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マイトレーヤコミュのマイトレーヤとは誰か

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■ 出現の背景 ■

すべての宗教は偉大な教師の到来を――キリスト教徒はキリストの再臨を、ヒンズー教徒はクリシュナの再生誕を、ユダヤ教徒はメシアを、仏教徒はマイトレーヤ仏陀(弥勒菩薩)を――待っています。これらはすべて、同一の個人で、世界教師であり、聖パウロと仏陀が、「天使と人間両方の教師」と呼んだ方、すなわち、マイトレーヤのさまざまな名前です。

マイトレーヤは、今から1,200万年〜9万5千年前に存在していたアトランティス時代の中期に第三イニシエーションを受け、人類の歴史の中で最初に高度のイニシエートになった方々の一人です。彼は師である覚者から“幸いなる者”、“喜びと幸せをもたらす者”を意味する「マイトレーヤ」という名前を与えられました。日本では「弥勒」という名前で知られています。

その後、覚者になられてからは、ヒマラヤの高所にあるご自身のセンターに光体として住み、人類の背後にあって、その進化を慈悲深く見守ってきました。二千年前にはイエスを通して(オーバーシャドウという高度な思念伝達の方法でイエスの意識に入り)キリスト(ハイアラキーの長の職)としてご自身を顕わしま した。

やがて20世紀に入り、世界大戦の混乱の中で平和を求める人類の呼びかけに応え、1945年マイトレーヤは、覚者の一団を引き連れ、肉体をもってこの地上に出現する決心をされました。そしてキリストとして、世界教師としての完全な意識が日常のレベルで顕現できる特別な肉体『マヤヴィルーパ(顕示体)』を創造し、1977年7月7日それを着用して、8日パキスタン経由で、19日、イギリスのロンドンに入られました。

マイトレーヤは、私たちの自由意志を侵すことなく、人類を鼓舞し新しい世界を築くためのインスピレーションを与え指導して下さる人類の教師として、その姿のまま2500年間この地上に留まり続けます。マイトレーヤは、彼の霊的な力、深遠なる智恵、見解の広さ、はかり知れない包容力と愛によって、人間の問題を把握し、人間のジレンマを政治的・経済的に解決する尋常ならざる能力を示すでしょう。


■ 秘教で言うキリストとは ■

ハイアラキー(霊的ハイアラキー)とは霊王国のことで、覚者方によって構成されており、ハイアラキー(段階)として機能しています。キリストとはこのハイアラキーの長の職名ですが、マイトレーヤは過去2千年以上もこの職に在りました。しかし、キリスト・マイトレーヤが、そこで起こることすべてを支配するのではありません。大計画をハイアラキーの覚者方が全体として受け取り、民主的に討議します。しかし最終的な決断は三人の大主方(Great Lords)―マヌ、キリスト、マハチョハン(文明の主)―によって、そのなかでも特にキリストご自身によってなされます。これはキリストの権威によるものではなく、彼の霊的認識が、彼に「誰も下すことのできない」決断を行う能力を授けるからです。つまり、パワーとか権威というよりも、霊的知識と理解からくる能力です。民主主義はハイアラキー自体から流れ出ます。ハイアラキーは神の愛が表現される中心です。ハイアラキーの覚者方は長い間内界でのみ働いてきましたが、いま外的な世界に顕現しようとしています。

ハイアラキーは絶えず何らかの種類のエネルギーを世界に放出しています。ハイアラキーはこれらのエネルギーの管理者であり、世界の進化に変化をもたらすために科学的な方法でエネルギーを放出しています。私たちの文明は、そして私たちの生活は、あらゆる意味においてエネルギーに対する私たちの反応の結果です。ハイアラキーは新しい世界を、つまり、アクエリアスの時代を創りつつあります。現在、私たちは新しい時代が提示する機構や文明について、これらのエネルギーに反応しながら、直観的に感じとり、その方向を模索しているのです。



■ 世界教師出現の過程 ■

世界の全ての大宗教は、未来の師より一層大きな啓示がもたらされるという考え方を示しています。キリスト教徒はキリストの再臨を、仏教徒は次の仏陀・マイトレーヤ仏(弥勒菩薩)の到来を、回教徒はイマム・マーディを、ヒンズー教徒はクリシュナの生まれ変わりを、ユダヤ教徒はメシアの到来を待ち望んでいます。しかし秘教徒は、これらすべての異なる名前は皆同一人物を指し、世界教師、即ちハイアラキーの覚者方の長である方だと理解しており、この時代、今にも戻られるものと待ち望んでいます。

1977年7月、突然、彼はヒマラヤの御自身のセンターを出られました。予告どおり「夜中の盗人のように」忍びやかにやって来られ、それ以後ロンドンに住んでおられます。彼は世界の問題――政治・経済・社会――に関心を持つ一人のスポークスマンとして知名度を高めてきておられます。彼は宗教界の指導者ではなく、広義の教育者――即ち、現代社会の危機を乗り越える道を教示される人――ということができる。密教の教えによれば、マイトレーヤは2000年前、彼の弟子であったイエス、現在のイエス覚者をオ−バーシャドウするという形でパレスチナにおいて顕現なされました。今度はマイトレ−ヤ御自身が来られたのです。


■ マイトレーヤの霊的教え ■

マイトレーヤは新しい宗教を創始するために来られたのではなく、また自分の周りに信奉者を集めるために来られたのでもありません。彼は人類に自己実現の術を教えるために来られました。その第一は「正直な心と誠実な生気と無執着」です。


■ マイトレーヤの社会的関心 ■

マイトレーヤが示される優先事項に反映されています。正しい食べ物、万民の為の適切な住宅、普遍的権利としての健康管理と教育、の適切な供給です。彼の社会的メッセージはほんの数語に要約できます。「分かち合いを通して世界を救いなさい」 マイトレーヤは確信を持っておられます、私たちがこのメッセージを受け入れることを。そして私たちが平和と善意の大いなる時代の門口にいることを。


■ 公の出現のための準備 ■

マイトレーヤの公の出現のための準備は今や完了しました。マイトレーヤは、ケニアのナイロビにおける時のような一連の出現を計画しておられます。1988年6月11日そこの野外祈祷治療集会に彼は忽然と奇跡的に出現されました。その時聴衆に現地語で話をする彼の姿が写真撮影され、数千人の聴衆が彼を即座にキリストと認知しました。彼は今や他の国でも大群衆の前に再び出現することを計画しておられます。このようにして多くの人々が彼の存在の証拠を握り、メディアに反応を要求するようになるでしょう。このことが大宣言の日へとつながることをマイトレ−ヤは期待されています。この時、彼は御自身が世界教師であることを、疑いの余地なく示されるでしょう。マイトレ−ヤは全人類を一斉にメンタル的にオーバーシャドウされるでしょう。私たち一人ひとりは内的にテレパシー通信により自国語で彼の言葉を聞きます。そして全人類は世界教師が私たちの中におられることを知るでしょう。


■ 歴史的経過 ■

1982年5月14日:
クレームはロサンゼルスでの記者会見の席上、マイトレーヤはロンドンのアジア人地区に住んで居られると発表し、報道関係者がマイトレーヤの所在を探すよう促しました。残念ながら、メディアは反応しませんでした。
1985年7月31日:
東西のメディアを代表する22名の影響力あるジャーナリストが、マイトレーヤか、またはその代表に接触することを望んで、ロンドンのイースト・エンドに集まりました。このメディアのお陰で、その時点より、マイトレーヤは究極的に大宣言に到るのに必要な手段をとることが可能となったのです。
1987年8月:
ベンジャミン・クレームは、「3〜4ヶ月のうちに、世界情勢に重要な突破口を開くためにマイトレーヤは全力を尽くされる」と発表しました。それから1ヶ月も経たない9月に、その突破口は米ソ間の軍縮会談という形で実現し、誰も可能だと思わなかった 12月の協定へとつながりました。
1988年:
マイトレ−ヤは、直接又は夢の中で、世界中のいろいろな国の指導者や一般市民に姿を顕しておられます。世界の関係緩和とそれに付随して起こる緊張からの解放が、彼の臨在の徴の数々を一層明白にします。光の十字架の顕現が合衆国のメディアで報道されました。何千人もの人々がそれを見ました。
1982年5月14日:
クレームはロサンゼルスでの記者会見の席上、マイトレーヤはロンドンのアジア人地区に住んで居られると発表し、報道関係者がマイトレーヤの所在を探すよう促しました。残念ながら、メディアは反応しませんでした。
1989/2003年:
光の十字架がカナダ、そしてフィリピンからスロベニアでも見られ、日本ではテレビ放映されました。
1990年4月21・22日:
マイトレーヤは世界中から著名人を集めた大会議を開催されました。その中には、外交官、王室関係者、教会指導者、ジャーナリストが含まれます。マイトレーヤは数回にわたって忽然と現れ(そして消え)、御自身の使命、教え、計画について話されました。
1995年9月/10月:
世界中の人々が、ヒンドゥー教の神の像に差し出されたミルクが消える奇跡を目撃しました。マイトレーヤはこのような「奇跡」を通して、全人類の教師として出現できるような希望と期待の風潮を造り出そうとしています。
1991/2002年:
マイトレーヤは世界中の大勢のグループの前に奇跡的に姿を現しました。トラコテ(メキシコ)、ノルデナウ(ドイツ)、ナダーナ(インド)で、マイトレーヤによって活性化された治癒の泉を、ますます多くの人々が訪れています。これらの“奇跡” によりマイトレーヤは、ご自身が全人類のための偉大なる教師として出現できるように希望と期待の風潮をつくることを望んでおられます。


■ マイトレーヤの予報 ■

1988年4月より、ロンドンのアジア人地区に住むマイトレーヤの側近の一人から「シェア・インターナショナル」は記事を与えられました。これらはマイトレーヤの教えの外郭を示し、また長期的又は短期的にこれから起こるとマイトレ−ヤが予測しておられる世界情勢の進展に焦点をおくものです。

実際に、マイトレ−ヤの洞察通りのことがすでに外的に起きています。早くも1988年に、マイトレーヤはネルソン・マンデラの釈放、世界の緊張緩和への過程、南アフリカでの和解などを予測されました。更に1988年に、サッチャー夫人が権力の頂点にある時に、マイトレーヤは、「運命の車輪は彼女に逆らって廻り始め、彼女は引退するだろう」と述べられました。また同じ年に、彼は世界中の政府は“国民の声”に耳を傾けなければならなくなるだろうと言われ、この発表は東欧でのめまぐるしい展開に最も印象的な証明を見ました。

さらに数週間も数ヶ月も前に、マイトレーヤは、イランとイラクの停戦、アンゴラからの外国兵力の撤退、世界中の政府とゲリラ勢力との間の歩み寄り、1988年のアルメニアの地震、1989年のカリフォルニアの地震や中国の地震、ソ連邦内の混乱や紛争、緊張緩和と軍縮へ向けての世界的な傾向、環境問題の影響の増大などを予測されました。

1988年に彼は約束されました。「多くの人が祈りの実践を通して、エイズを癒されるだろう」。オランダのテレビ局は1995年10月、ウガンダで400人以上の人が祈りによってエイズを癒されたと報道しました。

マイトレーヤはさらに、民主党からアメリカの大統領が選ばれることを、イスラエルとパレスチナの関係に肯定的変化がみられることを予測されています。(1988年に発表:「イスラエルの軍隊は、すべての期待に反し、西岸とガザ地区から引き上げるだろう。そして故国に戻り、それを守る準備をするだろう。」)

今後の情勢の主要なもの:日本に端を発する世界的株式市場の崩壊を1989年に発表されています。



■ ケニア・ナイロビでの出現 ■
■ ジョブ・ムツンギ記者の証言 ■

「1988年6月12日、ケニアのナイロビでのことである。ケニアの霊治療家、メアリ・アカサの治療を目撃するために集まった群衆の前に、突然、一人の男が現れた。群衆はその背の高い、白い衣を着た人物をすぐさま「イエス・キリスト」と認知し、感極まって地にひれ伏した。『ケニア・タイムズ』紙のスワヒリ語版の編集者であるジョブ・ムツンギ記者は、この事件を目撃し記事を書いた。それを我々は以下に複写した。ベンジャミン・クレームの覚者は、その日に群衆に語りかけてのちに消えた男は、まさしくマイトレーヤであったと確認された。」

「ナイロビのカワンガレはイスラム教徒の村だ。この地の約6,000人の礼拝者は、先週、真っ昼間にイエス・キリストを見たと信じている。これはなかなか信じがたいことかもしれないが、「イエス様」が彼らに語りかけ、すぐに戻ってくることを約束されたのだから、彼らの信をゆるがすものはない。

舞台はメアリー・シナイダ・アカサが奇跡の祈りを行うベツレヘム教会の前の広場で、メアリーはここで、病人、盲人、身体障害者、精神障害者、不妊症の女性や、ほかのあらゆる個人的な問題を抱える人達のために祈ってあげている。

1988年6月4日、土曜日、上空に、大きな輝く星が、礼拝者達によって目撃された。それは普通の星よりもなみはずれて明るかった。時刻は午後1時だった。

しかし、6月11日の土曜日には、状況は違っていた。礼拝者達がいつものスワヒリ語の賛美歌『ムング・ニ・ムウェーマ』を歌うのに精を出していると、メアリー・アカサが口をはさんで次のように告げた。神が彼女に話しかけられ、“たいへん大事なお客さんがやってきて、あなたにたいへん重要なメッセージを伝えるから、奇跡を待つように”と告げたと発表した。これを聞いた群衆は、「未知なるものに対して気を引きしめる」者もいれば、畏れとおののきでぽかんと口を開けたまま彼女を見つめる者もいた。

5分後、彼女は歌い踊っている人々にやめるように言った。長く待たれていたメッセージが到着したからだという。“イエス様、イエス様、ナザレのイエス様”というつぶやき声が群衆から聞こえ、人々は服従と聖なる御出迎えのために手をかざした。すると、はだしで、白い衣を着て、ひげをはやした背の高い男がどこからともなく現れて群衆の真ん中に立っていた。彼はテントから離れた新しい教会の建物の方にゆっくりと歩いていった。メアリーは彼のそばに付き添って歩いた。

彼女は、この日の祝福のおかげで、数分前に20人の身体障害者が何とか再び歩けるようになったと説明しようとした。だが、おそらく2、3人の者を除いて、このことを聞いた者はなかっただろう。人々は‘主’に話しかけるのに懸命だったからだ。

時計を見ると、午後4時15分だ。“イエス様、イエス、イエス様、あなたは来られた。ようこそ、イエス様。どうか私たちの罪を洗い去って下さい。イエス様、どうか助けを!”という大きな叫び声がひびきわたり、彼女の声はかき消されてしまった。多くの者にとってそれは、最後の祈りだった。彼らには、地上に戻るという約束を‘人の子’がついに果たされたように思えたのだ。彼らはひざまづき、感情を込めて祈りに祈った。最後の土壇場に魂を救ってもらおうという必死の努力だ。私の近くで横になっていた男はズボンに小便をもらした。しかし、私は集会の中にいるこの見知らぬ男をまばたきせずに見つめ直した。ターバンをつけた頭のてっぺん、足、体全体に、不思議な光がちらりほらりと漂っていた。

礼拝者達の有り様と雰囲気は、言葉が‘混乱した’という旧約聖書(創世記第十一章)のバベルの塔の時代を思い起こさせた。だれもが何かをつぶやいていた。あるものは地面にひれ伏して、賞賛と崇拝の念であられもなくむせび泣き、完全にこの出来事に服従していた。ママ・アカサは気を静めるようにと呼びかけた。しかし、それは難しかった。なにしろ‘聖霊’が降り給うたのだ。そうだ、カワンガレ村の悪徳と罪で汚れたスラム街は、まさしく(聖なる地)へと変貌したのであった。その男は約2分間、アカサにささやいていた。そのあと、この見知らぬ男が説教するということを彼女は群衆に告げた。

男はなまりの全くないきれいなスワヒリ語で語り、ケニアの人々、特のその日の午後、現場に集まった人々は祝福されていると告げた。メアリーはすべての人種、種族をイエス様を通して神の傘下に統合するという重大な使命を持っている、と彼は語った。

“世界がなくなるにつれて、あなたがたの信仰をどうぞしっかりと守るよう、あなたがたに嘆願します。天が統治するときに近づいています。けれども、その前に私は戻ってきて、あなたがたすべてに手おけいっぱいの祝福をもたらすだろう。メアリーは「いと高き御方」の真実の使いですから、彼女を尊敬して下さい”と、その男は語り、群衆に聖書の教えに従って生きるように説いた。

この見知らぬ男が立ち去ろうしたとき、2人の女性が席を立ち、男とメアリーが立っていた所に転り込んできた。2人はひざまずきながら彼の方に進んだ。そのほおには涙が伝わっていた。「シェタニ、リースワー!」と男が2人に向けて言うと、2人は地面にどっと倒れた。古代のヘブライ人の呪文がそこらじゅうにこだました。この言葉は、2,000年前に、悪魔や悪霊をこらしめるために使われたものだった。

その男はグルナム・シンジ氏の提供した車に乗り、集会を去ったが、このあと群衆が気を取り戻すのにほとんど20分もかかったのである。だが、シンジ氏が2分後に受けたショックには及ばないだろう。彼がそのショックから気を取り戻すには、彼の一生の時間がかかるかも知れない。車がケニア・バスの第 56路線の終点に着くと、男は、天を仰ぎたいので車を止めてくれないか、とシンジ氏に言った。彼は車を降り、道路脇を2、3歩あるくと、希薄な空気の中にただ消えてしまったのだ!これを目の当たりにした何人かの人々は、この不思議な消え方に度胆を抜かれた。

数分後、海峡横断を果たした水泳選手のようにあえぎながら、シンジ氏がバスの停留所にいた人達に伴われてあたふたと戻ってきて、奇怪な事の成り行きを話した。‘イエス様’は天国へ行かれたのです、とメアリーは集会の人々に断言した。

メアリーが見知らぬ男のいる前で群衆に話している時に語ったことが多くの人々を困惑させた。つまりその時感じられた霧雨は、‘イエス様’の臨在のしるしだと言ったのである。そして彼女はこうも言った。‘イエス様’が‘天の御座’に帰られたしるしとして、あとで大雨が降るでしょう、と。まさしくその通り、雨はやって来た。その晩、大雨が不意にやって来て、町中が洪水になった。のちに、多くの者が聖なる場所をなかなか立ち去ろうとせず、立ち去るように説得されなければならなかった。

さて、話はさかのぼるが、ウール公園では、ボンケ牧師が、テレビとラジオの生中継を通して、何千人もの礼拝者と何百万人もの視聴者に対して、土曜日には人々はイエスの臨在を体験し、偉大な奇跡を体験するだろうということを、木曜日に神が自分に告げられたと約束した。イエスはまさにナイロビにやって来られたのであった。しかし異なった場所であった。

メアリー・アカサの集会には、常時(駐在の)写真家がいる。彼は様々なエピソードのスナップ写真を取って、それを礼拝者に1枚10シリングで売るのだ。以前に、明るい星がカワンガレ村の上空に真っ昼間に現れた時、彼が取った写真には、雲と青い空しか写っていなかった。

しかし、今回、フランシス・カブルという名のこの写真家は、見知らぬ男のスナップ写真を6枚ほどうまく取ることができた。しかし、これは結局まやかしではないかという疑いが出てきている。すでに報道されていることだか、引き合いに出されている人物は‘聖霊’か妖精であって、そうだとすれば彼の不思議な消え方もうなずけるというのだ。

しかし、メアリー・アカサはこの主張に反対する。“この方は私たちの主でした。この方は、聖書で、違った姿で戻ってくると約束されました。とにかく、彼は女性から生まれ、地上に生きていたのです”と、彼女は後に語った。そして、あの出来事を目撃した何千人という人々も彼女に全く同感している。

ナイロビの弁護士であるトフィアス・オニアンゴ氏は、いまメアリー・アカサの奇跡についての本を書くのに忙しい。‘イエス’が来られた時、彼は教会の敷地内におり、現場から90メートルほど離れた所で原稿を書いていた。「今まで私が目撃できた唯一のものは、日中に輝く星だけです」と彼は語り、「大奇跡」を逃したことを悔やんでいる」

(ベンジャミン・クレームの注釈――マイトレーヤの外見は、群衆のイエス・キリストへの期待と合わせられたので、ひげの生えた顔と聖書にあるような衣装が選ばれた。マイトレーヤが戻るときに持ってくると約束された「手桶いっぱいの祝福」は、宝瓶宮の時代の象徴である「水を運ぶ者」としての御自身を暗示している。(「マイトレーヤからのメッセージ」第42信参照。)マイトレーヤによって使われたスワヒリ語の正しい訳は、(手桶)ではなく(水差し)である。ジョブ・ムツンギ記者が表現した、マイトレーヤの頭と足から発する「不思議なちらりほらりした光」は、現在マイトレーヤの周りにいる者たちがいつも見ている光である。

ムツンギ氏が書き留めたヘブライ語の言葉は、実際にマイトレーヤが発したものではなかった。マイトレーヤによって使われた言葉は祝福であり、呪いとはほど遠いものだった。)

【コピーライト】 Kenya Times。初出は1988年6月22日付ケニア・タイムズ紙。(さらに詳しいことは、1988年6月22日付ケニア・サンデー・タイムズ紙に掲載された。そこで掲載されたマイトレーヤは、「もの静かで、背が高く、やせた男で・・・・ゆっくりと垂れた、しみのない清潔な衣を着ていた。また、彼は真っ黒いひげをたくわえ、黒い蝿払いの小ほうきを持っていた。」)この模様は1988年7月5日付の読売新聞夕刊でも報道された。

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