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広島原爆の記憶調査コミュの各自報告を。。

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こんばんわ、調査旅行中はお疲れさまでした。

睡眠時間が激短だったので色々と見て来れたし、食べ&飲みも出来たし、色々と話しも出来たので昨年より充実していたと思います。

各人、色々と考えたり感じたことが多かったみたいですね。
僕も昨年の疑問に、ほんの少し近付けた気がします。

その感覚を逃す前に、とりあえず言語化しましょう。
この一週間の間くらいに掲示板に書き込むのが良いと思います。
僕もなるべく早く書き込みます。


あと、予断ですが、8月15日は空いてますか?
僕は去年と同様に靖国神社も見に行くつもりです。
参議院選で大敗した安倍首相は来ないと思いますが、広島を見に行った身としては、色々と考えるものもあるかと思います。どうですか?

もし興味がなければ、NPO法人の方の後輩を連れって行って上げようかなと思います。

コメント(6)

みなさん、お疲れ様でした。
きちんとまとめることは出来ないと思いますが、ひとまずこの興奮にも似たこの感覚を書き残しておこうと思います。


まず、僕は幼い頃から8月が嫌いでした。特に1日〜15日くらいは何故だか陰鬱な気分になるのです。おそらく戦争に関するものがメディアに多く登場する頃からだと思いますが。
そして、8月6日の広島の祈念式典は、呪縛のように感じていました。いつまで広島はこんな暗い過去を引き摺るのか、と。いつまで“ヒロシマ”をやらなければならないのだろうか、と。

今回実際に広島という空間に立つことで、そんなものはこちらの勝手な幻想に過ぎなかったと感じました。

僕らはあまりに「ヒロシマ」ばかりを見ていたと思うのです。
広島の歴史を全く無視して、「8.6のヒロシマ」という一瞬だけを、広島市や広島市民に期待していたのだろうと思います。


僕は、空間ということを念頭において広島をまわりました。
高校時代に語り部の方の話を聞きましたが、ごく上辺だけをなぞっている気がしました。話も本で読んだようなものだったし、自分との距離感をぬぐえなかった。そこで今回は「場所の力」に継承の可能性を信じて旅しました。実際、被爆した建物や場所に立てば何か感じるだろうと。

結果は予想以上でした。
被爆した建物へ行き、壁をなぞり、立ち尽くす。人々が避難したであろう道を辿り、避難場所へ立ち、爆心地を眺める。そうして少しでも近づこうとした結果、勝手な思いかもしれないけれど、距離を少しでも縮めることが出来たと思います。
遠い昔の、遠い場所の話ではなく、確かに距離はあるけれども、遠大な距離感は感じませんでした。

原爆を自分と関わりあるものと感じられたことで、戦跡や市内を歩くフィールドワークに継承の可能性を見出すことが出来ました。


もう一つ、市内を歩く中で発見がありました。

それは、“ヒロシマ”が広島市内に埋没しているということです。
市内を歩いていると、橋や建物の近くに、小さな碑があって、当時の写真と共に被爆者が手当てをしたとか、避難してきたとか解説されていました。
実に何でもないところにです。ともすれば見落としてしまうようなものばかりでしたが、そこには確かにヒロシマがありました。

原爆ドームやいくつかの資料館以外は、何もないのかと思っていましたが、都市に刻まれ、埋もれていました。

個人的に象徴的だったのは、宇品にある郷土資料館です。
ここは被爆建物で、被爆した壁も残っているのですが、原爆の時期だというのに、「害虫駆除の歴史」みたいな展示を組んでいました。「何で?」というのが素直な感想です。拍子抜けですよね。
ただ話を聞いてみると、60周年以外は、特に原爆を意識した展示はしていないのだそうです。

これが真実かな、と思いました。

濱先生もおっしゃっていましたが、「原爆も大事だけど、鼠や害虫も大事」・・・というところで、原爆も言ってしまえばひとつの歴史に過ぎず、確かにこの上もなく悲惨で、衝撃的で、重要な事柄だけれども、広島の一つの歴史でしかない。
それなのに、外部の人間は、あまりにもその一部、一瞬であるヒロシマを取り出して見てしまうのかもしれない。

僕らはどう頑張っても、実体験として、近しい記憶として戦争や原爆を捕らえることは難しい。そこには距離が厳然と存在する。
それなのに、その原爆を取り出してしまっては、より一層距離感が生まれて、遠くなり、「関係ない」というような印象を抱くのかも知れません。

今回実体験として、戦跡や市内を歩くのはその距離を少しでも埋められる方法だと思いました。

それから、「ヒロシマ」を強く意識してしまうのは、広島から遠ざかることに繋がるのではないかと感じました。


しかし、今回の旅では被爆者のお話にはあまり耳を傾けませんでした。それは少し冷たく、勝手な広島の解釈になるかもしれないとも感じています。


今ひとつすっきりと書けておらず、申し訳ありませんが、ひとまずこれまで。
改めてお疲れ様でした。今夏の8月は、今までと違って、胸を塞ぐような感情はありません。
>田口ランディさん
感想のアップが遅くなってすみません。

今回の調査旅行で何となく掴みかけたことを、何とか言語化しようとしていたら、非常に長大な文章になってしまいました(笑)写真もいくつか載せたいものがありましたので、いくつかのパートに切ってあります。


三瀧寺、似島、金光稲荷神社。
今年はこの辺りを中心に、広島は回ってみました。やはり、その場所に実際に行ってみるのは良いですね。どうしても展示からだけでは見えて来ないものが、その場所に行くと見えて来ます。厳密に言えば、展示を見ているだけでは「分かった気になってしまって見えないもの」の存在に朧げに気付く、という事ではありますが。

今の広島を巡る問題は、一つとして、場所性の喪失というものがあるのではないかと思っています。今回、去年より注意深く見ると、広島市内の至るところに「爆心地から〜m」というモニュメントがあることに気付きました。取り壊しました、という目印ですね。目印だけ遺して、広島の町は至って普通です。

僕らの先生が、今年、実際に被爆者が自分の過ごした場所を回りながら語る、というツアーに参加しました。「〜さん消えた消えた町並みに立つ」といったイベント名だったと思いますが、明らかに場所性の喪失を認識したものでしょう。ただ、先生は「場所を巡りながら語るというコンセプトは良かったけれど、内容自体は代わり映えはしなかった」と言っていました。それは問題が場所性の喪失だけではないのではないか、ということを暗に示している様な気がします。

被爆者の想いは、その時、その場所でということに根付いています。僕らがそれを受け取ろうとするとき、どうしても「その時」の方が欠けているのです。今年、原民喜が辿った道のりを自分の足で歩きました。金光稲荷神社の頂上まで登って大岩の上にも登り、彼の墓にも黄色い花を持って行きました。

それでも、彼が見ていたであろう死者累々の町並みも、彼が感じていたであろう絶望も。どんなに当時に思いを馳せても、彼が感じていたことそのままに感じることは出来ません。

それなのに、広島では「直立不動で厳粛な気持ち」で原爆に接することが求められます。求められる、というよりも、「直立不動で厳粛な気持ち」で接しなければならないと僕らが自分で考えるほどに、その規範が身体化されていると言った方が正しいかも知れません。それが今の広島を巡る問題の根本にあるのではないかと思いました。詳しくは、「広島レポート'07」の方に書いてあります。
(続き)

さて、三瀧寺、似島、金光稲荷神社の具体的な感想ですが。
金光稲荷神社は登るまでに疲れました(笑)頂上までずっと続いていた赤い小さな鳥居(?)には立てられた年数がありましたので、おそらく慰霊の意味で立てられたのかと思います。それでも、頂上には大正時代に作られた稲荷像がありましたし、原爆の記憶を表象する為に新たに作られたというよりは、広島のその土地の歴史の上にそのまま根付いたのかなと思います。金光稲荷神社の上まで登って、展示館があったり、自動販売機があったりされると多分「んっ?」と思ったのではないかと思います。

三瀧寺は特にそれが顕著でした。はっきり言って、慰霊碑が多過ぎて、どれが原爆の慰霊碑か分からないくらいです。子供も普通に走り回っていますし、本当にそれまで積み重なって来た歴史の中に原爆が位置付けられているといった感じです。滝の水は飲める様になっていましたし、多くの人が生活用水として持って帰ったり、そこで洗い物をしていたりしました。

いつだったか、NHKの教育番組で水の循環についての話しが取り扱われていた時がありました。細かな話しは覚えていませんが、コップ一杯の水の中に、二千年前に死んだクレオパトラを構成していた原子がどれだけ交じっているかという様な問題がありました。回答者のお姉さんは、わざとらしく「ん〜3つ!」とか言っていましたが、コップ一杯の水の中に数兆個のクレパト原子があるそうです。二千年の時の中で彼女を構成していた原子は水に還り、世界中をゆっくりと循環していた。番組はそこで終わっていましたが、一人勝手に、もし核汚染された水があったら...などと想像を膨らませていました。

そう考えたとき、三滝寺で飲んだコップ一杯の水には被爆者がいるんですね。母親の見よう見まねで慰霊碑に手を合わせていた幼い男の子。今はきっと意味は分かっていないです。

でも、彼が大人になったとき。
自分が母親と走り回り、水を飲んで育った場所には被爆者がいる。自分のアイデンティティを構成した場所はそういう場所であり、自分の中には取り込んだ被爆者がいることを知る。そこには「直立不動で厳粛な気持ち」などなく、被爆者が記憶を刻んだであろう場所に自分も記憶を刻み、その繋がりから原爆を考えていく。そうした継承があるのかな、と思います。
大変おそくなりましたが、感想を書きましたのでアップさせていただきます。


http://mixi.jp/view_diary.pl?id=540467458&owner_id=2975473

まとまりのない文章ですが、何とも言葉にできないのでご容赦ください。

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