祉に頼っているのは、結託して労災隠しに走った派遣元、派遣先会社なのではないか。

 シュウゴさんのケースだけではない。コロナ感染拡大の中で多くの非正規労働者が解雇や雇い止めに遭った。もともと低賃金、不安定雇用だった彼らの一部は生活保護を利用することになったわけだが、簡単に雇用調整をして、あとは国の福祉制度にぶん投げていいなら、企業経営とはずいぶんお手軽だと思うのは私だけだろうか。

 シュウゴさんとは、彼が無低から“脱出”して間もない昨年10月と、今年2月の2回会った。今回、シュウゴさんは右脚を引きずっていた。手術から1カ月、まだ痛みがひかないのだといい「また普通に歩けるようになるかな」と不安そうにつぶやいた。

■日雇い派遣には戻らないと考えを変えた理由

 これからの仕事について、昨年は「それでも手っ取り早く働けるのは派遣だから」と、なおも日雇い派遣に戻ろうとしていたが、今回は「人は掃いて捨てるほどいると思っているのが派遣会社だから」と言い、できれば日雇い派遣には戻りたくないと話す。

 どうして考えが変わったのか。「今は住むところがあるからです。落ち着ける場所があるから、こういう考え方ができるようになった。住むところがなければ、やっぱり日雇い派遣しかないと焦ってしまうと思います」。シュウゴさんはそう言って、アパート転居に尽力してくれた市民団体に感謝する。

 シュウゴさんと会ったのは2回ともお昼どきだった。いずれもふらりと入った定食屋で、昨年は鮭のハラスとイクラを、今回は牛タンを食べながら話を聞いた。シュウゴさんにとっては、どれも初めて食べるものだという。

 イクラの食感に目を丸くして驚き、牛タンを口にして「世の中にこんなにおいしい食べ物があることを知った」と笑う。私が牛タンには麦飯ととろろがセットになっているのだと伝えると、私のまねをしてとろろを麦飯にかけていた。

 たまにイクラや牛タンをたべるぜいたくもしてこなかったのか――。目の前の優しい笑顔とは裏腹に、私の心は複雑だった。

本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

東洋経済オンライン

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