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オホーツク文化コミュの★オホーツク文化について

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 晩夏のオホーツクを空から見た。エバーグリーンの海面に反射する陽光が凛然と輝き、私の心を照らし出す。ジェット機が東経143度、北緯44度の海域上空を滑るように旋回し、コムケ湖畔に伸びた白い大蛇のような滑走路を目指す。私が生まれた北の大地紋別は、北緯がほぼフランスの南端マルセイユと同じだ。しかしマルセイユと決定的に違うのは、冬にアムール川(黒龍江)から南下してきた流氷が海を覆い尽くすということだろう。
 紋別という地名は、アイヌ語の「モペット(静かなる川)」に由来する。このオホーツク海沿岸地域には、紀元7世紀から13世紀にかけて漁撈を中心とした人々による独自の文化が栄えていた。大正2年にアマチュア考古学者、米村喜男衛(よねむらきおえ)さんが発見した網走のモヨロ貝塚によりその存在が明らかになった。作家の司馬遼太郎さんは、「街道をゆく38・オホーツク街道」で「私どもの血の中に、北海の海獣狩人の血がまじっていることを知っただけで豊かな思いを持った。」と話している。およそ600年間に渡り独自な文化を築き上げ、突然姿を消してしまったオホーツク文化。スペインに滅ぼされ、忽然と姿を消したペールーの空中都市インカ帝国の歴史と重ね合わせてしまうのは私だけだろうか?

 本州が縄文文化から弥生文化に移行していた2千数百年ほど前、北海道には鉄器のみが伝わり、縄文文化はそのまま受け継がれる。これを続縄文時代と呼んでいる。この後8世紀後半に出現したのがアイヌの人々の先祖と言われている擦文文化を担った人々である。擦文とは、土器の表面をヘラのような物で擦(こす)って直線的で幾何学的な文様をザクザク付けているところからこう呼ばれている。粘土ひもをレリーフ状に美しく貼付けたソーメン文を配したオホーツク式土器に比べるといささか大ざっぱに見える。数年前、実家に帰省したときに擦文人や先住民の復元された住居跡をオムサロ遺跡公園で見てきた。それらは、わらぶき屋根の竪穴式住居で、海に面した高台に208軒も残されている。擦文人は四角い住居であるのに対し、オホーツク人は5角形、6角形の住居を造っていた。私の記憶では、冬の紋別は零下35度まで気温が下がるときもあった。この住居ではさぞかし寒かったのではなかろうか。

 トド、オットセイ、クジラなどを狩猟していた海洋民族のオホーツク人は、鉄器を豊富に有する内陸型文化の擦文人と民族的な闘争を始める。アイヌ民族の英雄叙事詩ユカラによれば、レプンクル/Rep-un-kur(沖・の・人/海の向こうの人)がヤウンクル/Ya-un-kur(内陸・の・人)の姫をさらったのが発端になったとされている。擦文文化人と敵側であるオホーツク文化人との抗争として描かれているが、一説には、和人とヤウンクルとの戦いだったという説もあり、定かではない。
 およそ800年前、鎌倉幕府が成立した頃、オホーツク文化は擦文文化に接触、融合され、北海道の土器文化は消滅していく。この土器文化末期の融合された形体は、知床半島や南千島に見られる。昭和35年、羅臼町飛仁帯(トビニタイ)で遺跡が発見されたため、「トビニタイ文化」と呼ばれている。オホーツク人は、自らの伝統をアイヌ民族の中にイヨマンテ(くま送りの儀式)として残し、北海道独自のアイヌ文化へと受け継がれ、発展していくのである。
 
 日本の義務教育では、オホーツク文化やアイヌ民族の歴史は残念ながら教えられてこなかった。日本に限らず国家権力というものは、暴力で不当にねじ伏せた民族の歴史を正当化させるために史実をゆがめてしまうことはよくあることだが、アイヌの人々による文字の記録がないのも歴史の教科書に記載されなかった原因の一つだろう。
 私たちは日本人という島国的な視野から脱却し、地球人的な視点から歴史を見直せば、大地とともに歩み、共生してきたオホーツク人をはじめとする北方諸民族から学ぶべきことは星の数ほどあるのではないだろうか。彼らは、太陽や月、山、川、動植物、身の回りの道具など、すべてを神の化身であるとし、人間への役目を終えた動植物や日用品の霊を丁寧に神の世界へ送る儀式をみてもエコロジカルな循環型社会を先取りしている。私は祖先の歴史や文化を知れば知るほど歴史的ロマンと彼らの叡智に触発され、勇気と自信が湧いてくる。先人の残したオリジナリティー豊かな文化遺産を私なりに受け継ぎ、ささやかながら表現させていただければこの上ない幸せである。

コメント(51)

とらんね さん、遅く(いつの間にやら、、)なりました。
ありがとうございます、
昨年8月の”第15回 環オホーツク海 文化のつどい” にて、

講演『マタギと北方の狩猟民』
東北芸術工科大学大学院芸術工学研究科
東北文化研究センター 教授 田口 洋美 氏

講演『常呂川河口遺跡発掘調査16年の成果』
北見市教育委員会社会教育部主幹兼ところ遺跡の森所長 武田 修 氏

研究報告1『アイヌの送り儀礼について』
千歳市埋蔵文化財センター 高橋 理 氏

研究報告2『海外アイヌコレクションから見えること』
北海道大学アイヌ・先住民研究センター 助教 山崎 幸治 氏

研究報告3『オホーツク文化の信仰と儀礼』
オホーツクミュージアムえさし 学芸員 高畠 孝宗 氏

を拝聴さてていただきました。

会場は、ほぼ半数が関係者、半数以上は札幌大学と東北芸術工科大学の学生、極僅か数名が一般の参加者で、私はこのようなシンポジウムの経験が初めてだった+素人なので、
講演や研究報告は、聴いていて(自分が興味を持っていた部分に対して)面白かったのですが、
質問数が少なかった(勿論私は質問するような頭はありませんでした)のと、盛り上がっている様子があまり感じられなかったので、シンポジウム自体の充実した感じ(学術的に、というのか)は残念ながらありませんでした。
ゆうきさん

いよいよ今日牙製婦人像の発表ですか!
頑張って下さいね♪

さちんさま
学生ばかりですか?
『環オホーツク』は以前は地域密着型のシンポジウムだった筈なのですが、客離れしてしまっているのでしょうね…内容も専門的なものばかりのようですし。
私もシンポジウム参加がてら一度紋別に行ってみたいです。
レポートをアップすると言ってましたが、私事が忙しく誤字脱字があり編集していまして、アップ出来ていませんでした。

今晩にでもアップさせていただきます。
え〜とですね、UPしたかったのですが、文字数の問題なのか、反映されずにブラウザがホワイトアウトになってしまうだめに、pdfで保存したデータのURLをUPします。携帯での方は申し訳ありませんが改善策が見当たるまで気をなが〜くしてまっていてください。すみません。

http://www.filebank.co.jp/wblink/93bdb1a0e03a5d7d2c71a684c5448e01
ゆうきさま

もう一ヶ月以上前のコメントですが、すみません、今頃発見しました(汗)

明日にでもパソで見たいと思います♪
とらんねさん

もしかしたらリンク切れてるかも知れません…
切れていたらご報告ください(汗
ゆうきさま

今拝見しましたが・・・

リンク切れしていました泣き顔
やっぱり…今家にいませんので夕方頃にまたUPしますねグッド(上向き矢印)
新しくUPしました
http://www.filebank.co.jp/wblink/6a6e5526b8fe8509082aeb8f0bf4dacc
ゆうきさま

ありがとうございます!
牙製婦人像の傍らに「クマ」ですか・・・。


あ、あと参考文献を教えて頂けますか?
とらんねさん

参考文献というか要約した論文は『考古学雑誌第86巻き第3号』「礼文島浜中2遺跡出土の牙製婦人像」前田潮・内山幸子両氏です。
ゆうきさま

いや、天野哲也氏と大井晴男氏等の論文なのですが…。
天野哲也氏は『クマ祭りの起源』に収録されている論文なのでしょうね。
恐らく「クマの胆考」辺りでしょうか。
大井晴男氏の論文は卒論を書くにあたり、とっても回りくどく書いてあるので読み難くてどうしようもありませんでした(笑)
あれ、今回UPしたやつの元の論文を知りたかったのではないのですか?
ゆうきさま

『考古学雑誌第86巻き第3号』「礼文島浜中2遺跡出土の牙製婦人像」前田潮・内山幸子両氏の要約だったことは先のコメント8で認知していましたよ。

とっても分かりやすく、何だか学生時代に戻ったような心持ちになりました!
前田・内山両氏が扱った参考文献も気になったもので・・・ちと困惑させてしまいましたね、すみませんでしたあせあせ


あと、話は少し変わるのですが、どなたか、牙製婦人像と仏像等との類似性について言及している研究者はおりませんか?

以前学生時代、加藤晋平先生が私の母校を退官される前にこの手の話を聞かせて下さったもので。
そうでしたかあせあせ(飛び散る汗)

仏像…ですか。聞いたことないですねぇ。単に研究不足な感じもあると思いますが。
いや、多分先行研究は無いかもしれませんよ?

加藤先生は「将来機会があったらやってみたい」と退官前におっしゃっておりました。
日本の古代〜平安辺りまでの仏像やアジアの仏像と比較したら面白いかも知れませんよ?

仏像ですかぁ。大陸系には送り動物を使った偶像ってあるんですかね?その辺を大陸系を研究している知り合いがいるので聞いてみようかな。

あとモヨロとよく比較される目梨泊には土製の偶像があるようです。
仏像研究をやっている方がいるのなら心強いですね!

目梨泊の土製偶像ですかぁ。知りませんでした。
仏像というか大陸をメインにやっている方がいるのですグッド(上向き矢印)
加藤先生も70年代〜80年代にかけて雑誌『どるめん』や『えとのす』辺りで北方文化関係の論考を書いてきた方なので、何の根拠もなく仏像との関連を考えたとは思えないのですよ。
是非ともその知人の方に聞いてみて下さい。
 突然乱入して申し訳ございません。

 大学の卒論がオホーツク式土器だったもので、色々キーワード検索していて、見つけたので、懐かしくてカキコしました。
 
 今は全然関係ない仕事をしていますが、時々一般向けの新書や概説書を読むぐらいで専門から遠ざかっています。

 私は学生時代、あまりまじめに研究をしなかったので、今更ながら後悔していますので、現役学生の皆さんはがんばって下さい、余計なお世話と思いますがあせあせ

>大井晴男先生
 先生が退官される年の一般教養の演習を履修したのが懐かしい。先生の論文は注がやたら多くて、読むのが大変ですよね。
ペッパー警部さん

突然乱入大歓迎ですわーい(嬉しい顔)

かく言う私も史学科あがりで無関係な仕事を行っております。

私、実は考古学専攻ではなかったのに、ほぼ卒論は考古絡みでした冷や汗

「オホーツク文化を知りたいのなら、まず大井晴男を読め」と学生時代の友人に言われ、まずは図書館にあった『オホーツク文化の諸問題』(学生社)というシンポジウムものを読み始めたのが最初でした(これは読みやすかったです(笑))。

その後大井氏の論文を手にしましたが、読むのが苦痛で苦痛で…(爆)

とにもかくにも、また顔を出して下さいね。

5日から礼文島へ合宿に行きます。今回は住居跡の分布調査なのですが20年前に大学の先生が調査に行っており、住居跡が確認できているようです。

一度調査しているのに何故今回行くかというと、前回の調査の時に爆弾低気圧で調査が中途半端だそうで今回礼文島沖海馬島の遺跡分布調査することになりました。
ゆうき様

いよいよですか。
是非とも海馬島レポートよろしくお願い致します!
こんばんわ。

事情がありまして、礼文島には渡ったのですが、漁師さんの仕事の都合でトド島に渡れず、ただ遺跡観光してきましたので、レポートはかけません。

楽しみにしていたかた申し訳ありません。
ゆうき様

トド島の件で、残念でしたね。
しかし、遺跡観光レポートでも良いのですが・・・。
お久しぶりです。

そろそろ卒論の準備に入る時期が迫ってきたと思います。

僕が卒論にしようと考えているテーマは『モヨロ貝塚の実態と現状』にしようと考えています。

先日、網走市郷土博物館にてモヨロ貝塚の13、14年度の報告書のコピーを頂きました。

しかし近年東大と共同調査した時の報告書がまだ出来ていないようで、現状把握するには2006年12月に北大博物館にて行われたオホーツク文化についての大会で和田氏が発表したモヨロ貝塚の現状についてのレジュメしかありません。
和田氏も数年前にお亡くなりになり続報が望めない状態です。

ですので、ある程度予備知識を知った上で今年の冬と来年の夏に郷土博物館に行き話を聴いてみる予定です。

皆さんは卒論はどういった内容を書いたのですか?
やはり、特定の遺跡又は遺物を扱った論文ですか?それとも各文化の比較又は特定の文化期の儀礼や文化特徴を扱った論文にしたのですか?

参考にさせていただきたいので、お教えして頂ければありがたいです。
 久しぶりに書き込みます。

 もう10年近く前になりますが、自分は千島列島出土のオホーツク式土器の型式変化をテーマにしました。

 就職活動との兼ね合いで、資料見学に多くの時間を当てられなかったので、資料数が限定されている、戦前の調査等で採取されたコレクションを分析対象にしました。

 一つの遺跡を研究対象にする方法もありだとは思いますが、卒論はテーマを絞って、遺物を計測してデータ集計、その結果を分析するというのが王道というかやりやすいのではないかと思います。

 まぁ、自分の場合、卒論が永遠の「処女論文」というレベルで、卒業後研究から離れてしまっているので、たいしたことは言えませんが、学部のうちは、理論をこねくり回すよりも、遺物を丹念に観察してデータを集めるという地道な作業をした方がいいと思います。

 当時の指導教官からは、「土器以外で卒論書きたいのだったら、骨角器の釣り針入れを集成して、型式分類するというテーマもおもしろかったんだけど」と言われたのも、今、思い出しました。

 とりとめもないことをつらつらと書きましたが、思いついたことは以上のことです。

 それでは、テーマ選びがんばってください。
>永遠の処女論文

初めての論文が永遠に初めてなのは当たり前。

完全な間違い。
要は卒論以来何も研究していないくせに生意気申し上げます…ってニュアンスを感じ取っていただければと。
返信遅くなりました。

王道はみんながやっていて面白みがないかなと思ったのですがもう少し考えてみます。

骨角器製の釣針は論文が出ていたような…近いうちに調べてみます。

ありがとうございます。
返信遅くなりました。

王道はみんながやっていて面白みがないかなと思ったのですがもう少し考えてみます。

骨角器製の釣針は論文が出ていたような…近いうちに調べてみます。

ありがとうございます。
>ゆうき さん

 素人の戯言程度に聞き流して下さい。

 今年に入って、考古学関係で熟読した本は、『アイヌの歴史』(講談社選書メチエ・瀬川拓郎著)ぐらいなんで、最近の状況には疎いもので。
 
 瀬川さんの本の中でも、オホーツク文化が擦文文化の影響を受けて、トビニタイ文化へ変質し、やがて完全に擦文化していく過程について、土器と住居址の変化に基づき、分析した部分は、考古学の分析手法がよくわかり、大変におもしろかったです。既にお読みになっているかもしれませんが、未読なら是非。
アイヌの歴史ですか。

読んでないですねぇ。大学で探してみます。

オホーツクから擦文に変わる過程で道東ではトビニタイ。道北礼文、利尻は江ノ浦式(だったはず)になりますね。

これについては一度レポートを書いたんですが論文が古かったし二本の論文で書いてしまったので未読でした。というか知りませんでした。

情報ありがとうございます。
>アイヌの歴史

 値段は1,600円です。一般読者向けなので、文章も平易で理解しやすいです。(瀬川氏の文章は、論文でも平易な文章だったと記憶しています。資料見学でお世話になった際、抜刷を頂いたりしたので、書店で見つけたときに即買いました。)

 トビニタイ土器については'96年か'97年に大西秀之氏の論文で、トビニタイ人が擦文式土器の製法をどのように取り入れていったかについて、トビニタイ土器の属性を詳細に分析したものがあり、自分が卒論を書く上で参考にさせていただきました。

 道北の江の浦式?(南貝塚式?)については、オホーツク式土器が擦文化する過程を詳細に分析した論文はなかった気もするので(出土資料が少ないからか?)、研究テーマとしておもしろいかもしれません。

 『新北海道の古代2 族縄文・オホーツク文化』(北海道新聞社、野村崇・宇田川洋編)所収の「オホーツク文化の土器・石器・骨角器」(右代啓視氏)に若干触れられています(記憶が曖昧なので、本を開いて確認したので、この点は間違いありません)。
大西氏の論文は読んだのですが大分前なので読み直してみます。

北海道の歴史2とシンポジウム オホーツク文化の…タイトル忘れてしまいました。
の二つの論文でレポートを書きました。

江ノ浦式については論文が少ないんですか。

卒論狙ってみます。
 がんばってください。

 私は素人同然ですので、ほんの参考まで。

 学術論文を目にする機会がないので、21世紀に入ってからの研究動向はさっぱりです。
アイヌの歴史まだ軽くしか読めてませんあせあせ(飛び散る汗)

お金がなくちょくちょく立ち読みしている最中ですもうやだ〜(悲しい顔)

図書館も延滞されててないしがまん顔

全部は読んでいないのですが、オホーツク文化人が何らかの戦?で矢に撃たれて死んだであろうところが興味深いとこです。
はじめまして。
イチローさんの文章、濃密で読み応えがありました。
熊送りには狩熊型とより発展した飼熊型があると聞きます。
オホーツク文化を吸収した擦文文化にその痕跡があるのですね。
消えたというよりも融合した側面もあるのですね。
もとより何をもってアイヌとするのか、そもそも先住民族とはと
疑問に感じています。
博物紀行ではまっているのですが、もう少し知りたいと思い、
図書館に舞台を移すべきか、時間をどう確保しようか思案しています。
先ずは情報をとコミュニティーに参加してみた次第。
いくつか上げられている書物、興味深く挑戦してみようかと
思っています。

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