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旧約聖書と福音コミュの民数記と福音

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本
一見して、あの判り難い旧約聖書の民数記と福音とに何の関係があるのか(?)と不思議に思われるクリスチャンが、もしかしておられるかもしれない。トム爺がトム坊のときもそうであった。その頃のトム坊は新約聖書における福音とは有名なヨハネ福音書の3章16節だと思い込んでいた、しかも、それが聖書中の聖書であると教えられ、そのコンテキストとは関係なく、それだけを切り離して丸暗記していた。しかし、その文脈をよく読めば、福音の中心が民数記における荒野での「青銅の蛇」の出来事と深く関係していることがわかってくるのである。
イスラエルの民が出エジプトを経験しながらも、食べるパンがない!飲む水がない!と不平不満だらけの荒野の旅を続けていたときに、神は有毒な蛇をおくり、多くの民が噛まれて死んでいった。そこで、神はモーセを通して、竿の上に青銅の蛇をかかげ、それを仰ぎ見るように死にいく民に訴えると、それを仰いだものは生きた(!)のである。
主イエスは「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネ3:14〜15)とイスラエルの教師でありながらも真に聖書を理解していなかったニコデモに語られたのである。
福音そのものである聖書の中心聖句(ヨハネ3:16)は、このような歴史的背景を前提にして、「ゴスペル・エッセンス」(福音の中核的な本質)としてヨハネが書き記したのである。
私たちも、青銅の蛇のように呪われて十字架にかけられた主イエスを仰ぎ見るときに救われ、「生きる」のである。エマオ途上の弟子たちに、旧約聖書において証しされている主イエスご自身に関する出来事(ダーバール)を語られたとき、弟子たちの心が燃えたように、私たちの心も、主イエスの言(ダーバール)を聴いて燃えないだろうか?
(付記)門戸聖書教会・ホームページに記録されている過去のメッセージ中の「青銅の蛇」を参照されたい。
目がハート

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