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日本の「スローフード運動」コミュのファストフードについて聞かせて下さい

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「スローフード運動」とは、その言葉の成り立ちから「ファーストフード」への対抗運動として始まったのではないか、と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、必ずしもそうではありません。

むしろファーストフードに代表される、大量生産・大量消費、それに伴う環境破壊、食べ物の味と品質の均一化、食べ物においても少ないロスと多くの利潤を生み出そうとする効率化の追求、変わっていく私たちの食生活と生活ペース、食に時間とお金をかけなくなっていくこと、壊れていく地域のつながり・文化・人と人とのつながり、・・・・・一言で言うところの「ファーストライフ」をギアチェンジしていこう、という運動であります。

とは言うものの、ファーストフードを敵対視すれば済む問題ではありません。
ファーストフード(スターバックス等のコーヒー店も含む)のよい点もあるわけで、気軽さ、便利さ、見知らぬ街でもすぐ入れる親しみやすさ、広い店内と空間、集団のなかで匿名でいられること、安さ、ブランド性等々が挙げられるでしょう。
もちろん、逆に欠点も挙げられる。

さて、皆さんはファーストフード店をどれくらい利用されるでしょうか。
いいと思われる点、よくないと思われる点、ご意見をぜひ聞かせて下さい。

コメント(34)

最近イタリア・マクドナルドの社長の回顧録を発見しました。これは小型のペーパーバックで絶版になっているもの。食の国イタリアへどうやってファーストフードを持ち込んだかというドキュメントになっています。

スペイン広場の工事現場がマックであると「発見」したのは、密かにもぐりこんだ全国紙レプッブリカの記者だったそうです。広場はデモ隊が押し寄せて、山のようなスパゲッティを街頭で配り始めましたが、オーナーはびくともせずデモ隊の配給するスパゲッティを昼食に食べていたそうです。この人はヨーロッパ中の高級レストランを経営者として渡り歩いた人で、ファーストフードには縁のない人でしたが、ハンバーガー大学で洗礼を受けてこの世界に入り込みました。

イタリアでレストランを開けるのは大変な苦労が必要で、保健所や行政のコントロールと、遅々として進まない官僚主義を毎日のようにかわしながら進めてゆかなくてはなりません。レストラン経営許可をなかなか取得できなかったマクドナルドは、最後にモデナの食肉王の所有していたハンバーガーチェーン「バーギー」を買い取って、マクドナルドに変身させました。件のスペイン広場のマックは、この騒ぎのおかげで世界一有名なお店となり、現在でも世界第1位の売り上げを記録しています。フィレンツェの第1号店が開店したときには、黒山の人だかりだったことを覚えています。目の前で次々ハンバーガーが出来上がってゆくのですが、店員の応対が遅すぎて、販売が追いつかない状態だったのが微笑ましかったです。山のように積まれたハンバーガーをカウンター越しに見ながら、何と30分以上も待たされました。

早く外食するという意味でのファーストフードは、イタリアのライフスタイルにすでにあったものです。町中にあるバールやパニーノなどがその良い例です。ただこれらは地域性を反映したものであり、人々が集う健全な場所であり、サステナビリティの確立した、わがままの言える場所であるということです。例えばカフェを1杯頼むのに、カフェの温度やカップの材質、泡の状態、カフェの濃さ、何から何まで指定できるのは、まさに人間の多様性に立脚した場所です。

このようなことは他国籍企業が世界中に林立させた、画一的な食べ物しかサーブできないレストランでは不可能です。スローフードはバイオダイバーシティ(生物の多様性)を推進しています。これはひいては人間生活の多様性であり、人間そのものの多様性であると考えます。これをないがしろにすると、生活は無機質でインダストリアルなものに取り囲まれるようになり、食べ物は画一化され、食文化をはじめ人類の歴史文化は蝕まれてゆきます。また食材生産のレベルでもトレーサビリティが確立されていないこと、生産者の生活のサステナビリティを考慮しないことも問題です。ファーストフードは、スローフード協会のいう3つの指標「おいしい」「環境にやさしい」「正しい」のどれにも当てはまりません。

ファーストフードは疑いなく、現在生活における必要性から生まれたものです。しかしながらこれが人類の食生活における「進化」の到達点であるとは考えられません。食べ方の多様性の中にファーストフードが存在することに、スローフード協会は意義を唱えてはいませんが、これに対抗するようなライフスタイルを提示することで、お店を襲撃に行くよりも効果的なアクションを狙っています。それもファーストフードがやってきたのと同じ手法で。協会はこれを「倫理的グローバリズム」と呼んでいます。実際世界101カ国に広がったスローフード協会の8万人の会員網は、ファーストフード哲学に対抗できるような世界的影響力をもつようになりました。
ローマのスペイン広場前のマクド店が世界No.1の売り上げだとは知りませんでした。
日本にマクド第1号店ができたのが1971年。
イタリアの第1号店誕生は、なんと1986年。
日本より15年もあと。
さまざまな要因があってのことでしょうが、逆にいったんファーストフード店ができてからは、それこそものすごい勢いで広まった、と聞いています。

私は、数学で考えてみたいのです。
−(マイナス)に+(プラス)を掛けると、必ず−。
−(マイナス)の威力は、+(プラス)を掛け合わせたときに発揮されます。
+(プラス)にするには2とおり。
+(プラス)に+(プラス)を掛ける。
もうひとつ、−(マイナス)に−(マイナス)を掛ける。

私は、特に日本において、ファーストフードという−(マイナス)に対抗運動的な+(プラス)を掛けると、どうも−(マイナス)になるのではないか、と感じています。

有効なのは、−(マイナス)に−(マイナス)を掛ける、つまりファーストフードという−(マイナス)の戦略性や、今日根付いている強さの原因を徹底的に学び、それを逆手にとっていく方策しかないのではないか、と。

そこで、ぜひ皆さんから、可能な限り、ファーストフードの「利点」を挙げていただきたく思っております次第です。

動機が不純(?)とお思いになるかも知れませんが、皆さん、宜しくご協力のほどを、お願いいたします。m(- -)m
マクドナルドはここ一年利用していません。藤田田氏の本に『子供は10歳(だったかな?)までに、味を覚えさせれば、その後もずっとそれを食べ続ける』という恐ろしい言葉を言っていたのを知ってから、避けてます。こわやこわや。
スタバは4回/月は利用します。(禁煙の要素が大きいですが)
私の中でスタバはファーストフードとしては認識されておらず、ちょっとびっくりしました。なぜなら値段対品質が決して安くはないからです、スタバのインテリア性・品揃え・SP等が今まで日本に無かったもので、日本を一気に席巻し、それに続けとばかりにドトールやルノアールが同スタイルに仕上げてしまった事がファーストフードたる所以な気がします。(マックとモス、1キッチン、ロッテリアのように)
スタバの甘味類はアンデルセンが作っているし、珈琲豆からでる産業廃棄物を広告に練りこんだりと大量廃棄の面では苦労しているようですし。世界最大のカフェチェーン =ファーストフードなんでしょうか?
そのあたりの定義って、人それぞれなんですかね?
BOX OF CHOCOLATE さん、大変いいご指摘、ありがとうございます。
そうですね、まずファーストフードとは? という部分はやはりある程度、線引きしておかなければなりませんね。

スローフード協会がよく言う主張にのっとれば、「どこへ行っても均質な味、均質な品質、均質なサービス、旬の食材でないものを使い時季の面でも均質、使う食材は輸入食材ばかり」・・・一言で言えば「均質であること」・・・つまり、日本中いつ、どこへ行こうが味はほぼ変わらず、その土地の特徴や性格がメニューに如実に反映されていないようなチェーン店等をいちおう「ファーストフード」として分類していこうかと考えております。

逆に、スローフード的な分類としてのキーワードは、「多様的であること」・・・その土地の性格や風土・文化を反映している、味が土地土地によって違う、食材の季節感(それも均一でないもの)、地元食材・・・等がキーワードになってきます。

しかし、おっしゃるように、まさにその均質性こそが消費者には利用しやすいのだ、という主張もあるでしょう。
たとえば、同じハンバーガーを扱っていても、モスバーガーはもはやファーストフードではないのではないか、という議論もあります。

逆に、いくら有機野菜を取り入れているとはいっても、居酒屋チェーン「和民」等は、ファーストフード的といわざるを得ないのではないか、と私は思っております。
あの価格で全店、全メニューに国産有機野菜を使用しているとは考えられないし、その他の肉、魚はどうなのだ、と言いたくなるからです。

マクドナルドの最近のうたい文句を見てちょっと驚いたのですが、
「ファーストフード。そのおいしさや安心は、スローにつくられています。」
と言うものです。
いやー、すごいです。

いずれにしましても、やはり反論はあって然るべきだと思います。
「私はこう思う」というご意見をぜひお待ちします。
『ファーストフード。そのおいしさや安心は、スローにつくられています』
私は今日はじめてCMを見ました…
30日間マックを食べ続ける男の映画の話を兄とした直後でしたf^_^;。
マックは1年位食べてないけど、たまぁにモスを食べます。匠バーガーは美味しかった…です。
ちなみにマックのハンバーガーは○○分ナゲットは○分とお店から消費者に渡るまでの期限があるそうです。お店で作り置きしても時間を過ぎると捨てるそうですが、定かではありません(-.-;)←(聞いた話)→ちなみにモスはオーダーが入ってから調理をするそうです。
はじめまして。
私はドトールやスタバ、ベローチェなどのコーヒーショップをよく利用しています。

ファーストフードって、やはり便利ですよね。
早くて、安くて、当たり外れがないし。
休日に友人と会うような時は、まず利用しませんが。
にっしーさん、KEIKOさん、ゴリポテトさん、akira (domingo) さん、お書き込みありがとうございます。

にっしーさんのコメント。
そのとおりですね。
見た目の戦略、マーケティングのうまさ。
これはとても重要な点ですね。
逆に現代は、それだけ、見た目に左右されてしまうことなのでしょう。
たとえば、たらこや明太子への着色。
野菜も濃い色のほうがなんとなーく美味しく思えてしまったり。
野菜は、でも実は薄い色のほうがほんとうは美味しかったりするらしいです。
なんで私たちは、色が濃いほうが美味しい、と思うようになっちゃったんでしょうねぇ。

ゴリポテトさんのコメントは切実だなぁ。
夜が遅くて、また忙しすぎて、コンビニ弁当ばっかりという友人が私にも何人もいます。
文字通りコンビニエンス(便利)ということなのでしょうね、時間の部分で。

ただ、手作りものをじっくり食べることの美味しさ、楽しさを知っている、ということだけでも重要で、最近の子供たちは、それすらも知らない、という状況にもなりつつあるようです。

KEIKOさんのおっしゃる映画、あれもちょっと極端ではあって、マクドナルドでなくても、ひたすら一品を何日も食べ続ければ体調を崩すんじゃないか、と思うのですが(^^;

でも、コンビニの弁当の防腐剤が体内に蓄積されて、最近、死体が腐りにくくなった、というような報道もされています。
うーむ。

あと、akira (domingo)さんのおっしゃるような状況の中、都内でチェーン店以外の喫茶店の数が急速に減っている、という報告もあるようですね。

逆に、チェーン店でないところの魅力って、なんでしょうね。
はじめまして!
食べることが大好きなくまもと申します。

私がチェーン店の苦手なところは
画一化されたサービスにあります。

もちろん食材やメニューの均質化ってのは
FC経営として理解はできるのですが・・・。

スタッフのサービスまで均質化する必要はないと思います。

提供側に人間味がないから食べ物に愛情がない。

スローフードってその食材や料理にどれだけ人のぬくもりが
あるかってことでもあると思います。

極論すれば
「何を作るかよりも誰が作るか?」
ってことになると思います。

だからお袋の味は美味しいのかな?って。
想いを込めてある食材や料理は本当に美味しい。
内外食や料理の上手下手に関係なく・・・。

肝っ玉母ちゃんが作るマックは意外にイケるかも?
などと思います(笑)

だから食べ物屋さんでスタッフの
個性を消してる店は嫌いです。
「ただお腹を膨らます為だけの食事はしたくない!」

食事=人が良くなる事
って書いてあるから・・・。
くまもさん、はじめまして。
大変いいご指摘だなぁと思いました。

>スローフードってその食材や料理にどれだけ人のぬくもり
>があるかってことでもあると思います。

>極論すれば
>「何を作るかよりも誰が作るか?」
>ってことになると思います。

これは、何かスローフード運動の合言葉に使えそうな感じ。
大いに参考にさせていただきます。
著作権料はお支払いできませんが(笑)


マクドナルドのスタッフマニュアルはすごいらしいですね。
それがまた徹底しているからすごい、とかつてビジネス界では言われたものですが。

私の住んでいる杉並区界隈では、若者の街としても有名な高円寺あたり、人と人との交流のできるお店、飲み屋、居酒屋等々がけっこうあって、それがまたあの街の魅力だということで集まってくる人が多いらしいです。
時代は、「つながり」の方向に向いているということでしょうか。

でも、一方で、「独りになりたい」「目立ちたくない」「あまり声をかけてほしくない」という欲求も、私たちにはあるような・・・
よく言われるのが、「地方にいると周りの人がみんな顔見知りで息がつまる」というお話。
都会では、そこから開放される。
その快感。
そのへんは、みなさん、どう思われますか?
お盆休みを利用してリッツァーの「マクドナルド化する社会」を読んでいるところです。大著ではありますが、面白くて一晩で読んでしまいました。今日はほとんど寝ていません。

リッツァーによればファーストフードの問題点は、お店の中にあるだけではないということです。このシステムは近代社会のあらゆる矛盾の象徴として扱われており、スローフード協会が対峙してきた「スピード社会」への警鐘というふうにも取れました。彼がいうファーストフード・システムにおける「合理性の非合理性」というのは、まさしく言い得て妙です。ファーストフード議論の難しさは、どこが間違っているのかがうまく表現できないところです。この本は巧みな語法でいろんな道具を私たちに与えてくれると思います。

工業化社会を押し進めた20世紀が終る前に人々が漠然と感じた「何となくつまらなくなった社会」というのは、リッツァーの著書の中では「整然としているがどこか歪んだ社会」と表現されています。

スローフードが再構築しようとしているのは、時に理不尽なときもあるが、人間性という尺度で計って「正しい」もの、文化的持続性があるものだと思うのです。人生で遭遇するあらゆるものの道理を、人間の尺度で理解することによって、そのリアリティを取り戻す作業をしているのだと思います。

リッツァーがスローフード協会に言及している本があるそうです。どなたかご存じないでしょうか?
>ISHIDUCCIO さん

「マクドナルド化する社会」は読もう読もうと思っててまだ読んでません。
「合理性の非合理性」とは、西洋文化が「合理性」を求めるその背景にある「非合理」な情熱、という言い方で哲学--思想タームでもつかわれていたように思います。
ご質問の本が見つかったら、今度お知らせします。



>ふったさん、ようこそ。
ストレート直球のコメントをありがとうございます。

「粗食のすすめ」の幕内秀夫さんが、最近のコメントとして、小腹がすいたときはスナック菓子類や甘いものに手を伸ばさずに、おにぎりを食べよう、と言っているようです。

自然海塩「海の精」の村上社長も最近のニューズレターで同じようなコメントを載せております。

お米はスナック菓子類に比べると太らないし、健康にいい。
いきなりひとっとびに「粗食」に行けなくても、まずはそこから訴えていこう、ということだと思います。

人々の食生活を考慮しながら、現実に立脚してのコメントとなっているところが興味深いです。

今後とも意見をいろいろお寄せください。
よろしくお願いいたします。
ある雑誌のなかに書かれていた「サービス」についての話題で、筆者の方がとあるファミレスでお食事されたときのこと。

ケイタイ電話を忘れたので、お店のスタッフに公衆電話を置いてあるか訊いたところ、「当店では置いておりません」。

緊急性があったので、「料金を払いますからお店の電話を貸してもらえませんか?」と訊くと、困った様子で、「それはちょっとできかねます」

「では、外で一番近いところで、どこにありますか」
「申し訳ございません。わかりかねます」

言葉はとても丁寧で、その意味のスタッフ教育はできていても、何より肝心なその場その場の臨機応変な顧客対応ができていない。

どうやらアルバイトの若い方のようで、マニュアルどおりの応対をされたのが、とても残念だった、という述懐で筆者は締めくくっています。

マニュアルどおり。
均質なサービスの裏にある落とし穴。

臨機応変にお客様第一主義対応ができないのは、やはりファーストフード店(このケースではファミリーレストラン)の欠点というべきでしょうか。
pepperさんに教えてもらったのですが、マクドナルド社が、「社会貢献」「食育」をうたい文句に、活動をしています。
http://www.mcdonalds.co.jp/company/social_h_f.html

「子供には安全な食品を」って、ええ? と驚いてしまいます。
大手のイメージアップ戦略は必死ですが、果たしてこれらを放置しておいていいのか、考えるべき問題でありそうです。
大企業が「社会貢献」や「食育」をするのは良いことだと思います。ただ、視点が大企業ですが・・・。
マクドナルドは、「食育」=「化学的に安全で殺菌・清潔な状態でハンバーガーという加工食品(物質)を生産している。その品質の安全性をお客様が確認する。」と、捉えている気がします。
食育いうよりも品質管理の安全です。
何でもかんでも、食育と言えば良いのか疑問です。
商品のカロリーを表示しているのは良いですけど・・・。

ファーストフードの一番の問題は、食文化の画一化だと思います。
気候・風土により取れるものが違うのに、世界中すべてに同じ商品を提供しようとするからかなり無理をしてるし。フードマイレージは非常に高そうです。

1年中同じようなものが出てくるから、食事に対して何も考えなくなる。たとえば、旬や土地で何が収穫出来るか。食はその土地の気象条件や歴史、文化によって特徴があります。毎日食べる食事から想像できることっていっぱいあると思うけど、それをだんだん放棄していくと思う。人間って怠け者だから。

後、一人で食べても、誰と食べても同じ味。
食事って誰とどんなシチュエーションで食べたかが大事なのに、どうでも良くなっている感じがします。
それが食文化がだんだんなくなることに繋がっていくんだと思う。まるで、獅子舞やお祭りがなくなってしまうことに匹敵するんじゃぁないかな。
以下は、スローフードすぎなみのメンバーからのメッセージです。

「カルビーでは、食育活動として小学校向けに『スナックスクール』
http://www.calbee.co.jp/snack-school/school/index.html
という、出張授業を始めました。

私も、同社のプレゼンを見ましたが、
カルビー社のPRがどうしても見え隠れするのと、
受け入れする小学校側の姿勢に疑問を抱いてしまいました。

食育基本法が制定された中、
色の付いていない子供たちへの情報発信が、
好ましく行われれていくようであって欲しいものです。」


ぶんぶんさんも私の日記の中で賛同してくれていた「細木数子」さんの番組の中で、現在の教育システムの不具合を嘆く先生方に対して、

「いまの教育のあり方は誰それが悪いという前に、先生方にとって都合のいい制度を先生方がつくってきた、ということ。
それを忘れてはダメです」

と言ってました。

ファーストフードによる食文化の画一化も、ひょっとしたら私たちの心の中に、そういう欲求があってのことではないか、と最近、思うことがあります。

大企業が悪い、資本主義が悪い、という前に、ちょっと振り返ってみるべきテーマかもしれません。

それが気がつくと行き過ぎた状況になってしまい、慌ててストップをかける、もしくはスローダウンさせようとしている状況なのかな、と。

でも一回失われたものを取り戻すのは大変ですよね。
失われないうちになんとかしたいものですね。
すごいですね
「スナック菓子の正しい食べ方」
だって!

マクドナルドを受け入れた学校も、いかがなものかと思いますが、スナック菓子受け入れちゃー・・・・・。

私が小学校のときは、まだ家庭科の授業がありましたが、家庭科の先生が一生懸命、コカコーラがいかに体に悪いかを、訴えていました。骨が溶けるんだと。

そこで、「アメリカ人は100年、コカコーラ飲んでいるのに、何故あんなにでかいんですか?」と質問して、ものすごいにらまれたので、今でも覚えています。(だって、ちょうどその時、コカコーラ社が誕生100周年キャンペーンを大々的にやっていたんだもん)

>ファーストフードによる食文化の画一化も、
>ひょっとしたら私たちの心の中に、
>そういう欲求があってのことではないか、
>と最近、思うことがあります。

全く同感です。と言うか、そういう欲求を生み出す社会(システム)なんじゃないですか。
大人が「そうであって欲しい」と思う理想を教えるのか、
子供が曝されている現実にあった教育をするのか?ということは
非常に難しいですね。
「安全なものを食べましょう。自然に触れましょう。」
と教えたところで言う相手はそのことについて選択肢のない子供。
ファーストフードやスナック菓子に取り囲まれている彼らを考えれば、
やはり現実としてそれらについての教育も必要なのかな?

国によっちゃコンドームのつけ方とか注射針の使い方とか
教えざるを得ないとこもあるわけだし。

これを「教育の場でそんなこと教えるとは何事か!!」と怒っちゃうのはもう、面子とかの問題に成り下がってるようなきもするし、
肯定否定よりも、そこにある現実を直視して上手く付き合うしかないのかな。

ちなみに私の畑の直下にはコンビニがあり、
朝飯食う暇ないとき良く利用しています。
(ただ要領が悪いだけなんだけど)
有機農業仲間うちでは、
「スローフードを支える人の生活は決してスローではない。」
という冗談が飛び交っています。
あさひやさんがこんなところにも出没してるよ。オイ。
畑に行けよ!

で、
「スローフードを支える人の生活は決してスローではい。」

そこらじゅうで言われていますな。(笑)

同じようなものに、田舎暮らしが各種行事で決してスローに流れないように 。

>肯定否定よりも、そこにある現実を直視して上手く付き合うしかないのかな。

現実を直視して上手く付き合う。うーん、それにみんな悩むんだな。「スローフード運動はファーストフード排除運動ではない」と言う人たちもいるんだけど、結果的にファーストフードに敵対する形なるのはしょうがないのかなと。

だって、ファーストフード側は間接的には「食育」とか「食農教育」とかを通じて、直接的には広告で「スローに作っています」とか言って、スローフード的なものに擦り寄ってくるわけで。スローフード側はファーストフード側に擦り寄る理由はあまり無いわけで。

上記に書いた小学校の家庭科教師の「コカコーラはだめ」はその時は「なんだかなー」と思っていても、今になれば子供になるべくコカコーラは避けさせるし、私も意識的にあまり飲まないし、振り返れば「そういうことを言っていた先生がいたなー」と思い出す程度でいいと思うわけだ。

第一、学校でいくら教育したって、そんなに素直に子供たちは言う事聞かないでしょう。ね、あさひやさん。

取り留めないけど、スローフード運動をしている人々も、将来、日本からコンビニもマックも無くそうと思っていないだろうし、絶対無くならないことは十分意識していると思う。その上で、残すべきものをどう残すのか、その手段として「マックやカルビーの食育違うだろう」と言い続けるのだと思う。当然、それに対するオルタナティブなものとして、スローフードすぎなみTOKYOの皆さんがするような「味覚教育」などの実践がより大事なのかなと。
現実を直視して上手く付き合うて言うのは、
悩むことではなく「よりましな選択」をとることだと思う。
私も有機農業やっていていろいろな矛盾にぶつかるんだけど、
そこで悩んだりしていても何の解決にならんので、
常によりましな選択を取る。
石油をなるべく使いたくないけど、これを否定してしまっては、
この現実の世界で、やっていくのは難しい。
石油を否定したがために何もしないよりは、
なるべく石油を使わずに有機農業をやったほうが「よりまし」という
選択をする。
これは私の仕事に関らず、いろいろな人が現実にやっていることだと思う。

だから、 Toshi-Shunさん言うように単にファーストフードを
否定したり敵視することはあまり意味がないような気がする。
「マックやカルビーの食育違うだろう」といっても、
じゃあ反対するのか?
マックが食育で「食べすぎはよくない」「フライドポテトはジャガイモからできてる」と子供たちに説明するより、そういう説明をせずにただ金儲けだけしてもらっているほうがいいのだろうか?
マックがスローフードに興味を持つのと、持たないのではどっちがいいのだろう?よりましな方法はなんだろうか?

さらに言えば、マックがこういった行為に及ぶのは、すなわち
少なからず食育やスローフード運動の結果だろうと思う。
こういった運動や思想が社会に浸透しようとするとき必ず通る壁なのだろう。
こういった壁を通らず、スローフードが「運動」のままであることもできる。純なスローフードを保つために、社会への同化を拒絶するのである。社会が、純なスローフードにふさわしくなるまで、自分たちの内で理想を語ることもできる。
しかし、私はそれこそ「それは違うだろう」と思う。

大企業が悪い、資本主義が悪い、という前に、よく考える必要がある。
彼らは悪の組織ではない。マックは別に子供たちをマック漬けにして
世界征服をたくらんでいるわけではない。
実は、マックは利益が稼げればいいのである。しかし彼らにとって
稼ぎやすいのが、スローな食事でなかっただけだ。
それは何故か?というところにきて、結局
>ひょっとしたら私たちの心の中に、
>そういう欲求があってのことではないか、
という本論に戻ってみたりする。
大変むずかしい問題に入ってきました。
私たちの現代生活を考えると、単にファーストフードに「NO」と言っているだけでは立ち行かない。

しかし、ファーストフード(的なもの)が私たちの生活にもたらすであろうもののヤバさも、なんとなく感じられる。

そこで、わが身を省みながらも、「スローフード(的なもの)」を理想に、できるとこから、少しずつ変えてみる、ということになるかと思います。

これはもう、私たち一人ひとりの「意識」の問題でもありますが、一方で考えなければならないのは、大企業、大資本はマーケティングのプロである、ということです。

私は、先般の衆院選挙は、大企業・小泉株式会社のマーケティング、宣伝戦略の勝利だと思っています。
中身は二の次。
しかし、アピールの仕方が抜群にうまいと、人々の力をとらえることができる。

この点で、大資本は一日も二日も長がある。

「スローフード(的なもの)」は、品質のよさ等がまず旗印になる。
しかし、実はこの「アピールの仕方」の部分を、もっと真剣に考えなければならないかもしれません。

その点、「スローフード協会」は、機関誌のデザイン等もとてもかっこよく、内容をいかにクールに伝えるか、というところにも目を配っているところが頼もしい。

その辺の感覚ともども、日本に根付くといいな、と思っているのですが。
そうですね。彼らにも優れている点があること、
そして何よりも私たちにも欠いてる部分があることはしっかり認識すべきだと思います。
また実際にマックの食育がどのようなの物かも冷静に見ていく必要があります。マックが教えるからけしからんというのではなく、
あの資金量やスタッフ力、何よりも信頼性(一般人から見た)をもとになにを教えるのか?
その授業でイモの作り方や、ファーストフードの食べ過ぎの害を教えるという点は評価できます。しかしそれ以上のことで、事実と反することを教えたり過度な商品アピールするようでは、それはそれで注意すべきでしょうね。

実際の話、
「ハンバーガーは一日一個まで」とかいうアピールは一般に受けいれられても
「毎日、お母さんにちゃんとご飯を作ってもらいなさい。家族みんなで揃って食べましょう。」なんて子供に教えた日には、
今時の父母からは猛烈な抗議の嵐が来ちゃいそうなご時勢ですし(w
そうですね。
ただ、どうでしょう。

日本人って、けっこう「味にはうるさい」んだとおもうのです。

たとえば、日本のマクドナルドが近年、少しずつ業績を落としていることは注目していいと思います。

超低価格化志向が、逆に消費者を飽きさせる結果を招いたとか、いろいろ原因については言われます。

が、私は、その背景にあるのは、人々が「マクドナルドの味に飽きてきた」ということではないか、と思っているんです。

同社もあの手この手で新商品を投入してますが、基本的な「肉類をマフィンにはさんで出す」ということは変わっていない、そこに出される基本的な味も変わっていない、その「基本的な味」に新鮮味をそろそろ人々が感じなくなってきた。

そこで、「ファーストフードの美味しさはスローにつくられています」とか、食育の部分に訴えようとしている、しかし、おそらく、マクドナルドの「基本的な味」に飽きられてきているのだ、ということを認識しない限り、多分、消費者の「マクドナルド離れ」はとまらない、とみています。

では、スローフードへ、ということには、いきなりならないでしょうけども。

でも「味」からみていく、というのはそのとおりだと思ってます。
化学調味料で味付けされたものは、どうしてもあきやすいように感じます。
でも、20代位だと「味の素」が入っている方がおいしいと言う確率が多いみたいです。
もう、舌がそうつくられてしまったんだと思います。
人間の体を信じれば、自分の体に良いものはおいしいと感じる防衛本能は残っていると思うのですが…。

10月6日に意見に戻りますが、細木数子良いこと言いますね↓
>「いまの教育のあり方は誰それが悪いという前に、先生方に>とって都合のいい制度を先生方がつくってきた、ということ。
>それを忘れてはダメです」

昨日、小学校の校長先生と話す機会がありました。
そこで、「食育はどのようにしたら学校に広まるのでしょうか?」と、相談をしたら「食育のプログラムがないと先生方は出来ない」という御意見でした。
誰かがプログラムを作って筋道を全部提案しないと、なかなか進まないらしいです。
一番の理由は非常に忙しいのと、手間がかかることはなるべく避けたいという思惑が見え隠れします。
先生も一皮向けば私たちと同じです。
学校の雰囲気も忙しそうで殺伐としている感じを受けます。
逆にプログラムがあれば一気にすすむかも…。
カルビーはプログラムがしっかりあって、先生方にとっては分かりやすく楽だったのではないでしょうか?
食育と題名がつけば実績にもなるし。
イタリヤでは先生方に対しての「味覚の教育」を進めているようです。
子供の前に、教育を担う大人の食育からはじめないと大変なことになると思います。
まず先生が理解して、始めて子供たちに伝えられるのではないでしょうか?
私は、自分が食べているものが、どのように作られているか、材料がどのような姿で生まれてくるのか、全然分からないのは非常に不安です。鳥の足を5本描いてみたり、お米が木になっていると答える小学生の話を聞くと、寒気がします。
何でも良いから、自分で種を蒔き、育て、食べてみるのが食育の第一歩のような気がします。
都会のど真ん中でも、プランターと土があれば出来ます。
バケツで稲を育てるバケツ苗もあり、手間がかからず楽です。
検索すると、いっぱい事例が出てきます。
いろいろな話を聞くと、とりあえず何かしなくちゃという、気ばっかり湧き上がり、あせります。
こんな自分と付き合うのはなかなか大変です(^^;)
高井戸商店街という、東京都の杉並区と世田谷区にまたがる商店街があるのですが、ここが面白い取り組みをしています。
食に関係することではないのですが、ぶんぶんさんのご意見に対する参考になると思います。

同商店街の奥にある、設立100年にもなる小学校がありまして、そこと商店街が共同作業をすることを考えた。

小学校に、小学生たちによる「委員会」をつくってもらい、定期的に商店街を歩いてもらう。
単に歩くのではなく、いろいろ気がついたことをチェックしながら回るのです。

それを委員会に持ち帰って、小学生たちによる委員会報告として、商店街に提出する。
商店街は、「小学生からの報告です」ということを掲示板やかわら版その他で、道行く人々にフィードバックする。

たとえば、小学生たちから「商店街にタバコの吸殻が捨てられているのがとても多く目に付きます」という報告があったそうです。
商店街はそれを人々に告知し、「どうやって解決したらいいでしょう?」とアイデアを募集する。

結局、吸殻を電柱に多く設置することで意見がまとまったそうです。
大人たちも、「小学生にこう見られているのか」と、その意見を聞かざるをえない。


つまり、本論に入りますと、食育(スローフードの言葉でいえば「味覚教育」)は、大人(先生)が先か、子供が先か、というご意見、私は、「子供に学んでもらいながら、同時にその場で大人(先生)にも学び気づいてもらう」のがいいと思っています。

子供たちが、おいしい食材に触れれば、家庭で仮に手を抜いたりすれば、「あのときのほうが美味しい」ということになりますし、あるいは子供たちが「自分でつくりたい」ということになるでしょう。

子供先導でそういう形になっていけば、大人(先生)たちはうかうかしていられないはずです。

スローフードすぎなみの「味覚教育」プログラムは、まさにここを目指しながらやっています。

ただ、そういうふうにきちんとファシリテートする人が小学校やPTAや地元にいないと、ぶんぶんさんの言われるように、大手のお話に「これはいい」と飛びついてしまう、ということが起こりがちだと思います。
Toshi-Shunさん、ご意見ありがとうございます。このようにファシリテートする人(キーパーソン)がいれば、話は早く進むと思います。

子供から大人まで参加でき、それぞれの視点を生かせればよいですよね。

今度、スローフード福島の会員で、イタリア料理店をしている友人が女子大学食物栄養科の学生と一緒に「弁当の料理教室」を行います。
材料はすべて地元産で、誰が生産したかを分かるように明記してあります。
参加するお母さんがおかずを作り、弁当につめるにのは子供(小4・5年生)といっしょに行います。
今、初めて企画をするので、ドキドキです。
生産者がはっきり分かるだけでなく、もう一ひねりしたい気分ですが、アイディアが浮かびません。
初めてなので、これくらいでも良いのかな?とも思います。
食育のポイントって何でしょうか?
味覚教育のポイントて何でしょう?
生産者の顔が分かるだけでしょうか?
悩んでいます。
>ぶんぶんさん

過去の味覚教育につきましては、とりあえず「スローフードすぎなみ」のHPに、第3回までにレポートしております。

http://slowfood.smile.tc/slow1/japan/sugi4-1.html
http://slowfood.smile.tc/slow1/japan/1122-1.html
http://slowfood.smile.tc/slow1/japan/710.html

やはり子供を中心に回していくのが重要だと思います。
子供が意識が高いことをいうようになれば、大人は「時間がない」とか言い訳にできなくなります。
子供に目線を合わせながら、大人に暗に情報発信していくかたちがベストだと思います。

「味覚教育」と「食育」のトピックを立てましたので、ぜひそちらにて、その後の動きを教えていただければと思います。
がんばってくださいね。
>Toshi-Shunさん

レポートをありがとうございます。
無事第1回目の「地元素材で作るお弁当」が終わりました。
初めてだったので、かなり疲れた(~~;)
詳しくは、「味覚教育」「食育」のトピックスで話しますね
(^^)v
>ぶんぶんさん

お疲れさまでした。
私も経験ありますが、徐々に慣れてくるというか、主催者がへとへとになているようでは浮かばれませんから、だんだん楽しめるようになってくると思います。
レポート、ぜひお待ちしております。

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