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オホーツク文化コミュのイヌイットとの関係とは?

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全くの無知なのですが意見を頂きたくトピックを立てさせて頂きます。

昨年から妙に惹かれてしまい博物紀行にはまっています。
自分は”描くこと”をツールとして楽しんでいます。
その過程で知りたくなることはとても多く、しかし何を調べて
良いのかがよく分からず。

昨年訪ねた網走の北方民族博物館、非常に興味深く面白いものでした。
どのカテゴリーにおいても最も秀でていたのがイヌイットでした。
その造詣、表現、技術は卓越していました。
先頃、開拓記念館を訪ねてオホーツク文化のコーナーに目を奪われて
スケッチをしました。描いた針入れが北方民族博物館にあったイヌイットの
針入れとよく似ていたことに気が付きました。
幾何学やパターンに類似性を感じています。
描く時に数学的な調子を観察する必要のあるものはそれほど多いわけでは
ないので。
北海道の歴史に興味を感じたもののイヌイットは全く知らない世界。
しかも網走の博物館にあったイヌイットのものは近世のものでした。
しかし開拓記念館のものはオホーツク文化のもの、時間的な開きと
その前後は明らか。加えて縄文、続縄文若しくは後の察文文化とも
このオホーツク文化は異なるデザイン特質が感じられました。
最も類似すると思われたのがイヌイットのもの。

こういう主観に頼る思考はなかなか確かめようがありません。
けれど明らかに両者は他のどれよりも近似してみえます。
これは偶然のことなのか、それとも無いかしら関係があったものなのか?
どなたかご存知、若しくはヒントをお持ちではないでしょうか?

お知らせ頂けると幸いです。

コメント(15)

はじめまして。

僕は大学で骨製針入れについて、卒論を書く予定の学部生です。

イヌイットの針入れとオホーツク文化の針入れが酷似している件ですが、共通性については「?」だと思います。

青森の山内丸山遺跡でも同じような幾何学的彫刻を施された針入れが出土しています。

オホーツク文化と山内丸山遺跡の針入れは同じ長管骨を使用しています。

しかし、時代が違い過ぎている件。

山内丸山は縄文時代ですし、オホーツク文化はせいぜい1500年前前後です。

イヌイットの針入れはたしか、牙製だと思ったのですが、いかがでしょうか。

あと、北極圏において色んな民族が針入れを作って使用していましたし、必ずしも関係がなかったとは言い難い所です。

現在出先なので後日詳しく書かせて頂きますので、疑問点を幾つか並べていただけると有り難いです。
>>ゆうき様
コメントありがとうございます。
「骨製針入れ」とは論文を書けるほどの分野なのですね。

自分は博物館を観る程度なので、数多くのモノを観察したことがありません。
ちなみに開拓記念館では続縄文にも針入れの展示がありますが、オホーツク
文化とは明らかに毛色が違う、というよりも北海道においてオホーツク文化
が特に他とは異なって見えます。(何れにせよ展示数は少なく憶測です。)

骨とはいっても材質は様々なのですね。長管骨、牙・・・。
オホーツク文化では牙による熊やトドの彫り物もありました。
つまり北海道においても長管骨に縁のあるものはこれを用い、
牙を手にしたものはこれを用いたということなのでしょうか。

スケッチしたものを載せます。
※北方民族博物館のオホーツク文化、牙製のトドのスケッチ
※開拓記念館にてオホーツク文化、やはり針入れです。
オホーツク文化では長管骨も牙も細工の素材としていたように思います。


端的に自分の興味はデザインの酷似にあります。
このような文様は特別ではなく時間的、地域的に広範囲に渡って
良くあるものなのでしょうか?

とすれば時間や距離を隔ててオホーツクとイヌイット、三内に似たものが
あっても不思議はないですね。

スケッチを描くとその規則性にとても知性が感じられました。
ロマンチックにはそんな人達がデザインを共有していたら面白いなと
とも思ってみたりします。

論文を書かれるような人にお尋ねするにはちょっと幼い疑問で
申し訳ありません。

実に興味深い研究なのです、頑張って下さい。
>>というよりも北海道においてオホーツク文化
が特に他とは異なって見えます。

文化としては、南樺太から文化が成立したということになっているので、北海道独自の文化ではないと思われます。

主に、南樺太・利尻礼文島・北海道オホーツク海岸沿・千島列島と分布しています。

>>骨とはいっても材質は様々なのですね。長管骨、牙・・・。
オホーツク文化では牙による熊やトドの彫り物もありました。
つまり北海道においても長管骨に縁のあるものはこれを用い、
牙を手にしたものはこれを用いたということなのでしょうか。

針入れは主に、アホウドリの骨を用います。これは、水辺の野鳥なのと、何かしら、漁労と関係していたのではないかと考えています。

牙を用いた、偶像については、儀礼的な意味があるのではないかと思います。勉強不足でこの辺は推測ですが。

牙の種類としては、トドや鯨などの海獣の牙を用います。

これは霊的な意味合いがあるのかもしれません。


>>とすれば時間や距離を隔ててオホーツクとイヌイット、三内に似たものが
あっても不思議はないですね。


三内の針入れを見直したところ、彫刻がないものがほとんどでした。僕の見間違いのようです。

イヌイットの針入れもHPでみたのですが、蓋付魚形骨製裁縫道具<針入れ>となっていおり、骨の種類がいまいちわかりませんでした。

彫刻図も、オホーツク文化と時代が違いすぎるので、直接的な因果関係はないのではないかと思います。

どちらかというと、ニブフやウィルタ、樺太アイヌなどの北方諸民族と関係が深いのではないかと感じました。

僕は民族学については皆無に等しいので、推測でしかないのですが・・・


Tさんの知りたいことについて、お話できなくて誠にもうしわけありません。勉強不足だということを強く痛感いたしました。


しかし、絵がとても上手ですね。もし、この分野に興味があるのでしたら、スケッチだけではなく実測も試してみてはいかかがでしょうか。

では、失礼します。
T様

オホーツク文化が大好きで、たまに論文を漁っている者です。

イラスト、本当にお上手ですね!!
惚れ惚れします。

イヌイットとオホーツク文化の類似性については、昔、オホーツク文化研究が始まった時、そのようなことが言われていました。

アリューシャン列島に暮らすアリュート民族や沿海州のウリチとも類似性が言われていました。

しかし、あとはゆうきさんが書いた通りですね。

あまり専門的なことが書けませんが申し訳ございません。


ゆうきさん
かいんばに(とらんね)さん

拙い疑問に応えてくれて感謝します。


私は開拓記念館で石器を観るのがこの上なく大好きです。
一度、学芸員さんに話を聞く機会がありました。
2万年前に陸続きだった頃にマンモスを追って人も来たと言われている
けれどマンモスを狩れるような大きな石器は出土していないのだそうです。
さらりと解説を聞くと分かったように感じるのですが、少し考えると至る
所に疑問や謎が散りばめられていて途方に暮れるには時間がかかりません。

ただ、感じてみることはよいことなんだと思います。このような
コミュニティーを通じて知り得る機会があることはとても有意義です。

・私の感じたことは既に誰かが指摘していたということ。
・その問いについてはまだ確認はされたはいないらしいこと。

自分の疑問を晴らすには、海洋民族かと思われるほど海洋交易ルートを
築いていたアイヌ若しくはそれ以前の人々のように広い視野が必要そうです。

こう理解できると覚悟も違ってきます。(容易ではなさそうだ・・・)


何もお礼が出来ないのですが、既知とは思われますが私の博物資料を
少しアップします。

・スケッチをしたオホーツク文化の海獣や熊、北方民族博物館の展示は
 複製品で網走郷土博物館に本物があるようです。この博物館はとても
 古いようですが案内が良く展示はとても充実していました。
・モヨロ貝塚にある竪穴式住居(復元)この構造特徴が北海道ではなく
 北方に起因すると考えられるそうです。
・モヨロ貝塚の塚、6、7000年前から貝や土器が埋まっていた
 ようです。オホーツク文化の前にも何かしら北方の民が来て住んで
 いたのか、北海道の縄文人が住んでいたのか?


オホーツク文化と直接イヌイットを結び付けるのでなく、
海洋を通じていくつかの文化や民族を経由することは
かなり面白い膨らみのある解答へのルートに思われます。

気の長いストーリー、探してみたいと思います。
> Tさん

モヨロに限らず、立地の良い所では様々な方が住居として使われていたと思います。

オホーツク文化の前は続縄文文化が成立していましたし。

海洋地域では独自の文化が成立し易いと聞いたことがあります。

続縄文文化については、弥生文化の稲作が出来なかったor浸透せずに、縄文文化のような生活が続いた東北北部から北海道、樺太の地域に成立した文化でして、したがって弥生文化と並行して発展しました。

オホーツク文化の前進の十和田文化は十和田文化以前のススヤ文化と続縄文文化の融合文化ではないかという見解もあります。

そして、続縄文文化の亜種?として道南と青森県周辺で成立した恵山文化や、アイヌ文化のプレとして擦文文化などあり、北海道とは様々な地域文化の密集地だったようです。

北方海洋地域文化の民族紋様は理由は解りませんが似たものが多いのは北方民族博物館を訪れているとのことですのでお分かりだと思います。

これは自説ですがオホーツク人が擦文人との地域争いに負けて擦文人と融合吸収されるなか、千島列島を渡りカムチャツカへ渡り後にイヌイトとの祖先ないし、イヌイトと融合吸収が起きたのではないかと考えて見ました。
>ゆうきさん

様々な詳細ありがとうございます。

モヨロの案内は少し微妙ではありました。住居跡がいつの頃のかも。
ただ掘られた穴の大きさを思うと感動的でしたよ。重機もなく木々も
あったであろう場所にあの巨大な穴、だれがどうやって?と素朴に。

(参考に掘られた穴と案内板の写真を載せました。)

まるでオホーツク文化の跡とも受け取れそうではあるのですが、
6000年以上の過去であるとすれば縄文でも初期、早期といわれる時代ですよね。
そのころからあの地域にも人が住み何かしら築いていたのでしょうか。
それが誰なのか?は不明ですがオホーツク文化が間違いなくそこにあった
のであれば同じ場所を共有していたんですね。想像以上に関係が深そうです。

続縄文の頃は縄文最盛期(?)や現代と比べても気候は寒く東北でも稲作が
難しかったようですね。なんとなく北海道の中の経緯が見えたかどうかと
いう私には十和田文化、ススヤ文化は全くの未知です。
以前さらりと読んだチャシの本ではその由来を東北に求めようとするものも
あったと思います。

なにより海洋民族か?というほど広域に交流していた様子はあるので、
紋様、どこかで誰かを経由して何かが伝わっている可能性は感じられます。
遠くみえるイヌイットとも実は近しいオリジンがあるなら面白いという魅力。

土器などはその文様で良く区別されますが、紋様についてはどうなのでしょう。アイヌ紋様も、大陸から幾つかの文化の紋様を並べて眺めると変遷する様が
見て取れる気がします。土器の場合はそれが技術レベルで解析できる等の点で
分析の根拠となり得るけれど、紋様は芸術性などの面に秀でた資料ではある
けれども何かしらを特定できる根拠とはならない・・・のでしょうか。
Tさん
返信が大変遅くなり申し訳ありません。

さて、オホーツク文化とイヌイットとの関係性ですが、前述のコメントと重複する箇所がありますが、もう一度書かせていただきます。

まず、イヌイットとの関係性について。
 菊池俊彦氏によると『エスキモー文化は、古コリャーク文化と同じものを古コリャーク文化、オホーツク文化に求めることができるのは針と針入れにとどまる。
 エスキモー文化は、古コリャーク文化との間に幾つかの骨角器の上で共通性が認められるが、さらにそれをオホーツク文化にまで求めようとすることはほとんど困難である。エスキモー文化の骨角器との相似(回転式銛の第一型式、針、針入れおよび装飾モチーフ)を指摘できるにせよ、それはエスキモー文化がコリャーク地方に波及し、古コリャーク文化に採り入れられた上での南下と考えるべきであるろう』
と述べており、エスキモー(イヌイット)とは直接の関係性は認められないようです。

また、香深井A遺跡出土とイヌイットの針入れとは彫刻は確かに似ています。しかし、この香深井A遺跡出土の針入れは本当にオホーツク文化人のものなのか。が焦点になってきます。この針入れの彫刻は稀な例であり、ほかの遺跡から出土した針入れと彫刻を比較した際、香深井遺跡の針入れの彫刻は繊細で細かいのです。オホーツク文化人の線刻文は比較的大雑把といいますか、簡単な装飾になっています。この香深井遺跡ではほかに骨製スプーンなどが出土しており、このスプーンにも同じような線刻文の彫刻が施されています。

さて、「香深井遺跡で生活していたヒトはオホーツク文化人ではない」かと言うとなんともいえません。続縄文〜アイヌ文化までも遺構遺物が出ていますので正確には研究者でないとわからないと思います。

そして、イヌイットの針入れについて
イヌイットの針入れには両端に蓋のようなものがついてます。一見オホーツク文化針入れにはついてないように思われますが、おそらくは数百年土の中にあり、分解または見つけられず紛失されてしまったのです。

このことがわかるのは、稚内市オンコロマナイ貝塚出土の第三墳墓から出土した副葬品に針入れとその蓋らしき琥珀玉が近接して出土した例があります。しかし、この墳墓の埋葬者は鈴谷文化人だと天野哲也氏が論文のなかで書かれています。

現在、オホーツク文化としては針入れとその蓋については発見されていません。これは出土状況の関係でみつからないのかそれとも。といった感じです。

次に針入れの主な素材です。針入れは主にアホウドリの上腕骨・尺骨から製作されています。まれにワシタカや白鳥の骨からも作られているそうです。理由としては、
1.アホウドリは当時どこにでも生息していた
2.アホウドリは大型であり、素材として適材であった
3.何かしらの信仰があった

3については信憑性はありません。鳥の骨というのは空洞で相当硬い質であり、骨鏃や生活用品に適していたと考えられます。

次にオホーツク文化以外での針入れについてです。
鳥居龍蔵博士が千島アイヌの調査にいったときにチシポと言われる骨製の針入れを千島アイヌが使用していることを報告しています。チシポはワシタカ、白鳥の鳥管骨を素材として作られています。現在のアイヌではこのチシポは木製だそうです。そしてやはり彫刻が施されていました。この彫刻もオホーツク文化に近似なものと感じます。

イヌイットの針入れとは形は似ているものもありますし、違うものもありました。

最後にこの骨角器としても針入れですが、北方圏ではよく見られるようです。北海道を含めた、シベリア、カムチャツカ、千島列島、サハリンの民族は漁労や防寒着を縫うためにさまざまな彫刻を施した針入れを作っていたと私は考え、彫刻の相似についても、似てはいてもそれぞれ、民族の証明として使われてきた彫刻は似ているけど違う民族と考えることができると思います。
そして、やはりオホーツク文化とイヌイットでは時代に差がありすぎ、ルーツは同じでも同一の文化圏民族ではないと考えています。

一応、参考文献を載せておきます。Tさんは札幌在住だそうですね。僕は札大の学生です。札大では閉架書庫も一般開放されていますし、道立図書館にも抜刷や北方図書として、閲覧できる本を載せておきます。

菊池俊彦 1971 「樺太のオホーツク文化」『北方文化研究』5
鳥居龍蔵 1908 「考古学民族学研究 千島アイヌ」『鳥居龍蔵全集』5
種市幸生 2004 「骨角器」『考古資料大観』11
野村 崇 2003 『北海道の古代2 続縄文・オホーツク文化』
米村 衛 2004 『シリーズ「遺跡を学ぶ」001 北辺の海の民 モヨロ貝塚』

らへんが読んでいておもしろいかと思います。

あと、以前のコメントで長管骨としていましたが、正しくは鳥管骨です。すみません。


写真一が千島アイヌ
写真二が針入れと琥珀玉
写真三の右が捕鯨図の針入れ
ゆうき様

これは大変な指南になります。お手を煩わせてしまったのではないかと
気になります。自身は何かを深めることが出来ていないので少し恥ずかしい。
また何より感謝します。

時代の違いというのはどうやら決定的なのですね。
ただ北方圏というつながりは濃いようでもあります。

先日、子の自由研究(昨冬が旧石器〜縄文、今回が続縄文〜擦文までを
スケッチしまとめるということをしていたようです。)に付き合い、
一日、開拓記念館で過ごしました。

改めてオホーツク文化のコーナーを眺めると青銅製具の展示がありました。
添付したスケッチは帯飾りです。これはロシアのものと酷似しているよう
です。オホーツク文化のオリジナルというよりも交易により手にしたもの
なのかもしれません。

この日は学芸員の方とお話する機会がありました。認識を改めるような
話をいくつも聞くことができました。
その一つに続縄文の頃、北海道に弥生人がいたという話しがありました。
記念館の展示にもある沖縄の貝を使った貝輪やサハリン産と思われる琥珀
の首飾りなどが出土した伊達の遺跡において弥生人のお墓が発掘されて
いるそうです。その埋葬方式も正しく弥生のものであったとか。
既に人が移動していたようです。埋葬方法から考えてもそれは物は
もちろん文化や風習も伴っていた可能性が高い。

オホーツク文化のルーツが北方にあるのだとすれば同じように人が動いて
いる以上、様々なものも伴っていたのでしょう。その影響の範囲は想像
する以上に広域に至っているのだろうなと改めて感じました。むしろ
北海道という地域だけで何かを知ることの方が不可能に思えます。

北海道の歴史では謎の文化という魅力を備えたオホーツク文化ですが、
既にアカデミックな世界が繰り広げられていたんだろうなと感じています。
つまり何が起こっていても不思議はないと。

ちなみに良く似た回転式銛は対馬半島でも見つかっているようです。
対馬半島!?にわかに信じられませんが一体どんな経緯があったのか?

今回眺めていてその融和の様がとても素直だなと感じたトビニタイ文化、
案外どの文化よりもとても北海道らしい気がしてきました。

時々中央図書館は使うのですが、札大の図書館という場所もあったんで
すね。今は西岡に住んでいるので実はとても近いのです。
頂いた指南を無にせぬよう一歩一歩ですが楽しみたいと思っています。

ありがとうございました。

> Tさん

簡単にですが、返信させて頂きます。

まず、青銅製帯金具ですが、これは、大陸交易でもたらされたものだそうです。

オホーツク文化の限られた遺跡でした出土していません。

帯金具や蕨手刀は威信財と考えられており、目梨泊、常呂、モヨロなど大集落遺跡で出土が認められています。

同じような、帯金具がナイフェリド遺跡で出土しております。

回転式銛については僕は無知なので進言しないことにします。
回転式銛がオホーツク文化特有の漁労具なのであれば、交易が行われた可能性がありますが、漁労具や生活用具というものは、同じ生活環境(漁労が生業など)であれば似た道具はよく出たりします。

伊達の遺跡についてですが、これはあり得ることだと思います。稲作の伝播に来ていた弥生人と考えるか、何かしらで北海道に来た弥生人ではないでしょうか。

しかし、物の移動=人の移動では有りません。
大抵は物の移動のみです。

続縄文は弥生時代と平行しており、稲作が出来ない又は稲作より、狩猟採集のほうが魅力だった縄文人達がどんどん東北北海道に北上したと考えられています。

問題は伊達のその遺跡一帯が弥生人の遺跡だったか。が問題になると思います。

一人だけならば、何かしらの意味があって伊達にきていた。

遺跡の住民が弥生人ばかりならば、稲作をしようとしていた。と考えることもできます。

取り急ぎの返信なのでめちゃくちゃになりましたので、伊達の件と回転式銛の件について、再度調べてからまた書かせて頂きます。

以上
ゆうき様

そうですね物の移動=人の移動ではないですね。

伊達の弥生人について聞いたのは(聞いただけなのですが)、
埋葬の方法に特徴があったようです。
一度埋め、後に掘り出してより改めて埋葬するという方法のようです。
その様に埋葬された者とその様に埋葬できる人が居たようです。

銛については非常に良く似ていたらしい、オホーツクと対馬のものが。

2つとも開拓記念館におられる学芸員に伺った話です。
私は趣味として責任もなく「面白い!」と聞かせて頂きました。
過去の北海道の想像を広げてくれる話に飛びつきました。しかし、
それが何を意味しているのかはわかりません。
ただ、わからない範囲がまた広がってしまいました。
知るほどに狭くはなりませんね。

まだまだ何かと何かは結びつきません。

オホーツクとイヌイットは結びつくのかな?という問いもどうやら
近縁ではなさそうですし。ただわからない範囲もおおそうなので、
つまり可能性が消えたわけではなくもっと壮大なのかもしれないと
思えてしまいます。わかったことは、確かめるには相当な覚悟が
必要だ、ということですね。
> Tさん

遅くなりましたが。

やはり、『考古学』だけでは全ては解明できません。解明する為の一つのツールに過ぎないということですね。

姉妹学問として、人類学や文献史学、民族学などと共存していくしかありません。

ましてや、本国のつい最近の歴史ですら解明出来ていないのが現状です。

歴史を本当に解明するにはタイムマシンを使うしかないと思っています。

結局は考古学であろうがなんであろうが、実際にはその生活を見ることが出来ないのです。

しかし、見つかった資料などで近いものにすることは出来ます。完全復元は無理ですが。

学問とは夢を見ては行けません。しかし、空想することは必要だと思います。

ただ空想するだけではなく、資料に基づいての空想が必要なのです。

しかし、学者というものは頭が固いですよね。

難とか説とか言って「この道具はこういう風に使った」とか言うわけですが「ソレに使っただけじゃないだろうが!」ってよく思います。

学者さんも、「色々使ったんだろうなぁ」って思うらしいのですが、論文を書くとなるとそれではいけないようです。

前に 物の移動≠人の移動

と言いましたが、人もちゃんと移動していますし、伊達の墓についても、何らかの理由で渡道してきたのでしょう。

稲作の伝播だったのですかね。
学者はよく 考古学はロマンじゃない

と言いますが、もしかしたらという夢が沢山詰まった

論文になるような固い物ではなく、小説のような夢や希望が溢れる学問になればなぁ

と思います。
オホーツク文化とは関係がないのですが、
アイヌのムックリ、竹製です。その竹はどこから得ていたのか?
問われると全く解りません。
開拓記念館でお話を伺った学芸員さんがとても面白い人で
空想かと思うようなお話をこちらの知識に合わせて聞かせてくれました。
竹は交易の際の包みだったのだろうと。

土器については中身が主でその器として移動したのだろうと。
例えばイクラなら当然器が必要だろうし・・・のような具合で。

何をどのようにと考えて行くと想像できるものも多い。
北海道で弥生式土器が発掘されたから北海道でも作られていた、とするのは
ナンセンスかもしれないね。単に器だったのかもしれない・・・など。
私のうろ覚えなのですが、そのような話しに感嘆しました。

論理性や客観性を失わずに築き上げるストーリーはリアルでとても面白い。
あまりに上手い話だと疑問に感じてしまうし、
土器の変遷だけを見せられても理解はできない。
しかし当時の生活をリアルに感じられる話には素人でも
想像が許されそうです。

自分で見つけられるようになれると良いのですが、
克服できるとやがて点と点が結びつけられるのかしれません。

学術ではなく個人の感想レベルのコメントになってしまいました。
申し訳ありません。また数々のコメントありがとうございます。
大変勉強になりました。
あんがい素人の方のほうが目の付け所がいい時ってあるんですよ。
研究者では見逃してしまうけど、普段見れないようなモノを見るときって、すごく観察しますよね。

それで、本職の方が見つけられなかったものが発見されるって話はよくあったりなかったり・・・

僕的には、学術的、非学術的問わずこういった話をするのが好きなので、いつでも声をかけちゃってください。

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