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木内孝(フューチャー500)コミュのフューチャー500中国・北京国際シンポジウム

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フューチャー500中国・北京国際シンポジウム
 〜The Future500 china 2005Conference〜

1)始まりは、母校の同窓会

 2005年7月末に、私の出身高校の熊本市支部創設5周年の記念講演の企画担当をすることになり、熊本の情報誌の出版社長の先輩と私の2人で託され、いくつかの候補が有る中で、私の師の木内孝氏を招聘することになりました。
 その企画は好評の内に講演会+総会が終了したのですが、次の日に私の地元の宇土市から大阪まで、石棺を人力の手漕ぎ船で運ぶ出港式に参列しようと早朝からホテルに向かいに行き、盛大な式典や知事との対談を終えて空港に送る途中で、「秋北京でシンポジムがあるから、九州から2人連れて行きたい。野口さんは、どうかと思っているので、ぜひ北京に行かないか」と誘われました。
 話は、そこで終わるのですが、9月に再度打診が有り、福岡のフューチャー500の支部長と行くことになりました。それから、出発近くまで詳しい日程連絡も無く、出発準備を近くなった日曜日するとになります


2)始まりは、フューチャー500福岡シンポジムから

 2005年11月15日の福岡シンポジム後、次の日は熊本で日常の仕事と家族の用事を済ませ、17日朝から北京行きの準備をして、熊本のバスセンターから福岡空港行きの高速バスに乗り、能古島で15日の打ち合わせ予定よりもちょっと早めの午後1時半に国際線ターミナルに着いたので、昼食を済ませ待ち合わせ場所へ行くとフューチャー500福岡の青柳さんが居て、それからチケットをもらいました。

 そこで青柳さんに初めて、「北京の日程は?」とたずねると「木内氏が北京空港で到着ロビーで、待っているから」だけ言って、東京に帰られるそうで、とにかく北京空港に行くしかないと、内容も会場も分からないまま、大連経由北京行きに中国国際航空B737に搭乗しました。中国の発展からか飛行機は満席でした。


3)ハプニングは、何回も・・・

 大連空港でのハプニングが1つ、入国手続きで宿泊予定のホテルの記入部分があったのですが、会場も日程も知らないので、戸惑っていると日本のツアー客のコンダクターが中国語で係官に告げてくれ、「日本の国内の電話番号」の記入でOKで、入国できました。そのツアー客の女性数名が、私の住む近郊の人が居て、妙に海外での身近な親近感を覚えました。

 北京に到着、到着ロビーに木内氏が居るか探すが見つからず、2人で「とにかく出て、待つしかないか」と出て、きょろきょろしている木内会長が、いつもの半そでスタイルで出迎えてくれました。中国側の迎えも居て、一安心。
 後は、スタッフに連れられてホテルへ向かいました。夜の7時(日本時間から1時間遅れ)を過ぎた周りか暗く、高速道路を約40分近く走り、市道をちょっと走ってホテル到着。ホテルは国営で、到着と同時に七ヶ国の講師たちのレセプションが始まり、自己紹介や雑談始まりました。
 アメリカ、日本、インド、オーストラリア、中東のUAE、イギリス、そして中国のスタッフも含め、約20人の夕食会でした。夕食会が終って、木内会長に「私は、どんなことを紹介すれば良いのでしょうか」とたずねると、「今やっていること紹介してください、知事とか市長とかの対談、異業種交流会、ネットワークなど、2日目午前中に15分程度、通訳は私がする」とあり、そこから実践報告の準備が始まりました。


4)フューチャー500中国・北京国際シンポジウム 開会

 初日の18日は、朝からセレモニー、基調講演、3名の提言、午後は、人民会議副議長(?と聞きました)が入ってのパネルディスカッション、その後研究者からの報告があり、国際シンポジウムとは、こんなものかと思いつつ、時々分かる英語の単語と、中国語の理解できる漢字を読みつつ、午前は2列目、午後は最前列で傍聴しました。
 朝のセレモニーの時に、日本からの報告者と紹介され、内容は九州の中小企業家の代表だったので、「おれで、良いなか?」と木内氏にたずねると、新しい経営スタイルで紹介すると言われ、「ここまで来たからには、やるしかないか」と方向を決めて考えをまとめ始めました。

5)深夜まで、報告原稿の作成

 初日の行事が終わり、懇親会がはじまると、中国語と英語の乱舞する中、日本語頼りの九州の2人は、木内氏と一緒のテーブルで二回目の夕食を楽しみました。前日に食べた唐辛子の辛さに泣いた経験から、用心しながらの食事でしたが、季節を感じるものの有り、美味しくいただけました。なぜか、最後の果物にスイカが朝から晩まで出たのが不思議でした。夕食は、ビールも一杯で止め、9時から深夜2時までかかり、19日の実践報告の原稿をまとめました。

 さて、19日の一部は、研究者の報告が有り、2部に4人の実践報告で、福岡の青柳氏と私が話をしました。私は、4人目で国際シンポジウムも初めて、まして海外での報告になるとは思ってもみず、緊張して演題に経ちました。内容は、下記のようなものにしました。

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