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日本曲者女優伝(芸一筋)コミュの拾五の巻 山根寿子さん

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いかにも純和風で楚々たる着物美女の印象が深かったのが山根寿子さんでした。
時代劇で主役の相手役を勤めることが多かったのですが
たまには現代劇のヒロインとしても立派に主役をはっていました。

私が初めて山根寿子さんを意識したのは
当時チョーさんこと長谷川一夫の大ファンだった両親に連れられて観た時代劇の数々からでした。
蛇姫様(1940)/待っていた男(1942)/男の花道(1942)/足を洗った男(1949)
等のいわゆるチョーさん映画では決まったように彼女が相手役をしていたのです。
可憐で大人しげで優しげでいかにも時代劇のために誕生したような女優さんでした。

山根寿子さんは1921年4月東京生まれ、
母親はオペラ歌手の山根寿美子さんで実家は料理屋さんを経営されていたそうです。
1936年に15才でPCLに入社し東宝を経て新東宝へ移り、
1949年にフリーとなってからは東宝・新東宝・松竹・大映・東映と各社の映画に出演していました。
1954年にプロデューサーの小川氏と結婚し、
1955年以降は主に日活映画に数多く顔を出していましたが、
1959年には映画界を引退され
1990年9月に惜しくもあの世へと旅立たれてしまいました。

新東宝時代には細雪(1950・市川版で吉永小百合が演じた三女雪子役)や
溝口の西鶴一代女(1952・珍しく冷酷な奥方役)などの名作にも出演していましたが
三百六十五夜(1948)/湯の町悲歌(1949)/影を慕いて(1949)等のB級メロドラマの
薄幸なヒロイン役が主な役柄だったような気がします。
言い方が悪いかもしれませんが
どんな役を演じてもやっぱり山根寿子という感じが強く
曲者女優というよりも極く普通の女優さんとしか評価されなかったようです。

しかし日活で石坂洋次郎原作の映画化作品に多く出演し出した頃の
40才近い年齢になった山根寿子さんは
女性の貫禄と母性を身につけて今までとはうって変わったような演技を魅せて呉れました。
乳母車(1956)/陽のあたる坂道(1958)/若い川の流れ(1959)等どの作品の演技も素晴らしかったけど
なかでも「陽のあたる坂道」での裕次郎の産みの母親役は
日陰の身ながら息子を懸命に育てて行く女性の健気さを十二分に表現していました。

当時の日活作品で井上梅次が演出した「夫婦百景 正・続」(1958)という映画がありました。
この作品での山根寿子さんの役柄は
息子ほども年が違う青山恭二の年上妻役で
映画ではこのカップルは母子夫婦と分類されていました。
下の動画はこの映画の続編ラストで
帰郷先から戻ってきた年下夫を迎える山根寿子さんの健気で心温まるシーンです。
<video src="6672781:2fd67fe45d96f7f333822d709d98f455">
もう母性満開の演技でしたから
高校生時代にこの映画を観た私は
その少し前に亡くなった実母を思い出して胸が熱くなったことを憶えています。

山根寿子さんはテレビドラマにもよく出演されていました。
なかでもNHKの連続ドラマ「お父さんの季節」での演技が忘れられません。
彼女が亡くなってから早や20年以上も経ってしまいましたが
今でも時々テレビの旧作であの愛らしいお顔を拝むことができます。
なかなか忘れることのできない女優さんの一人だと言えます。

コメント(2)

山根寿子さんはあまり花が感じられないところが
大女優になれなかった一つの理由かもしれません。
トピュたてした後で気がついたのですが
このヒトって戦前の映画に無名に近いチョイ役で
しばしば顔を出していたことがあったのですねぇ・・・
そのヒトがアレだけの女優になったのですから
少しは花があったとも言えるのかしら?

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