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旧約聖書と福音コミュの「ゼカリヤ書と福音」

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チャペル
1.「わたし(主)の民」と「彼らの神」
「彼らはわたしの民となり、わたしは真実と正義をもって彼らの神となる。」(ゼカリヤ8:8)「その日、彼らの神、主は、彼らを主の民の群れとして救われる。」(9:16)
私たちが「主の民」とされ、主が「私たちの神」となってくださること、これは旧・新約聖書の根底を流れる神の民すなわち教会に対する神のメッセージであり、これこそが福音のエッセンスである。
神は特殊な人に対してえこひいきをされる神か?否!「真実と正義をもって」そうなさる神である。私たちは神の庭で小さな石とされるだけでも幸せなのに、「彼らはその地で、きらめく王冠の宝石となる。それは、なんとしあわせなことよ。それは、なんと麗しいことよ。」(ゼカリヤ9:16〜17)

2.現代のわが国の教会の実状?
預言者ゼカリヤを通して語られる神の牧者にたいする言にはまことに厳しいものがある。
「人々は羊のようにさまよい、羊飼いがいないので悩む。わたしの怒りは羊飼いたちに向かって燃える。」(ゼカリヤ10:2〜3)
「愚かな牧者・・・彼は迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さず、傷ついたものをいやさず、飢えているものに食べ物を与えない。・・・ああ。羊の群れを見捨てる、能なしの牧者。」(ゼカリヤ11:15〜17)
現代のわが国の教会は無牧のところが少なくない。たとえ、御言の説教者が与えられていても、実際上は無牧に近い教会があるかもしれない。かつては主日の朝拝、夕拝、祈祷会と、少なくとも毎週3回はメッセージが取り次がれるのが常であった。それでさえ、ウエスレーやホイットフィールドの説教回数とは比べ物にならないほど少ない。現代では何故か説教作成に時間がかけられ過ぎているような気もする。つまるところ、時間不足から牧会に手が回らなくなるのかもしれない。
神の幕屋である本来の教会で「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。」(ヨハネ黙示録21:3〜4)と語られている通りに預言が成就されるためには、終末まで待たなければならないのだろうか?
確かに現状は「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない」状況にはなく、現状は「以前のものが、もはや過ぎ去ったからである」(21:4b)とは言えない以前のものに満ちている。しかし、福音の約束はある人たちが痛烈に批判するようなユートピアでは決してない。なぜなら、「御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。」(ヨハネ黙示録21:5〜7)と記されているからである。
福音を信じる者は希望と忍耐をもって神の時を待つのである。
天秤座

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