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パスカルコミュの絵画のむなしさについて

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こんにちは。

あるところで『パンセ』の断章が引用されていたのを読んで気になっています。

B134:
「絵画とは、なんとむなしいものだろう。原物には感心しないのに、それに似ているといって感心されるとは。」(前田陽一訳)
"Quelle vanité que la peinture qui attire l'admiration par la ressemblance des choses dont on n'admire point les originaux."


この断章の、「原物には感心しない」ということについて、二通りの解釈ができるような気がします。

1. パスカルは、絵画のモデルとなる原物が実際につまらないものである可能性を肯定している。絵画の本質はそもそも、とりたてて感心すべきところのないものであってもそれを模倣すればその模倣に対して感心することができるというところにあり、だから絵画はむなしい。

2. パスカルは、むしろ原物を見て感心すべきだと考えている。神の被造物たる自然のすばらしさに感心すべきであり、絵画は所詮オリジナルのコピーでしかなく、必然的に自然そのものよりも劣るのだから、そのようなものに感心することはむなしい。


前者なら、アリストテレス的な模倣観をいったん受け入れたうえでそれを反転している。また後者なら、プラトン的な模倣観を踏襲しているような気がします。

今回はじめて『パンセ』をひもといたもので、問題の立て方が的外れになっているかもしれませんが、何かご意見を伺えればうれしいです。

コメント(8)

私は何も意見は言えないのですが、
塩川徹也「パスカル考」で「絵はなぜむなしいか」という
題でかなり突っ込んだ考察もありますね。
とりあえずご参考まで。
ミトンさん、ありがとうございます。
挙げていただいた文献も読んでみました。

いろいろ示唆に富んではいたんですが、「絵はなぜむなしいか――像の存在論的な不完全性をめぐって」というタイトルの疑問文に対する答えとしては、ごく切り詰めて言うなら、“絵画とは模倣であり、実物に対して劣っている(存在論的に不完全)というのは当時の通念であって、自明だった”ということのようでした。

ではなぜ自明のことをパスカルはわざわざ書いたのかということになると思いますが、それは、この断章があくまで人間のむなしさというパスカルの主張に資する例のひとつであって、そもそも絵画が主題に据えられているわけではないから、ということのようです。

だとすればこの断章をことさら美学的に解釈しようとすること自体が“むなしい”ということになってしまいそうでもありますが、もう少し考えてみたいと思います。
最近、この章を読み気になっていました。

私は絵を描きます。
何故むなしいのか…

もう少し考えてみます。
いきなりしろうとが発言してもよいかおそるおそるですが、


なんか パスカルはむなしいということを伝えたかったのではないのではないかと思うのですが・・・
CROISさんのおっしゃることに異存ありません。
「2」の書き込みにもそのような趣旨のことが含まれているのですが、絵画のむなしさも、狩や賭事のむなしさと同様なのだと思います。

あらためて考えると、そうであるなら、“イメージの存在論的な不完全さ”といったことは、あまりパスカルの論旨には関係ありませんね。絵画(賭事)が実物(現金)よりも劣るからむなしい、という話ではないので。
キリスト教的な被造物を賛美することの虚しさを語っていると塩川氏はおっしゃっているのだと思われましたが、絵を描く者にとっては、実物を漫然と見ているだけでは見えないものを、絵に描くことによって導き出しいているように思えるのです。似ていると認識できることはどこかに実物と絵との間に共通する形相を認め、それをパスカルは反語的に褒めているような気がします。

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