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生活保護者の集いコミュの「困窮支援相談員」の呆れるほどに悲惨な待遇 「ハローワークの内側」も貧困の巣窟だった

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https://toyokeizai.net/articles/-/389522

相談員の待遇の悪さに嫌気がさし、警備会社に転職したコウヘイさん。人事担当だが、実際には深夜早朝を問わず、社用車でさまざまな現場に派遣される。相談者の仕事を辞めても地獄、戻っても地獄──(写真:コウヘイさん提供)
現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。
今回紹介するのは「大阪市のある区役所で生活困窮者自力支援の相談員をしていますが、自分は給料は上がらず契約は3カ月更新です」と編集部にメールをくれた、49歳の男性だ。
2008年のリーマンショック。勤めていた会社が倒産したコウヘイさん(仮名、49歳)は連日、ハローワークに通い詰めていた。所内は失業者であふれ、インターネットで検索をするのに30分待ち、紹介状を出してもらうのに2時間待ちはざら。そんなとき、コウヘイさんの目にとまったのは、カウンターの内側で忙しく働く相談員たちの姿だったという。

手取り16万円、契約期間は長くて3カ月
「こっちは仕事がなくてヒーヒー言うてるのに、(カウンターの)向こう側は人手不足。不況でも忙しいなんてうらやましい職場やなぁと思いながら眺めていて、ふとひらめいたんです。『そうか!カウンターの内側に座る人間になればいいんや』と。そのときは、すごくいいアイデアを思いついたと思ったんですけどね……」


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関西地方出身。私立大学を卒業後、大手自動車メーカー系列の販売会社に就職したものの、リーマンショックのあおりで失業した。「200社以上、応募書類を出しても就職が決まらない」追い詰められた状況の中、“相談員”に転職することを決意したのだ。

しかし、「すごくいいアイデアを見つけた」という高揚感は、すぐに失望へと変わった。コウヘイさんはスキルを身に付けるため、まず大阪府内のある自治体による若者向けの就労支援事業の相談員として働き始めたのだが、労働条件が驚くほど悪かったのだ。雇用主は自治体ではなく、事業を受託した民間企業。雇用期間1カ月の準社員で、月収は20万円に満たないうえ、交通費の支給もなかった。

働き始めてすぐに、“目標”として定めたハローワークの相談員も、ほとんどが1年ごとの契約更新を繰り返す非正規職員であることを知った。

就労支援の相談員はどこも細切れ雇用で、やむをえずいくつかの職場を渡り歩いたが、待遇は似たり寄ったり。自治体肝いりの取り組みのはずなのに、自治体職員として採用されたことは一度もなかった。いずれも事業を受託したパソナやテンプスタッフといった大手派遣の系列会社の契約社員という身分だったという。

「契約期間は長くて3カ月。月収はどこも20万円くらいだったので、手取りだと16万円にしかなりませんでした」

相談員のあまりの待遇の劣悪さに驚いたコウヘイさんは、この間何度か一般の民間企業に就職しなおしたこともある。ただ長引く不況下で中途入社できたのは、いわゆるブラック企業が多く、月100時間近いサービス残業を強いられたり、労働基準法に触れる採用や労務管理を担当させられたりした。

非正規雇用でワーキングプアの相談員か、ブラック企業の正社員か──。決めかねては転職を繰り返していた2015年、生活困窮者自立支援制度が本格的にスタートした。

生活困窮者自立支援制度とは、就労支援のほか住居や子どもの教育など貧困にかかわるあらゆる問題にワンストップで対応することが目的。運用は生活保護と同じく各自治体に任された。当時は生活保護に至る前の「第2のセーフティーネット」として喧伝され、コウヘイさんとしても今度こそ相談員としてまともな待遇で働けると期待したという。

「ちょうどハローワークの相談員と、ある自治体の生活困窮者自立支援の相談員、両方の採用試験に受かったんです。困窮支援のほうの月収が5000円高かったので、そちらを選びました」

相談員としての本当の絶望が始まった
このときは3年間の任期付職員として自治体に採用された。月収は約20万円だったが、初めて自治体職員として採用され、ボーナスも出た。「3年間の任期付なんて、言いかえれば3年後にはクビということですが、そのときは『3年も働けるんだ』とうれしかったです。ボーナスをもらったのも、初めてのことでした」。

しかし、相談員としの本当の絶望はそこから始まった。

貧困状態となった人々と直接向き合う仕事の精神的な負担は重かった。親族と絶縁状態の独り暮らしの高齢者や、離婚したばかりのシングルマザー、重い精神疾患を抱えた人──。窓口では、こうした人々の悩みや不安に長時間耳を傾けることも多かった。

「経済的な事情で子どもに手をかけてしまい、刑務所から出てきたばかりだという女性を担当したこともあります。何時間も相談にのったのに、結局『公務員が税金の無駄遣いしやがって! 死ね!』と罵倒されたこともありあます。『死にたい』と言っていた人が本当に自殺してしまったときは、自分の対応がベストだったのかとずいぶん引きずりました」

職場では残業代は出たものの、残業をすると後日、早退や休日の取得を強いられた。残業代に相当する人件費を抑えることが目的だ。結局月収はきっかり20万円。業務量が減るわけではないので、忙しさだけが増したという。

それでもいつかは正規職員になりたいと、社会福祉主事の資格を取得した。ただ、受講料やスクーリング(面接授業)の交通費や宿泊費などを合わせると費用は20万円を超えた。コウヘイさんは「私が通った学校は、スクーリングの宿舎がなぜか葉山にありました」とこぼす。

カツカツの生活の中で、どうして高級避暑地まで出向かなければならないのか。まるで貧困ビジネスではないか──。ほかにもキャリアコンサルタントやキャリアカウンセラーといった資格も取りたかったが、学校やスクールに搾取されるだけで、見合った待遇アップも望めないと思うと、それ以上自腹を切る気にはなれなかった。

3年後には契約どおり雇い止めに。その後は事業を受託した社会福祉協議会や民間企業の相談員として働いた。いずれも非正規雇用で雇用期間は1年、ボーナスはなし。キャリアを積み、資格を取っても、結局「手取り16万円の世界」から逃れることはできなかった。

一方で事業を担う自治体からは、相談者には安定して働ける仕事を紹介するよう求められる。コウヘイさんによると、夜勤などがある職場の場合、正社員で月収二十数万円という就労先もある。「相談者が自分よりも待遇のよい会社に就職していくこともあります。そんなときは素直によろこぶことはできませんでした」と打ち明ける。

相談員同士、「来年の今ごろは私らが相談する側になるかもしれへんな」「典型的な官製ワーキングプアやな」と愚痴をこぼし合うことも。モチベーションを維持することは難しく、「相談者が希望する職種ではないとわかっていても、『もうここでええやろ』『なんとかこの会社に放り込まな』と思ってしまう自分もいました」という。

また、業務を請け負った事業者にとっては、相談件数などの実績が評価の対象になる。このため、相談員たちは路上でホームレス状態にある人に声を掛けて窓口に連れてくるよう指示された。ノルマを課させることはなかったが、上司からはたびたび「(仕事が)向いてない人は契約解除だからね」とプレッシャーをかけられたという。

コウヘイさんは「いずれにしても、独り暮らしもできない、結婚もできないような、給料に見合う仕事じゃないんですよ」と憤る。そしてこう続けた。

「『あんたに話を聞いてもらえてよかったわ』と言ってくれた人もいたし、履歴書の書き方や面接の方法を教えたら、自治体の窓口にわざわざ『いい相談員に出会えた』という声を寄せてくれた人もいました。受け取れないと言っているのに、『お礼に』と缶コーヒーを山ほど買ってきてくれた人もいました。やりがいがなかったわけじゃないんです。

生活困窮者自立支援制度は必要な制度だと思います。でも、肝心の相談員の待遇をちゃんとしないと、よいサービスは提供できません」

変わらぬ「生活困窮者自立支援制度」の実態
困窮者を支援するはずの公共サービスの足元で、大勢のワーキングプアが生み出される──。たちの悪い冗談のような構造については、生活困窮者自立支援制度がスタートしたばかりのころ、本連載でも何度か指摘してきた。コウヘイさんの話を聞き、実態はなんら変わっていないのだと思い知った。

労働の現場を取材していると、給与水準や待遇が仕事の重要性や大変さに見合っていないと感じる職種がいくつかある。介護職員や保育士、バス運転手、警備員、清掃員など。ハローワークや困窮支援の相談員もその1つだ。「エッセンシャルワーカー」などという美辞麗句とは裏腹に、雇用政策を担う側や企業が結局はこうした仕事を“下”に見ているということの表れなのではないかと感じる。

実はコウヘイさんは昨年、相談員の仕事を辞めた。今は民間の警備会社で正社員として働いている。人事担当者として採用されたのに、早朝や深夜に工事現場の警備に駆り出されることもあるなど労働環境はよいとはいえないという。もう相談員として働くことはないのだろうか。そう尋ねるとコウヘイさんはこう答えた。

「『もう見切りをつけました』ときっぱりと言えればいいのですが……。将来体が動かなくなって、食い扶持がなくなってどうしようもなくなったら、また戻るかもしれない。今はそんな気持ちです」

現在のコロナ禍。案の定、生活困窮者自立支援の窓口には多くの市民からの相談が殺到した。以前より相談員の処遇改善を訴えてきた大阪弁護士会の調査によると、新規の相談受付件数は前年の同じ時期に比べて5倍に増えた。就労に加え、住居確保給付金に関する相談が激増したためだ。現場は“相談崩壊”の危機に瀕しているという。

カウンターの内側では相談員たちが電話や窓口での対応に追われている。実態を知らないと、たしかに不況知らずの公務職場で働く公務員のようにもみえる。カウンターの外側。順番を待ち続ける人々の背中を見ながら、この中から第2のコウヘイさんが出てくるのだろうかと、ふと思った。

本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

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