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U研究会コミュの(4)チベット紀行・天空列車

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チベット紀行・天空列車でラサに行く(4)歌川令三

前口上 活仏ダライラマ14世不在の聖なる古都ラサ市は太陽がまぶしい。「年間日照時間、三千時間」、旅行案内書にはそう書かれている。ヒマラヤ山脈の北にあるチベット自治区の町、まだ四月の下旬だというのに昼間はTシャツ姿の観光客もちらほら。乾燥しているので汗は出ないが、結構暑いのだ。
でも、緯度を考えれば、不思議ではない。北緯29度、ラサから世界地図を真横に線をひくと日本の九州の南、奄美大島や、地中海のシシリー島がある。南国の島と世界の屋根といわれるこの高原、標高こそ違うが太陽は同じ角度でギラギラと頭上を照りつける。
ラサはチベット語で「神の土地」という意味だが、日差しが強いので「日光城」とも呼ばれている。気象学的にいうと、「高原温帯型半乾燥モンスーン気候」に属しているとのことだ。標高3650メートルのラサ河谷地に位置し、夏の二ヶ月の雨季のおかげで水は豊富、温暖で太陽と緑の樹木に恵まれ、冬は乾燥する高原、都を作るにはもってこいの場所だ。
チベット最初の統一王朝、吐蕃国の王ソンツエンガンポは、7世紀この地に都を定め仏教を導入した。ポタラ宮のある紅い丘の麓に、王の"二人の妃"が建立した聖なるジョカン寺(大昭寺)がある。チベット仏教はこの寺から始まった、、、、。

タイトル「仏教とジョカン寺縁起」

#「おお、このお寺、"ラサの浅草観音"ですよ。」

チベットに仏教が伝来したのは、それほど大昔ではない。日本に仏教がもたらされたのは、西暦538年,朝鮮半島の百済の聖明王から仏像が大和朝に贈られたことに始まる。チベットへの仏教伝来は、それより百年以上遅い。
チベット仏教発祥の地、ジョカン寺に出かけた。この寺の建立は7世紀の中頃、650年頃とのことで、釈迦が入滅してから千年以上たっている。
丘の上の山城、ポタラ宮から坂を下って20分、チベット最古のこの仏教寺院は、ラサの旧市街の中心部に建てられた"町のお寺さん"だった。というより、「始めにお寺ありき。後に周囲に門前町が生まれ、お寺を核にラサのチベット人居住区が形成されていった」というべきだろう。
「つまりここは、ラサの"浅草観音"ですね」。われわれ"チベット密教学習"チームのひとり、岡崎志朗さん(多摩大学院、客員教授)が、うまいことを言った。確かに浅草も寺が出来て町が始まった。
チベット仏教の発祥の地、ジョカン寺は浅草寺の三倍ほどの広い境内を持つっている。門前の広場は、香の煙が漂い、チベット人の巡礼者と観光客でごった返していた。毎日が三社祭りのような賑わいだ。
浅草寺には仁王様が番をしている大きな山門がある。だがこの寺にはそれがない。代わりに、門前に凹型にくびれた広い石畳の敷地がある。五体投地の拝礼の名所だ。ラサの仏像や重要記念物の前には、撮影禁止の札が建てられているところが多いが、ここだけは撮影自由。中国人の観光客が、五体投地のチベット人巡礼者に覆い被さるようにして写真を撮っている。=写真参照=
同じ場所で、一日中拝礼を繰り返す人もいる。石畳がツルツルに光り、ところどころに窪みが出来ている。巡礼者が手の平と膝につけている布製の防具が、拝礼を繰り返すたびに石の表面を磨く。シュ、シュと摩擦音が聞こえる。それが千年も続いたのだから、摩耗して大きな窪みが出来るのもうなずける。

#「仏教は中国がチベットにプレゼントした宗教です!」

70元(1100円)支払って、境内に入る。かなり高い入場料だ。でも、チベット人からは一切お金は取らない。"歴史的既得権益"だ。もし取ったら暴動が起きるに違いない。巡礼者のお目当ては、「お釈迦様、御年12歳の姿」を模して作られた等身大の純金張りの仏像だ。仏像の台座に純白の薄い布が何本も架かっていた。「朝やってきた巡礼のチベット人が、お釈迦さんに挨拶のために捧げたカタです」とガイド女史。
カタとは、相手の幸せを祈って首に架けてあげる白いスカーフだ。普通は、シルクだが、安物は中国製のナイロンなど化学繊維だ。我々一行も、宿の拉薩飯店で歓迎の「タシデレ」(こんにちは。吉祥あれかし)の印として、首に巻いてもらった。とたんに、ひどいくしゃみや、痒みを訴える仲間がいた。
「日本では何でもないのに、、、」と彼。乾燥と薄い空気がもたらした高地特有の「複合化繊アレルギー」なのかも知れない。沢山のカタの架かった釈迦像と対面するなり、彼がくしゃみを連発したのだ。やはり本物のアレルギーだ。カタが鬼門とは、「お釈迦様もびっくり」だろう。
早朝のチベット人専用の時間の雑踏はすごいらしい。割り込まれないようにそれぞれ前を歩く巡礼者の肩につかまりムカデのような行列を作る。釈迦像の前に来るとカタを捧げるだけでなく、何度も額をこすりつけたり,五体投地を試みようとしたりで大渋滞が発生する。見張りの僧が「早く、早く」とせかすそうだ。
だが、われわれ日本人や漢人、そして欧米人観光客が訪れる有料の午後の見学ツアーでは、早朝の騒ぎはない。由緒ある釈迦像もチベットに数ある仏像の一つとしか映らないのかもしれない。
そんな雰囲気を察知したのか、われらのガイド、李玉峰さんが、この釈迦像の"歴史的重要性"を強調した。「皆さん、この仏像は唐の皇帝の王女、文成公主が、吐蕃国王ソンツエンガンポに嫁ぐ時、わざわざ長安から持ってきました。インドのベンガルで作られ唐に渡った貴重な仏像です。熱心な仏教信徒だった王妃が、ヒマラヤの山奥で安全に暮らす為のお守りです。王妃は、国王に仏教への改宗を勧めました。チベット仏教はこの像から始まりました。そして文成公主が作らせたのが、このお寺です。」と。
私は念を押した。「ということは、チベットに仏教を伝えたのは中国である、ということですか」「そうです。仏教は中国がチベットにプレゼントした宗教です」北京派ガイドの彼女はそう断言した。この解説、必ずしも間違いではないが、実は真実の半分しか語っていない。

#14世ダライラマが愛した「吐蕃会盟碑」

「多分、彼女の持つ政府監修のガイド・マニュアルが、そうなっているからではないのか。」われわれ(多摩大学院の比較文化論グループ)は、旅の資料として日本から持参した文献と彼女の説を比較してみた。
「ジョカン寺はチベットで最も神聖な寺院である。7世紀、ソンツエンガンポ王が、ネパール国王の娘で彼の王妃の一人となったブリクテイ・デビによってもたらされた釈尊像を安置させるために造らせたものだ。王にはほかにも、四人の妃がおり三人はチベット人、もう一人は第二代唐皇帝の娘文成公主である」
ダライラマ自伝(文春文庫)にはそう書かれている。これでは仏教は中国でなくネパールからやってきたことになってしまう。歴史とは現在と過去の対話であり、歴史観は対話者の数だけある― とはいうものの、白と黒、カラスとサギほどの違いがある。
一体どちらから仏教はやってきたのか?答えは、中国でもあり、ネパールでもある。実はこの二つの仏教国からそれぞれ王女が、この勇猛で英明な統一チベット国の開祖に嫁ぎ、それぞれが嫁入り道具として仏像を持ってきた。それが真相だった。
唐の王女の仏像がジョカンジ寺の目玉、釈迦像だ。ネパール王妃は十一面観音を持参したが、これも同じ寺の観音堂に納められている。二人の王妃は仲がよく、王をチベットの土着宗教ボン教から、仏教への改宗を熱心に勧めたという。
仏教に帰依した王は、経典を広めるため、インドに大臣以下16人の学者を派遣、サンスクリット文法と文字を学ばせ、それが今日のチベット文字の原型になった。
「チベットの民の祖先、父は猿(印度から来た菩薩)、母は羅刹女(土着のボン教徒)である。観音菩薩はチベット人の命に仏教を導き入れようようと思い、体から光線を放った。右目からはネパールヘ、左の目は中国へ。ソンツエンガンポ王は二人の美しい観音の分身を嫁として迎え、自らも観音菩薩の化身となられた」チベットの古事記ともいわれる「王統明示鏡」の一節だ。
 勿論、仏教伝来後に編纂されたものだが、これが「吐蕃国仏教伝来」の正史なのだ。唐の史観では、ネパールなどお呼びでない。これが「仏教は中国のプレゼント」というガイドの解説につながったのだろう。都合のよい史実はつまみ、都合の悪いことは無視する―
これは北京政府に限らない。多かれ少なかれ、どの国もやっている"歴史のいいとこ取り"だ。
 もう一つ実例がある。ジョカン寺の門前に「唐蕃会盟碑」という名の大人の背丈ほどの石塔がガイドのコースから外されていたことだ。当時の吐蕃国の軍事力は強大で、8世紀、唐の内乱につけ込み、首都長安を一時占領した。両国の抗争は数十年続いたが、その和睦の印がこの石塔だ。
 素通りしたのは残念至極、後刻、わかったのだが、碑には「両国は戦をなさず、境域を犯さず、、、。チベットの国はチベットで平和に、唐は唐で平和であれ。三宝(仏法僧)を証人として両国王は国璽をもって誓う」と書かれていた。
 ダライラマ14世は「唐蕃会盟碑」の精神をこよなく愛していた。1989年、ノーベル平和賞受賞挨拶で、この碑を引き合いに出し「チベットと中国の領域を相互に侵さない平和共存」の実現を訴えたという。

#バルコル(八郭街)をコルラする。

ジョカン寺にもダライラマ14世の居室があった。「西窓からは市場から見下ろせた。市場に並んでいる露天を覗き見するのがとても楽しみ、ある時木製の銃が店先においてあった。早速人をやって買いに行かせた、、、、。巡礼の置いて行ってくれるお布施を時々自分の小遣いにしていたのだ」という。(ダライラマ自伝から)
 この寺の周囲は幅、20メートルほどの長方形の道路、バルコル=八郭街で囲まれている。一周、1.5キロほどの道のりで、巡礼路だ。沿道には土産物屋、レストラン、仏具屋、宝石、アクセサリー屋、そして露店がずらりと並んでいる。14世の「居室から窓越しに見た露店」とはまさにここのことだった。
たちまち人混みに呑み込まれる。五体投地の拝礼を繰り返し、尺取り虫のように進む巡礼者もいる。みんな時計回りだ。旅行社の旗を掲げたガイド女史が先導する。「一方通行ですか」「ハイ。みんなコルラしているのです」という。コルラとは尊いものの周囲を右回りにまわって敬意を表する、チベット仏教のしきたりだ。
人の流れに身を任せつつ露店をひやかす。携帯用のマニ車を一つ買った。マニ車とは軸を中心に回転する木製の筒で、寺の外壁に横並びに取りつけられている仏具だ。これを回すと一回転につき経典を一冊読んだと同じ御利益がある。チベットの聖地を旅する巡礼者は携帯用のマニ車を回しつつ行進するのがしきたりだ。
南東の角で、黄色く派手に塗られた二階建ての建物が目についた。一階には英語で「RESTAURANT」とある。二階の窓横には、なにやら米国風のポスターががかっている。仏教の古都にしてはちょっと場違いだ。若者用のネットカフェだという。
聖なるラサも開けたものだ。カラオケ屋も曖昧な女性が大勢たむろす観光客目当ての飲み屋も市内には何十件もあるご時世だ。このお店、北京にも支店のある有名店とのこと。ネットカフェがあってもいっこうに不思議でないラサの昨今、驚くほうが時代遅れなのかも知れぬ。
ところで、面白い話を聞いた。この黄色い建物は18世紀からここにあった。館内には、女性つきの料亭があった。その女性のなかに、ダライラマ6世が惚れ込んだ娘がいたと言うのだ。観音様の化身が夜な夜な荘厳なポタラ宮を抜け出して、彼女のところへ通い詰める。悲恋の舞台が三百年後に輪廻転生、ネットカフェに変身した。これをもって業というのか、はたまたご縁とでもいうのであろうか、、、、。
(注、6世は禁を破り女犯に走ったのがもとで、非業の最期を遂げた。連載の(3)ぺるそーな12月号参照)

コメント(7)

どの国もやっている、歴史のいいとこ取り。では、いいとこを取る前の「歴史」は誰が書くか?

古来中国では正式な歴史すなわち正史は、それぞれの王朝が前代について作る官撰の史書である、と先生からご紹介頂いた「中国の大盗賊・完全版」(講談社現代新書)と書かれています。

まさしく、勝てば官軍。その勝った官軍がそう認めたものが歴史と言う、至極解り易い定義です。おおもとの歴史からして、どの観点から述べるか、決定的な価値判断を経た眼で物事は書き綴られている訳なんですね。

そうしてみると、今の日本の歴史は誰が書いているのだろう。と言うと、教科書問題みたいな話になってしまう。そして、娘の塾のテキストを見ると益々、日本では何のために「歴史」を教えているの?という話になりそうです。



はい。まったくお説の通り。歴史とは現在と過去の対話のことです。だから対話者の数だけ、”歴史という物語り”ができあがる。”史観”はごまんとある。その中で、現在一番力の強い者(例えば為政者、あるいは反体制勢力、あるいは外国の勢力)にとって、都合の良い史観で編纂された”歴史”が、「正史」となるのです。いわゆる歴史教科書問題というのは、「我が史観こそ正史なり」をめぐる文化抗争の一こまなのです。「真実は一つ、だから歴史は一つ」なんて、夢夢、思いなさるな。グル・ザ・G
ところで、グーグルでポタラ宮が見えるんですね。凄い!
旧市街の街並みも。。。
オサムさん、そうなんだよね。「グーグルでポタラ宮が見える。凄い」その感性が気に入りました。同感です。メデイアは人間の作った道具、でもそれは単なる中性の道具ではない。メデイアが逆に人間を変えていく。メデイアには魔性がある。メデイアが変われば文化がかわる。チベットはどうなっていくのだろうね。グル・ザ・G
先生

話しを聞いていたらチベットに行きたくなってきました。
今度連れて行ってください!

今期最後の比較文化論を受講して、やっぱりもっと学びたいと思いました。
来期の講義に忍び込んでもいいですか??(笑)
先生、

いやぁ、感性というか、実は、昔から「高いところ」が好きだったんで、グーグルの地図は、見始めると止まらないです。それと、旅行先では高いところに登ってから歩き始めるのが癖でして。

これからの世の中、グーグルが当たり前の世代の人達が、どういう風に旅行するか、ちょっと興味があります。そもそも、「旅行」が成り立ち続けるかってとこまで、話しが行きそうな気もするのです。

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