ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

近鉄バファローズの灯モバイルコミュの【歴史】vol.1球団創設期

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
【初代】 藤田省三(1950〜52途)
1950年に法政大OBの関根潤三らを集めてスタートを切るが3年連続最下位。 一度も勝率4割にすら達しなかった。

【第2代】 芥田武夫(1952途〜57)
53年は4年連続最下位に沈むも、翌54年は関根らの活躍で初のAクラス(8チーム中4位)に。 57年は大映との「残留争い」に勝ち、チーム消滅の危機を回避したとも言われている。

【第3代】 加藤久幸(1958)
57年途中から事実上指揮を執っていた加藤助監督がそのまま監督就任。 しかし、「残留」した翌年はホッとしたのか勝率2割3分8厘という楽天もビックリの超絶な弱さで断トツの最下位。

【第4代】 千葉茂(1959〜61)
チーム名が創設時の「近鉄パールズ(真珠達)」から「近鉄バファロー(猛牛)」へ。 巨人出身の千葉が巨人選手を集め、チームの活性化を図るが逆に生え抜きとの溝を生み低迷。 61年には未だに破られないプロ野球シーズン最多敗103敗を記録。

【第5代】 別当薫(1963〜64)
チーム名が「バファローズ」に。 相変わらずチームは低迷を続けたが、土井正博という後のチームの中心となる選手の素質を見抜いた功績は大きい。 63年には久々に最下位を脱出(4位)、南海との「大阪決戦」は盛り上がったらしい。

【第6代】 岩本義行(1965〜66)
依然としてチームは最下位の常連。 しかし65年から始まったドラフトで鈴木啓示を獲得。原石は集まり始めた。

【第7代】 小玉明利(1967)
中心選手である小玉が選手兼監督に。 しかし、ここ10年間で9回の最下位という超絶な弱さに業を煮やしたフロントが名将三原脩を招聘。 小玉は1年で解任となった。

コメント(4)

弱かったとゆう意味では近鉄魂は楽天に受け継がれてますね、いつかは仙台でも日本シリーズが見たいですね、昭和49年のロッテの裏切りによって幻と消えた仙台での日本シリーズそう遠くはないでしょう
ポチョさん


当時はさらにドラフトなき自由競争の時代ですから、救いようのない弱さだったと思いますよ。
でもよく六大学のスター関根潤三さんを取れましたね、近鉄のその時の監督はアマチュアから引っ張ってきたらしいですね、その関係で関根さんを連れて来たとか
ポチョさん


逆に言うとプロ相手に法政オールスターズが戦ってるみたいな感じだったようですね・・・やっぱドラフト制度(90年前半までの)は偉大です。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

近鉄バファローズの灯モバイル 更新情報

近鉄バファローズの灯モバイルのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング