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mixi文芸コミュの斉藤美奈子 著 「月夜にランタン」

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斉藤美奈子 著   月夜にランタン

2010年 11月 20日 初版
筑摩書房
ISBN978-4-480-81669-6

第一章  リーダーの憂鬱

「美しい国」をめざす次期首相のハエ叩き大作戦
ゴア参戦でヒートアップする「地球温暖化」の信用度
地方の困難、知事の困惑
ドタバタ安倍政権三六五日の内幕とその「実績」
多発する痴漢冤罪から見た「でっち上げ」の構造
マスメディアが報道しない検察「国策捜査」の闇
サイバンインコが教えない裁判員制度の問題点
官僚悪者論で得をするのは市民か、それとも政治家か
タカでもハトでもなかった新首相のぼんやり未来像
オバマへの過剰な期待にあえて水をさすならば
脱イデオロギーの時代の「先の戦争」の語り方
民主党トロイカ三者三様の「こだわり」

第二章  みんな競走馬

若者を見下す大人による若者論のキレた分析
昨日の志はどこへ 団塊世代の懲りない面々
デキる男を奮発させる子育ての「新領域」
格差社会論の第二ラウンドは経済格差ならぬ貧困問題
「愛ルケ」はデフレ不況下の省エネ不倫小説だった
女に説教を垂れるあの本に平成の「女大学」を見た
シングル女性の老後をめぐる楽観論と悲観論
「年収別に編集された主婦雑誌の費用対効果
能科学とはコトバ巧みなノー科学とみつけたり
ロスジェネが読む「蟹工船」
リーマン・ショックは予想されていた?
「婚活」の背景を眺めれば
追い詰められた若者たちを民主党政権は救えるか
「勝つ」か「降りる」かカツマとカヤマのKK論争

第三章  ブームの御利益

ヒーロー不在の隙間を突く「日本一カッコイイ男」
マンガ評論を甘く見た?ある有名学芸賞のお粗末
映像メディアの手法にみる「演出」と「やらせ」の間
どんちゃん騒ぎも精神論も飽きたあなたの桜ガイド
おそうじに開運パワーを求める信心深き人びと
文学界を震撼させた?ケータイ小説の虚虚実々
「ミシュラン」が笑える理由
あの達成感をもう一度! 検定列島ニッポンの不可思議
日本列島の「地図帳」は県別ランキングがお好き
「源氏物語」千年紀にあやかった、あの手この手
昭和の鉄道や工場が鑑賞の対象になったワケ
シニア世代の「純愛願望」と時代小説が結託する日
お勉強は「萌え本」とともに
ベテラン作家の純文学をジャックする「闘う女」の怪

あとがきにかえて

以上が本書の目次である。

本書は2006年から2009年にかけて雑誌に掲載されたものを選んでまとめたものだと説明されているから今となっては旧聞に属する出来事をなぞることになり、それらを今改めて思い出しつつ、ああそういうこともあったな、と思うことがしきりであるとともに、ある部分ではまだ懲りないでおなじことを繰り返しているものだなあと思うこともあって日本に居ないものにとってはこの15年ほどの出来事を系統立てて辿るのに興味深く読んだ。 

この30年ほど日本に帰省するたびに大型書店に出かけてめぼしいものを20冊ほどスーツケースで持ち帰り日本土産にしてきたのだがこの何年か、もう10年以上になるだろうか、書店に行ってもこころが弾むような本が少なくなってきたことと内容の薄いスカスカの本が多くなったことにも失望して、昔なら買いすぎて別にミカン箱を用意して船便でオランダに3ヶ月ほどかけて送っていたものがそれをするほどでもなくなってきていた。 別にこちらから買い物リストを作って日本で探すわけでもないけれど今までずっと読んできてその続きや新しいものに触れたいという気持ちもあるから本屋はレコード・CD屋とならんで昔から店内のあちこちと歩き回って何時間でも居たいところだったのだ。 ところがつまらなくなった。

本屋がそうだった、だったと書くのは過去形でCD屋についてはもう20年ほど前からJ−Popというのかそのジャンルの音楽で溢れ、自分の好みのジャズの棚の凋落ぶりは目も当てられなく、同時に日本の伝統芸、演歌のスペースも見る影もなく隅にあるかないかということになっていた。 だから自分の聴く音楽は日本で殆んど買うことはなくなっていた。 けれど本についてはまだ期待はあった。 あった、というのも過去形なのだが、3,4年ほど前までそれまで25年以上日本の文学雑誌5つに毎月目を通していたから日本文学にも接していたいと思うけれどレコード屋でみられたようなJ−Pop化が甚だしく本屋にも押し寄せ、もう還暦も越してこれなら今更続けることもないと止めてしまった。 それに加えてブログを始め、PCモニターの前に坐ることが多くなったのに加えてテレビをよく見るようになったから読書時間も圧倒的に少なくなっていることも原因の一つだろう。 テレビの方は居間のソファーに沈み込み見るのだが同じその場所で古いオーディオセットから音楽を聴くことも少なくなったのには読書時間が減ったこととも対応しているようだ。

著者は1956年生まれであるから自分の妹ほどの年恰好で、初めて知ったのは1994年の評論、「妊娠小説」だった。 これには男としての自分の眼から鱗が落ちるような新鮮な思いがした。 その後「あほらし屋の鐘が鳴る」というのもあって本書と重なる部分もあったように思うのだがもう大分前の話だ。 60年代末期、高校の教師のガイドでボーボワールの「第二の性」を読み、そのときにジェンダーのことを初めて意識したのだがそれを具体的に文学、社会評論で我々の眼前に日本の状況を見せたのが斉藤の諸作だったのだ。 それに語り口がからっとしていて鋭く思わずに笑わないではいられない、時には哄笑することがあってその語り口は例えば第三章、{「源氏物語」千年紀にあやかった、あの手この手}、のところで町田康の末摘花の現代語訳にみられるような大阪人特有なものを感じたのだがそれは大阪人の自分の偏見でしかなかった。 本書のような雑誌に掲載の小文であり批評とか世間展望というような場合のシカトの仕方に戦略的な女性性をみるようでそれは最終章、大江健三郎と村上春樹のだめさ加減を糾弾するところで彼女の本領が発揮されている。 特に村上の「1Q84」における主人公青豆と老婦人を「テロ・フェミ集団」と規定し村上の理論のなさと思想を暴き出す件は本人も最後にこれを持ってきた結構を考えると文芸評論家を本業とする彼女のステイトメントとみていいだろう。

第二章は社会現象を評論したものとして理解するのだが彼女の著作で第一章の政治・経済に関するものを読んだことはなかったような気がするので意外だったのだがそれは彼女のフィールドを考えると意外でも何でもない。 彼女は書かれたもの、話されたもの、テキストを読む、ということを本業にしているのだからそれはどの分野でも書物になっているものがあればそれを理解しようとテキスト分析をし、辻褄、語り口を材料に自分と対照させそれを文章にする。 だからそこでは当然自分の論や結論を導くための専門資料を比較の対象として示し、AとBの差異をみて自分の論拠を示す。 多くはその詳細に注釈をつけ脚注として下に示すのだがその中に「毒」が仕込まれているゆえその毒に触れるとニヤリと笑ったり哄笑したりすることに結果することになり、それを追うのが楽しみにもなる。 第一章で政治を論じたところでは参議院選挙を終えた現在の結果がここで述べられた脈絡からすると当然であり、ねじれ国会が解消したと能天気な楽観論でくくれないことは本書の斉藤の少なくとも5年前の状況とは何も変っていない事は勿論、自体はより深刻になっていることを教えられるようだ。 おもしろおかしくテキスト解析の結果を開陳している本書は硬派が見せる芸の本領を開陳しているものとして「月夜にランタン、よけいなもの」と見るべきでもなく、大阪弁でいわれる「あほらし屋の鐘が鳴る」を(あっ)カーン、あかん(駄目だ)といいつつ、しつこくも水に落ちない犬を突き落としそれを撃滅したいという願望の発露とみるべきだろう。

もう40年以上前に法学部の学生だった自分に教授が言ったことが思い出される。 法は社会を理解して法の実際、根拠、運営などが分かるのであり、まだオシメも取れていない君たちには実際の社会など分かるはずもなく、法はコトバでありその言葉もまともにテキストを読めない貧しい君たちには良質の文学を読みそこから社会と問題、人間、言葉を身につけることが効果的である。 それをしてから法を俯瞰すればオシメも少しはとれるだろう、ということだった。 文芸批評を本業とする斉藤はテキスト解析をツールに本書で政治・経済・社会・文学と逍遥する。 そこに通底するのは文章である。 文芸批評が本業であるとしても良質の文学については本書ではあまり記述がなり。 そこにたどり着けないほど社会のテキストから負の刺激を受け続けそれに反応しないではいられない、ということだろうか。

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