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IR(イール)コミュの子どもができる前、できた後、産んだ後。今

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こどもができる前。
できたとわかったとき。
おなかにいる間。
産まれた時。
その後、そして今。

きっといろんな想いが移り変わっていくものなんですよね。

皆様のいろいろな想いや出来事、支えになったこと、きっかけになったこと、体験談、ざっくざくと聞かせて下さい^^。

コメント(5)

いちばーん(笑
出産にまつわる出来事を話すと「それは、本一冊かけるよ」と言われます(^^;;あはは。

<子どもができる前の私>
え。。。自分が「子どもを生む」というのをまったく考えてませんでした。
つか、小さい子の面度を見るの嫌い。
いとこの中で、一番上。しかも、結構一人、年が離れていたので、下の子たちからみると、母よりちょっと若い大きいおねえちゃん。怖がられてました(^^;(あれ?今も?)3つ下の妹のほうが親しまれていましたねぇ。。。。いっつも、まとめ役だったんで、なんか、もう、面倒になっちゃってて。
まぁ。産んだとしても、もっと後。と思ってたんで
できたときは「あれ?どうしようかな」でした。

この当時、私には人生を語る友人がいまして。
この友人がまた、ヘビーな生き方をしてる方でして(^^;;
人生を語るというか、一方的に愚痴られて重い雰囲気で、
夜中の2時3時に電話がきて数時間にわたって、「生きるってなんだろう」とか語られるんだから。。。
あははは。重いですねぇ。
この友人、癌を患ったことがあって以来、治療の後遺症に悩まされていたんですけどね。ま。この方の話は別の機会として。
その友人に「子どもができたみたい」と言ったら

「あぁ。それは、うらやましい。生きている証を残せるのね」

と。
彼女は子どもを産めない体でしたし、それで結婚も何度か破談になってますし、後遺症で働くにも働けずに(体力がぜんぜんないので、数時間外にいただけで、数日寝込むという。。。)、痛みがあるから、痛み止めの注射をしようにも、注射のしすぎで注射する場所もなく。。。年老いた母とじっと家にいるような生活だったんですね。

「私は、何も残せない。生きてるのに、何も残せない。
なぜ、生きているのだろう。
仕事ができるわけでもない。じっと家にいるだけの生活で
私が死んだら誰も覚えていてくれないだろう。」
「でも、まりのは違うね。子どもが覚えてくれる。その子どもがまた、子どもを産んだら、それだけで、まりのが生きてきたことが残せる。ずーっと。ずーっと残せる」
「でも、私は。私が死んだら誰も覚えていてくれないだろう
何も残らないだろう。」

単純な私は、この言葉で、「産んでみよう」って思っちゃったんですね〜。
子どもを産むって、そうか、私を覚えてくれる誰かなんだ。
私が生きてきた証の一つなんだ。
なんてね。あははは。思っちゃったのよ。

そして、今も。
すごい仕事をしてるわけでもないし、特にとりえもないから
なんとなく、落ち込んでしまうこともあるんだけど。

でも。一人、人間を残していくから。
それって、すごいことなんだから。

って。たまに自分で自分を褒めて、励まして、振り返りながら、子育てしてます。


おなかにいる間とか出産とかの時は
また、話があるんで。別に(笑

★2ば〜ん★

まりのさんの、「生きていた証」いいですね。
周囲には、孫を持った時に「生きたいてよかった」「今までがんばってよかった」という人が多いです。
続きも希望。

妊娠前:
結婚すると社会から拘禁・軟禁生活を強いられると思っていたので、結婚はしない。
妊娠・出産は経験したかったので、出産タイムリミットあたりでの結婚になるのか、と思っていた。
妊娠前提の結婚なので、某病院の産科に、婚前に不妊のリスクが知りたいと相談→そういう考え方はよくないと却下された。

妊娠発覚:
結婚が軟禁につながらない生き方を知り、不妊のリスクなんてつべこべ言わずに素直に結婚し、すぐに妊娠チェッカー反応。

エコーで命の存在を見たり、胎動を感じるたびに、「ずっと一人で生きてきたけど、(家族や友人には大変失礼・・)今は二人。ありがとう。ありがとう」と、ほんわか。
幸せそうねえ。とたくさん声をかけられ、さらに幸せ。

出産時:
一人目は分娩台になじめず、「もう産めない・・」と弱気になりながら出産。やっと生まれたので、立ち会った旦那が先に泣き出し、直後から抱いて離さないので、感動出遅れ・・。
出産の瞬間は、「出ていかないでえ〜。一緒にいてえ〜」という想いもよぎる。

でも、清拭の台の上で、お腹の中にいた時そのままに丸まっているわが子に後光がさして見え、「これが命の輝き」と涙が溢れた。(産後の軽い躁も影響するらしい・・)

二人目は、院内助産院という設備で、和室の布団の上で産んだので、リラックス。
自然な出産は快感だと聞いていたが本当だった。
5人以上産んだ祖母たち、義母を妬ましく思ったほど。

「いらっしゃいませえ。みんなで仲良くしようね」という気持ち。経過がよかったので、産後3時間くらいで、子どものカート押して、歩いて部屋まで戻った。(出産ってそんな自然なもの・・)

今:
生活のリズム、仕事のスピード、即決力、瞬時に気分を切り替えるなどなど、これまで持てなかった恩恵を母に与えつつ、ともに暮らしてくれている彼らに感謝の日々。

今、寝静まっているので、心穏やかにそう思います・・・。
まとわりつかれたら、「むき〜っ!!」とすることも多々ありますが。

育児休暇は留学に匹敵すると聞いたことがあります。
私の場合も、自分の短期間での変化を考えると、青年海外協力隊の2年間よりも目に見える大きな変化があります。

子どもの澄んだ瞳の力は絶大。子どもが親に生き方教えるって事実だと思います。
清いもの、聖なるものに敬虔に、大自然に謙虚であれと彼らの瞳が私を諭すんです・・。
<子どもがおなかにいる間〜出産まで>

さて、妊娠した。

病院だ。

えー。福岡に知り合いのいない私。
電話帳で産婦人科を探して。。。。。。
。。。渡り歩いてました(笑
最終的には、国立医療センターだったんですが(^^;;;;
(でも、後から浜の町病院でもよかったと。。)

。。。で、実母と仲の悪い私は実母に言い出せず。
(めんどくさかったし)
6ヶ月くらいになって電話で報告しました。(笑
(そして、電話口で散々色々といわれる私。)
#あ、ちなみに実母は神奈川県に住んでます(^^;;
#今でも、最低限用事がないかぎり電話しません。
#帰省するとか。(^^;;;


そして、暗い話を一つ。
元夫。ぜんぜん、妊娠を喜んでくれなかったんですよ。
だから、本当に孤独だったの。
知り合いいないし。
夫は<非>協力的だし。
「それは、本当に俺の子か?」みたいなね。
(いや、実際言われたけどさー)
(思えば、この辺から離婚しようと思ってたかも)

日々、大きくなっていくおなか。
ほぼ毎日。大濠公園を散歩してました。
「早く、一緒に散歩しようねー」なんていいながら。

そして!
そして!
「出産はどうするのか?」という問題が。
里帰りするのか。このまま、福岡にいるのか。

実母と気の合わない私は、はっきりいいまして
里帰り出産なんて。気が重いだけでした(^^;;

「里帰りしない」といえば、文句言うし
「里帰りする」とえいば、文句言うし。
どうしろと(^^?

ま。なんだかんだと、実母「勝手に」家の近くの
総合病院を予約。
「7月頭には帰って来い」と。
・・・・予定日8月3日だったのでー

そんで。
元夫実家に電話したんだな・
「どこそこ病院で産みます」って。
そしたら。
「そこより、こちらにして」と(^^;病院を紹介されました。

・・・紹介された病院。
実家から、電車(しかも特急!)乗って。乗り継いで歩いて1時間かかる。
(最寄駅から坂上がって徒歩15分・・・)
7月の夏!何が悲しくてそんな遠くに。。。
。。。ちなみに、その病院。
元夫実家からも1時間くらいかかります。

正直・「カンベンしてくれよ」だったのですが
実母は元夫母にあまり頭があがらず。
(年が一回りは違ったので(^^;やはり、年上として。。。
気を使ってたらしい)
「せっかく、紹介してくれたんだから」と。


。。。遠いっての!
ちなみに。場所はここ
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=35/39/34.861&el=139/42/33.940&scl=70000&bid=Mlink&coco=35/39/34.861,139/42/33.940&icon=home,,,,,
(表示された状態で、縮尺を1/8000にすると病院名が出ます)
(少子化のあおりをうけて、数年前に産科は廃止されました。)


とおい、
本当に。遠い。

診察に行った、初日。
先生の一言目
「なんでこんなに遠くに?」


_│ ̄│○ そりゃそーだよね。。。。。
私もそー思います。


なんでこの病院になったのかとゆーと
元夫両親。「昔、そのあたりに住んでいて
自分が使ってよかったから」
・・・・・・・でも、遠いんですわ。。。。。

先生にはっきり言われました
「陣痛が起こったら、すぐ、病院にきなさい」


遠いもんね。
車でも1時間以上かかるもん。
救急車のったら、越境してくれるんかいな(^^;




病院で起こった、ある出来事は。また次に。

(って、まだ、あるんかい!(^^;;)





今7ヶ月目です。予定日は今年の12月13日。
幸いなことに一切のストレスを感じることなく、毎日を過ごしているところです。
まだまだ途中段階なので妙に細かいですが、とりあえずここまでの気持ちを書いちゃいます^^。

結婚半年後、ローンも組んだしと言うことで、実は後二年、作る気はありませんでした。
コドモができても働きやすいようにと、私の実家・駅・スーパー・保育園等々が近くにあるところを選んで移り住み、二年でこれだけ貯めてから、と計画していました。
そんな中、義両親がとてもとてもとても楽しみにされてて。
会う度に子作りは、と言われていても全然気にしておらずそうですね〜なんて笑い流していたのですが、ある日会話の端々からどうやらお金貯めてからと考えているみたいだと気づかれ(笑)翌朝、お二人揃って真剣な面持ちで言われました。

 ローンやリフォーム代が気になっているのなら、多少援助してもいい。
 だからお願いだから、お願いだから、自然に任せて欲しい。
 こればかりは授かりものだから、と。
 
もともと子供は欲しかったし(と言うより家族は増えるのが当たり前だと思っていました。不妊率の増加も気になってはいたけど、自分がどうかが分かるのは先のことだと現実的には考えていなかったから。)これまで充分過ぎるほど二人で遊んできたから先延ばしは金銭面を考慮してのことだけだった私。
援助どうこうはともかく、義両親がそれほどまでに待ち望まれてるのならま、もういっか、なんて思ったのでした。
そこからはあっという間。
数日後に身体の異変を感じて確信し、二週間後にはチェッカー反応(笑)
本当に恵まれていることだと思います。

とは言えまだまだ実感はありません。おなかは出てるけど^^;
チェッカーで発覚した時も、心臓ぴこぴこや胎動にも、実は噂に聞く感動は思ったよりありませんでした。
検診に行く度、よかった生きてる、と確認するのが一番で。
でもまだどうなるかは分からない、まだ安心できないと思っていたので、感動するまでには浸れなかったのです^^;

6ヶ月に入った頃からようやく安心して?産まれたらどうこう、って話ができるようになってきた感じかな。

とはいえ今一番楽しみなのは産休で(笑)
今一番心配なのは産休中の相方の家事離れで(笑)←食事以外は基本相方任せ。
つまりは自分が母親になるという実感がまだまだ沸いていないのが本当のところです。
だって親や義両親や相方がどんなふうになるかは想像に容易いけど、自分が母親になるところは想像できない^^;

とはいえ道を歩けば子供に目がいくようになりました。親を見るようになりました。
これまで無理していたところでも、自分をいたわるようになりました。
我が家にちっちゃいのがくると思うとすごく楽しみ。(いやもうお腹にはいるんだけども^^;)
そして少しずつではあるけど未来を想像するようになってきて。

これまで私にとって相方に両親が一番の存在だった中、それに加わる(勝る?^^)絶対的なものが産まれてくる。
そう考えると怖くなるし、楽しみでもあります。

きっと胎動が激しくなったり予定日が近づいてくると、ますます気持ちが変わってくるんだろうなと思います。
とにかく無事、生まれてくれれば。
今はそう思うのみです。

産まれる頃と産後、その後の気持ちはリアルタイムにまた後日・・・(笑)
楽しみですね。自然に授かったこと、みんなが楽しみに
待っていてくれてること、最高です。
胎児はママやパパの思いがわかるそうです。

子供の存在ってすごいです。すばらしいです。
なんだってできる!って思わせてくれたのも子供たちでした。

つわりが大変で、赤ちゃんと一緒に死んじゃうんじゃ
ないかと思いながら、妊娠初期を乗り越え、
胎動を感じたときは、本当にうれしかったです。
おなかがパーンと張って、痛いときもあったけど、
ひどい便秘もなったけど、10時間かけて生まれたけど、
出産の日は 最高の気分でした。
夫(前夫)もずっと立ち会っていたし、臍の緒も切って
くれて、胸に抱いた瞬間は、忘れられないです。

長男は、学生中に生んだのですが、子供ができてからの
ほうが、勉強した・・・^^
時間がない方が、効率よくできるもんだと実感。
子供2歳のときに、国家試験受かりました。
ほんと、長男誕生のおかげかもしれません。

自分を幸せにしてくれる存在は 私自身と子供かなと
思うこのごろです(^^)

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