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アコースティッククラブ25時コミュの近くてよかった

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総合学習回顧録ー小学生ママと総合学習ー(10)
     名生修子(兵庫県)

ー須磨が近くてよかったー

 昨秋、このMMに「源氏物語」の「若紫」の授業をした時のことを書いた。あれから約1年が経ち、今は3年生を担任してやはり「源氏物語」の「須磨」を扱っている。イメージとして、「枕草子」が春なら、「源氏物語」はやはり秋である。
 今回はいろいろな意味で、今までに感じたことのない切り口から源氏を感じることができた。源氏の気持ち、女君達の気持ち、そして、セチュエーション。
 「須磨」の話は、ちょうど、中秋の名月の頃で、須磨には「心づくしの秋風」が吹いているという設定である。今年は、その「心づくしの秋風」を感じに、十五夜の翌朝、実際に須磨に行ってみた。源氏が十五夜に宮中での管弦の遊びを思い出して「二千里外故人心」と「白氏文集」の一節を暗誦したことになっている千年後の翌朝である。千年前も同じ秋風が吹いていたのだろうか。
 実際に行ってみると、たしかに秋風が吹いている。浜辺で風に吹かれるのは心地よい。朝だから、心地よいで終わったが、これが夕暮れになると、もの思いに変わるのか・・・、などと考えてしまう。何もない漁村であった当時の須磨ならなおさらのことであろう。
 でも、潮風に吹かれていると、自然と「3年1組がみんな思うところに進路が決まりますように・・・。」などとお祈りしてしまう。そんな意味では「心づくし」の秋風なのかもしれない。
 授業で生徒に「私、実は昨日、心づくしの秋風を感じに須磨に行ってきました。」と言う。生徒の目つきが変わる。「受験じゃなかったら是非、みんなも源氏の心持ちを感じに行ったらいいのにね。」生徒はなかなか「ほんまやなあ。」と残念そうなリアクションをしてくれる。
 教科書には土佐光吉の描く「源氏物語画帖」等が挿絵として載っているが、これを突っ込んでゆくとなかなかおもしろい。たとえば、源氏が琴(きん)の琴(こと)を弾くシーン。源氏が弾いているのは琴(きん)のはずなのに、光吉の「源氏物語画帖」には、箏(そう)の琴(こと)を弾く源氏が描かれている。辞書の琴(きん)の絵と、教科書の箏(そう)の絵を生徒に見比べさせる。
 「違う。」
 光吉の活躍した安土桃山時代には、もう琴(きん)の琴(こと)は消滅していたのであろう。だから、「琴を少しかき鳴らし給へるに」で、何の疑問も抱かずに光吉が箏(そう)を描いたのだろう。その結果、源氏は弾いていないはずの箏(そう)を弾くという描写になったのである。
 「げに及ばぬ磯のたたずまひ」を源氏が絵に描くシーン。さりげなく生徒に質問する。
「ねえ、須磨に磯ってあった?」
「ない。」
「須磨は、磯ではなくて・・・?」
「砂浜。」
「そうやね。少しはずれるとあるかもしれないけど、源氏がいたことになっている場所には、浜しかないね。」
「紫式部は須磨に来たことあったんやろうか?」
「ない。」
「そうや。いろんな本読んだり、人から聞いたりして取材しただけで、ほんまには来たことないんやね。」
なぜか生徒に優越感が見て取れる。「紫式部も知らんことを私らは知ってる・・・。」
 須磨の場面では同じく光吉の「源氏物語手鑑」が挿絵として載っている。「前栽の花いろいろ咲き乱れ・・・」で始まる、源氏が廊から海を見やるシーンである。絵には文章の通り前栽があり、廊から源氏が海を臨み、海には小舟が浮かび、雁が飛んでいる。
「源氏がいる場所から、沖行く小舟の騒ぎ声、聞こえるかな?」
「聞こえません。」
「舟の楫の音は?」
「聞こえない。」
どんどん突っ込みが入る。「そう、これもフィクションなんやなあ。」
 そういえば、この時期によく海釣りをするが(サビキで鰺を狙うからである)、海の上を雁が飛んでいたことはない。カモメ、アオサギ、カラス、鳶などいろいろ見かけるが、今年はウミウを見かけた。須磨の海の上を雁が飛ぶというのはおそらく紫式部のイメージなのだろう。「まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。」の枕草子とは少し違う。こんな話をすると、生徒はまたのってくる。「紫式部、ほんまのことは、何にも見てへんやんか。」
 折しも、窓の外から鳶の鳴く声が聞こえる。「あ!今の鳶やで。でも雁じゃないなあ。残念。あ、また鳴いた!ほら。」今まで、授業中に鳥の鳴き声が聞こえても、言及したことはなかった。
 本来の、雅な古典の授業では決してない。日本文学を専攻した先生からすれば、怒られそうな授業かもしれない。でも、生徒のノリはこの方が良い。
 釣りをしながら、源氏に思いを馳せ、鳥の種類を数える・・・。こういう総合学習はいかがだろうか。我が家では、二男は鳥を数えるが、長男は釣りをしながら海の方を見ずに、山の方を見て「あ、***系!とか、EF**!」とか、JR列車の編成に気をとられる。私は源氏に思いを馳せる。それぞれ、釣れないなら、釣れないなりになかなか楽しめる。
 古典の授業で、須磨に釣りに出かけ、「心づくしの秋風」に吹かれながら、自然観察や社会観察をするのもまた一興かと思う。もちろん、釣った魚は種類を調べ、調理法を調べて、食べる。そのためには、いろいろ下調べも必要になってくるとは思うが。
 理科と国語と社会と家庭科のコラボ。実行に移すのはなかなか難しいが、こんな総合学習ができたらいいなと思う。
 そういえば、兵庫県立人と自然の博物館の服部保先生の講義は、植物の講義なのに必ず古典文学が登場する。日本書紀、万葉集、枕草子、源氏物語、徒然草、等々。服部先生の講義に限らず、ひとはくの講義はいつも、総合学習の謳い文句「教科横断」の匂いがする。地震の講座で歌舞伎絵を見た。やはり植物の講座で、弥生時代の人々の暮らしを勉強した。タタラ製鉄の話も聞いた。
 今夏、私は、日本科学技術振興財団が主催する「高校生のためのサイエンスキャンプ」に頼んで参加させていただいた。千葉大学の環境健康フィールド科学センターで行われたプログラムである。
 高校生は、全国から論文審査で選ばれた精鋭だけあって、みんな優秀で、熱心であった。私は引率ではなく見学者として、「野草から薬ができるまで」という実習と講義を見学させていただいた。もちろん、勤務先で行う自然観察会の勉強になればという思いもあり、そして、高校生がどのようにプログラムに取り組むのかが見たかったのだ。
 「実は、高校生もそうですが、高校の先生への啓発も大事だと実感していたところです。高校の先生のこういう姿勢を待っていました。」と、担当の教授が歓迎してくださった。高校生は無料だが、もちろん私は無料というわけではない。でも、「高校生のためのですから、先生は参加できません。」と断られるのを承知でお願いしただけに、承諾していただいた時は、とてもうれしかった。
 ほんとうにいろいろ勉強させていただいたし、新しいご縁もいただいた。全国から来たたった16名の高校生の中に、私の祖母の家(京都府北部にある)から自転車で5分という子がいたり、歌舞伎が好きで、私の最も親しい俳優さんのファンだという子もいた。世の中、狭い。
 その中で、薬学の先生が仰っていた言葉。
「薬学をやっていると、必ず歌舞伎とぶつかるのです。」
「薬学をやればやるほど、国語=古典と結びついてくるのです。」
これには、サポートしてくれている大学生も驚いていた。
「全部つながってくるんだよ。」
薬学の講義の中には、漢文もあった。当てられたらどうしようかと思うほどの難しい漢文!
 「犬も歩けば・・・」ではないが、何かを勉強すると、国語にあたる。今までは「国語嫌いの国語教師」であった。だから、総合学習や高校生地域貢献事業などをして、自分をごまかしていたのかもしれない。でも、いろいろ他の分野を勉強してゆくにつれ、国語の醍醐味に触れることになった。「国語嫌いの国語教師」から「遅ればせながら国語が少しずつ面白くなってきた国語教師」にレッテルを張り替えようかと思っている。 

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