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SCS バクティヨーガ・センターコミュのHigher Satisfaction 〜満足感のレベルを上げる〜

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核兵器を使ってアメリカは日本を征服し、世界中に力を顕示しました。表面的には勝利の喜びに耽ったように見えますが、それはあくまで外からそう見えるだけです。内的には「何か反作用が起こるのではないか」という懸念がありました。これ程の大損害を起こした行為には、憎むべき罪を犯してしまったという自責の念が伴うものです。しかし、この出来事もまた私たちのカルマが寄り集まって生んだものにすぎません。誰かを責めても仕方ありません。

「下手な職人は道具に難癖をつける (A bad workman quarrels with his tools.)」という古いことわざをもじると、「下手な職人は大便に難癖をつける (A bad workman quarrels with his stools.)」となります。ものを食べると消化器をとおり、大便が出ます。大便に罪はありません。大便は食べ物の必要な産物です。カルマは大便のようなものです。何かをすると、環境が現れ、反作用が起こります。行いに対して同様の反作用が起こります。個々に起こることもあれば、共同に起こることもあります。すべての結果および環境は大便のようなものではないですか。環境は自業自得です。

ですから、誰を責めても仕方ありません。しかし、主の恩恵はそこらじゅうに見つかります。人生の最悪の時期でさえ、主はいつでもそこにいらっしゃいます。主は待っています。私たちを助けるために待っているのです。私たちはただ主の恩恵を求めて見上げなければなりません。誠実な心で、どこまでも誠実な心で。主はあらゆるところにいらっしゃり、待っています。
「私を見なさい。外の環境にばかり気をとられてはいけない。私はここにいる、あなたのすぐ近くに。あなたはよそに気をとられてしまった。あなたは外へ意識を向けてしまった。意識を内へ向けなさい。そうすれば私がここにいることがわかるでしょう。意識を上へ向けなさい。あなたは下を向いて自分に奉仕したり自分を楽にしてくれるものを探している。しかし、もし上を見上げれば、あなたより高い存在を探し求めれば、そこに私を見つけるでしょう。見上げなさい。下ばかり見て自分への奉仕者を探してはいけない」

誰もが主人になりたいがために自分への奉仕者を探しています。自分に奉仕するものを求めています。その逆の道を行きなさい。奉仕者になり、あなたの主人、あなたの主を探し求めなさい。そうすることであなたの意識は持ち上がり、より高い場所へと連れて行かれるでしょう。高い場所で生きようと思うのなら、奉仕しなければなりません。主人になりたいと思うのなら、主人になることのできる低い場所へ下りなくてはなりません。

これは大げさな話でも作り話でもありません。科学に基づいていることです。低い地位にあるものしか楽しむことはできません。ですから楽しもうとすれば、低俗な付き合いを避けることはできません。高いレベルで奉仕する準備ができてはじめて、魂にふさわしい高い場所と関わることができます。

捧げなさい。捧げることで上にあがることができます。楽しもうという気持ちでいれば下に降りるしかありません。搾取とは何か、楽しみとは何か、また高い場所での奉仕とは何かを学ばなければなりません。神聖な奉仕は純粋であり、その奉仕からまた歓喜という純粋な喜びを得ることができます。与えることで勝利者となり、奪い取ることで失敗者となります。この科学的真実をまず理解しなければなりません。

奪い取ることで表面的な満足を得る人もいますが、表面下では結果はあまり良くないのではないかと疑い、「反作用が起こって俺に仕返しにくる」と思います。盗み搾取することで得る喜びもありますが、寄付者や後援者は寄付をすることで得るしあわせを享受しています。これら2つのしあわせの質には違いがあります。私たちはその違いを区別しなければなりません。

それぞれのレベルでそれぞれ異なるしあわせの概念があり、そこから得られる喜びの質に感じられる違いを比べてみるとよいでしょう。異なるレベルの人生について考えてみましょう。高い場所へ奉仕する人生はすばらしい人生です。完全な神はいます。すべては彼のために在ります。あらゆることは彼の喜びのためにあるのです。

しかし、そのような神聖ですばらしい人生をどうやったら得ることができるでしょうか。世俗とは何でしょう。神聖とは何でしょう。この2つを区別しなければなりません。神聖な人生を受け入れるために、この両方について吟味してみましょう。

神とは何でしょう。神は注文通りにものを届けるサプライヤーではありません。病気のときは「神様、病気を治してください」と祈り、貧しいときは「神様、お金をください」と祈ります。このような利益指向の関係は喜びにあふれているとは言えませんが、超自然の力を信じ、奇跡を起こしてくださいと願うのですから、そこにはしっかり意味があります。

しかし、世俗的なものを何も求めずに、神を欲する方が、もっとすばらしいことです。あらゆる富の源である神自身を欲すること。これは価値があるとあなたが考えるものではなく、神のみを求めること。彼に頼ること。
「主よ、良いものをください。私は不完全な者です。ものの良し悪しがわかりません。どうかあなたが私に良いと思われるものを授けてください」
これがよりよい祈り方です。

しかし、最上神への混じり気ない奉仕という信条を受け入れることもできます。
「主よ、私はあなたが欲しい。他には何もいりません」
これが最高の祈りです。神との関係はどのようなものになるでしょう。奉仕の関係です。
「あなたへ奉仕させてください。それだけが望みです」

はじめは自分を損失者だと思うかもしれませんが、最後には得をするでしょう。表面的には自分自身を捧げて、自分の都合を犠牲にしているのですが、そうすることで私たちは得をします。この存在論の真実を認めなければなりません。これは教義でも盲目的な信仰でもありません。偏見のない高等な理性に基づくものです。

いつまでたっても人生は満たされません。疑いようなく誰もが自己実現を求めています。しかし、どのような自己実現を渇望し、探求すればよいのでしょうか。私たちは自分に渇望があることを知っています。その渇望をなんとか満たして満足感を得たいと感じています。皆そのように思っています。では、満たされない人生から満足な人生へ向けてどのように前進することができるでしょうか。それには神を探し求めることが必要です。

現代社会は洗練された力を探し求めています。環境をコントロールするために洗練された能力を手に入れて、すべてに対していばりちらしたいと思っています。彼らは地獄に君臨したくて仕方ありません。サタンは「地獄に君臨するほうが、天国で奉仕するよりはましだ」といいました。サタンの信者は地獄に君臨したいと思っていますが、私たちはその逆を主張します。
「天国で奉仕するほうが、地獄に君臨するよりはましだ」
これが私たちが目指していることです。天国で奉仕すること、より高いレベルの天国で奉仕すること。より高い繋がりを求めるのなら、謙虚にアプローチしなければなりません。他には方法がありません。

奉仕の世界においても、粗野な状態から繊細な状態へ、低いレベルから高いレベルの独立と歓喜へと徐々に前進していきます。愛とはそのようなものです。アヌラーガ、自由な精神愛が入り混じると、愛はその奉仕者に独立をもたらします。

奉仕においても低い段階では「これをしなさい」「あれをしてはいけない」という経典の規則によって常にコントロールされます。しかし、より高い場所へと前進するにつれ、自由になります。「これをしなさい」というのはあなたの心です。どのような経典もあなたに規制を課そうとはしません。何をすべきか、どのような奉仕をすべきかは、あなたの心が教えてくれます。

あなたの信仰心が固まり、誠実な奉仕者になったとき、どのような奉仕をしたいかは自分で決めることができます。自分がいちばんいいと思うことをすればよいのです。どのような規則にも縛られません。そこは自発的な奉仕の世界です。内なる知恵に導かれるままに行動し、それが受け入れられます。心からくるものです。誠実な心から流れ出てくる奉仕の世界です。外側から押し付けてくるものも、「これをしなくてはいけない、あれをしてはいけない」などいう規則も何もありません。自発的な奉仕の世界にたどり着くとき、そのような決まりはすべてなくなります。

しばらくの間規則を守って献身奉仕を実践した後、「この崇高な場所は私の場所だ。ここが私のふるさとだ」と感じるでしょう。実家に帰ったときのような自由、やさしさ、気楽さを感じます。すべての疑問がすっきりとなくなります。以前にはあった悪い習慣も消えてしまいます。低俗な性癖はすべて消え去り、崇高神とつながることのできる心の中の場所で封印が解けます。その封印が解ければ、すべての取り組みが愛情に満たされ、その取り組みにあなたは十分に満足するでしょう。これが永遠のあなたの役目、永遠につづく楽しい仕事です。

不確実性から確実性へ、不満足から満足へ、渇望から自己実現へ。一時の概念から永遠の流れへと私たちは流れ込んでいきます。ローカルな支流から抜け出すことで、私たちは永遠の生命の流れに合流します。前進するにつれ、神とは何かという問いに対する考えは変化していきます。徐々にクリシュナの概念へと近づいていきます。なぜなら、愛のプラットフォームでは神はクリシュナとして降臨し、クリシュナとして顕現するからです。

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