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U研究会コミュの(3)チベット紀行・天空列車でラサに行く:作者 歌川令三

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前口上 中華人民共和国チベット自治区の首都,ラサ市。ヒマラヤ山脈の北側、チベット高原の中心部にある。標高3650メートル、チベット語で「神の地」という意味だ。7世紀の初めチベット統一の最初の王であるソンツエンガンポが、吐蕃国を興し、この湿地帯を都に定めた。
ところが9世紀、王国は滅亡、ラサはチベットの中心ではなくなった。17世紀、青海省にまで勢力を伸ばしたモンゴル帝国のグシ・ハーンの後押しによって、ダライラマ5世がチベットを統一、ラサを再び首都に選び、巨大なポタラ宮を建設した。それから三百年、“チベット人の国”が続いた。
しかし1951年、中国人民解放軍がチベットを占領、1959年、ダライラマ14世はインドに亡命、以来、主を失ったポタラ宮殿は、法王の府から北京政府の管理する“仏教博物館”になった。今月の読み物は「主なきポサラ宮」に焦点を当てる。

サブタイトル、<主なきポタラ宮詣で>

#出迎えは、筋金入り“北京派”お姐さん

青海省の西寧から26時間、青蔵特急は終点ラサ駅に着く。午後八時なのに太陽がまぶしい。「なぜそんな時間までラサは明るいのか」。仲間の誰かがつぶやいた。答えは簡単、中国には一つの時計(北京時間)しかないからだ。北の隣国ロシアでは、同じ経度の中に二時間の時差がある。なぜ「一つの中国は一つの時計」なのか?
「それが、漢民族の中華思想だからだ。外縁の少数民族を従えるために、時間といえども自由にさせない。秦の始皇帝以来、暦は皇帝様が決める。外縁の人々は領土安堵と引き替えに、臣下の礼をとる。暦の承伏もその一つで、北京時間は遵守されねばならない」
 9年前、私はチベットのもっと西にあるイスラム系少数民族、新彊ウルムチ自治区を訪れた。そのとき仕入れた話だ。「清朝は北京に理藩院という役所を置き、外藩の蕃族に対して認めている自治権に逸脱がないか、常に目を光らせていた」とも聞いた。
 ラサ滞在中、私は思った。「今日の中国政府のチベット支配の理念は、まさしくこれだ!」と。太陽はまぶしかったからか?それだけではない。ラサの町をこの目で確かめ、現地の漢人ガイドのラサ事情解説を聞かされるうちに、そう確信するようになった。
 「はーい。みんなで言いましょう。タシデレ。」タシデレとはそもそもチベットの仏教用語で「吉祥あれかし」という意味だ。「こんにちは」とか「お元気で」の挨拶に使われる。ラサ駅で出迎えた女性ガイドに促され、日本人旅行ツアーの一行は、「タシデレ」を斉唱さした。
この三十代前半とおぼしき姐御、名前は李玉峰さん、重慶の外語大学日本語科卒、“知的美人的”漢人女性だが、思想の方はチャキチャキの筋金入り“北京派エリート・ガイド”だった。
「外国の人、いろいろ批判します。でも、北京政府はチベットの人民を解放しました。それまでは、坊さんの貴族が支配する奴隷制国家でした」のっけからそういわれた。一同、強烈なパンチを食った面持ちだった。物事にはいろいろな側面があり、この説も真理の一面を語ってはいるのだが、、、。
 さらに訓辞?があった。「酒は飲むな、激しい運動をするな、風呂にはいるな。(禁酒、禁欲?そして禁浴の誓い)ラサは平地の65%しか酸素がないから。やたらに写真とってはいけません。チベットの人、写真取られると魂が抜けると思っているから。」と。
 その夜、若い仲間と市内探訪に出ようとしたら、彼女につかまった。
「どこに行くのです。日本人だけで夜歩くのは、良くない。ラサには悪いところいくつもありますから、、、」
「売春宿のこと?ご心配なく、ビールを買いにスーパーヘ」
「沢山飲んではいけません。私、案内します」
ラサの目抜き通り北京路にある小ぎれいなスーパーに連れて行かれる。地元ラサ・ビール六本、つまみの、カッパえびせん、ザーサイ、ポテトチップ、カップヌードル、水と茶各一リットルで五十九元(一元は16円)。監視付きとあってやむなくホテルに引き上げる。

#「観光客用の入場券は、一日、千五百枚しかありません」

 翌朝の拉薩飯店のレストランで。ポタラ宮詣を前にして、岡崎客員教授と胸算用をする。彼はラサ旅行の全道程同室で、良き対話相手の“若先生”だ。
「あの彼女、ポタラ宮の観光客用の入場券割り当ては、一日、千五百枚といっていましたね。これでは天上特急でラサに来ても、入城できない人が沢山でます。大丈夫ですかね。われわれは、、、」
 青蔵特急は北京、上海からも西寧経由で来ているから一日六本、一列車九百人だから合計五千四百人、確かにあぶれる。中国人の観光ブームで特急券を手に入れることが難しい。ラサに来て、入場券の入手がさらに難しい。
「“ポタラ宮を見ずして、ラサを語る勿れ”などということになったらどうしよう」そこは“筋金入りガイド”の政治力に賭けることにした。
 迎えのバスに乗り、紅い山にそびえるポタラ宮を見上げる北京中路の広場に集合する。観音様の化身である歴代のダライラマに敬意を表し、五体投地の礼拝を試みた。「オン・マニ・バドメ・フーム」チベット密教の真言を唱える。旅の若い仲間たちが、私のその姿をカメラに納めてくれた。=写真=
五体投地とは両肘と両膝と頭の五カ所を地につける、仏教の最も丁寧な礼拝法だ。五体を地につけてから、両手で仏像の足を抱くように持ち上げて礼拝する。立ち上がると自分の身長分だけ前進したことになる。私の脇にはそのような尺取り虫みたいな動作を繰り返しつつ、遠路この場所までやって来たチベット人の巡礼者がいた。膝と手がすり切れないように布製の厚いプロテクターをつけている。
予約時間の午前11時、西門前へ。ガイドの李女史に引率され、チケットカウンターを通過しようとしたら制止された。ゲートを管理する茶色の僧衣をまとったチベットのお役人と彼女の間で、なにやら激しい言い合いが始まった。
「予約がある、なし。」でもめているらしい。女史の甲高い北京語が勝利を収めたらしく、かなり待たされたものの全員に入場券が配られた。筋金入り“北京派ガイド”に巡りあった御利益はやはりあったみたいだ。
ポタラ宮の標高は富士山頂(三千七百七十七メートル)よりも百メートルほど高い。標高、三千六百五十メートルのラサの市街地から登るのだが、富士の8合目半から頂上の剣が峰を目ざすような急斜面が続いている。四十五度の急な階段もある。同じきつい登りでも富士登山は黒いがれきだらけで風情はないが、ラサの宮殿詣は、えんじ色の柱と白壁のコントラストが参詣者の目を楽しませてくれる

#「あの人駄目です。観音様の化身が愛人を作る。それ、いけません」

 ポタラ宮の主要な御殿、紅宮に入る。歴代ダライラマの彫像が並ぶ観世音本正殿や霊塔群などがある。高さ115メートル、東西三百六十メートル、南北三百メートル、部屋数は千もある大宮殿の心臓部だ。
 中でも、チベット再統一の立役者、ダライラマ5世の霊塔の豪華さには驚いた。高さ17メートル、5トンの金を使い、瑪瑙やダイヤモンドなど千個以上の宝石がちりばめられている。まさしく政教一体の大法王であったことがわかる。宗教的にはダルマ(法=宇宙の根本原理)の体現者であり、また世俗的には絶対権力をもつ王である。それがチベット密教におけるダライラマの持つ権能なのだ。
そのような感慨を持ちつつ、ダライラマ6世の居室を見る。どこか雑然として、法王のオーラが感じられない。「ほかのダライラマの居室より小さいでしょう。どうしてか知っていますか」李女史はこう続けた。
 「このラマは駄目な人だからです。ゲルク派(ダライラマを法王と仰ぐチベット密教の最大の宗派、事実上のチベット国教)の偉いお坊さんは、女性を近づけてはいけません。それなのに愛人を作りました。観音様の生まれ代わりの資格ありません」と。
 彼女の言うとおりゲルク派の僧侶は、“女犯”(にょぼん)は御法度だ。
「それを破ればその人は僧ではない。性欲の悩みは、知性的な方向付けのない盲目的欲望だ。それを満たすことは一時的満足に過ぎない。インドの偉大な学僧竜樹はこういっている。
 <痒いから掻く。だが、どんなに掻いても掻くことで痒みはなくならない。だったらはじめからまったく掻かないに越したことはない>」
勿論、これはガイド女史の見解ではない。北京が蛇蝎のごとく嫌うダライラマ14世の教えである。(ダライ・ラマ自伝、山際素男訳、文春文庫から)
 聖者の下世話な話が気になって後刻調べたら6世の愛人騒ぎは本物だった。ストーリーは以下の通りだ。
6世は確かに変わった人で、ラサの民衆の間で“恋愛詩人”として有名になった。愛人通いが昂じて受戒を拒否して、僧籍返上寸前までいった。
 これに目をつけたモンゴルの遊牧民族の頭目ラサ・ハーンは、6世を拉致し、時の大帝国、清朝の康煕帝に売ろうとした。ラサの民衆は立ち上がって6世を奪い返した。しかし悲運のダライラマは罪もない人が巻き添えになるのを好まず、自ら逮捕される道を選んだ。そして北京への護送中、青海省の湖の畔で病死したという。
(注、このエピソードは帰国後、岡田英弘著、「中国文明の歴史」で知った。)

#「屋上で、望遠鏡で刑務所の庭を見つめていた。」ダライラマ14世

チベット密教をいつもさめた目で見る唯物論者の漢人ガイドに、ラサで巡り会ったことは、有益だった。「有り難い仏様です」式の日本人の仏教信者を嬉しがらせるような観光向けの薄っぺらなセリフが一切ない。
それが役に立った。イデオロギー的立場を異にするが、彼女の唯物史観的ドライな解説のおかげで、中国のチベットへの領土拡大の歴史的歩みが、徐々に明らかになってきたからだ。
「18世紀ポタラ宮で内紛が起こりました。清の康煕帝は兵を送り、ダライラマ7世を保護してあげました」7世の霊廟のまえで、彼女はそういった。
このあたりの“史実”が、清国から中華民国、そして中華人民共和国に受け継がれ、今日の北京政府のチベット領有権についての“歴史的正当性”の主張のひとつの根拠が形成された。― 歴代ダライラマを模した金ぴかの仏像群を眺めつつ私はそう思った。
歴史とは過去と現在の対話であり、対話者の数だけ歴史観がある。インドにある14世の亡命政権や日本のチベット学者のチベット史観に基づく、領有権の解釈とは勿論異なっている。そもそもチベットとは誰の国なのか?そのことは、この連載シリーズのずっと終わりのほうの章で書くつもりだ。
酸素不足にあえぎつつ急階段を登り、屋上に出る。標高は三千九百メートル近い。「皆さん。世界で一番高くて、深いトイレがあります。」李女史が珍しく観光ガイドらしいセリフをはいてみんなを笑わせた。。
早速,覗いてみた。深さ七十メートル、落下物は直径四十センチほどの暗い穴を、宮殿の建物の基盤である山の地肌まで急降下する仕組みになっている。見学専用で使用禁止だが、ポタラ宮には同型のトイレがいくつもあるという。
ところで、ダライラマ14世は子供の頃、この屋上に出るのが好きだった。
14世はポタラ宮で居室として七階のダライラマ5世の寝室が与えられていた。寒々として採光は悪く、毎日のようにヤクのバターランプの灯明を,ネズミがなめにきていた。彼にとっては実に住心地が悪かった。だから彼は気晴らしに屋上に出るのが好きだった。
でも、われらの知的なガイド“筋金入りのお姐さん”は、そんな話を知るよしもない
「私は望遠鏡を抱えて屋上にすっ飛んでいったものだ。紅い丘の遙か麓に刑務所があり、庭を散歩する彼らが友達のように思え,その動作に目をこらした。向こうもそれを知っていて、私の姿を認めると一斉に地面にひれ伏し,挨拶をした」
このおもしろいエピソード、実は、われわれ多摩大のチベット演習チーム全員が必読参考文献として持参した,例の「ダライ・ラマ自伝」で見つけたのだ。李女史に一冊進呈しそれを教えてあげようと、思ったがやめた。14世の写真を持っているだけで逮捕される中国支配下のラサ市内、「いわんや禁書に於いておや」だ。

コメント(14)

グル・ザ・G先生
とても、楽しく読ませていただきました。

政教一体や経済などの俗権の集中というと、ローマ帝国衰退以降のバチカンと教皇を思い浮かべます。

ダライラマと教皇の比較論をご教授くだされば、幸いです。
 とっこさん。有り難う。今後の執筆のよきヒント人なります。ここでは以下の様に簡単にお答えしておきます。

 原理的には、権力の及ぶ範囲が違います。ローマ教皇は、十二使徒の筆頭、天国への階段の鍵を授かっているペトロの後継者。「カイザルのものはカイザルへ、神のものは神に、、」というイエスの名文句にあるように、キリスト教の管轄はこの世の政治、経済ではなく、天国です。選出法は偉い坊さんたちの互選です。世襲はありません。
 ローマ帝国滅亡後は、教皇は征服者ゲルマンの王と取引し、王の権力でバチカンの存在を守ってもらう代わりに、王としての権威(王権神授)を授与しました。権威と権力の交換です。従って教皇の存在は政教分離の基盤に立っているのです。それを中世の教皇たちがどう取り違えたのか威張りすぎて、教会税だの免罪符だの神聖ローマ帝国人民に重税をかけたことから、商工業者、農民、知識人それに地方の領主も加わって反乱が起こり、それが宗教革命につながったことはご存じの通り。
 ダライラマ制は、観音様の化身である前任者の化身と見られる子供を坊さんたちが占いや神通力で探し、新たなる観音様の化身の座に着かせるというきわめてユニークな制度。幼少の時代は、摂政が政治を代行、大人になったら、この世もあの世もすべてをダライラマ法王に仕切ってもらう政教一体の統治形態です。人民は心も肉体もすべて法王にお任せするのです。生きているときもそして死後もですよ。
 教皇とダライラマ、一見に似ているようだけど、違いますね。政教一体という意味ではイスラム教シーア派のイマームのほうが、ダライラマ制に近い。イランを見よ。ホメイニ革命以後、政教分離の国王、パーレビは追放され、神権政治が続いていますね。憲法上、国民の選挙で選ばれた大統領の権限なんて、ごくわずか。国の基本方向はイスラム法学者の親分、イマームが決めている。神=国家=社会なのです。
 ときにチベットでは、14世亡命により1959年には神権政治は終わっている。インド亡命中の14世ご自身も「この制度を人民が望まないなら、やめてもいい」と発言しています。人間の支配体制の歴史を見ると、ダライラマ制は、ヒマラヤの山奥の閉鎖された”特別の密教の空間”にだけ通用した「観音王国」とでも名付けられるきわめて特殊な統治システムだと思います。
 いつまでも、どこにでもと言う意味での普遍性はない。ヒマラヤのグローバル化と共に、いずれは消えてしまうのではないですか。消えそうになればなるほど、逆に世界の関心が高まり、ダライラマ同情論が高まるのも事実ではありますけど、、、、。だから”今、チベットが面白い”のです。
 この連載の最終章では、チベットの将来を論じ、そのことを書くつもりです。その他、感想、質問大歓迎。今後の連載に反映させます。それが双方向のネットメデイアのウマミですから。U研究会同人の書き込みを待ってます。
 なお、来年4月から、「比較文化論」のほかに「マス・メデイア論」の講座を土曜日の多摩で開講します。 グル・ザ・G
グル・ザ・G先生、

またまた、新しいことを教えていただきました。
チベットの土地だからこその思想なるほどと思いました。

思想:人を動かす思い&地:人の行き来や情報の流通度で世界を眺めて見ると
面白いと思いました。
先生の授業をうけて、そんなフレームワークでマネージメントの研究論文とか出ると思い白いなんて、人事の様に思ってしまいました。
人の置かれる環境は、人の持つ環境に大きな影響を与えるんですね。

勉強になりました。
ありがとうございました。

Mino

P.S
先生、先生に教えて頂いた、遊歩道コースこの時期素晴らしいですね。
院生の方で紅葉を満喫しつつ、キャンパスへ向かう楽しみを発見されたければ、
是非、先生に教えていただくといいですよ!
気持ちよく勉強に入れること間違いないです♪
KJさん。コメント有り難う。「あの土地だからこそ、こんな文化が生まれる。」全くそう思うのです。チベット密教のエッセンスは、「素晴らしく死ぬための修行」です。
 インドからヨガをたっぷり導入し、マンダラで、毎日、死のイメージ・トレーニングをする。つまり即身成仏を目指す。仏教を頭で考える〔顕教)のではなくヨガで体得〔密教)してしまう。
 ヒマラヤの高地で、空気が薄い。つまり慢性的酸素不足。そういう風土は、前頭葉の頭のswichをoffにして、トランス状態を造るのには適している。これ私の仮説です。誰かそれを科学的〔医学的)に説明してくれる人いませんかね?
 チベット密教は仏教史から見ると、世界で一番新しい仏教だと思います。山奥で開発された不思議な宗教、連載の5〜7回目、あたりで書きたいと思っています。乞う、ご期待。

追伸 永山駅から多摩大にいたる遊歩道あり、車の姿を見ずに駅からキャンパスまでいける。所要時間 40分。
 駅―グリナード永山4階屋上へ―左折、橋を渡り階段登る―右折遊歩道がある。15分で終点の歩道橋。そこは諏訪団地商店街。ここから左方向に進路を取る―再び遊歩道が始まる、元小学校を左に見つつ進む。所要時間20分、大きな橋を二つ渡り、多摩東公園へ。―武道館と陸上競技場の間を直進、歩道橋を渡る―右側に山の公園、右にトイレあり、30メートルほど先を右斜め方向に50メートル、住宅地あり。―その路地を3分も進むと多摩大の正門前に出ます。
 多摩ニュータウンは住宅地としてろくでもないコンセプトだが、唯一のいいところは、家から車の顔を見ずに、駅まで行ける遊歩道が張り巡らされていること。上記のコース案内をPrintしてお試しあれ。
グル・ザ・G

こんにちは懐中電灯です
<グル・ザ・Gさん>
 先生を「さんづけ」では失礼かと思いますが、SNS上ゆえ、あえて親しみを込めて「さんずけ」をお赦しください。
 毎々興味深く拝読しています。以前NHKで「チベット死者の書」を特集で扱っていました。先日は鉄道開通後の近代化途上のチベットの特集でした。グル・ザ・Gさんの紀行を交えた宗教論を拝読していると、生き生きと眼前に浮かぶようです。ご一緒できなかったのが心残りです。
 「慢性的酸素不足がトランス状態を造るのに適している」という仮説は、自分には医学的知識もないので証明できませんが、瞑想は脳に酸欠状態をつくるのではないかと思ったことがあります。
 四十代半ばに瞑想を習いました。瞑想をすると、脳が活性化?されたような気分になりました。呼吸法から想像すると、瞑想は脳を意識的に、酸欠状態にするのではないかと思った次第です。
 老中になって時折一人で山歩きをしていますが、山を歩いていても、稜線をのんびり歩いていると、下界の雑念が沸々と涌いてきますが、岩場で緊張したり、急峻な坂で息を切らしているときは、なにも考えていない自分がいます。山歩きも、ランナーズ・ハイに似たところがあって癖になります。これらも酸欠に関係しているように思う次第です。
 連載を楽しみにしております。
 
懐中電灯さま。コメント有り難うございます。トランスは、酸欠を造ると出来るのか、それともトランスになると酸欠になるのか、どちらかではないかという気がしてなりません。一度お会いして大兄とお話がしたいです。お時間をください。

mixiでいつもあなたの日記愛読しています。山も簿記学も素晴らしい。また、あなたのブロッグの書評欄、私の読む本とかなり共通しています。とても親しみを持って読ませていただいています。

追伸 ときに「気」についてご興味ありますか。五木寛之の「気の発見」船井幸雄、岡崎久彦の「気の力」、またそれに関連して。「タオの自然学」(ニューサイエンスの物理学者の書いた本の翻訳)それぞれ面白いです。お暇の折には是非どうぞ。   グル・ザ・G
先生、

出張、忘年会でやっと帰って参りました。

カソリックの教皇、なんて書いてしまいましたが、シーア派のイマームとチベットの共通性なんて、他ではお聞きできません。ありがとうございます。

そういえば、日本の明治天皇は政教一体に祭り上げらたんですね。

来年、多摩にお邪魔できればいいですね。
こんにちは懐中電灯です
<グル・ザ・Gさん>
 学生さんたちから、かねがね先生のお噂は、伺っておりました。上野で初めてお目にかかって以来、是非ご教示いただきたいと思っております。
 浅学非才を省みず、書いておりますが、SNSの世界は、戒名の世界ですから是非「さんづけ」でお願いします。
 タオ自然学も手にしてはおります。手にした折から分からないまま今日に至っております。是非ご教示ください。
 複式簿記と「色即是空」は、後一歩まで来ています。目的は、会計数字の裏にも、ひとの息遣いがあることを伝えたいと思っているのです。複式簿記は西洋の二元論ですが、実は循環論が秘められているのではないかと考えております。
 よろしくご教示ください。
 
グル・ザ・G先生、

私が北京で偽学生、いえ企業留学生をやっていた1985年に、中国政府は新疆ウイグル自治区とチベット自治区の設置30周年を祝いました。当時もウイグル自治区は外国人が自由に旅行出来ましたが、チベットは、一部に許されていた外国人の立ち入りが、治安の悪化を理由に突如として禁じられ、チベットでは何やらひどい事が起きているという「噂」が流れていたのを覚えています。

その時、チベットで起こっていたことは、つい最近になって先生にお薦め頂いたダライ・ラマ14世の自伝で読みました。20年前の自分の無知を罪に感じました。

ところで、中国の標準時について。
確かな記憶ではないのですが、22年前にウルムチでテレビを見たら北京標準時と同じ画面にもう一つ、現地の標準時が出ていたように思います。北京と3時間は“時差”があってもおかしくない距離ですから、地域時間を使っているのは当然だろうな、と思ったのを覚えています。

それに関連してもう一つは、シンガポールの標準時。これは、同じ経度にある他国より1時間早めているのです。常夏の国だから年中夏時間?と、のん気に思っていたら、実は、中国本土、台湾、香港が毎日1時間も前に商売を始めるのがシンガポールの華僑は見過ごせないのだ、と事情通から聞きました。中国人は標準時の意味をよく理解していることの表われのような気がします。
翻って日本の場合は? 
仕事でちょくちょくアジアに出かけていた頃、私は「日本の標準時を1時間遅らせれば、アジアで仕事を終えて、成田の門限までに戻るフライトを飛ばせるのに。」と思ったのを覚えていますが、そう思う人は少ないみたいですねぇ。

最後に。先生がポタラ宮を仏教博物館と表現されるのは、言い得て妙かと思いました。もしかすると、中国政府は真剣にチベット仏教を保存・展示しようとしているのかも知れないと思いました。同時に、漢民族は多くの少数民族を保護する「使命」を感じているのかも知れないと心配になり、少し気持ち悪くなりました。


オサム
オサムさん。読後感、有り難う。時差とは、丸い地球に住む人々の利便性の為にある。これ当たり前のこと。でも実際は、人民が決めるのでなく、その地域で一番権力を持つ人が、国家の面子をかけて決めているみたい。

 シンガポールの時差の話、面白かった。この国が華僑の支配する国家であることが、よくわかります。それ”時差の政治学”ですね。日本の標準時、「日出づるところの天子の国日本」ですから、国家の面子にかけても、「日没するところ」の華僑時間(北京時間)にはしないでしょう。

 韓国。今は日本との時差ないけど、独立後しばらくは30分の時差があった。”日本離れすべし”との為政者の意向が強かったからだ。でも、計算がややこしいので、元の”日帝時間”に復帰した。

 ところで、ウルムチ自治区、8年前、省長のアブライシ氏(ウイグル族)に会った。かれは「時計は北京時間です。これは自治の範囲外」と。でも、実際は北京も事実上の三時間の時差を配慮して、対応している。「日の出前に電話で起こされることはまずない」といっていた。「面子と建前さえ確立されれば、後は柔軟」、これ漢民族の”中華思想”の特徴ですよね。
                        グル・ザ・G
 
高校生の時世界史の先生に、
為政者は時を支配しようとする。皇帝(天皇)は元号という形で自らの治世のみを支配した。ローマ皇帝は後世に至るまで月の名前を支配出来た(7月はカエサル、8月はオクタビアヌスに由来)。ナザレのイエスは後世に至るまでの時の始まりを支配出来た。人のスケールにより支配出来る時はかわるんだよーーー。

と教えられたのを思い出しました。

麦酒星人
麦酒星人さん。あなたの高校の世界史の先生、いいことを教えてくれましたね。きっといい高校だったのでしょう。あなたは、高校生にして「時の政治学」を学習したのです。

ところで、「時の流れに身を任せ」あるいはその逆に「時は去りゆくとも、、二人の心は変わらない。いつまでも」、この演歌の一節知っていますか。受け身か、主体的か、人間の「時」への向き合い方は、この二つの間を行ったり来たりしていますよね。そういうのを「時の哲学」の問題といいます。

 「時というもの」をどう捉えるかは、宗教の基本命題でもあります。ユダヤ教
は旧約聖書の神が宇宙を創ったときをもって始まりとした。キリスト教は、これに加え、神の子であるイエスの生誕日を狭義の「時の始まり」と設定、最後の審判をもって「時の締め切り」とした。
 これが一神教の、直線的な時の概念です。つまり時間を始点と終点を備えた一回性の直線的な構造として捉えたのです。


 これと全く正反対の極にあるのが、”仏教の母”であるヒンドゥ教の「時間無限周期」の哲学です。「宇宙は始まりも終わりもない。従って時間にも始まりも終わりもない。始めも終わりもない無限の時間の中で、宇宙は創造と存続と破壊を無限に繰り返す。」という考えなのです。
 ただし一つの周期の長さは有限です。世界の創造主たるブラフマン(梵天)の一日である一劫(億劫=おっくうという仏教用語の語源、これが転じて世俗的には、時間がかかりすぎてやりきれない、の意味になった。)が、周期の時間的単位です。それを人間の時間に換算するとなんと、43億年とのことです。

追伸

修論執筆中の院生の皆さんへ。あなた方の試練の時は締め切りが強制的に終わらせてくれます。修論終了後は、平常心に戻り、
来し方、行く末をじっくりと考えつつ、「時」を哲学してみてください。グル・ザ・G




瞑想中の脳の酸素状態につて。

地橋秀雄『ブッダの瞑想法』春秋社には、3つの瞑想法
(歩く、立つ、座る)が紹介されています。
呼吸については、「自然呼吸」と記されています。

また、曹洞宗、道元は「心身脱落」(臨済宗でいうところの「無」)するためには、「只管打座」(ただ座禅せよ)と言っておりますが、
ここでも「呼吸も自然に鼻から静かに出入り」(田里亦無『道元禅入門』)とされ、酸素状態を意図的に調整することは無いようです。

懐中電灯さんから、「ランナーズハイ」の話が出ていましたが、
これは、禅でいうところの「一如」、
また、チクセントミハイのフロー理論から、
見てみると納得できるようにも思います。
つまり、行為への没入、極度の集中が、我の入り込む隙を許さず、
最適経験(optimal experience)に誘われる、
というものです。

なるほど「時間無限周期」の哲学を受け継いだチベット仏教においてダライ・ラマは輪廻転生するわけですね。
一月ほど前ダライ・ラマが来日していました。その際、ダライ・ラマ存命中に後継者を決めるといった報道が流れました。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/071119/chn0711191921005-n1.htm

知人のダライ・ラマの追っかけに、どういうこと?と尋ねたら、「あなたは仏教をわかってない。生まれ変わりを生前に決められる訳がないでしょう」とたしなめられました。何でも今回の方針はチベットの政治的指導者を生前に決めることを意図したもので、宗教的指導者としてのダライ・ラマの選出方法は生まれ変わりを固持するというのです。政教分離を宣言したと見るべきとの解説でした。うーんどうだろう。

まあ下世話な私はダライ・ラマの来日中に、中国がキティホークの香港入港を拒否したという話に関心を持ちました。
http://www.asahi.com/international/update/1123/TKY200711230145.html
ダライ・ラマよりの姿勢を見せた米国の軍事の象徴である空母群が中国の富の象徴である香港に立ち寄ることを認められなかった。中国の統一を妨げる者には中国の繁栄を分け与えないとの恫喝を米国と日本にしたのだと。米空母に喧嘩売るとは中国も大国になったものです。

ちなみに私の高校はこんな感じです。
http://www.nhk.or.jp/nagano/tokuban/2006/0908.html

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