そして初代Louis が1854年5月頃(?:未だ正確な開店日を特定できておりません)、17年間働いたマレシャル(Marechal)親方の元から、結婚・独立してカプシーヌ通り4番地(4, Rue Neuve des Capucines)に店舗を構えたことも、もはや間違いのないところでしょう。
彼は開店当初から、重い豚皮をやめてグレー(Gris)の布地(Toile)を張り、更に防水のためにニス(Vernis)を塗布したトランクを作り始めた、こと、になっています。
このトランクのラベルをよく見ると、これは「A」のタイプではなく「B」と同様のモノであることが判ります。「A」については、ルイ・ヴィトン社(Louis Vuitton Malletier)発行の冊子(L'art de traverser le temps)にも載っています。
ここでラベルに書かれたものに年代を加えて時代順に列記すると、
「A」 3, RUE Nve(Neuve) des Capusines ここを借りたのが1858年〜
Rue de Congres ? Asnieres 工場が稼働し始めたのが1860年〜(土地の取得
は1859年)
Exposition de Paris 1867年 (1867年、パリ万博:銀?・銅メダルを受賞)
Exposition du Havre 1868年 (1868年、アブル万博:銀?・銅?メダルを受賞)
従って、このラベルは1868年以降のものと考えられます。
「B」 Usine a Asnieres アニエールの工場、つまり1860年〜
Exposition de Paris 1867年 (1867年、パリ万博)
Exposition du Havre 1868年 (1868年、アブル万博)
そしてポイントは次の
1, Rue Scribe (スクリーブ通り1番地)
写真左・右:共に「トアル・ダミエ」のトランクに刻印あるいは貼られたラベル。http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=21869733&comment_count=19&comm_id=2396029の(15)(16)参照。
書かれている場所の年代は、
1 RUE SCRIBE
1871~1914
149 NEW BOND STREET. W. LONDON
1899~
「モノグラム」の登場は1896年であることから、ダミエは、最低でも3年間は、並行して作られていたことになる。このことから、初期のトランク(蓋の丸いもの、あるいはグリ・トリアノンなど)も、2種類が並行して作られた時期があったことが十分に推測できる。
ごく素朴なものでは、1896年に考案されたMonogramの中心ともいえる、「L」と「V」を重ねたのは、いったい誰だろう? パリ・コミューン(La Commune de Paris:1871.318~5.28)が成立する前、Louisは国民軍に入り、その時昔からの職人の1人が彼のためにイニシャル入りのバックルを作った、との記載がありますが、果たしてこれが「重ね文字」だったのか、非常に興味がありますが、これがどのようなバックルだったのか、以後の記述が見あたりません、、、。
ーーーーー 三浦氏は展覧会冊子の中で、「Monogram」が創られた2年前、1894年に発刊されたGeorges著作の「旅 最古の時代から今日まで」(LE VOYAGE Depuis les temps les plus recules jusqu'a nos jours)の意義を述べておりました。氏の論説に引き込まれているうちに、ふと、この本を著すことを決意したGeorgesの心情が脳裏を過ぎりました。
これには初代が店を構えたとされる「4, Neuve des Capusines Pres la rue de la paix et la place Vend?me :4,ヌーブ・デ・カプシーヌ、平和通りとヴァンドーム広場付近」が印刷されていますが、「製造はアニエールのエオトビル地区にあるコングレ通り」になっていることから、このラベルは1860年以後のものでありることが判りました。先に示した「3,Neuve des Capusines」のラベルは、博覧会で受賞したメダルを印刷していますので、1868年以降のものになります。多分受賞を祝い、新たに刷り直したものでしょう。
「4, Neuve des Capusines Pres la rue de la paix et la place Vendome :4,ヌーブ・デ・カプシーヌ、平和通りとヴァンドーム広場付近」
---というのが、泣かせますねえ。
ご存じのように、ラ・ペー通りには、カルティエがあり、place Vendomeにはラ・ペーとの角っこは宝石商のブシュロン、隣にヴァン・クリーフ店、並んで、いま日本ででさかんに広告をしているモーブッサン店---つまり、ルイが荷造り場とトランク売り場を構えたのは、当時のパリではもっとも優雅で高級なエリアだったということです。
単なる荷造り人ではありませんでした。
馬車には、FABRIQUE Rue du Congres a ASNIERES (1860~)、PARIS 1 Rue Scribe (1871~1914)、289 Oxford street LONDON (1885~1891)が、大きく書かれ、トランクの絵柄と共にTRADE MARKと書かれている。この馬車でスクリーブ通りの店舗に運んでいたのだろうか。
>「フランス国内や海外に発送する」
の「海外」は、英語でいう over sea でしょうか?
日本は(英国も、フィリピンも、台湾も、インドネシアも)外国はすべて「海の外」ですが、フランスは、ドイツも、イタリアも、オランダも、ギリシヤも、ロシアもすべて陸続き。 foriegn country フランス語だとエトランジェでしたか?
「フランス国内や外国(または国外)に発送する」?