ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

モデラーの日本海軍艦艇考証コミュの伊四三潜と特四式内火艇

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
山辺雅男著「海軍落下傘部隊」に特四式内火艇を搭載した乙型潜水艦の写真が掲載されていました。
(この写真のキャプションには伊三七潜と書かれてありましたが、伊三七潜の行動記録との整合性が取れない事と「海軍落下傘部隊」の文中から伊四三潜と判断)

これを模型で再現するには同じ乙型の伊五八潜を改造すれば可能かと思って模型を手にして見ると後部の甲板幅が狭く、とても搭載は出来るとは思えません。
そこでもう一度、写真を見ると、どうも舷側部分の角度が普通の潜水艦のように丸みがあるものではなく、垂直に近い感じに見えます。

推測として、伊四三潜は特四式内火艇を搭載することを目的として、途中で設計変更されたのではないでしょうか?
また、甲板上に排気口からの波の浸入を防止する装置が装備されています。
この防止装置の構造はわかりませんが、この装置が無い潜水艦では海水が機関に浸入して故障すると復旧するまで数日かかったと潜水艦乗組員の手記に書かれていますので、戦訓として必要な装備と思われるのに、戦中に完成した潜水艦で伊四〇型しか確認できないのが不思議です。
(「日本海軍全艦艇史」では伊四〇型を乙型改1と分類しています)

取り敢えず模型にするには、この防止装置を伊五八潜に取り付け、艦橋の機銃部分の切込みを無くすと伊四〇型に見えると思います。


ここで特四式内火艇にも触れたいと思います。
特四式内火艇は、実験では評価が悪く、準備はしたものの作戦は実行されなかったとなっています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%9B%9B%E5%BC%8F%E5%86%85%E7%81%AB%E8%89%87

しかし、「海軍落下傘部隊」にはサイパンで訓練を行った事が書かれています。

なぜ、「海軍落下傘部隊」に特四式内火艇の事が書かれているかというと、特四式内火艇に乗って奇襲作戦を行う佐鎮一○一特別陸戦隊が、落下傘部隊より志願者を募り編成された部隊であり、その指揮官が山辺大尉だったからです。

以下に、「海軍落下傘部隊」の文章を引用します。

『我々を運ぶS特用大発艇を搭載した伊四十三潜水艦(先任将校として、私の同期生の福田大尉が乗り組んでいた)が、内地からサイパン島に到着した。
S特用大発とは正式には特四式内火艇といって、潜水艦が露天甲板にこれを搭載
したまま潜航できるように、この艇の船底中央部に八十センチ、幅五十センチぐらいの長方形の孔を開けていて、潜水艦の浮上後、水密のゴムを周囲に嵌め込んで蓋を閉じて、この孔を、塞ぐようになっている。
また、この艇のエンジンは、潜水艦の潜行中は艇に付着した水密の鉄筒の中に格納されて、海水が絶対に入らないようになっている。
我々が敵地に上陸する場合には、まず潜水艦が浮上するや、潜水艦の全部の昇降口から急速に上陸隊員が露天甲板に走り出て、この艇の繋止を解いて潜水艦と艇との繋りを断つ。こうして潜水艦が沈むとこの艇だけが海上に浮ぶことになり、水密鉄筒の蓋を開いてエンジンとスクリューを結合し、このエンジンをかけて海上を航走するという式のものである。
我々はまず潜水艦に乗って、潜航、浮上に伴なってこの発艇の発進訓練に努めたが、特別に困難を感ずることはなく、数日後には潜水艦の浮上後、五分ぐらいで諸準備を完成し、海上を独走できる域に達した。

・・・中略・・・

命令の内容は、ラバウルを基地としてソロモン諸島モノ島に夜間穏密上陸を決行し、敵軍司令部、爆弾、燃料集積場、飛行機等を急襲して、焼き払えということだった。

十九年二月下旬近く、私の隊は潜水艦と一部は二式大艇に乗って、ラバウルに向けサイパン島を去った。
サイパン島国防婦人会の肝入りで作ってぐれた幟をサイパン神社に供え、神主の打ち鳴らす陣太鼓のうちに、私はうやうやしくこれをおし戴いて潜水艦のマストになびかせた。
私の故郷、信州上田の真田幸村の紋章六文銭の下に南無八幡大菩薩と大書した、土気振作のための幟であった。
・・・後略』

ところが、約七十名の陸戦隊員を乗せた伊四三潜は、2月15日トラック入港前に撃沈され、作戦は中止となりました。

画像は左から、伊四三潜、伊四四潜、伊四五潜の後甲板の比較です。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

モデラーの日本海軍艦艇考証 更新情報

モデラーの日本海軍艦艇考証のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング