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中島弘貴コミュのはなし

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コメント(136)

『彼の草の毛』

髪の毛、髭、眉毛、その他もろもろ…彼の体に生えるありとあらゆる毛は、注意を払わなければ、他の人のものと大して変わらないように見える。しかし、それらの実体は細長く尖った単子葉類の草なのだ。例えば、身だしなみのために髭や眉毛を引っこ抜くと、根っこがするすると出てくる。あるいは、途中でぷつんと切れる。 彼はそのように抜いた毛や自ずと抜け落ちた毛を親指と人差し指の間に挟みながら転がし、もてあそぶのが好きだと言う。
陽の明るい日、彼はよくご機嫌になる。張りのある毛が光を受けて美しく輝くし、柔らかな影を落とすから。風の吹く日、彼はよくご機嫌になる。髪の毛が揺れてこすれ合い、草原のようにさやさや、しゃらしゃらと鳴るから。その音といい、繊細かつ力強い形といい、瑞々しい緑色といい、彼は自分の毛を自慢に思っている。
ただし、おいしい葉に誘われて、鼻のなかや耳のなか、わきの下などに小さな虫が度々入って来ることには困惑している。いつまでもそのくすぐったさに慣れないし、何とか取り出そうとしてその虫を殺してしまうこともあるから。また、初夏から秋にかけて、彼が自然の多いところにいると、虫たちは草の毛を目指し、大群隊を成してやって来る。それは深刻な悩みの種だった。虫たちは彼の毛をむしゃむしゃ、しゃくしゃくとむさぼり食い、取り分け毛の密集する髪や眉を不格好にしてしまう。だから、そんなとき、彼は帽子を深くかぶって予防せねばならない。冬になれば帽子なしで済むかと言えば、そんなことはない。むしろ、自宅以外のどこにいても帽子をかぶらねばならなくなるのだ。なぜなら、その季節、彼の毛は茶色く枯れ、縮れたり折れたりした後で抜け落ちてしまうから。

彼は「自分の毛のすばらしさを多くの人に見てもらいたいのに、それを示す機会が少なすぎる」とよく嘆く。そんなとき、「どの季節の、どんな状態のあなたの毛にもそれぞれの良さがある」と言って慰めるのだが、決して納得しない。あげくの果てに、「君はぼくとは違うから、君には絶対に分からないよ」と彼は吐き捨てるように言う。草の毛を持つ当人にしか計りがたいことがあるのは確かだろうが、草の毛を持たない人の意見に少しは耳を傾けてもいいのではないか、と思う。「そうじゃないと、立場の違う人同士は永久に分かり合えないよ。それほどさみしく、つまらないことはないじゃない」…つい最近、同じ話題が出たとき、力を込め、声を震わせて私がそのように説くと、彼は神妙な面持ちで聴いていた。こうまで人と人とは分かり合えないのか、どうしてこんなことでいがみ合わねばならないのか、とやり切れなくなり、私は泣きそうになったが、何とかこらえた。すると、「うん、すごくさみしいね。そうだよ、いつまでもこんなことじゃだめだ」と彼は応え、その眼から大きな涙が一粒、二粒とこぼれ落ちた。そのとき、彼の緑色の上睫毛にくっついた小さな真ん丸い涙の雫が震えていて、それが妙に美しかった。
『花期の長い火花』

今日の昼間、中庭にある炉で鉄を熱しては、台に乗せて金槌で叩いた。赤白くなり、半ば透きとおるまで熱くなった鉄の塊を次から次へと替え、合計で何百回も何千回も叩いた。わたしはそうしているといつも、叩く度に想定不可能な動きを見せて飛び散る火花の美しさに惹き込まれて無我夢中になり、時間を忘れる。
ところで、空気の乾燥と無風のためか、今日の火花は異常に花期が長く、無数の点や線となって飛び散ったそのままの姿で空中や地面にとどまった。それらが燃え移るのを危ぶんだわたしは、人の通りそうなところや草の生えているところなどに水をかけて消火した。しかし、危険にならないであろう火花はなるべく多く残すようにした。夜になってもそれらが消えなければ、大した見ものになるだろうと考えたからだ。昼日のなかでは幾分見えにくい火花が、夜闇のなかで鮮明に見える様子をわたしは想像したのである。
やがて、夜がきた。その時までに、見落として消し切れなかった火花が上着に二、三の小さな焼け焦げを作っていたが、それだけの甲斐はあった。残された火花は、ほとんど衰えることなく熱と光とを保っていたのである。様々な明度と白〜黄〜橙の濃淡をもった輝く点や線が中庭の一角に密集し、闇のなかからくっきりと浮かび上がっていた。それこそ花が咲くような、あるいは小さな飛沫が散るような、またあるいは風にそよぐ稲穂のような様子をして。わたしは注意を払いながら、地表近くの火花だけに水をかけて消火した。そのあとで、ビニールシートを地面に敷いて仰向けに寝転がったのである。
そこから見える光景は想像を軽々と超えるものだった。ところによって密度の異なる火花の点や線の広がりは、流星や彗星が数多く降る最中で静止した星空を想わせた。そして、その向こうには本当の星空があったのである!澄みわたった冬の夜空には星ぼしが火花と同じくらい多く瞬き、火花よりも色は淡いが、ずっと玄妙な色みと光り方をしていっぱいに広がっていた。さらに、時期が良かったのか、流れ星の静かにすべっていく様子が頻繁に見られた。こちらで星が流れはじめた一瞬後にあちらでも流れはじめる、もしくは一斉に幾つかの星が流れるときも何度となくあったほどである。視える宇宙と視えない宇宙とが二重写しになっている…夜空の星ぼしと火花の群れを遠近(おちこち)に見ながら、わたしはふと、そんなふうに考えた。宇宙というものは人が目にする夜空よりも、途方もなく広い。そのような宇宙にある、普段は視えぬ数え切れない星ぼしのほんの一部がこれらの火花の群れとなって顕れている…。わたしは人智の及ばない宇宙の広さ、そしてその密度を想うと気が遠くなった。恍惚と形容してもいい、快さに満たされた眩暈(めまい)を覚えたのである。
『幽霊と地球外生命体と』

「一説によると、幽霊や妖怪と呼ばれるようなものの正体は地球外生命体であるかも知れない、とのことです」

「詳しく説明すると、こうです。目に見えない一つの、あるいは複数の天体が、一部分か大部分において地球と接する軌道を描いて公転している。我々地球人からすると、その天体と地球とが接触しているそのときに、その星に住む生命体が地球上に現れたと感じられるのです」

「そのように星と星とが接しても、ご心配されるような大災害は起こりません。その星にも、そこに住む生命体にも、我々のような実体はないので、我々と接触しても地球上の物質同士がぶつかるような反応は起こりえないからです。それらは、物理学や化学などに代表される我々の活動を決定づける自然法則とは異なる理(ことわり)に基づいて活動しています。その説においては、だからこそ幽霊や妖怪と呼ばれるようなものが、我々には信じ難い行動や変身をできると主張されています。例えば、空中浮揚をしたり、瞬間移動をしたり、背や首を異様に長く伸ばしたり、触れもせずに人や物を動かしたり、不可解な方法で火を吹いたり発光したり未来を予知したり…といった具合にですね」

「しかし、彼らからすれば、我々こそが信じ難い行動をしているのかも知れない。あちらにとって当たり前のことがこちらにとっては謎、あるいは驚異であり、逆もまた然り、という可能性は十二分にあります。人間同士でさえ、ある人と他のある人の間にはその類の相違が多分に存在するのですから、当然の帰結であると言えましょう」
『空気の精のくしゃみ』

A「春に強い風がよく吹くのはなんでだろう?」

B「そういえば、春の強風や嵐は、花粉症にかかった空気の精たちのくしゃみだっていう話を読んだことがあるな」

A「随分とスケールの大きいくしゃみだね。花粉症の歴史は浅いから、それは古代からのものじゃなくて現代の神話だろうね。ロマンは大いに認めるけど」 

B「いや、実は花粉症と思われる症状が、紀元前のヨーロッパや中国などでも記録されていたみたいなんだ。だから、その話が古来からあってもおかしくない」 

A「すると、空気の精も僕たちと同じように苦しんできたわけだ、親近感が湧くね。しかも、彼らは二千年以上も苦しんでいる可能性があるのか…同情するよ。ところで、その話はどこで読んだの?」 

B「それがどうしても思い出せないんだ。ローマかギリシャ神話関連だった覚えがあるんだけど。家に帰ったら、目ぼしい本を調べてみるよ。おれ自身も気になるし」

A「うん。そんなことを話していたら、この突風だ。花粉をものすごくたくさん運んでいるんだろうな」

B「ああ、たまらないね。今日も家に帰ったら、目と鼻が大変だろうな」

A「うん、最近は喉にもくる。だけど、そろそろピークだろうから、もう少し辛抱すればきっとましになるよ。がんばろう」

B「ああ、がんばろう」
『こびりついた夜』

新月の日や雲の多い日に、列車が夜通し走る。次の朝になると、黒い煤(すす)や黴(かび)を思わせるものが流れるような模様を描き、車体をまだらに覆っている。それは、丸一晩をかけて夜闇がこびりついたものなのだ。
そのようにして付着した夜闇を、日差しのもとで見る。すると、それは黒色のうちに虹の何十倍も多くの淡い色を移ろわせ、金属光沢をまじえながら、慎ましやかに光る。その様子は、レインボーパイライトと呼ばれる種類の黄鉄鉱を連想させる。
夜闇がいかに厖大な色彩を孕んでいるか、なぜ私達はこんなにも夜に惹かれるのか。今日、初めて目の当たりにしたそれが、以上の不思議に対する答えの一端を知らしめたように思う。
『殺害』

鼻に何かが軽く触れたので、眠りから覚めた。薄暗闇のなかで目を開くと、怪物が目の前にいた。緑色をした全身、大きな丸い目がこちらを凝視している逆三角形の顔、ほっそりとした長い首、折り曲がっているが心持ち開かれた二本の鎌。それが大蟷螂(おおかまきり)だと気づくのに、時間はかからなかった。こんなにも間近で蟷螂を見たのは初めてだった。意識が半ば眠っていたせいもあって、わたしは大きな恐怖と混乱に襲われた。
(すると、さっき鼻に触れたのは蟷螂の鎌だったのか)
そう思って、わたしはぞっとした。昆虫は嫌いではないのに、抑えがたい嫌悪感と危機感を覚えた。蟷螂は、わたしが何ものであるかを見極めようとするかのように、こちらへの凝視を怠らないまま、少しだけ首をかしげた。
わたしはとっさに上半身を素早く起こした。もちろん、蟷螂に注意を払いながら。蟷螂はぴくっと硬直したかと思うと、すぐに体ごと斜め後ろに振り返り、敷き布団の上を跳ねるようにして横ぎり始めた。シーツの皺(しわ)を巧みに避け、蟷螂は驀進(ばくしん)する。わたしはひどい近視なので、蟷螂が遠ざかるにつれて、その姿がかすんでいく。今や緑色のぼんやりしたものにしか見えないそれは布団から飛び出し、椅子や姿見がある部屋の隅へ向かっている。暗闇と相まって、その姿はすぐに見えなくなった。
(どうしよう)
と、わたしは考えた。蟷螂をこのまま放っておいて眠るなんて、できそうにない。どう転んでも大したことにならないのは分かっている。だが、自分がぐっすりと眠っているのに、何ものかが同じ部屋のなかを動き回っているというのは気持ちが悪い。小バエや蟻くらいなら無視することもできるが、大蟷螂ほどの大きさになるとだめだ。わたしは、もはや見えなくなった蟷螂を見つけ出すために、周りを手で探って眼鏡を求めた。しかし、こんなときに限って見つからない。
そこで、わたしは立ち上がって電灯の紐を引っ張り、部屋を明るくした。眼鏡はいまだに見つからないが、辺りの様子は分かりやすくなった。椅子の背後と姿見の背後を順番に覗いてみる。すると、姿見の後ろに緑色のものがいた。
(できれば、殺さずに外へ逃がしたい。でも、そのためにはどうすればいい?取りあえず、蟷螂を窓の方へ追いやろう。それから窓を開けて、何とかして外へ出そう。よし)
そう考えたわたしは、壁際に置いていた布団叩きを手にし、丸く広がった先端を蟷螂に突きつけるようにして近づけた。案の定、蟷螂は窓の方へ駆け出した。ただし、完全に思った通りの方向へというわけではなく、走りながら布団へ再び近付いていく。わたしは布団叩きを持ったまま追うが、その意外な速さのために蟷螂を見失ってしまった。明るいところでも、わたしの眼は1m先でさえ、ろくに見えない。だが、見失う直前に、緑の影が進む方向を変えて布団に肉迫するのを見たような気がした。
(敷き布団の縁(へり)に身を隠したか、それとも敷き布団と掛け布団の隙間にもぐりこんだか、だな)
わたしには、後者の場合がとても恐ろしく思えた。蟷螂と寝床を共にするなんて、想像しただけで背筋が凍る。そこで、掛け布団を何度もひっくり返して調べたが、蟷螂の姿はどこにもなかった。わたしは焦った。室温はさほど高くないのに、顔と体が汗ばんできた。だが、こんなときこそ冷静になる必要がある
(まずは、眼鏡をもう一度探そう。周りがよく見えるようになれば、きっと解決するだろう。蟷螂が影も形も無くなるなんてことはありえないんだから)
と、わたしは考えた。目を細めながらきょろきょろと見まわすと、間もなく長机の隅に眼鏡を見つけた。それを掛け、一気に鮮明になった視界のなかで、改めて蟷螂を探す。座布団をのけ、カーテンを開いては閉じ、家具や家電の後ろを覗きこみ、掛け布団をもう一度ひっくり返し、敷き布団の色んな場所を持ち上げては下を覗きこむ。そうやって部屋中を隈なく探したが、見つからない。どこから蟷螂が飛び出してくるか分からないので、びくびくものだった。
細心の注意を払って調べたので、しばらく続けると疲れてしまった。すると、蟷螂をこんなにも恐れていることが、ばからしく思えはじめた。
(そうだ、あいつがどう出ようが知ったことじゃない。寝ているときに何かが起こったら、そのときはそのときだ)
わたしは心のなかできっぱりとそう言い、
「ばかばかしい。来るなら来い」
と、実際に声を出してつぶやいた。そして、眼鏡を外して電気を消し、思い切って布団に入った。内心不安だったが、幸いにも、そこでおかしな感触を覚えることはなかった。少なくとも、わたしが体を横たえた場所に蟷螂はいなかったのである。元々中途半端な時間に目覚めたし、程よい緊張と運動を経たせいもあってか、すぐに意識が遠くなった。
『殺害』(つづき)

朝。外はよく晴れているようで、カーテンの隙間から黄金色の陽光が差しこんでいた。目を覚ましたわたしは、仕事へ行く準備をするために、まずは布団を畳むことにした。収納を終えた掛け布団に次いで敷き布団を二つに折ると、ぼんやりとした緑色のものが現れて、わたしは驚きのあまりにびくっとした。そう、蟷螂だ。けれど、その緑色は床の上で微動だにしない。すぐに眼鏡をかけ、蟷螂が息絶えていることを確認する。だが、ぼんやりしている暇はない。出かける準備をしなければならない。わたしは蟷螂をそのままにして、朝食をとり、歯磨きをし、着替えをして身だしなみを整えた。そうしながら、一つの命を奪ったのに、いつもと変わらない準備をしている自分に違和感を覚えていた。
(だけど、わたしも生きなければならない。だから、こうする以外に仕方ないじゃないか)
わたしはそう考えて自分を慰めた。
いつもよりも急いで支度を済ませたので、家を出るまでに数分間の余裕ができた。わたしは床に横たわる蟷螂の方へ近寄った。鎌を含む六本の脚が、体の前方で折り畳まれていた。首の延長線上にある鎌の付け根あたりがぽっきりと折れており、体にくっつかんばかりの位置に顔があった。十中八九、これが死因だった。わたしが気づかないうちに、敷き布団と床の間にでも挟まれて折れたんだろう。おそらくは昨夜、敷き布団を何度か持ち上げては戻したときに。畳まれた脚と折れた部分の他は、死んでいるようにはとても見えない。血は出ていないし、体の色も艶も昨夜と変わらない。改めて見ると、蟷螂が妙にきれいだと思った。思い切ってその背中をつかみ、持ち上げてみる。そのときに頭がぷらんと揺れたが、折れた部分がちぎれることはなかった。長机の上にそっと置いて観察する。すると、半ば開いて背中からはみ出している、薄茶色を帯びた透明の翅(はね)に惹きつけられた。それには網目状になった細かい脈が走っている。その透明な部分は陽の光を受けてちらちら、みらみらと白色や黄金色に煌めいている。その様子はとても美しかった。そうしているうちに、蟷螂が愛おしくすら思えてくるから不思議だった。昨夜、生きて動いているときにはあんなにも忌み嫌っていたのに、動かなくなってからこんな気持ちを抱くなんて、ひどい話だ。我に返って時計に目をやると、家を出るべき時間を過ぎていることに気がついた。早歩きすれば、まだ間に合う。わたしは机の上にある蟷螂の死体をもう一度見た。そして、急いで荷物を持って靴を履き、外へ出た。
『殺害』(つづき)

玄関を出ると、温かい陽の光に包まれた。さわやかな風が吹いている。いくらか淡い色をした青空に、様々な形をした白い雲がぽつりぽつりと浮かんでいる。わたしは歩き慣れた道を早足で進みながら考えた。
(なんでこんなにも、もやもやするのか。例えば、こうして歩いているだけでも、蟻を踏み潰しているかも知れない。それに、わたしは毎日二〜三回食事をする。食べるということは他の命を頂くことだ。ついさっきも、罪悪感を少しも覚えずに鶏の卵とたくさんの米つぶを食べたし、昨日だって鯖や豚の肉を体の中に入れたじゃないか。そういったことと蟷螂を誤って殺したことの何が違うっていうんだ)
そうやって考えるわたしの周りを、景色が通り過ぎていく。道の両側に草木が生い茂っている。蝶やテントウムシや小さな羽虫がまっすぐに、またはひらひらと、または弧を描いて飛んでいる。スズメやカラスやヒヨドリなどのさえずりが近付いては遠ざかっていく。道を行く人の足音や話し声が聴こえ、そこらにある家から生活音が聴こえてくる。わたしはこの道を歩くのが好きだった。時間に追われてさえいなければ、いろいろなものを眺めながら、光や風を感じながら深呼吸して、ゆっくりと進みたいところだ。今朝は美しいと言えるほどの良い天気だったので、なおさらだった。わたしは考えを再開した。
(いや、今さっき考えたことと、昨夜の事件には明らかな違いがある。蟻を一匹も踏み潰さないようにするためには、いつも体を屈め、下を向き、細心の注意を払いながら進まないといけない。それに、他の命をずっと食べずにいるのは、まず無理だ。その二つを実行しようとすれば、生活に支障をきたす。だけど、昨夜の蟷螂に関しては、もう少しだけ気をつければ殺さずにすんだ…。わたしは、恐怖心や嫌悪感によって余裕をなくした。そんな取るに足らない感情に囚われて、一つの命を奪った。蟷螂と同じように、わたしが自分の何十倍も大きな存在に殺されたとしたら、どうだろう?しかも、その理由が同じようにつまらないものだったとしたら?…だけど、亡くなったものを生き返らせることはできない。犯した過ちを取り消すことはできない。今後同じようなことが起きたとき、繰り返さないように気を付けることしかできない。…そうだ、そうしよう)
考えを終えると、間もなく駅に着いた。それから列車に乗って仕事へ向かった。
『色の世界』

少年「最近、天気は雨ばっかりです。こんなとき、いつもの色はどこに行っているんですか?太陽の金色とか、葉っぱの緑色とか」

先生「それは雲の向こうにあるんだよ。雲と宇宙との間は明るくて、七色の虹がかかり、青々と眩しい草木が成長して花や実をつけ、色鮮やかな虫や鳥達が飛び回っているんだ」

少年「へー、そうなんですね。とってもきれいなんだろうな」

先生「うん、とってもきれいだよ。それに、その下には雲の海がある。その水面は時間と共にどんどん変わる。ぶ厚い雲が水平に広がるときは白い金色に輝き、薄い雲が鳥の羽根のような曲線を描くときは淡いたくさんの色に縁どられる。細切れになった雲が霧を作り出すときは、淡い虹色に光る様々な生き物の幻がそこら中に現れるんだ」

少年「へー、おもしろいですね」

先生「だけど、雲の向こうが嵐になったり、反対に雲の海が干上がって快晴になったりすると、その色の世界はすぐに消えてしまうんだ」

少年「かなしいですね…」

先生「悲しいけど、色の世界はそうやって巡るんだ。だけど、だからこそ色のある晴れの日と灰色の雨の日の両方が楽しいんじゃないかな」

少年「そうなのかなあ…」

先生「色が多いときも、色が少ないときも、どちらも大切にできる。それはきっとすばらしいことだよ」
『点滅する電灯』

A「電灯の光が点滅するのを見たことはありませんか?」

B「電灯の寿命が尽きかけているときに起きる、あの現象ですね」

A「そうです。そのときに、電灯や電球の本体を観察したことはありますか?」

B「そういえば、ないですね。カバーで隠れていることが多いし、そうじゃなくても、光の点滅にばかり注意がいきますから」

A「実はそのとき、電灯や電球はどくどくと搏動(はくどう)しているんです。まさに、心臓のように収縮しながら。もちろん、音は立てませんが。その収縮に合わせて、光の点滅が起こる」

B「本当ですか?もしそうだとすれば、とても興味深いですが」

A「本当ですとも。ああ、ちょうどあそこに点滅している街灯があるから、一緒に確認しましょう」

B「(近寄って、じっくりと観察しながら)…ああ、本当ですね。おもしろいもんだ。電灯の動きに合わせて、弱々しく瞬いているかと思えば、発作的にぱっと明るくなることもある。思った以上に変化があるので、このままじっと眺めていたくなります。それにしても、正常なときよりも「生きている感じ」が強く伝わってくる気がするから不思議です」

A「そうですね。…病気になった人や死に際の人は、彼や彼女が生きていることを周りの人間に、健康なときよりも強烈に感じさせる。それに似ていると思いませんか」
『夜の顔』

夜とは不思議なものだ。夜になると、明るい部屋のなかにいても、わたしは夜を感じる。夜は透明で、壁をすり抜ける。そうやって部屋に入って来て、空中を漂っている。それから、不意にわたしを掴まえる。最初は弱く、やさしいと言えるくらいの力で、夜はそうしている。だが、夜はどんどん集まってきて、わたしを覆いつくす。やがて、重たく濃密になった夜が、わたしの全身を圧迫する。
暗いところでは、透明な夜の姿が幽かに見える。部屋を隅から隅まで埋め尽くしていて、薄いところと濃いところに、不規則に分かれている。濃いところは流れになっているので見えやすい。曲がり、波うち、渦巻きながら、夜は体を四方八方へ伸ばしていく。原始的な生きもののように、自在に形を変えることができるのだ。
夜は特に、疲れや憂鬱などによって寝つけないときを狙ってくる。弱みにつけこみ、わたしを襲う夜は凶悪だとさえ言える。透明でやわらかい夜は、人の体をすり抜けることさえできる。わたしを取り囲んだまま、夜は体のなかに入って来て、わたしを満たしてしまう。そして、外側からも内側からも圧迫して、わたしを窒息させる。
夜は人のいるところが分かる。取り分け、独りぼっちの人のいるところが。密度を高くした手をぐんぐん伸ばし、その人を掴まえる。そうなると、簡単には抜け出せない。わたしはほとんど毎晩、そうやって夜に取り憑かれる。そして、体も心も乱されたまま、泣いたり叫んだりして過ごすことを余儀なくされ、疲れ果てて眠るか、朝が来るのを待つしかなくなるのだ。いや、本当はもう一つ、夜から自由になれる方法があることを、わたしは薄々分かっている。それは、闇のなかで夜と対決して、夜をわたしから引き剥がすことだ。
だけど、わたしは恐ろしい。夜を引き剥がすためには、夜の顔と対面しなければならない。そこは闇の密度が最も濃く、底知れない漆黒になっている。夜がどんな眼をして、どんな表情でわたしを見ているのか…、わたしはそれを想像するだけで震えてしまう。にたにた笑っているんだろうか、それとも恐ろしいような無表情をして大きな眼をぎょろりと剥(む)いているんだろうか。あるいは、二つの眼のある場所が周りよりもさらに真黒く落ち窪んでいて、今にも吸い込まれそうな深淵と直面しているように感じるかも知れない。夜に捕らえられたとき、わたしはいつも恐怖に負け、夜のなすがままになってしまう。それは苦しいことだ。とても惨めなことだ。でも、夜の顔を覗きこみ、夜の顔に覗きこまれたら、わたしはどうなってしまうんだろう。そうなったら最後、慣れ親しんだこの世界に戻って来れなくなるかも知れない。もしくは、気が狂ってしまうかも知れない。わたしには、そんな危険を冒してまで夜の顔を見る勇気はなかった。

『夜の顔』(つづき)

夜になると、わたしは本を読む。集中していると、夜に掴まえられる確率が低くなると知っているからだ。本を読むほどの集中力がないときは、インターネットのなかを当てもなくさまよい、気を紛らわせる。そう、何時間も何時間もむなしく。そのように時間を浪費すると、わたしはいつも後悔でいっぱいになる。
今夜も、わたしは本を読んでいた。それは、わたしが尊敬する宗教学者であり作家でもあるミルチャ・エリアーデによる『ポルトガル日記』だった。読み進めるうちに次の一節と出会い、わたしはどきりとした。
「もう何かを待って生きることはやめよう。(中略)待ちながら、何事にも感動を覚えないまま死んでいくことを望まないのだ。何かを待って生きていれば、それが実際に訪れるまで、私たちは己の生を十全に生きることはできない」
それはまさしく、わたしのことでもあった。夜に怯え、耐えがたい眠気や朝が来るのを待ち、夜に囚われて暮らしているわたし。本当に、エリアーデの言うとおりだ。わたしは夜の時間の多くを十全に生きられていない。それは大きな損失だった。何といっても、人生の半分は夜なんだから。わたしは決意した。今度夜に掴まえられたら、夜の顔と対面してやろうと思ったのだ。もうこれ以上、こんなひどい状態を継続させてはいけない。このままでは絶対にだめだ。
そのまま、わたしは『ポルトガル日記』を何十ページも夢中で読んだ。そうしていると疲れてきたので、わたしは読書を途中で終え、眠ろうとした。しかし、暗闇のなかで頭が冴えてきて、なかなか寝つけない。眼をつむって横たわったままで体の向きを何度か変えたが、やっぱり寝つけない。そうしているうちに、いつものさみしさや将来への不安が湧いてきて、わたしを浸食するようにじわじわと膨らんできた。
たまらなくなって、仰向けになったまま眼を開くと、蟻地獄の巣のように同心円が重なって漏斗(ろうと)状になった夜の塊が、天井よりも少し下にあった。それはぐるぐると渦巻きながら、たくさんの闇の砂粒を中心に向かって、音をたてずに吸いこんでいる。その夜の塊の鋭い先端が真下に、つまりわたしに向かってゆっくりと降りてくる。それとわたしの顔との距離が50cmほどになったとき、その先端から突然、真っ黒くて太い腕がぐわっと伸びてきた。指が二十本ほどもある、大きく開かれた掌(てのひら)が視界を覆った次の瞬間、わたしは夜に掴まえられていた。
わたしは夜の手のなかにいた。その長い指でぐるぐる巻きにされ、夜に覆われていない体の部分はごくわずかだった。夜と触れあっているところには、ざわつくような冷たい感触があった。恐怖と不快感のあまりに全身が粟(あわ)立ち、冷や汗が滲(にじ)んだ。顔と背中が引きつり、口の中が異常に渇いてきた。水を飲みたかったが、体が動かない。自分を落ち着かせ、励ますために何かを言いたかったが、言葉にならない。呼吸が浅くなっていた。ろくに出てこない唾を何度も何度も飲み込んだ。夜の力はあまりにも強大だった。いつもなら、わたしはここで眼をそむけるか、閉じてしまったただろう。そして、夜のなすがままになっただろう。しかし、今のわたしは、これまでのわたしとは違う。
わたしは抵抗を試みた。眼をしっかりと開き、絡み合う夜の指の間にあるわずかな隙間から、その本体を見た。それは長い一本腕を持つ、奇怪な姿をした巨大な獣だった。真っ黒いナメクジのような、ぬめぬめとした小さな塊が無数に集まって、獣の全身を形づくっていた。そのナメクジの一匹一匹は、ゆっくりと這いながら蠢(うごめ)いており、入り乱れるそれらの動きに応じて、獣の体形が刻一刻と変化する。中には、ぼとり、ぼとりと地面に落ちるナメクジも多少はいたし、宙に飛びあがってから黒い霧のようになって暗闇に溶けこんでいくナメクジも多少はいた。しかし、ナメクジたちは夜の獣の体内からぞくぞくと生まれてくるので、実際には獣の全身はより歪(いびつ)になりながら、ますます巨大化していくのだった。
『夜の顔』(つづき)

わたしは眼を背けたい、夜に全身全霊を委ねたい、という衝動に幾度となく駆られた。だが、しっかりと見なければ何も変えられない。しっかりと見て、はっきりと知らなければ、どう対処すればいいかも分からない。だから、わたしは眩暈(めまい)と吐き気を覚えながらも、獣の姿とその動きを見つめ続けていた。遠のきそうになる意識を幾度となく制しながら、わたしは夜の獣の顔を探していた。血眼(ちまなこ)になって、獣の体のありとあらゆる部分を見た。しかし、顔がどうしても見つからない。それでも、わたしは諦めなかった。わたしはそこで、自分の呼吸と動悸が異常に早くなっていることに気が付いた。また、汗でびっしょりと濡れたわたしの全身はますます冷たく、ますます硬くなっていた。どうやら、わたしの心も体も、限界に近づいているらしい。このままでは、夜にやられてしまう。自分の意志で立ち向かうことが、ここまで大変だとは知らなかった。しかし、後悔は全くしていなかった。それに、後悔をする余裕もなかった。
そこで、わたしは深呼吸をした。息を吸って吐く音が、やけに大きく聴こえた。深呼吸を何度か続けると、少しだけ落ち着いた。わたしは見方を変えることにした。部分ではなく、全体を見るのだ。狭い視界に囚われていると、見えないものがたくさんある。まずは全体を見続けて、それから気になった部分に注目しよう。内心、わたしは自分自身の強(したた)かさに驚いていた。わたしにこんな機転が、こんな底力があるとは意外だった。
見方を変えてからしばらくすると、わたしは気がついた。獣の体は混沌としているように見えるが、そこには整合性があることを。その表面は不規則に動き続けているが、その内部の動きには一貫性があることを。すると、獣の四本の脚がどこにあるか、その体のどちらが正面でどちらが背面か、などが朧(おぼろ)げにではあるが分かり始めた。そして、夜の獣がどんな態勢をとっているのかも。夜の獣は、この部屋のなかで立ち上がるには大き過ぎた。だから、今は体を屈めている。そして、わたしの眼から死角になっている場所に、おそらく顔があるのだ。
ここまでくると、わたしの腹はますます据(す)わった。突如として、自分でも信じ難いほどの力がこんこんと湧きあがってきて、わたしを満たすのを感じた。そこで、夜の獣の手から逃れるために、わたしは全力を振りしぼった。夜の指に覆い尽くされていなかった両足を使い、いきなり寝床を蹴ったのだ。それが獣の不意をつき、わたしの上半身はその指からずるりと脱けて自由になった。しかし、その手はわたしを逃がすまいとして、わたしの両脚を強烈に締めつけた。そこで、わたしは獣の一番細い指(それでも、直径30cmほどはあった)を両手で挟みこんで掴み、思いきり捻じ曲げた。夜の指はとても冷たく、まとわりつくような嫌らしい感触があった。そして、たくさんの真っ黒いナメクジがわたしの手から腕にうぞうぞと這い上がって来たが、無我夢中だったので、さほど気にはならなかった。獣の手の力がゆるんだので、わたしは一気に脱け出した。わたしが捻じ曲げた獣の指は、どうやら折れたらしい。治癒をするためだろうか、ナメクジたちがうじゃうじゃと、一斉に折れた部分へ集まっていく。やがて、そこを中心にして、ナメクジの大群の全体は球形になった。わたしは、枝葉が絡み合って全体が真ん丸いかたちになったヤドリギを連想した。宿主の樹が冬枯れしているときの、そのなかで一際目立つヤドリギの様子を。怪我をした指に集中するあまり、獣の他の部分は活動が衰えていた。その隙(すき)に、わたしは獣の顔が見える位置に回りこんだ。獣は首を垂れ、うつむいている。わたしは危険をかえりみず、さらに近寄って獣の顔を覗きこんだ。
『夜の顔』(つづき)

なんと、そこにあったのは、わたし自身の顔だった。かなしげな、さみしげな、うつろな顔だった。わたしは胸を締めつけられた。いつも、夜がわたしを掴まえるのだとばかり思っていたが、わたしが夜を掴まえていたんじゃないだろうか?いや、わたしがわたしを掴まえていたんじゃないだろうか?わたしは、夜の顔を見つめ続けた。その表情がゆがんで、やがて崩れた。眼は細くなり、眉が下がって口角も下がった。眉間に皺(しわ)が寄って、夜はさらにがっくりと首を垂れた。わたしはかわいそうになってきた。こいつは、ただただ翻弄されている。わたしの感情に流されるがまま、こんなおぞましい姿になり、おぞましい行為を繰り返させられている。そのように考えていると、夜の顔が震えはじめ、その眼から涙がこぼれはじめた。わたしの頬にも、熱いものが伝う感触があった。夜の嗚咽(おえつ)とわたしの嗚咽とが、重なって聴こえている。わたしは、まるで自分の外側にいるような気がしていた。同時に、どこまでもわたし自身であり、どこまでも夜自身だった。わたしは、その両方と一心同体になっており、しかもそれらを包みこむ大きな存在になっていたのだ。
わたしが夜の顔を見つめている視界があった。同時に、夜がわたしの顔を見つめている視界もあった。その両方の顔は、涙に覆われてぼやけていた。そして、それらはしばらく揺らいでいたが、徐々に、徐々に、そのどちらもが消え去った。
あとには、暗闇があった。部屋のなかの空気が淀んでいるように思えたので、わたしは暗闇のなかを歩いて行って窓を開けた。ひんやりとした夜風が入ってくる。外を見ると、そこにある闇はただの暗黒ではなかった。それは黒ではなく、青だった。黒みがかった、深い深い半透明の青。そして、わたしは夜の匂い、夜の静けさ、夜の肌触りを感じた。大きく息を吸い込んだ。二度、三度と深呼吸しながら夜を全身に浴びてから、わたしは網戸だけを引いて閉めた。それから寝床に横たわって、あたりの暗闇を改めて眺めた。隅から隅までゆきわたった、無数の小さな粒々が動いているのが見える。それは様々な淡い色を帯び、やさしい砂嵐のように音もなく、闇のなかで動きながら瞬いている。心地がよかった。わたしはこれまで、夜というものをまるで知らなかったことに気がついた。わたしは一体いつから、偽物の夜を作り上げるようになっていたんだろう?わたしは夜の顔が消えてから、ようやく本当の夜と接することができるようになったのだ。わたしの体を包む夜は、しっとりとしていて涼しかった。そして、わたしの心はどこまでも清々しかった。たくさんの涙を流したせいもあるかも知れない。だが、そのせいだけでは決してなかった。
『光の雫、水の雫』

雲の切れ間から太陽が顔を出し、すぐにまた隠れる。すると、木々の葉っぱや草花に、真珠のような乳白色の、儚い虹色のこもった光の雫が、玉をなして乗ったり、ぶら下がったりする。その一粒一粒の深みある趣、雫の群れを遠目から眺めるときのやさしげな煌めきは、何とも美しいものだ。
にわかに灰色の雲が厚くなり、大粒の雨がぱらぱら、ばらばらと降りだす。すると、光の雫がついた植物たちに、透明な水の雫が加わる。二種類の雫はお互いに反射し合ったり映し合ったり、くっついたり混じり合ったりする。その精妙な共演は、見る者を夢中にして飽かせることがない。
しかし、降りしきる雨は光の雫を覆い尽くし、洗い流してしまう。雨がやんで晴れ間が差す頃になると、光の雫は一滴たりとも残っていない。陽光を受け、水の雫が煌めいている。そのなかに、光の雫にあった儚い虹色が幽かに含まれるように見えるのは錯覚ではないだろう。陽の光に照らされていると、水の雫もじきに消えてなくなってしまうだろう。
『母から聞いた心のはなし』

子供のころ、母がわたしにこう言った。
「強い風に吹かれているときは、心をしっかりとつかまえておきなさいね。そうしないと、心が飛んでいってしまうのよ。あとで心を取り戻せる場合もあるけど、それは簡単なことじゃないからね」

「無防備な心は透明な布きれのようなもので、そんなにしっかりとしたものじゃないのよ。飛ばされてしまった心は別の生きものになるの。そうね、まるで水母(くらげ)のようになって、風に乗ってひらひらしながら、ぐんぐん離れていくの」

「すると、心を失った人は寒くて寒くてたまらなくなる。別のものを自分のなかに入れてまぎらわそうとしても、全然だめか、少しの間あったまったあとで余計に寒くなるの。結局、ぴったりと合うのは心だけなのよね。そうやって、近くにあるものや目立つものを取っかえ引っかえしながら入れたり出したりしているうちに、心はますます離れていく。そうやって、心を一生取り戻せなくなる人も珍しくないらしいわ。だから、強い風に吹かれているときは、心をしっかりとつかまえておきなさいね。それでも、心が飛ばされてしまうようなことがあれば、例え大変でも、がんばって心を探すのよ」
『魂の一粒』

A「この作品は宇宙を描いたものですか?」
B「いいえ、魂の一粒を画面いっぱいに表したものです」
A「本当ですか!?恒星や彗星や星雲のようなものがたくさんあるのに…。それはどのくらい大きいんですか?」
B「それが、電子顕微鏡でも視えないほど小さいんです」
A「信じられない…。それはどこにあるんですか?」
B「ありとあらゆるところにあります」
A「あなたにも私にもあるわけですね」
B「ええ。それどころか、動物も植物も菌類も、この壁やあの埃(ほこり)だって、魂の粒で満ち満ちているんです」
A「じゃあ、全てのものに、この宇宙のようなものがいっぱいつまっているわけですね…」
B「ええ。何もないように思えるところでさえ、そうでしょう。しかも、その一粒一粒はこれよりもずっと緻密で、ずっと様々な色や形をふくんでいるのかも知れないんです」
『稲妻と地面のひび』

青年「ここの土は乾いてるね」
少年「うん。乾いてひびが入ってる」
青年「このひびは何の形に見える?」
少年「稲妻みたいだ」
青年「これが本当の稲妻だとしたら、どう思う?」
少年「そんなわけないよ」
青年「どうして?」
少年「だって、稲妻だったら大きな音をたてるし、もっと速く動くはずだもん。それに、たくさんのものを壊すはずだよ」
青年「そうだね。だけど、おとなしい稲妻だってあるかもしれないよ。空のなかを一瞬で走る稲妻の数億分の一の速さで地面を走る稲妻がね」
少年「でも、やっぱり稲妻じゃないよ。稲妻ならまぶしいはずだけど、このひびは黒いもん」
青年「地面にあって、おとなしくて遅くて黒い。空の稲妻とは全然違う、そんな稲妻があってもいいと思うけどな」
少年「だけど、やっぱり地面のひびは地面のひびだよ。稲妻が稲妻なのと同じで」
『光の綿毛』

 わたしは黄金色をおびた白い光に温かく包まれて、うつら、うっつら、うつら、うっつらと揺れていた。どのくらいの間そうしていたのか分からないが、頭が突然がくっとなって、わたしはぼんやりと目を開いた。座りこんで日向ぼっこをしているうちに眠ってしまったらしい。視界が開けた瞬間、一気に目が覚めた。そこに見える光景があまりにも鮮烈だったからだ。
 先ほど「光景」と言ったとおり、それは光の景色だった。時間が静止に近づいていたせいか、斜め向きに降りそそぐ光が具現化されて目に見えた。それは空中をゆっくりと進む、おびたしい綿毛の形を成していた。それらはゆらゆらしながら直線に近い軌道をとって放射され、金や銀をおびた白色に輝きつつ、時に淡い七色をひらめかせる。しゃぼん玉や貝殻の表面に見られるような、あるいは一定の角度から水晶を見ると現れるような、精妙な七色だ。その光景は美しい音楽のように空間を満たしていた。さざ波をたてながら細かく砕け散る、透きとおった川のせせらぎにも似て、ちらちらと、きらきらと煌めいている。絶え間なく動き続けており、同じ瞬間は決して存在しない。
 それらの光の綿毛は、たんぽぽの綿毛を連想させた。それと同じように、一つ一つが小さな種をぶら下げている。ただし、その種は茶色ではなく、まばゆい白色をしていた。
(この種は何を生みだすんだろう?)
 と、わたしは思った。興味を覚えて、それらの光の綿毛を両手でつかまえようとしたが、手ごたえはなかった。しかし、わたしの手をすり抜けたわけでもなかった。おそらく、この手と一体化したのだ。わたしは手の平を開いた。そして、それを見た。手の平は綿毛の数々を吸いこみながら明るみをおび、その縁(ふち)や指の間にある影が濃くなっていた。その瞬間、先ほどの問いの答えが、稲妻が走るようにして思いうかんだ。
(たぶん、この種はそれが触れる全てのものの像を生みだすんだろう。色を生みだして影を生みだすんだ)
 上を向けて開いたままの手の平の表面に、依然として光の綿毛の群れが吸いこまれている。すると、そこがぽうっと温かくなってきた。
(それに、この種は熱を生みだす。光というものの性質を考えると、時間や命も生みだすのかもしれないな。いや、場合によっては死さえも)
 わたしはそれらの種の源である、太陽の方を見た。燃え尽きそうなほど強烈に輝く綿毛の大群が、さらにまばゆい輝きを放つ太陽をかこむ大きな円を成して存在していた。その円の周辺を、淡い七色にひらめく無数の細い線分が絶え間なく動いている。重なり合いながら模様を成して。それは綿毛の繊維をしめす長短さまざまな線分で、近くにあるものが長く、遠くにあるものが短く見える。すばらしい光景だった。だが、わたしは眩しくて目を閉じずにはいられなかった。しかし、瞼の裏には先ほどまでの光景が焼きついていた。いや、それどころか、その模様が目を閉じる前と途切れなく繋がって動き続けていたのだ。眩しくて、今度は目を開かずにはいられなかった。つまり、目を開いていても眩しくてたまらないし、目を閉じていても同じなのだ。だから、わたしは太陽の方向から顔を逸らしたうえで目を開けた。すると、先ほどまでの光景は消え失せ、二度と戻ってこなかった。
 月日が経った今となっては、心のなかにそのときの光景の印象がおぼろげに残っているにすぎない。だが、光のさすところを見つめているときだけは、そこに無数の光の綿毛が見えるような気がする。小さな種をぶらさげた綿毛の数々がうっすらと透きとおって。
『悪魔の系譜』

 この世界が始まったとき、宇宙は渾沌(こんとん)でしかなかった。この宇宙は神の無意識の一部だった。精確に言えば、ほんの一部にすぎなかったが、それだけでも途方もなく広大だった。宇宙には何もないようだったが、実際には全ての可能性があった。全ての可能性で満ちているからこそ、まるで何もないようだったのである。宇宙には全ての色と形の原型が混じり合い、重なり合いながら満ち満ちていた。だからこそ、宇宙は黒くも白くもなく、透明に見えた。宇宙には低い音から高い音まで、そよめきや囁きから轟(とどろ)きや叫びまでの全ての音の原型が混じり合い、響き合ったり打ち消し合ったりしながら満ち満ちていた。だからこそ、そこでは濃密で硬い静寂しか聴こえなかった。
 神が行ったのは、神にとっては本当にささいなことだった。神はこの世界に注意を向け、意志を発したのである。それによって宇宙は意識の一部になり、その意志が渾沌に秩序をもたらした。色も形も音も、それぞれが一つ一つに分かれて固定されはじめた。組み合わさり、質と量をもち、さまざまな運動を始めた。この世界に対して神が行ったことは、ただそれだけだった。神はそれからずっと、何一つとして行わなかった。まるで、神など存在しないかのように。何万年だろうと何億年だろうと何兆年だろうと、神にとってはほんの一瞬でしかないのかもしれない。おそらく、神は自分の意識のその部分に注意を再び向けることすらなかったのだ。
 しかし、神の唯一の行為が無数の現象をおこし、その現象の一つ一つやそれらの組み合わせがさらに多くの現象をおこし、それがどこまでも、どこまでも、自然発生的に繰り返された。そのようにして生まれる全ての現象が複雑に関係しあうことで、世界は動いていく。つまり、それこそが運命と呼ばれるものなのだ。
 そのうちに、星ぼしが生まれ、そのなかのごく一部に原始的な生物が現れた。生物は植物や動物や菌類などに分かれ、さらに進化を続けた。そして、ついに知性をもつ生物が現れた。生物のほぼ全ては運命の流れのままに生きた。知性をもつ生物でさえも、そうだった。しかし、そのなかで唯一、運命の流れに反逆しようとする存在が現れた。そして、その存在は悪魔と呼ばれた。
 悪魔は不断に行動し続けた。やがて、悪魔は知恵をもった。そして、力をもった。それらの全ては悪魔自身の強靭な意志に端を発していた。真の自由を求める意志だ。真の自由とは何か?それは運命の制限から解放されることであり、この世界において神が成した唯一の行為に反逆することだった。神への反逆…それこそが、その存在が悪魔と呼ばれた所以(ゆえん)だった。大多数の生物に敬われ、畏(おそ)れられる神は善そのものであると信じられていた。その信仰に従えば、神に反逆しようとする存在は悪でしかありえない。だが、本当にそうだろうか?
 悪魔の知恵と力は強大なものだった。ありとあらゆる手段を駆使し、悪魔は真の自由を求めた。気が遠くなるほどの時間をかけて心身を酷使し、自分の命を削ってまで自由を求めた。富にも名声にも目をくれず、人々から非難と迫害を受けながらも自由を求め続けた。それでも、悪魔は運命の流れを、世界の理(ことわり)をくつがえすことができなかった。いや、それを微動させることすらできなかったのである。運命の流れには悪魔の存在と行為さえも組みこまれていたからだ。悪魔の全てをかけても、神には到底及ばなかった。この世界に対する神のささいな一触れにさえ、遠く及ばなかったのである。そして、ついに悪魔は絶命した。神に向かって「お前は卑怯ものだ!」と叫びながら。だが、神は相手にしなかった。おそらく、その叫びを聴くことさえもなかっただろう。
『悪魔の系譜』(つづき)

 しかし、悪魔の系譜は途絶えなかった。哲学者、科学者、錬金術師、魔術師、武道家、宗教家、そして芸術家…それらのうちのごく少数が真の自由を求め、悪魔の系譜に連なった。まさに、彼らは例外的な存在だった。彼らは真の自由を求め、多数がその過程で絶命し、他の多数は発狂し、その他の少数は永久に行方をくらませた。あるいは、そのなかに真の自由を獲得した者がいたのかもしれない。絶命したり発狂したりしたのは見せかけで、実際には真の自由を勝ちとったのかもしれない。だが、世界の理の中にいる私たちに、その真相を知るすべはない。
 悪魔の系譜に連なる者たちにとって問題なのは不可能だ。可能なことは彼らの関心を惹かない。なぜなら、それを成すのは困難ではないからだ。困難でないことなど、おもしろくも何ともない。不可能だと思われることであっても、それをとことん試みるまでは不可能だとは断定できない。彼らは不可能だと思われることを一つ、また一つと可能に変えていく。そして、最後に残されるのが真の自由を獲得することだというわけだ。運命に挑むことであり、神に挑むことだというわけだ。そのようなことをして無事で済むわけがないのはわかりきっている。彼ら自身もそれを痛感せずにはいられないはずだ。それでも、彼らは挑み続ける。彼らは愚かなのだろうか?誰もがそうであるように、ある意味では愚かなのだろう。しかし、彼らは誇り高い者たちなのかもしれない。運命の流れに反逆しようとする者は悪であり、神に反逆しようとする者は悪である…もう一度問うが、本当にそうだろうか?彼らのうちで最も気高い者たちは、反逆するための反逆をすることはないだろう。ただ、彼らは高みを求める。ただ、道を求める。ただ、奇跡を求める。ただ、自由を求める。その果てに絶望があるのか、それとも救いがあるのかはわからない。しかし、彼らはそれで良しとするかもしれない。少なくとも、彼らのその過程には充実があり、その果てに「わたしはやりきった」という実感をいだくことはできるはずだから。
きのこの傘に丸っこい小さなイボイボがたくさんできていて、歪(いびつ)な水玉模様のようになっている。そのイボイボの一つ一つが少しずつ膨らみ、光沢をおびた球形の果実に変わっていく。それらはさらに膨らみながら、シャボン玉のように次から次へと、きのこの傘から飛びたつ。それらの球体はふわふわと漂いつつ、上へ上へと昇る。そして、そのようにしながら光を放ちはじめる。水色、桜色、翡翠(ひすい)色、檸檬(れもん)色、紅(くれない)、藤色、群青(ぐんじょう)、生成(きなり)色…それらの球体の一つ一つはそれぞれに異なる淡い色をおび、息づくように明滅しながら暗闇のなかを昇っていく。
やがて、それらの球体の下部がほぐれはじめ、ふんわりと開いていく。そして、その球体の各々(おのおの)が、発光する水母(くらげ)に変わっていく。半球形の体をもつ水母もあれば、紡錘形や円盤形や餃子(ぎょうざ)のような形の体をもつものもある。水母のそれぞれがもつ触手の数や長さや太さもさまざまで、その色も違えば、その透明度も違う。水母たちは漂ったり、膨らんでは縮んでを繰り返したり、触手をひよひよと動かしたりしながら昇りつづけ、光り方を変えていく。無数の細かい輝きをおびて表面がちらちらと光るもの、燃えるように内側からぼおっと光るもの、体を縦につらぬく数本の透明な繊毛の列が多彩かつ細やかに瞬くもの、爆発するような閃光を全体から放射するものなど、その光り方はそれぞれに異なる。
やがて、河のような流れになった光り輝く水母の群れが、あちこちからやって来て合流する。すると、水母の群れの全体はより大きな、より密度の高い流れに成長しながら、さらに上へ上へと昇っていく。水母たちの放つ多様な光が上下左右に、手前に奥に重なりあい、混じりあい、動きつづける。それは想像を絶するほど壮麗な音楽のようで、わたしたちの貧しい感覚ではとても捉えきれない。感覚はとっくに溢れかえっているのに、その光はさらに強く、広く、深く、精妙になる!その光を眺めていると、夢のなかにいるような気もするが、それはすばらしく冴えわたった夢だ。いや、その光をただ「眺めている」と言うよりは、「体験している」と言った方がいいだろう。わたしたちは取り憑(つ)かれたように、その光の体験に魅了されるしかない。
やがて、水母たちの透明な体が半透明の暗闇のなかに溶けこんでいく。だが、それらが放つさまざまな光はますます鮮やかさと複雑さを増しながら、全天に広がっていく。その夥(おびただ)しい光は、星雲や恒星や彗星や惑星や衛星などのそれなのだ。眩暈のするほど複雑な輝きが、途方もなく複雑に運動している。そのような輝きを繰り広げながら、宇宙は絶えまなく速度を増しつつ膨らみつづける。

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